第4話 アトラント


 リヴェンを後にし、馬で二日。ようやく湖の見える街「アトラント」に到着した。ラーナ村の丘から見えた、あの美しい街だ。遠目で見ていた時から期待していたが、実際に足を踏み入れると、その規模と賑わいに圧倒された。

 街の入口には立派な石造りの門がそびえ立ち、その両脇には門番が立っていた。ノアが「旅の者だ」と告げると、あっさりと通された。門をくぐると居住区が広がっており、赤茶色のレンガでできた家々が整然と並んでいた。二階建てや三階建ての建物も見られる。その屋根には煙突があり、もくもくと煙が上がっている様子が、暮らしの息遣いを感じさせた。

 道もレンガで舗装されており、馬車が通り過ぎるたびにカタカタと小気味よい音が響く。道端には花壇があり、色とりどりの花が植えられていて、街の雰囲気をさらに明るくしていた。まるで中世のヨーロッパみたいな街並みだった。

 

 海外に来たみたいだな。

 まぁ、海外どころか異世界だけど。


 思わず俺は足を止めて周囲を見回す。ノアが先を歩いているが、少し待っていてくれた。


 「もっと先を見れば、さらに驚くぞ」と彼が微笑みながら言う。


 この先? 何があるんだ?

 ノアはここに来たことがあるのか?


 居住区を抜けると、大きな広場にたどり着いた。そこは商業地区であり、アトラントの心臓部と言える場所だった。広場の中央には噴水があり、水がきらきらと太陽の光を反射している。その周りには商人たちの声が飛び交い、人々の活気が満ちていた。果物や野菜を売る露店、色鮮やかな布地が並ぶ服屋、さらには香辛料や薬草を扱う店まで、目移りするほど多くの店が軒を連ねている。

 俺は目を輝かせながら、その光景を見渡した。あちらこちらで聞こえる賑やかな声、漂う食べ物の香ばしい匂い、そして色鮮やかな商品たち。すべてが新鮮で、夢中になって見てしまう。


 「ラキ、楽しそうだな?」ノアが笑いながら振り返る。その穏やかな表情はまるで子供を見守る大人のようだった。


 「そうですね、なんだかRPGの世界に入り込んだみたいで……ワクワクしますね。」

 「あーる? ……まぁ、見て回りたい気持ちは分かるが、まずは宿屋で荷物を置こう。それからだ」とノアは言い、手早く宿屋を探し始めた。


 宿屋は商業地区を抜けた西側にあった。外観は木と石を組み合わせた温かみのある建物で、入口には「旅人歓迎」と書かれた看板が掛けられている。馬は宿屋に付属している馬宿に預け、俺たちは中へ入った。宿屋の中は広く、木造の温かみのある雰囲気と、旅人たちの活気で溢れている。

 部屋に荷物を置き、少し一息つく。街に着いたばかりだが、この街で何を見つけられるのだろう――そんな期待が胸を膨らませていた。


 宿屋を出てからノアが「東側へ行こう」と提案してきた。俺はそのままついていった。

 ノアの少し後ろを歩いていた。レンガ造りの建物の裏道を通り抜けるとそこは、あの丘で見た大きな湖があった。

 近くで見ると想像していたよりも遥かに超える壮大さだった。向こう岸は森となっているようで木々が生い茂っていた。そのまた更に奥には山々が連なっていた。

 湖面は驚くほど透き通っており、空の青と周囲の木々の緑をそのまま映し込んでいる。湖の向こう岸には鬱蒼とした森が広がり、さらにその先には山々が連なって見える。


 「どうだ? 綺麗だろう?」

 「はい、とても! この湖は俺がいた村の近くから見えたんです。ずっと来てみたかったんですよ。」

 

 湖には小舟が何艘も浮かび、釣りをしている人々の姿が点々と見えた。舟が湖面に溶け込むように浮かぶその光景は、まるで夢の中の世界のようだ。


 すごい、水が透き通ってて舟が浮いて見える。

 まるであの湖みたいな……

 あれ、あの湖ってなんて言ったっけ?

 

 とにかくあの有名な湖に似ている。俺が湖に見とれているとノアは「この湖には以前来たことがあるんだが……その時聞いた話だ。」と言ってこの湖の言い伝えについて語り始めた。 


