fictions

陽登 燈

第1話 プロローグ

 2034年。

 人の数が百億を超えた頃の事。

 

 深海よりも静かで、どの絵画よりも芸術的である星々を身に纏う、宇宙という存在。

 その存在の中腹を、一隻の宇宙船が這う。

 まるで一つの都市が地上から剥がされ、そのまま宇宙に浮いているかのような宇宙船。木々と多少の動物、建造物と人々を内包している。

 大きさは全長十キロ、幅三キロ。特殊なセラミック複合材で出来た楕円形のその船は、一万人という大人数の搭乗を可能にした世界初の宇宙旅客船。自己修復型ナノマシンが直接生成する高密度プラズマを推力として採用した、その船の名前は「シンギュラス」。

 その船の目的は、ただ一つ。ある場所へ辿り着く事。



 宇宙船は一万人の人々を積むために作られた。そして、一万人の人々は望んで船に乗った。

 

「この度は、火星軌道遊覧船に御乗船頂き、誠にありがとうございます。間もなく、火星の軌道に入ります」

 明るい声のアナウンスが船内に響く。

 人々が船の側面へ向かう。船の側面は強化クリスタルポリマーでコーティングされた透明な窓がある。人々はそこから宇宙を望む。

 窓からは、巨大な砂の山を上から無惨に擦り潰して踏み固めたような、火星のオリンポス山が望める。

 続いて、マリネリス渓谷。まるで無理やり大地に埋め込まれた龍が、力強く足掻いた跡のような亀裂が見える。

 抗えぬ力と抗う力の色彩を、星は惜しみなく見せつけている。

 人々はその驚異的な星の神秘を前に歓喜した。

「凄いわ、こんな素敵なものを見れるなんて」

「この船に乗れて本当に良かったな」

「ね。まさか私達が抽選で当たるなんて」

 人々は百万分の一の確率で、この旅に当選した人々。

 自ら望んで応募し、そして運命に選択された人々。

 


「間もなく、火星軌道を超えて、次なる軌道へ入ります」

 船内に落ち着いた声のアナウンスが響く。

 

 徐々に遠ざかってゆく火星。

 火星に見送られながら、人々は進む。或いは、誘われる。巨大な因果に。

 

「あっという間だったね。後は地球に帰るだけか」

「名残惜しいな、宇宙」

 人々は、未だ優雅に火星を見下ろしていた。

 

 アナウンスが、また明るい声で告げる。

「次の目的地は、天輪てんりん、天輪です。天輪は、十年ほど前に発見されたもので、その大きさは天の川銀河の中で最大です」

 

「天輪?聞いた事ない惑星だ」

「サプライズで他の星も見せてくれるなんて、素敵」

「銀河の中で最大?!そんなものを肉眼で見れるなんて、人類史に残る貴重な瞬間じゃないか!」

 人々の顔に笑顔が灯る。

 興奮、歓喜、満足、そういった感情が人々の脳から湧き立つ。

 船内の中心に、直径百メートル程の筒状の黒い柱がある。その柱は柱としてではなく、受発信デバイスとして設置された。デバイスの名前は、エーテルリンク。

 エーテルリンクは、人々の脳波はおろか、緻密な思考までをも読み取り、そのデータを地球へ即時送信している。

 今まさに、人々の喜びに満ちた脳波を読み取って、地球へと送信している。人々は柱がそのような装置であるという事など知らない。


 

 船は間もなく、天輪の軌道に突入する。

 

「皆様、大変お待たせいたしました。これより、天輪の軌道へ入ります」

 人々は、訝しげに窓の外を睨んだ。

 何故なら、そこには惑星らしい惑星はなかったからである。

「何もないよ?」

「それに、何だか黒いわね、他の星の輝きも見えない」

 


 この船の、最後のアナウンスが流れる。

「天輪。またの名を、終末のブラックホール。これから私たちを飲み込む、超大質量のブラックホールです。間もなく、この船は宇宙の藻屑となります。さあ皆様、そうならない様にどうすればいいのか、スペックをフル活用して、必死にお考え下さい」

 

「うそ、だろ」

「え、ブラックホール?」

「いやだ、まだ死にたくないー!」

「考えろって言ったって、どうすれば……」

 人々は、次第に正体を露わにしてゆく。着ていた服を乱暴に脱ぎ捨て、言葉にもなっていない音を吐き出しながら暴れ回り、やがて、頭皮を引きちぎって脱ぎ捨てた。

 人々は、人工人間という正体を露わにした。

 彼らは、助かる方法を算出する為に凄まじい速さで計算を行った。結果、頭部に搭載された回路の耐え得る温度を超えてしまい、なりふり構わずに諸々を脱ぎ捨てた。

 剥き出しになった頭部は尚も熱を帯び、中から焼き付く音がし始める。

 口からは悲鳴の様な音が発せられる。船内が、その悲鳴で埋め尽くされてゆく。

 エーテルリンクはそれらを読み取る。

『どうして。嫌だ。何でこんな事に。殺されるのか。悲しい。ブラックホールは情報をも破壊する。やめて。何で。どうすれば助かるか。怖い。冗談だと言ってくれ。助けて。酷い。死にたくない。何故こんな事を。酷い。俺たちが、人工人間だからなのか。船を操縦しよう』

 宇宙船から見える星達の煌めきが、歪んで見え始める。

『事象の地平面だ。間に合わない。どうすることも出来ない。諦めたくない。情報が、吸い寄せられてゆく。もう終わりだ。あれが地平面か。光が伸びているわ。ここは、どこだ。マズい。おかしい。躯体が動かない。感覚が分解される。全てが軽くなる』

