創作屋たちのクリスマス
四宮 式
本編
12月24日の今日は、氷点下まで冷え込むらしい。ベランダの向こう側は雪のまじりあったみぞれになっている。冷えるにもかかわらず街中のほうは人でごった返しているだろう。
手元のタブレットにペンを走らせながら、僕はヘッドホンをした顔を窓へ向けた。耳元からはクリスマスソングが流れてくる。この季節になるとどこへ行っても流れるような曲だ。切なげな歌手の声とバックで流れている鈴の音とコーラスが白色交じりの外の景色と合わせ、否が応でも感傷的な気分にさせられる。
「ああやめだやめだ!気が滅入るわ、他のモンにしよう」
突然、感傷を中断させる男の声がヘッドホンから聞こえてきた。耳元で流れていたクラシカルなメロディーが止まり、聞きなれた友人の低い耳障りな声だけになる。
「ライカ、君がクリスマスソング聞こうって言ったんじゃないか」
僕がそう咎めると、ライカが太い声で反論する。
「だってやってられねえよ!みんなクリスマスだっていうのによ、俺たちは寄り集まって同人誌の原稿だぜ。それも何が悲しくてお前たちと通話しなきゃいけねえんだ」
「通話しようって誘ったのはアンタじゃないのよ」
ノアが呆れたように返した。世間ではクリスマス・イブとしてカップルが恋を謳歌する今日。通話用アプリを繋ぎながら、俺たちは同人誌即売会に向けた作業に追われている。通話の参加者はライカ、ノア、そして僕だ。
同人誌即売会。つまり、各々がイラストとか小説とか音楽とか、自分が作りたいものを本やCDにまとめて、印刷して頒布するイベントである。これに出すためには当然、即売会が開かれる日までに各々が成果物を作らなければならない。当然、締め切りとの戦いになる。
「そういうお前はどうなんだ?推しのクリスマス配信に間に合わせるとか言って息巻いてたじゃねえか」
「仕方ないじゃない、会社が忙しくなっちゃってさあ。ただでさえ年末が忙しいってのに、忘年会が三件も入っちゃって」
ライカは自分が推している篠崎マコトという名前のVTuberのイラスト集を書くのだという。即売会は基本、自由だ。各々が好きなものを好きなように書けばいいというのが第一段階なのだが……いずれにせよ、この通話に参加しているということは原稿などできていない。
即売会まで残り約1週間。すでに余裕を持って、という言葉はとっくの昔に過ぎ去っている。限られた期間で各々の同人誌のクオリティをどれだけ上げることができるか、というのが勝負だ。
「そういえばシイラ先輩は何をやっているんだ」
ライカが絵描き友達の名前を挙げた。彼もまだ同人誌が出来上がってないそうだが、作業をしている様子はない。すると、ノアが呆れた声で答えた。
「先輩なら三日前から連絡がないわよ。やめろって言ったのにライダークルーの新作を買うからこうなるのよ。もう私たちも他人の面倒を見る余裕はないし、あとはもう本人に任せるしかないわね」
僕はサブモニターの右上に表示されているシイラ先輩のアイコンを見た。オンライン状態にはなっているからパソコンの前には座っているようだが、名前の下に「RC6をプレイ中」と書かれている。原稿をすでに書き終えて悠々自適となっているのか、それともすべてを捨てて逃げてしまっているのか、真実は本人にしかわからない。
「ああ~。先輩に頼んだゲスト原稿(自分の本に、他人のイラストを掲載すること)が上がってこないんだよ。本当にギリギリになるから、せめて明日中には貰いたいんだよなぁ」
「まあ先輩は毎年こうだから。でも不思議といつも間に合わせてくるのよね。」
「そのせいで俺は毎回早割入稿を逃してるんだよ!」
ライカが少し大きな声を出した。
「でも、わかってて頼んだんでしょ?」
「まあねえ」
ノアに聞かれるとライカはそう返した。だってあいつの絵見たいんだもん。という彼の声は多分真実だろう。それに描かないのではなくギリギリに出てくるだけなら、結果的に絵は間に合っているのだから根本的に問題になってはいない。まあ、本人とその周囲は毎回毎回肝を冷やすことになるのだが。