 「この湖には、水の精霊が住んでいると言われているんだ。」

 「水の精霊……?」

 「ああ。湖の水がこんなにも澄んでいるのは、精霊がここを守っているからだと言われている。この湖が濁ったことは、昔から一度もないらしい。」


 ノアは湖に目をやりながら、続けた。


 「ただ、精霊は気まぐれだとも言われている。湖に粗末なものを捨てたり、悪意を持って立ち入った者は、不思議な力で追い返されるってな。」

 「追い返される……?」

 「釣りをしていたら急に竿が動かなくなったとか、舟を漕いでいたらいつの間にか岸に戻されていたとか、そんな話が昔から伝わってるらしい。」


 ノアの言葉を聞きながら、俺は湖に目を向けた。確かに、この透明な水にはどこか神秘的なものを感じる……ような気がする。ただの自然現象とは思えない美しさだ。


 「でもな、精霊に気に入られると、こんな話もある。」

 「気に入られると?」

 「湖に沈めた願い事を精霊が叶えてくれるらしい。湖畔でそっと祈ると、その祈りが届くこともあるそうだ。」


 ノアが楽しげに話す横で、俺は静かに湖に手を伸ばしてみた。冷たく澄んだ水が指先を包み込む。この水が濁る日は決して来てほしくない。そんなことを、ふと思った。


 「この湖には名前があってな、「イリム湖」と言うんだ。そして水の精霊もこのイリム湖の名前に由来して「イシュリア」と呼ばれている。」

 

 へぇ、湖にもちゃんと名前があるんだな。

 イリム湖……イシュリア、か。

 ん? イシュリア……どっかで……


 「あっ! もしかして水属性魔法の詠唱って……」

 

 ハッとして顔を上げた。ノアの方を見ると、まるで「気づいたか」というような満足げな表情を浮かべていた。

 

 「あぁ、その通りだ。水の精霊イシュリアとは、この湖の精霊のことだ。」


 やっぱり。どこかで聞いたことがあると思ったが、水属性魔法の詠唱でイシュリアの名前を使っていたのだ。


 「イリム湖の精霊だったんですね……」

 俺は改めて湖を見つめる。穏やかな水面。どこか優しく輝いているように見える。


 ここの湖の精霊だったのか……

 いつもお世話になってます。

 これからもよろしくお願いします。


 心の中で感謝の気持ちを込めて、水の精霊イシュリアにお礼を言った。


 

 俺たちはイリム湖のほとりから町へ戻り、湖畔近くの飲食店に入った。店は木造の二階建てで、壁や床には年季が入っており、ところどころに魚の装飾が施されていた。入り口には「湖の恵み」と書かれた木製の看板が揺れている。店内に入ると、魚を焼く香ばしい香りと活気ある声が俺の鼻と耳を刺激した。

 店の中央には大きな炉があり、そこで魚を焼く店員の姿が見える。煙がほんのり木の香りを纏い、炉端で焼かれる魚が脂を滴らせながらこんがりと焼けている。店の壁には湖で捕れた魚の種類や調理法を書いた手書きのメニューが貼られており、どれも美味しそうだった。


 「ここは湖の魚料理が名物なんだ。ぜひ味わってみろ。」

 ノアにそう勧められ、俺はワクワクしながら席についた。

 「俺、魚料理を食べるの久しぶりなんです! 楽しみです!」


 ラーナ村では周りに川も海もなかったため魚が取れず、魚料理はほとんど食べられなかった。たまに村人がどこからか魚を入手していた。その魚を譲ってもらって何度か食べたが、ちゃんとした魚料理は久しぶりだ。

 テーブルに運ばれてきたのは、黄金色に焼き上げられた一匹の魚だった。皮はパリパリで、香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。付け合わせには湖畔で採れた新鮮な野菜のサラダと、ハーブで香り付けされたパンが添えられていた。


 うーん、なんて香ばしい香り。

 俺の食欲を唆る美味しそうな香りだ。


 「いただきます!」

 早速フォークで身をほぐすと、柔らかくふっくらとした白身が現れた。口に運ぶと、香ばしい皮の風味とジューシーな身の旨味が口いっぱいに広がる。淡白ながらも奥深い味わいで、湖の澄んだ水を感じさせるような清らかさがあった。


 「これは……美味い!」

 思わず感嘆の声を上げてしまった。ノアが笑いながら、「だろ?」と肩をすくめる。


 魚の骨を丁寧に外しながら次々に口に運ぶ。


 美味すぎる!

 脂がしつこくないからいくらでも食べられそうだ!

 前世では肉派だったけど、魚料理もいいな!


 「ここの魚料理、めちゃくちゃ美味しいですね! 魚の甘味と香ばしさが絶妙です!」

 「湖の水が綺麗だから、魚も最高級なんだろうな。俺もここで食べるのは好きなんだ。」

 

 ノアが満足げに頷きながら、焼き魚にかぶりついていた。

 店内を見渡すと、家族連れや漁師らしき客たちが楽しそうに料理を頬張っている。店員たちは忙しそうに料理を運びながらも、どこか笑顔を絶やさない。壁に掛けられたイリム湖の風景画や、釣り竿が飾られた装飾も雰囲気を引き立てている。

 この湖がもたらしてくれる恵みが、この豊かな食卓を作り出している。湖の澄んだ水が精霊によって守られているという言い伝えも、あながち間違いではないのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る