ザルマノケガスとして知られるバラモンの聖シャルマン・ケージャジーは如何にして祭火を献じたか

Ramaneyya Asu

第1話 旅立ち。ベレニケへ。頭が裂ける?

序幕

[座頭登場]

座頭「いと慎ましく純朴で、健全な自己を保つ皆さん。劇が始まります。ですから、心の衝立を片付けましょう。そして私たちは、注意深い探求によって、彼らの中に、私たち自身の内なる普遍的ななにものかを見つけましょう。そうしておのおの結論に至ったなら、それを私たちが共有しているか否か、見てみましょう。肯定すべきか、否定すべきかを」


 ザルマノケガスとして知られるバラモンの聖シャルマン・ケージャジーは如何にして祭火を献じたか。一介の商人に過ぎずジャイナ教徒でもある私がこのことを書き記すのは、私たちの習慣に反する。しかしこの聖仙が献じた祭火を目の当たりにしたバラタ族は私ひとりなのだから、そうすることも許されると信じる。

 私はギリシア人たちがバリュガザと呼ぶところのバールクッチャ(*)に生まれ、その頃、507年(*)のことだが、その頃までには、自分が熟練した船乗りだと思っていたし、ギリシア語についても同業者たちから一目置かれるようになっていた。


*ギリシア人たちがバリュガザと呼ぶところのバールクッチャ 今日のグジャラート州バルーチ市(21.42°N 72.59°E)。バールクッチャはこの都市を創始したと伝わるバールヴァガ族にちなんだ古名。古くからインド洋交易の一大拠点であった。カンバート湾からナルマダー川を約50km遡った北岸にある。

 「バリュガザの湾...インドの始まりである...この地方は、麦、米、胡椒油、ギー(澄ましバター)、綿、綿布が豊富である。ここには極めて多くの牛の群と、立派な体格で皮膚の色が黒い人々がいる。この地方の首都はミンナガラで、そこから極めて多量の綿布がバリュガザに運び下ろされる」(エリュトラー海周遊記.41)

 「バリュガザでは古いドラクメー貨幣が流通しており、これにはアポッロドトスやメナンドロスの刻印がギリシア文字で刻されている」(ibid.47)

 「エジプトからこの交易地へ七月、即ちエジプト暦のエピーピの頃に出航する人たちは、ちょうどよい時期に航海することになる」(ibid.49)


*507年 ヴィラ・ニルヴァーナ・サムヴァット暦(マハーヴィーラの没年を基年とするジャイナ教の暦)。西暦紀元前20年にあたる。


 だからパンディアの王、ポルカイのローマへの使節団がネルキュンダ(*)からバールクッチャにやってきて、私たちのカーストに水先案内人と通訳を求めたとき、私は突進するように彼らの船に乗り込んだのであった。すでに一族の家長となっていた私には魅力的な報酬であったし、アレクサンドリアの向こうの世界を見てみたいという冒険心も手伝っていたと思う。


*ネルキュンダ 1世紀以降航路が確立して交易が盛んになったという南インドの港町。ヴェンバナード湖南部にあったと考えられるが、比定地は定まっていない。

 「リュミケネー...の後に目下好景気のムージリスとネルキュンダがある」(エリュトラー海周遊記.53)

 「ネルキュンダはムージリスから海と川を経ておよそ500スタディオン離れていて、パンディオーンの王国に属している。これもまた川に臨んでいて、海からは約120スタディオンである」(ibid.54)


 パンディア人たちの一行にひとりの老パンディットがいたが、私は気にもとめていなかった。このような人がローマに何の用事があるのか、教養のない私には想像もできなかったのである。しかし冬の東風を待っている間に、この老パンディットが亡くなったことで、私はこの方の「用事」が何であったかを知り驚くこととなった。

 老パンディットを祭火で焼いてナルマダー川に流してしまってから、使節団の実務上の団長と呼ぶべきブータジーがそれを私に告げたのだった。

 「代わりのパンディットに乗っていただかなければならない。君はバールクッチャの長老たちに頼んでどなたかを推挙してもらい、船に連れて来なければならない。外交の場にバラモンがいないなんて聞いたことがないし、だいたいパンディットがいないことには、ローマ人たちと討論になれば、私たちは必ず頭が裂けてしまう(*)だろうからね。罰が当たらないことを祈って言うが、むしろこれは善かったのかもしれないね。なぜって君はパンディットの通訳としてローマ人たちと討論をすることになるんだから、パンディア人よりも同郷の人のほうが善いに決まっているじゃないか」

 

*頭が裂けてしまう バラモンのパンディット(学者、哲学者)たちはしばしば国家間ないし士族間の交渉に立ち合い、相手側のパンディットと討論を行った。彼らはこの討論の勝敗に命をかけていたという。討論に赴く者は生還を期せず、縁者は涙してこれを見送った(Jaiminiya-Upanishad-Brahmana.Ⅲ,8,1-2)。バラモンたちにとって討論とは呪詛合戦の如きものであり、論敵の呪詛を返せなければ頭が破裂するという(Shatapatha-Brahmana. Ⅺ,4.1.9 Brihadaranyaka-Upanishad.Ⅲ,9,26)。

 バラモンたちお得意の脅し文句だったものか、最初期の仏教経典にも現れる。

「私が乞うているのにおまえが施さないなら、いまから七日の後におまえの頭は七つに裂けてしまえ」(Suttanipata.983)


 真っ先に頭が裂けるのは私なのではないかと思った。しかし一度引き受けた仕事を放棄するのは間違ったことのように思えたので、導師に会って相談すると、シャルマンジーを紹介してくださった。シャルマンジーはバールクッチャのパンディットたちの最長老だった。私も子供の頃は何度かシャルマンジーの法話を聞いたことがあった。

 今思えばベレニケに着く頃には、私は昔導師から聞いたサレカナ(*)を想起していた。それというのも、シャルマンジーは皺だらけの顔をほころばせ、エリュトラー海の船旅を楽しんでいたからである。


*サレカナ Sallekhana. ジャイナ教の非暴力の教理に基づいた実践の一。余命少なくなった人が作法に沿って断食死する。

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