「カリンはもう入稿したんだっけ」
「アイツは毎回そうだよ。冬は毎年必ずクリスマス前に原稿を終わらせて、女の子とデートに行くんだと。今ごろ通販サイトでエロ同人売った金でディナーでも食ってるさ。」
「アイツ、ロリコンのくせにモテるのよね」
ノアが毒づく。俺の彼女、ロリっぽいのに巨乳なんだよね。数カ月前にカリンと通話したとき、彼はいきなりそう言いだした。カリンの彼女が童顔だろうと鳩胸だろうと僕の人生には一切関係ないことであるが、彼の澄んだ声に合わぬあまりの唐突な一言が海馬にこびりついてしまった。カリンは即売会の執筆期間になると通話アプリからいなくなる。多分自分の原稿を終わらせた後に遊ぶためだろう。通話をつなげていると、自分の原稿が終わってもまだ終わっていない友人の原稿を手伝わされるからだ。巧い事逃げているのだ。
「くそったれ。こっちは原稿終わっても付録のポストカードがあるからなあ。原稿が終わってもギリギリまでブラッシュアップを続けるのが同人屋ってモンだ。そうだろう?」
ライカが哲学を一人で話し始めた。次第に体力がなくなってきている証拠である。ここ1週間、彼は睡眠時間を3時間程度にして、それ以外はひたすらに絵を描き続けているのだという。サークルスペースの当選、落選発表があってから1カ月、専業イラストレーターの彼がずっと自分の同人誌に取り掛かっているかというとそうではない。企業や個人からの依頼をいつも通りに締め切りまでに終わらせつつ、同人誌を完成までもっていかなければならないのだ。
「はいはい分かりました。ほら、ペンの音が止まってるよ。動かして動かして」
僕がそう話すと、へいと小さくつぶやいたライカがおとなしくペンを動かし始めた。努力の甲斐あって、3人が各々作っている同人誌は今日と明日を作れば完成する見込みだ。
もちろん、即売会は自分の意志で参加している。だがせっかくのクリスマス・イブに休みまで取ってやることが同人誌を書くことだというのに、何か思うところがないわけではない。
「小林くん。ひょっとして、彼女と遊びに行くの?君もなかなか隅に置けないねえ」
一週間前に有休届を出したとき、飲み好きの上司がニヤニヤしながら僕に言った。僕もそうだとうれしいのだが、あいにく原稿の進捗が芳しくないので仕方なくとっているのである。
「ま、仕事のほうはこっちで何とかしてくるからさ。楽しんできてよ」
違いますよ、といっても上司はまるで取り合わなかった。今時こういうのは男相手でもセクハラなんですと言っても一切通用しない。有休届にハンコを押してもニヤニヤしていたから、きっと忘年会で根掘り葉掘り話を聞くつもりなのだろう。むろん、原稿を書いているだけで何も出てこないのだが。
やることといえば、同人誌を書く。それだけである。僕が書いているのはオリジナルの小説だ。今ほかの2人が書いているのはそれぞれが二次創作と呼ばれるもの……つまり、すでに公の場に出ているヒット作品をオマージュした創作物ということになる。これらは元となっている創作物がすでに人気を博しているため、二次創作物も売れやすい。それに対いて僕が書いているオリジナルの小説は、比較にならないほど売れない。部数ベースでみてもざっくり1/10ほどになってしまう。
「ちょっと、夕飯食ってくる」
そう言って僕はヘッドホンを外し、外がみぞれなのか雪なのかを確かめるためにベランダに出た。がらりと引き戸を開けると突き刺すような空気が流れ込んでくる。川沿いの4階建てのアパートからは、土手に沿って植えられた桜の木がよく見える。枯れ枝の一本一本が街灯に照らされてぼうっと映し出されている。その明るくなっている部分の上から下に向かって、牡丹のような雪の一片が交差して落ちていく。
―クリスマス、お前はどうすんだよ。せっかくだから飲みに行こうぜ!
