第16話 決着

 敵将ドママン・シャティヨンは、辟易することしか出来なかった。

 ゴットフリード軍によるこの包囲は、前面以外はたった3列しかない薄いものである。

 そうであれば。

 元々一点突破だった魚鱗の陣形を左右、または後方のどちらかへ直して軍を進めていれば包囲を簡単に突破できていたはずである。

 魚鱗の陣形は包囲に弱いという特徴があるが、たった3列程度の厚みの包囲ならば、5000名が1800名に減っていたシャティヨン軍であっても、余裕で食い破れるレベルだったのだ。


 しかし、自軍が乱れ、指揮を掌握出来ていないドママンがこの事実を解っていたとしても、有効活用出来るはずもない。

 全方位からゴットフリード軍に食い破られて、どんどんと数を減らすシャティヨン軍。

 しかし、シャティヨン軍の絶望はここからだった。


「おい、見ろよ!あそこ!」


 城壁から戦況を見ていたアルウィンが、そう声を上げる。

 その指先には、馬を反転させて勇ましく森から飛び出してきた赤い旗があった。

 先頭にいるのは勿論領主であるジルヴェスタ・ゴットフリード。主を前にして士気を最大限に高めたシュネル流騎馬隊が、叫び声を上げながら勢いよくシャティヨン軍の崩れた正面に噛み付かんとしているのだ。


「流石だな、俺らの領主様は」


 レリウスの声。そして、それに同調するテオドールらと、いつかジルヴェスタのように軍を率いる将軍になりたいなと妄想を膨らませていたアルウィン。


 混乱している敵正面。

 そこへやってきたジルヴェスタの姿は、シャティヨン軍からしたら恐怖そのものであった。

 ジルヴェスタが振り下ろす剣によって、次々と数を減らしていくシャティヨン軍の騎馬。

 気付かないうちに絶命している隣人を見て、シャティヨン軍の騎士があまりの恐怖に落馬する。

 こういった光景は、シャティヨン軍のどこにでも見られていた。

 シャティヨン軍の士気は徹底的にジルヴェスタの圧力によって下げられていたのだ。

 そのためか、僅か10数秒のうちにジルヴェスタらは守りの堅い本陣へ切り込んで、突入出来ていたのである。

 ジルヴェスタが、顔面を蒼白にしたドママンに迫った、ちょうどその時。


「「「ドママン様、お守り致します!」」」


 ジルヴェスタと引けを取らない程に屈強な男の3人組が、ドママンの前に立ってジルヴェスタの馬を塞いでいた。

 この男らはドママンのボディーガードで、領民の中でも特に武術に優れる者だった。

 3人とも扱う武器は戦斧や大剣など、重量級で殺傷能力も高い武器である。

 けれども。

 豪快な筋肉でジルヴェスタ目掛けてそれぞれの獲物を振り下ろす3人に、シュネル流の動きに完全に適応していた馬は嘶いた。

 そうして、主であるジルヴェスタを完璧に、3人の獲物の攻撃範囲の内側へと導いてくれていたのである。


「シュネル流!〝蒼天そうてん〟ッ!!」


 まるで、茹でた野菜に包丁を入れたときのような軽い音が周囲に響く。

 その僅か数コンマ後には、ジルヴェスタの一振りで、最初に斬りこんできた男の腕と戦斧が吹き飛んでいた。

 ジルヴェスタの力強い、華麗な剣閃が炸裂していたのである。

 ジルヴェスタの勢いは止まらない。

 すぐさま体勢を整え、馬を踏み込ませ、身体を捻ってふぃっと鳴るのは風を斬る音だ。瞬きした目を開けると、そこにあったのは屈強であったはずの敵騎士の首が宙を舞う光景である。


