閑話 霧の湿地
それから数ヶ月経ったある日。アルウィンは
アルウィンは実力を認められてから冒険者ギルド内でめきめきと頭角を現していっていた。
今日は上級冒険者への認定試験。アルウィンは
「くそっ、霧のせいでなかなか前が見えないや」
湿地帯は運悪く霧が立ち込め、10ヤード先がやっと見える程度。この霧の中でどこから襲われてもおかしくはない。
アルウィンは魔法使いが使用する〝魔力探知〟を使えるほどの魔力熟練度を有していなかった。
剣士として研ぎ澄まされた〝魔力感知〟という方法があるために強い魔力の動きを把握することは可能であるが、魔獣が非戦闘時に発する弱い魔力の揺らぎを察知することはアルウィンの扱う〝魔力感知〟では不可能だった。
一方の
霧で視界を封じられている今、圧倒的に不利な状況下にいるのはアルウィンであった。
───何も見えないし……早く帰りたい。
アルウィンの行く先は広大に広がる泥の湖沼となっていた。辺りを見渡すと、左前方に小高い丘ほどの巨大な魔獣の死骸がある。アルウィンがその方向へ足を向けると、それは近付けぬほどの臭気を放って彼を苦しめた。
彼は泥が付着しどんどん重くなっていく足ですり足をしながら進んでいくのだが。
突然、彼は魔力の揺らぎを感じ取ったのか、
「ッ!!」
咄嗟に身を屈めたアルウィンの頭上をビュッと音を立てて巨大な爪が空を切り裂いた。次いで長くしなる尾がアルウィンの屈んだ場所に向け放たれる。
「危ねぇっ!」
どうにか横っ飛びで回避は出来たものの、回避した先は足に絡みつく泥の中だ。
転びそうになるものの、どうにか踏み留まった彼は、その巨体を視界に入れる。
霧のなかから現れた黒々とした影。頭部には琥珀色に光る3本の角。その下でグアッと開かれた、鉄塊も噛み千切りそうなほどの凶暴な
アルウィンを狙った不気味に輝く爪だけで1フィートは余裕でありそうである。
───間違いない。
グルァァァァァァァッ!!と、咆哮が轟く。
次いで、再度彼を狙った強靭な尾。
すぐさまアルウィンは抜刀し、黒く光るその尾を正面から受けた。ベキンッという鈍い音と共に、アルウィンの腕に強い衝撃が駆け抜ける。
「硬っ……!」
思わず、言葉は口から漏れていた。
大剣のような尾は鋭く、生物であるはずなのに圧倒的に硬かった。竜種の皮膚が堅牢であるというのは有名であるが、この種に関しては平均的な竜種よりも表皮が硬いようだ。
アルウィンの剣に付着した血はほんの少しだけ。人間で例えるならば、紙で切り傷を作った時の出血量のようなものだろうか。
彼は
圧倒的な皮膚の硬さは、流石は上級冒険者と中級冒険者の間の壁となりうる魔獣といったところか。
現状、恐らくぬかるみの中でも素早く動ける
再度尻尾が振り抜かれる。今度は前回よりも低い音をたてて迫ってきており、更に威力が増していることは言うまでもないだろう。
アルウィンは足をすり足で開き、今度はカウンターを狙った体勢へ。剣は中段で斜めに構える。
「さぁ、かかって来い!!
シュネル流!〝
アルウィンの剣は右下後方から手首を逆手に持ち替えながら左前へ斬り裂くというもの。
正面から斬ると圧倒的な硬さに邪魔される。ならば斜に斬れば深い傷を追わせることができるのではないだろうかという試みであった。
「ふぅんっ!」
ドゴッと音がしてぶつかった、大剣と剣との一騎打ち。
アドバンテージがあるのは間違いなく獣の大剣だが、斜めから斬り込んだアルウィンの剣は尾骨に達する付近まで抉っていた。
アルウィンは尾の下部分を切り裂いたが、そこは尾を動かすために必須の筋肉組織である。
尻尾の動きをある程度押さえ込んだと言っても間違いなさそうだ。
───分厚すぎる……完全に斬れなかった。
アルウィンは剣をちらっと見てぜぇぜぇ荒い息をあげる。
───ああクソっ、さっきからなんだよこの咆哮!鼓膜が破れそうだ!
アルウィンは必至で両耳を耳を押さえることを余儀なくされてしまった。
しかし。
アルウィンが耳を押さえていたほんの少しの間に、魔獣は彼を泥沼の中に突き落とそうと突進していたのである。
「!?」
アルウィンは即座に反応した。
耳から手を離した瞬間、即座に身体を安定させるために腰を落とし、剣を中央に構えながら真正面に立つ。
足場が悪いためにシュネル流の十八番の受け流しは殆ど不可能に近かった。回避も同様に不可能である。
そうなれば、ど真ん中で防ぎ切るしか手段がない。
いつも身体に張り巡らせている魔力を、泥の中に突っ込んだ足を分厚くするようにそっと広げていく。
鈍器のような頭部がどんどん迫ってくる。魔力は果たして十分だろうか。分厚くすれば、もしかしたら上手く防ぎ切れるかもしれないのだ。
───判らないけど、賭けるしかない。
「シュネル流……〝
アルウィンは宙を舞っていた。
「クソっ!付け焼き刃の魔力付与じゃ無理だったか!」
徐々に足下に泥沼が近付いてくる。
彼は着地を上手く決めようと空中で体勢をとるが、着地した途端にぬかるみに足を取られ、うまく体重が乗らずに背面から泥沼に落ちてしまっていた。
背中に絡みついた泥がアルウィンの身体の自由を即座に奪う。満足に身動き出来ぬ彼は、力づくで両腕を泥から引き摺り出して
「ううっ……クソっ、身体が重い」
彼は、泥の重みで自由が利かない腕を必死に振り上げ、剣をじゃらりと引き抜く。
けれども。
兜のように硬い頭骨が、起き上がろうとしたアルウィンの腹部に直撃した。彼の剣の位置が悪く、上手く守れずに直撃してしまったのである。
「あ……があっ!!」
彼は血反吐を吐きながら空に投げ出され、頭からヘドロの中に突っ込んでしまった。
鼻腔に腐った魚のような強烈な臭気が入ってくる。
アルウィンが必至で泥から頭を引っこ抜いたときには、ニタニタ嘲笑っているかのような魔獣はもう目の前であった。
動けない彼に、もう十分であろうと諭すかのように
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