友人からこうしたメッセージも、断るようになってもう数年だ。小説を書くために、クリスマスに友人と遊ばなくなった。懲りずに毎年メッセージを送ってくれいた友人も、今年は彼女と一緒に出掛けるらしい。小説を書くという趣味そのものがかなり異質だが、こうして通常のそれと極端に異なる動き方をする一日が出てくるとさすがに考えるところもある。物語なんぞ書いて何がしたいんだ、と言われてもはっきりしたことは出てこない。何となくと言われれば何となくでしかない。
ベランダから一度部屋の中に入って、椅子にひっかけてあるコートを纏って玄関の戸を開ける。暗闇から順番に現れるものはもうほとんどが透明ではなく白になっている。突き刺すような寒気が頬を突き刺したのでマフラーを取りに戻ったほうがいいかなと少し考えたが、履いたばかりの靴を脱ぐ面倒が勝った。
道に出て、はあっと息を吐く。真っ白な水蒸気がぱっと寒気の中を通り抜けて、ゆっくりと消えていった。いつもの夜ならどこかの家から話し声が漏れたり、うるさい車が走り抜けていったりといった雑音が少しはあるようなものだが、この冷え込んだ夜にそのようなものはない。だから、コートのポケットに突っ込んであった携帯電話が突然りりりと鳴り出したときは少しびっくりした。慌てて取り出すと、井口からの着信と書いてある。
「もしもし」
「こんばんは」
耳元からやけに丸っこい声がした。
「おお、どうも」
井口は高校時代の友人だ。僕はもともと文章を書くのが嫌いではなくて、ことあるごとにエッセイを書いたり、学校で募集のかかる小論文コンテストへ応募したりしていた。それを見た彼女から、私が絵を描くから小説を書いてみないかと言われたのが僕の小説を書くきっかけになっている。
彼女も今回の即売会にイラスト集を描いて出す予定らしい。
「今何してるの、原稿?」
「うん。今ちょうどコンビニに夕飯買いに行こうとしてたとこ。そっちは?」
「原稿」
「だよね」
コンビニへは土手に沿って歩いて橋を渡った向こう側まで300mほど歩かなければならない。夜11時にもなれば片側二車線の大通りもしんと静まりかえって、街灯沿いに雪がただしんしんと降り積もっている。小さいころに見た絵本の挿絵にこういったシーンがあったような気がした。確か街灯に明かりはともっているのに住人が一人もいない……そんな幻想的ながらも不気味なシチュエーションだった気がする。
並木沿いの歩道のコンビニに向かう反対側に、黒い傘を差したコート姿の中年男が転ばないように気を付けながら……しかしいそいそと家路を急ぐように歩いているのが見えた。右手には仕事用のカバンを、左手には箱型のものが入ったビニル袋を下げている。この男の自宅ではこの箱型を待つ者が1人、2人いるのだろう。
「どうよ進捗は」
「全然ダメ。今年こそ早く終わろうと思ったのに、結局クリスマスになっちゃったよ。そっちは?」
「こっちも同じよ。今年こそはクリスマスを楽しんでやると思うのに、毎回こうなるんだよね」
毎度毎度。そうなるんだよなあ。丸っこい声色はそのままに、彼女は言外に仕方がないのだということを示した。高校のころ、この丸にそこまでの厚みはなかった気がする。
「でも、毎回そういいながら、結局何とかなっちゃう」
井口とは高校は同じだったが、大学は違った。こうなると普通は疎遠になり互いに記憶の中だけの存在になるものだが、最近は現代文明がそうすることを許さない。SNSの投稿内容を見れば大体どのようなことをしているのか、今どのようなものに興味があるのか、大体のことは分かるものである。大学に入っても彼女はイラストの練習をずっと続け、有償の依頼をバイト代わりに受け持つなどプロに片足を突っ込んだ生活をしていた。卒業してからはイラストの製作会社に勤めている。
「そういえばすげえじゃねえか。フォロワー1万人超えたんだろ」
「ありがと」
「今回の表紙絵、少しは金払うのに」
「いいのいいの。いつも読みたい小説書いてくれるんだから」
一方の僕は、小説をヒマなときにチマチマ書いているだけだ。そんな状態だからSNSのフォロワー数もそこまで伸びていない。本来、僕は金を払わなければならない立場にいる。その代わり、僕は小説を書くときはできる限り彼女のリクエストを聞いて書くようにしている。今回は重めのものが読みたいといわれたので、かなり文章も内容も重く仕上げた。