 途端、周囲に伝播するのは悲鳴であった。

 そして、また斬りこんだジルヴェスタの右腕の先には、馬と共に斬り裂かれて落馬する大剣を持った男。

 最後に残ったボディーガードも、ジルヴェスタに振り下ろした戦斧が宙を裂いたその時に、心臓に走った衝撃に身体を震わせながら息絶えたのだ。

 男たちはテクニックを主体としたジルヴェスタのシュネル流剣術に適うはずもなく、剣で打ち合うようなことも許されずに一撃で地に伏していたのである。


 瞬殺。

 その一言だけで片付く程、あっさりとした戦いであった。


「ひ、ひぃぃぃぃぃッ!!」


 ドママンは10秒も掛からないうちに倒された3人を見て、血の気の失せた蒼白の顔から更に、死人に似たような顔面にまでに変貌していた。

 まさか、自分の側近までもがこうも簡単に倒されるなど、努努思っていなかったのだろう。

 死とここまで隣合せになることがなかったドママンにとって、側近の死というショックはここまで大きすぎた物だったのである。

 自分の策は練兵不足により失敗し、更には武力でも圧倒的な実力差を見せつけられたのだから。


 更に馬をゆっくりと進めるジルヴェスタの強烈な覇気を浴びせられ、恐怖のあまりドママンは武器を落とし、手網の手も緩んで背中から落馬する。

 ドサッと鈍い音がして、気が付けば股間の辺りから勢いよく液体が流れ出していた。

 その特有の刺激臭に、ジルヴェスタは眉を顰める。


「失禁とは……全く、頭でっかちな上に徹底的に戦に不慣れではないか」


 やれやれという顔で、ジルヴェスタは剣先をドママンに向けた。

 ドママンは冷や汗やら、その液体やらでびしゃびしゃとなり、青い顔で「あああぁぁぁっ!!命だけは…命だけは……!」とうわ言のように呟いている。


「少なくとも、私は貴様を手にかけることは許されていない。王都からの使者が来るまでは命の保証をしてやる」


 呆れ声のジルヴェスタは周りの騎士に命じてドママンを拘束させると、投降してきたシャティヨン軍残党を縛らせてテキパキと終戦の処理を開始したのだった。


「……戦が、終わったんだ」


 声変わりの真っ只中だった筈のアルウィンの声は、やけに低かった。


 生き残った1500人は、それぞれがシャティヨン辺境伯領の騎士階級の者だ。

 シャティヨン家はゴットフリード家よりも歴史が長く、領地も広い。

 ジルヴェスタが抱えるゴットフリード軍はせいぜい正規の騎士が5000名、シュネル流剣士のみを集めた特殊騎馬隊が50となっている。

 けれども更に土地を持つシャティヨン家が抱える騎士の数は8000を超える。


 ジルヴェスタ・ゴットフリードは、今回の戦を口実にシャティヨン領の一部を手に入れたいと考えていた。

 理由は、防衛の観点から観て騎士の数が足りないという問題が発生しているためである。

 近年ゴッドフリード領に襲撃してくる森の魔物の数は増加の一途を辿っており、冒険者を多く流入させてはいるものの、騎士5000名程度では正直手に負えないレベルであった。

 そして、時たまにヴァルク王国が小規模であるが軍を向けてくる。

 魔物からの防衛もままならない状況であるのに、どう隣国から領地を護れようか。


 今回の戦いで、誰の目から見ても明らかに非があるのはドママン・シャティヨンである。そしてジルヴェスタは戦に勝った側。これは領地割譲のチャンスなのだ。

 シャティヨン領は魔物の森に接しておらず、今回の侵攻に関して責任を負うべきはドママン・シャティヨンその人である。

 今回の侵攻で領地の減封はほぼ確定と言っていい。

 盗賊を操っていたことも鑑みると、下手をすれば取り潰しを受けて家名が断絶する。

 更に事が悪く進めば、ドママンが処刑の上に取り潰し……という線も見えてくる。



 しかし、賽子がどのように転がろうと、ジルヴェスタは王に魔物の襲撃の旨を訴え、シャティヨン領に在する騎士を自らのものに出来るような嘆願を出すつもりでいた。





 ………………

 …………

 ……






 10日後。

 ジルヴェスタは、ブダルファルの街のギルドに今回戦った冒険者を集めていた。

 顔ぶれも密集具合も以前と大して変わらないが、冒険者の表情は大きく変わっている。

 空気が重い。

 重いのだが、皆がジルヴェスタの登場を待っており、胸中には興奮が隠しきれていなかった。


 その理由は、この場でジルヴェスタが論功行賞を行うと既に発表している上に、シャティヨン軍に圧勝という形で終わらせた彼の軍才に冒険者の面々が畏敬の念を抱いていたためである。

 この10日間でジルヴェスタは王と面会し、様々な取り決めを行っていた。

 それを今回、初戦の功労者である冒険者らに共有するのだ。


 アルウィンは、ごくりと唾を飲み込んでいた。

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