第3話 Cサイド

夜勤明けの帰宅は眠い。


今日は8時に申し送りして9時に帰れるはずだったのに

仕事が終わったのは正午だった。

病棟の長谷川さんちの子供がコロナになって欠勤になったせいだ。

誰が悪いということではないが、一番若い私がいけにえになった。


完全にブラックな労働時間を終え電車に乗ったのは14時だった。

午後の早い時間だけあって電車は空いていた。

早々に座ると、椅子の座面は日差しで適度に生ぬるく、私は眠りに落ちた。


右側に何かが当たるのを感じて目が覚めた。

隣に誰か座ったのだ。

首がかくっとなって電車の床面が見えた。

私のスタンスミスの白いスニーカー、右隣にビルケンの茶色い革サンダルが並んでいる。


その瞬間、数か月前、同じ時間の車内でのことを思い出した。

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その日、車内で眠っていた私は、おかしな感触を感じて目が覚めた。


となりの男性はポケットに手を入れてごそごそ動いている。

男性はスウェット生地のパンツをはいているようだ。

ポケット越しに横から 手の感触があたる。

ごそごそは数分終わらず、ああ、これは、私のももをつかんでいる、と気づいた。

間抜けなことだが、何をされているのか全く分からず気づくのに5分ほどかかってしまった。

右側の男は肩を押し付けてくる。

触られていること自体気持ちが悪いが、今この時間が、何かの材料にされているのが気色悪く、感情のある他人にそんなことをしていいと思っている人間がすぐ横にいることにぞっとした。


身をよじって距離を取ろうとしたが、逆隣にも人が座っていて思うように離れなかった。

まわりの人は気づかないのだろうか、とも思ったが、ポケット部分は、男性の上着がかぶさっていて周りからは死角だろう。

なにより証拠はない。勘違いだろうと言われたら。


背中が寒くなった。

誰も助けてくれない。


実際の時間は5分程度だったかもしれない。

あまりにも長く感じた。


電車のドアが開いた瞬間、私は勢い良く立ち上がり、その駅で降りた。


ホームのベンチまで早足で移動し脱力した、なぜ自分は痴漢されたと分かった時に立ち上がらなかったんだろう。相手の顔を直視しなかったんだろう。

思考停止して完全にフリーズしてしまったからと分かり切っているが、

自分が愚図すぎて涙が出てきた。


今から、駅員さんに言った方がいいだろうか、

一瞬考えたがやめた、こんな状態で説明できる自信がない。「痴漢をされた」と言っているうちに私は泣いてしまうだろう。どうやって説明したらいいんだろう。

もうそんな気力残ってなかった。

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目の前のサンダルは、見覚えがあった。

でもそんな確率あるだろうか。


私は立ち上がると斜め前の扉を超えた対角の席の端に座った。

もちろん逃げるためではない。


スマートフォンの動画機能を立ち上げレンズ面だけ鞄の外側のポケットからはみ出るように挟み込んだ。

幸いJRのドア横の端の席は壁のように仕切りがあり、この一連の動きは難なくできた。


ナナメ向こうのビルケンを見る。

恰好は依然と全然違う、チノパンに開襟シャツ。

靴が同じだけの人かもしれない。


そうしてる間に次の駅に付いた。

新しい乗客が乗り込んでくる。

車内は空いているのに私が先ほどいた男性の隣に女子高生が座った。


それを見て、痴漢の現行犯を撮影する気でいたのに急激に気持ちがしぼんでいった。

目の前の子が自分と同じ目にあうかもしれない。


立ち上がった私は移動して女子高生の隣に腰を下ろした。

動画なんてどうでもいい。何かあったら私が止める。


そのときだった

「あの」

右側から声が聞こえた。

「大丈夫ですか」


「顔が真っ青ですよ」

ビルケンが私に口を開いた。

初めて顔を見た。


「あ、」

だいぶ若い、背の高い女性だった。


「大丈夫です」

落胆と安堵で私は小さく答えた。

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