遠い記憶

 五百年ほど前。まだ人間の飼育施設がなかった頃のこと。

 公爵の屋敷に一人の稀血の少女が届けられてきました。王族に新しい稀血が来たことから下賜されたのです。彼女は吸血鬼を前にしても凛として屈しようとはしません。血も飲ませてやろうといった態度です。

 公爵はその少女をいたく気に入りました。人間は吸血鬼を見ると怯えて逃げ惑います。そのような姿はもう見慣れており、こうした変わったものに興味をそそられるのです。

 血をやる代わりにあれが欲しいこれが欲しいと注文をつけてきます。要求されるものは安いものばかりで、公爵はそんなものならと応えていました。ただ稀血が吸血鬼を虜にするというのは本当で、公爵は彼女の性格と稀血という魅力に惹かれていったのです。

「お前、私に恋をしたの? 全くもって馬鹿だね」

「こい? なんだそれは」

「へえ、長く生きててもそういうことは知らないんだ」

 吸血鬼が愛や恋を知らないのは当然です。繁殖という概念が存在しないからです。

心核というものがある限り肉体を失っても再構築できますし、人間を吸血鬼にできるため、数を増やそうと思えばいくらでも増やせるのです。

「だから『こい』とはなんだ」

「うーん、大切にしたいっていう想いと、自分のモノにしたいっていう欲望が混ざった感情かな」

「よくわからないな」

「こういうこと」

 そういって少女は公爵の体を押して寝転ばせ上に乗り上げました。そして公爵に口付けたのでした。

 その日公爵と少女は肌を重ねます。少女はもともと売色を生業にしていましたから造作もないことでした。

 吸血鬼も繁殖しないにしても配下と戯れとして行うこともあります。

 しかし、体を繋げながらの吸血行為は引き返せないほどの甘美な時間を二人に与えることになったのです。公爵は少女を手放したくなくなりました。これほどまでに誰にも渡したくないと思ったのは初めてのことでした。

「お前が私を欲しがるなら、それはきっと恋だよ」

「そうか、これが恋か」

 それから公爵は少女を片時も離しませんでした。集会にも連れて行っては人間を連れてくる変わり者だと言われたこともありました。ですが、大勢の吸血鬼の中にいても全く物怖じしない少女を見て、公爵はますますのめり込んでいきました。

 最初は珍しさから始まったものでしたが、それは確かに恋だったのかもしれません。


 二人は沢山の時間を共有します。断崖絶壁に建つ屋敷のバルコニーから地平線に沈む夕日を眺めたり、少女の希望に応えて夜空を旅したりもしました。少女が徐々に年老いて体を合わさなくなっても、二人の関係は変わりませんでした。

「私が死んだらお前はどうするの?」

「……吸血鬼になる気はないか」

「馬鹿言わない。一生血を飲まなきゃいけない不便な体になりたくないよ」

「不便? 人間には老いがある。おまえを見ているだけで辛そうだ」

 年老いた彼女は食事もあまり喉を通らなくなってきました。足が悪くなってから一層体調が悪くなり、ほとんど寝たきりの毎日です。それでも公爵は甲斐甲斐しく世話を焼きました。

「辛くなんかない、これが私の命だから。終わりがあるから命を大切に生きられる。お前には一生わからない話だよ」

「わからない? どうしてそう思う」

「お前には死というものがわからないだろう」

「死を知れば、お前の気持ちがわかるのか?」

「さぁ。吸血鬼が死ねるなんて初めて聞いた」

「死ねるさ、血を飲まなければいつかは」

「へえ。ならやって見せて。死んで、天に上った私のところに来てよ」

「わかった」

 公爵はあっさりと答えました。少女は微笑みます。出会った頃から変わらない色気漂う笑みでした。

「じゃあ約束」


 少女はその翌日天に召されました。

 公爵はその日から血を飲むことをやめたのでした。

 彼女に天で会うために。

 自ら死に向かうために。

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