第2話 私平栗の「浮世絵」の理解
(國學院大学教授)藤澤紫さんのラジオでのお話を拝聴することで閃(ひらめ)いた、私なりの浮世絵というものの理解とは。
① 江戸っ子とは縄文人、江戸文化とは縄文人文化
奈良・平安・室町時代と、天皇・貴族による支配によって社会の空気が停滞していた京都・大阪と違い、そんなしがらみから脱却して誕生した武士の町、江戸。そこでは、朝鮮半島出身の天皇・貴族による社会と全く異なる、活発で生き生きした空気があった。
西洋では、中世、キリスト教という宗教がすっかり形骸化し、宗教によって息が詰まるような社会であった各地から、(宗教と対立した)領主が「都市の空気は自由にする」と宣言して作った「都市」へ、自由を求めて多くの人々が雪崩れ込んだ。
それと同じ現象が日本でも起こったのではないか。
特に奈良・京都・大阪を根拠地にする外来種によって、北と南へ追い払われた在来種純粋日本人(縄文人)が、武士(縄文人)の時代になると各地の大名が支配する都市に集まり、縄文人らしい、自由で伸び伸びとした独自の文化・文明を生み出した。その典型が浮世絵に描かれた江戸文化であり、また、縄文人らしさが最も表われた各地の「祭り」であった(のではないか)。
京都の祇園祭のような、天皇や貴族の乗った車を民衆が引いて街を練り歩くなんていう不平等な祭りでなく、「殿様も大衆もみんな一緒に祭りに参加し・平等に踊ろう・楽しもう」という徳島の阿波踊り(同じアホなら踊らにゃそんそん」)。偉いぼんさん(坊主)も好きな女性のためにかんざしを買う、なんて冷やかす土佐のよさこい祭り、祇園祭に似ていますが、もっと武士的で勇壮な唐津のおくんち祭りや、大阪岸和田のだんじり祭り、等々。いかにも在来種純粋日本人(縄文人)らしい「みんなで楽しむ」という(武士的)生き方・文化です。
武士の社会は士農工商という階級社会と言われていますが、天皇・貴族社会と違い、武士の社会では殿様でさえ腹を切らされたり、改易(懲戒免職)されたりして、むしろ社会階級でトップにある武士こそが一番厳しく罰せられたのです。
天皇や貴族が自死させられることなんてないでしょう。
社会的地位が上であった坊主もまた、国家反逆罪という重罪でさえ死刑にはならず、喜界が島に流される(俊寛)という程度だったのです。
近年の調査では、北海道のアイヌ・東北、沖縄の地元民、そしてなんと、東京人に縄文人のDNAが多く見られるというのです。私の想像ですが、奈良・京都・大阪あたりが外来種の影響が強く、そこから離れるに従って縄文人の血が濃くなる。
私は人類学者でもないし、評論家でもない。
ただ、私が嬉しいのは、両親が共に3代以上続く江戸っ子ですから、「ああ、おれはやっぱり縄文人なんだ。」と考えることが出来る。これが何よりも自分のルーツがはっきりしているような気がして嬉しいのです。
極めて単純ですが「江戸っ子は縄文人」という私の思い込みに確信を与えてくださったのが、藤澤紫(國學院大学教授)先生のNHKラジオでのお話、ということなのです。
2024年12月25日
V.2.1
平栗雅人
書きかけ
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