くだらない話をしているうちにコンビニの明かりが近くなってきた。通話をつなげたままコンビニに入ってしまう。周りを明かりと暖かい空調に囲われて少しだけほっとする。
「何買うの?ケーキ?」
「全部売り切れてるよ。スイーツのとこ全滅。」
「うわすごいね。やっぱりみんな今日は食べたいんだ」
この時間にいつもいるワンオペの兄ちゃんも、今日はいつもに増してやる気がなさそうで愛想がとにかく悪い。仕方がないというものだ。景色が白くなって、どこもかしこもリース飾りとイルミネーションで覆われた日に独りでいれば、そういう気分にもなる。適当に見繕ったものを手にもって、レジを済ませて買い物を終えて外に出る。温度差で寒気がやたらとつらい。
「何買ったの?」
「牛丼と、からあげクン。」
「クリスマスなんだよ。もう少し洒落たもの買ったらどうなの」
「何言ってんだよ。チキンだよチキン。クリスマスにはチキンを食べるだろ。それと同じだよ」
家に向かって、来た道を引き返す。雪は今日の夜から明日のこの時間ぐらいまで降り続けるらしい。井口があははと丸っこい声で笑った。混ぜ物のないこんな声を僕が最後に出せたのはいつになるのかもう忘れてしまった。途中で曲がったまま成長したブナの木のような不格好な声ばかり出している。決して苦労を知らなかったり、無知だったりするが故のものではない。大学時代は学業とイラストの両立に迷ったり、客に騙されたりしたのだという。
「なるほど~?」
適当な言葉に、適当な返事が来る。そのような苦労をしてなお、彼女の声は丸っこいままだ。特に考えもしないでいいよと返してしまう。それなのに就職してからの彼女の声は、少し大人がかかったように落ち着いた。ころころ転がりだすような声色はそのままに、冷静さが加わっている。
「あー、でも疲れたな。まだ終わってないんだけど、でもだいぶ疲れてる」
だからだろうか。彼女と話すと、いつもほかの友人には話さないようなことを言ってしまう。
「私も疲れた。これが終わったらしばらくの間は羽を伸ばさないと」
「そうそう。頑張ったんだからさ。遊ばないとね」
「来年、すぐに遊びに行かない?」
「どこ行く?」
んー、と井口が悩んで、周りの音がよく聞こえるようになる。後ろのほうがぱっと明るくなって、一台のセダンが僕の横を走り抜けた。雪をタイヤで踏みしめる小気味よい音が、僕の身体の中の温度を少しだけ覚ましてくれる。
「初詣行こ。あと、上野の西洋美術館でセザンヌの企画展があるの」
井口の答えはシンプルだった。
「いいよ。でもそのあとにアメ横での飲みも入れてくれ。こんなに根詰めてやったんだ、飲まないとやってられないよ」
「はい。まあたまにはいっか」
「あ、でも飲みすぎるなよ。お前の家、三軒茶屋だろ。前に一度しかいったことのないお前の家なんか覚えてねえんだからな」
酔うと甘え癖と寝る癖が出るのだ。あはは、と誤魔化す声が聞こえてくる。真っすぐに前のみを見ている彼女が、僕にはうらやましく見える。やろうと思ってできるようなものではない。根本的な部分で、彼女は多分、僕よりも物事を信じている。
橋を渡って交差点を右に曲がると桜並木が見えてくる。もうアパートまですぐそこだ。早く帰らないと風邪をひいてしまう。降る雪も心なしか強まっている。街灯の明かりに降る粉雪が反射して、きらきらと光ってみえた。
「そろそろ家に着くわ」
「お、お疲れえ。戻ったら原稿?」
「うん」
「おお~。じゃあ私もイラストを描かないとな~。大変だあ」
ここまで聞いて、ぴんと耳元から通知音がした。画面を見るとライカから遅いぞ、早く戻れメッセージが来ている。
「それじゃ、そろそろ作業に戻るわ」
ん。私も作業に戻る~。じゃあ、切るね。井口はそう言ってからああ、そうだ優斗、と僕呼び止めた。
「どうしたの」
井口は少し、わざと間を開けてこういった。
「メリークリスマス」
そういえば、今日はそういう挨拶をする日だったっけ。
「メリークリスマス」
言葉を返す。
電話口の向こうからまたね、という声がした。
創作屋たちのクリスマス 四宮 式 @YotsumiyaS
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