よーい、どん!


 

「退屈だなぁ。なにかおこらないかなぁ?あーあ、まあいっか……そんなこと考えても仕方ないよね」

 日が落ちていく頃。僕は時間を持て余していた。家には誰もいない。ただ、自分だけがこの空間にいる。僕は脱力しながら薄汚れたソファに座りふと思った。

「......何もない。何も起こらない!昼は母さんが居たけど今は出かけてるし、父さんは仕事でいない。家にあるおやつはもう食べたし……もうすることがないよ!」

 目の前には木製の机、赤と黄色の様々な模様の絨毯、誰もいないリビング。すぐ近くの窓から太陽の光が部屋を明るく照らしている。部屋全体が静寂に包まれ、たまに音がするといったら座っているソファが軋む音ぐらいだろう。

 ふと、窓から空を眺めて想いに耽る。空はもう赤っぽくて……いやオレンジかな。なんだかずっと眺めていると今生きている世界が僕にはとてつもなく広く感じた。

 カーカーと外では鴉が鳴いている。

「もう鴉が鳴いて今日が終わっちゃう……段々眠くなってきちゃった」

 大きなあくびをして「もう、寝ようかな」と独り言。気がつくと僕はソファの上で深い眠りについていた。瞼はとっくに僕の瞳を覆っていた。


「――ここはどこ?」


 何処を見渡しても真っ黒な世界が広がる。

 心臓が張り付く。

 不安と焦燥。

「母さん?ここはどこ?だれかいないのー!?さっきまで寝てたのにどうして急に……もしかして夢?」

 

「――フリー」

 優しい声。聞き慣れた声色。

 

「だれ?」

「初めまして。僕の名前はフリー・イーラ。フリー・コルウスとフリー・イーラ――奇しくも君と同じ名前だ」

「ここはどこ?なんで僕はここにいるの?」

「ごめんね。この暗くて怖い場所に連れてきたのは僕なんだ。ちょっと君に頼みたい事があってね。聞いてくれるかな?」

「いいけどー、僕のお願いも聞いてくれる?」

「ああ、いいよ――契約ってやつだね!僕が君の願いを叶える代わりに僕の願いを君が叶える……そういうことにしよう!いいかなフリー?」

思わず僕は笑みが溢れてしまう。

 

「僕、鳥になりたい!!」

 鳥、そう鳥だ。華やかな翼で空という自由を謳歌する鳥に僕はなりたかった。


「いいだろう。今から僕が僕にしか話せない物語をつくってあげよう。唯一、君にこの物語をあげれるのは僕だけなんだから」

 

「――ねえねえ母さん、すっごい夢みたよ!なんかね、僕は鳥になってて、羽をバタバタさせて飛ぼうとしてる夢!あと……」

 キラキラした目をして僕は、僕の話を聞いた母さんの次の言葉を期待して話した。僕の夢を……見てきた夢を。

「そうなのー。よかったね。楽しそうな夢を見れて。フリーも鳥さんになってお母さんを乗せて欲しいなー」

 母さんははにかんでみせた。まるでほんとにそんな未来が来るように。

「もちろん!絶対だよ。約束だから!」

「いい子ね。さあ、夜ご飯を食べるわよ。今日はフリーが好きなハンバーグオムレツ!よかったね」

「やった!あれ?父さんは?」

「お父さんは遠出してるの。私たちが住む神聖帝国から遠く遠くの国『ひもうす』までね」

「でも、『ひもうす』って怖い国なんでしよ?だめじゃん行ったらー」

「大丈夫。お父さんは強いから」

 当時の俺にとっては外国というのは異世界、いやユートピア、もしくは楽園のように思えた。この小さな土地のことしか知らない俺にとっては。

「フリーならきっと行けるよ。大きくなったらね」

 あの時俺は夢を見たんだ。

 

 数年後のとある日。

 クマのぬいぐるみを嫌いになった日――

「目を開けろよ!ベラ!」

「でも怖いよフリー」

「大丈夫だよ。裏山には何回も行ったじゃん」

「でもー」

 分け入って分け入って草むらの中を進む。ここは裏山。たくさんの未知と発見がある遊び場だ。大人たちには何かと言われていたが、そんな言葉は右耳から左耳へと突き抜けていった。

 緑の楽園へと足を進める。やけに草の背が高い。だが、そんなこと知ったこっちゃない。

 幼馴染のベラと俺は一緒に前へと進むと、開けた場所に出た。

「ほらな!ここが秘密基地だよベラ!ビスのやつは連れて行けなかったけど、今日はここでお前と遊ぶことに決めた」

「ふふ、何それー?」

 ベラの顔から恐怖がとっくに抜けていることがわかった。いい感じだ。

「じゃ、小屋づくりでもするか!」

「りょうかーい!」

 森に入り、大きな枝を手分けして探すことにした。薄暗くなる前に小屋を作って、ビス、ベラ、そして俺の秘密基地を作る。目標はそれだった。

「よし、これぐらいでいいよな。戻ろう」

 地面に落ちている枝や葉っぱがついた木の枝。そして極め付けはこのきれいなビー玉。十分すぎる収穫だ。

 秘密基地まで戻る。ベラはもう戻っているだろうか?そんなことを考えながら落ち葉を踏む。

「ベラー!持ってきたぞ!すごい物があったんだ!ガラス瓶とかすごい草とか!ビー玉もあった――」

 何故かベラはその場に立ち尽くしていた。

「どうした?ベラ?」

「く……く、く」

「く?」

 ゆっくりとベラが見ている方向を見る。

 暗い藪陰に黒い大きなものが動いている。こちらを見ている。熊だ。熊がいた。

 恐怖による緊張で胸が張り裂けそうになる。動けれない。どうしたら?ベラは、俺はどうなる?怖い。死ぬ?死にたくない。こわい――

 熊はそんな気持ちなんか知らないと、こちらに近づいてきた。逃げなきゃと思う。でも、体は動かない!動け!動け!と思っても、俺の足は情け無くその場に立つことしかできなかった。

 

「ベラ……」


「フリー、もう私たちは」


 おしまいだと思った。

 でも、彼が来た――

「おらぁぁぁあ!」

 何発も大きな銃撃が山に鳴り響く。黒い毛皮は真っ赤な血へと染め上げられる。熊の唸り声とビスの大きな声。熊は木々の間を走り抜けていった。

「――ビス!」

 恐怖から解き放たれ、ベラと俺は表情を浮かべる。勝ち誇ったような感情に身を任せお互いに抱き合った。

「大丈夫かフリー、ベラ。怪我はない?」

「もう怖かったよー!ほんとに!ビスが来てくれなきゃ死んでたよー」

「ありがとうビス!カッコ良すぎるだろ。本当に」

「ははその調子なら元気そうやな。よかった――」

 

 俺の人生の中でもトップクラスの名シーンだろう。


「もう少し、遅かったらやばかったな……」


 3人で赤く燃えるような夕日をバックに帰る。俺の目には、いつもより平凡な風景が輝いて見えた日だった。





 

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