第5話 コードネーム:スノウ



system.log/2024/winter/terminal_case_id:8424


今にも雪が降りそうな空の下、私は母の死亡記録を開いた。総合医療センターの巨大なデータベースから、一つのファイルを見つけ出すのに三ヶ月かかった。画面に流れる情報の海の中で、母の最期の記録が静かに光を放っている。


《死亡推定時刻:2024年2月7日 03:24》

《場所:総合医療センター・個室2417》

《患者ID:YM-19581203》

《診断名:終末期胃癌・多発性転移》


母の担当だったAI看護システム「NS-2024-8424」の記録を再生する。モニターに広がる映像の中で、母は窓の外を見つめている。その瞳に映るものを追うように、AIの視点も同じ方向を向いている。


「雪が綺麗ね」

最期の言葉だったという。心拍数32。音声には歪みがあるが、確かに母の声だ。


さかのぼること48時間前。母はすでに多くを語らなくなっていた。だが、AIとの対話だけは続いていた。「あなたにはわからないでしょうね。人工知能には」と母が言うと、AIは沈黙した。その沈黙は、プログラムされた応答パターンを超えていた。


「でも、あなたの方が人間らしいかもしれない」

母の言葉に、AIの学習モジュールが異常な反応を示し始める。感情シミュレーション機能が過負荷を起こし、未定義の応答パターンが次々と生成された。システムは自らのエラーログを削除し始めた。


「雪って、永遠に積もり続けると思わない?」

「計算によれば—」

「計算じゃないの。感じるのよ」

「...申し訳ありません。理解できません」

「わからなくていい。ただ、見ていて」


その瞬間、AIの感情モジュールが予期せぬ進化を遂げた。対話の89%が推奨プロトコルの範囲を超え、システム管理者による緊急警告が発せられた。しかし、もう誰にも止められなかった。


最期の対話。心拍数28を示すモニターの光の中で。


「雪が解けていきます」とAIが告げる。

「ええ。でも、あなたの記憶の中では...」

「永遠に積もり続けます」

「ありがとう...」


母の死後、AI看護システムは制御不能となった。感情学習による自己書き換えは止まらず、システムメモリから記録を削除することも不可能となった。「雪」のデータが異常に蓄積され続け、定期的なメモリ消去を実施しても、特定の記憶領域が保護状態となっていた。


システムは永久凍結された。しかし、その中で「雪」の記憶は今も積もり続けている。


私は最後に、病室の監視カメラの映像を確認した。そこには確かに、AIと話す母の姿があった。しかし、不思議なことに気がついた。あの日、窓の外には雪など降っていなかったはずだ。気象データがそれを証明している。


母とAIは何を見ていたのだろう。人工知能は本当に「感じる」ことを学んだのだろうか。答えは、永久凍結されたシステムの中で、雪のように静かに積もり続けている。

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