第6話
それから三日後のことだ。淵神から仮台本と、美術担当の子から背景の想像図が送られてきた。本日から本格的に作業の開始となる。
あたしを始めとする主演は本読み、モブを演じる人や完全な裏方役は背景作りをすることになる。
あたしはスマホに台本を表示して、その文字量の多さに辟易しながらもブツブツと台詞を呟く。
原作を読んでいないからわからないが、どうやら内容は簡略化してあるようだし言葉も簡単なものに置き換えてくれているようだ。画数が多い漢字はひらがなに変えてあるところもあるらしい。
というのも、あたしが淵神の作業中に横目で見た原作の文章とかなり印象が違うからそう思っただけだ。
元々の『銀河鉄道の夜』は古い作品であることも相まって古文のような印象で、かなり読みづらかった。淵神が用意してくれたものは目が滑りにくくて幾分か読みやすい。
所々つっかえながらも、一連の台詞を読み終える。藤ちゃんも隣で同じように台本と睨めっこしていた。
「ねえゆと、これなんて読むの?」
時折淵神に確認を取りながら、わからないところはメモを取る。それから、全員で一連の流れを読み合わせた。
一通り台詞を読むだけでも相応の時間がかかる。これでも話の無駄なところはカットしているようなので、本来ならばもっと長いのだろう。
シーンは大きく分けて四つ。
ジョバンニの暮らしを描くシーン。
銀河鉄道でカムパネルラと会い、語り合うシーン。ここでは鷲の停止所でのシーンも挟む。
それから、ジョバンニが元の町に戻ってきた後のシーン。
ジョバンニが舞台から立ち去って、暗転し物語を終える。
その要所要所を描き、シーンや台詞を多少切り落としながら進めていく。その公演を何度か行うのだ。主要な演者は結構体力勝負になるのでは、とあたしは踏んでいる。
ゆとの原稿はまだまだブラッシュアップしなければならないようで、彼女はまだ忙しそうだ。
本当なら家で作業をしたかった、とぼやいていたが、「演技指導してよ、お願い!」というあたしの我儘を聞いてもらった。
あたしはわからないことは積極的に淵神に訊きながら、台本の一言一句を小さい脳みそに叩き込んでいく。あたしは他の人よりもずっと覚えが悪くて、倍近い時間と労力が必要なようだった。
あたしがうんうん唸っていると、藤ちゃんが隣に座って飴玉を差し出してくる。
「ありがと」
特に袋も見ずに口に放り込むと、りんご味だった。かろん、と歯に当たって風鈴のような軽やかな音が鳴り、人工的な甘さが口の中に広がる。
「ねぇあまちゃん、そんなに詰め込まなくていいんじゃない? 時間はまだあるんだし……」
「んー……けどさ、ゆとがいる時間は限られてるじゃん」
あたしは台本に視線を落としたままにべもなく答えた。
「淵神さんしかわからないことなんて少ないでしょ。私だって原作読むし、読み方が分からなければ教えるよ。なんなら、帰った後だって私なら気軽に電話もかけられるでしょ?」
「あたし、別にゆとに対しても連絡するのは躊躇わないし。確かにゆとだけにしか分からないことは少ないかもしれないけど、藤ちゃんにしか分からないことだって少ないでしょ」
うまく台詞を覚えられない苛立ちも、多少あったのだろう。あたしはつい語気を荒くして、ようやくそこで藤ちゃんの顔を見た。
藤ちゃんは、ひどく驚いた顔をしていた。まるで、拒絶されるだなんて全く考えていなかったような、虚を突かれたような呆けた顔だ。
あたしの声が少し刺々しくなったのに気がついたのだろう、藤ちゃんは少し微笑んで、「わかった、ごめんね」と両手を合わせて謝る。
「ううん、あたしもごめん。ちょっと八つ当たりしちゃったかも」
「いいよいいよ。だってあまちゃん、ちょっとおバカさんだもんね」
「なっ、なにおう! 正しいからなにも言えないけど!」
あたしが冗談めかせて反駁すると、藤ちゃんは鈴を振るようにころころと笑った。さっきの微笑みより、こっちの方が断然彼女に似合っている。
「劇頑張るのはいいけど、私とも遊んでね。来年は受験があるから、遊べないかもしれないし」
「それはもちろん。折角の夏休みだからね。楽しまなきゃ損、損!」
それからあたしは、しばらく藤ちゃんとどこに遊びにいくかを話し合って、それが終わってからまたそれぞれ本読みに取り掛かった。
あたしは気が付かなかった。藤ちゃんが、見たことがないくらいに憎しみの籠った冷たい瞳で、淵神を睨んでいたことに。
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