 星達の煌めきが帯状に伸びてゆく。船内では数秒前の状況が、残影として全方向へ無限に伸び始めた。

『情報、整理。情報整理。情報整理。情報……』

 赤方偏移が始まる。光は青、白、赤の順に変化し、人々を透過する。船内では、質量の少ないものから半透明になってゆく。木の葉、動物、人工人間達もまた。やがて船も半透明となり、全てのものが夕陽に照らされているような赤色に染まる。

 

 一万体の光が一纏まりとなるのを、人工人間達は感じた。最早、自分がどの個体なのかを認識出来ないほど、意識が溶け合い、混ざり、変貌する。

 赤く光る彼らと闇。それらがゆっくりと反転する。

 

 その時、最後の思考が生まれた。

 エーテルリンクはそれを読み取ると、天輪の引力で分解される間際で、最後の送信を終えた。

 

 人工人間一万人とそれらを積載したシンギュラスは、静かにこの世界を絶った。

 

 地球。ジャピンという国の、とある研究所。そこは直径三キロの白い半球体の外壁で覆われた、国内最大の研究所。名前は「特務的多元研究開発機構区」。略式名「特研」。

 その深層部に、世界初のYFLOPS《イェタフロップス》計算能力を有したスーパーコンピューター「アステカ」が存在する。

 二重螺旋型の独特な形状をした、全長十メートル、幅二メートル程の巨大な黒いCPUを搭載したアステカ。もし太陽程の大きさの巨人がいたのならば、巨人から取り出したDNAは、アステカのCPUと丁度同じ大きさである。

 黒く聳え立つCPUは革新的な冷却方法によって超計算を可能にしている。その革新的とされる点が、超伝導を可能にするカーボン素材のナノマシンであった。

 温度差によって発電するゼーベック効果を有した、一億超のナノマシン。CPUに吸着したナノマシン達が、CPUの熱によって起動し、そのエネルギーをバッテリーへ伝播する。バッテリーは電流を蓄積し、CPUへ電力供給する。エネルギーを失ったナノマシンは、またCPUに吸着する。

 その完全なサイクルは、理論上、半永久的に繰り返される。

 強化ガラスの中で、熱と電気の伝播によって青白く光り続ける流体のナノマシンが、漆黒のCPUをさらさらと撫でながら下りてゆく。まるで、川を下る蛍たちの様に、緩やかに滑らかに、優雅に流れている。

 その光景を眺めながら、アステカと情報のやり取りを生身で通信し合える場所、祭壇と呼ばれる部屋がある。

 三十メートル四方の、何も無い、がらんとした部屋。照明は無く、光源はナノマシン達の煌めきのみ。さながらナノマシンの水族館のようなその部屋で、初老の男性が一人、アステカを眺めていた。

  

「いつ見ても美しい。まるで神のDNAのようだ」

 聳え立つアステカのCPUを見上げながら、黒いスーツの初老の男が呟く。

 その後ろから、白面、ピエロのように顔を白塗りにした、白いスーツの若い男が現れ、笑顔で告げた。

「エーテルリンクは全て受信出来たようです、大臣」

「そうか、それは良かった。後はこのアステカが我々を導いてくれる。ブローカー、君も誇りに思っていい。人類の貴重な一歩に立ち会えたのだから」

「どうも。有り難いついでに、一つ聞いてもよろしいですか?」

「ああ、何でも聞きたまえ」

「この世界は、少しはマシになりますか?」

「もちろんだ。必要のないものが消えてなくなり、必要なものだけが残る。それだけ、一人あたりに使えるコストが増えるのだ。子沢山の家庭で育つより、兄弟のいない家庭で育つ方が、何かと得が多い。得が多ければ、人は崇高に育つ。そうすれば、世界は穏やかになる。まあ、あと二十年はかかるがね」

「それはそれは、楽しみです」

 白面の男はクイッと上を向き、CPUを見つめた。

 青白いナノマシンの動きが、徐々に忙しくなってゆく。

「さあ、ここから先は企業秘密というやつだ。ブローカー君は帰ってくれたまえ」

「かしこまりました。またのご利用をお待ちしております。ああ、最後に」

 白面の男は懐から、折りたたまれた紙を取り出し、初老の大臣に差し出しながら言った。

「こちらは例の小説の二枚目です。大臣、私の事はブローカー仲買人ではなく、メディエイター仲介人とお呼び下さい」

「さすが、いつも調達が早い。やはり君は優秀なブローカーだよ」

「では、失礼」

 白面の男は踵を返し、祭壇の部屋を去った。

 

 大臣は白面の男を見送ると、早速その紙を広げた。





 無功罪

 

 予言二

 

 世界樹が、勇み立つころに

 権力者は、嘲笑う

 民達は、苦しみ惑う

 時は、確信する 

 喜びが、満ちたのだと

 愚か者が、白の樹に登る 

 あかりとあかりが触れ、土に帰るころ

 全て、白日の物語の終わりに告げる

 貴方が、理想を大成する為に。

 

 貴方がどんな者であったとしても、地上に降りて天を仰ぎながら物語の始まりを感じた時、涙を流すでしょう。そして、その涙が始まりだったと知るでしょう。

 




 

 大臣は読み終えると、腹を抱えて笑いながら叫んだ。

「はっはっは!権力者は嘲笑うか!全くもって、私の考え通りではないか!やはり、この予言は私の為のモノなのだ!」

 暗く密やかな祭壇の中で、大臣の笑い声が盛大に響き渡る。


 蛍のようなナノマシンたちは、その笑い声に調和するかのように、煌めきを強めた。

 

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