聖夜のやり直し

兎舞

ずっと待ってたんだよ

(そっか、今日は二十四日か……)


 いつもと同じように起きて会社に行き、普段通りに仕事をこなした。いつも通り定時には終わらず、いつも通り残っている面々とダラダラと残業をして、いい加減腹が空いてきたな、と思ったので終わらせて会社を出た。


 そこで目に飛び込んできたのは、普段より多い人出と、店先に目につく赤と白の衣装を着た店員たちの姿だった。

 老若男女問わず、これだけ大勢の人が笑顔になる日というのは一年の内で早々無いのではないか。自分の目にはそういう人しか映らないだけかもしれないが。


 とはいえ今の俺にクリスマスは関係ない。これもまたいつものようにコンビニで夕飯になりそうなものと酒を買って帰るだけだ。


 ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで人混みをすり抜けていた時だった。


「左だよ」


 ふとしゃがれた声が耳に届いた。他人の会話が漏れ聞こえただけだろうと思ってそのまま立ち去ろうとしたが、もう一度繰り返された。


「左だよ」


 いい加減気になって辺りを見回す。するとオフィスビルの細いすき間の埋めるように、年老いた占い師がテーブルを出して座っていた。


「……俺?」

「あたしの前にはお前さんしかいないじゃないか」


 婆さんは呆れたように笑いながら、小さな手で俺を呼び寄せた。


「なんだよ、見料なんか払わねえぞ」

「けち臭い男だね。お前さんのポケットに入ってるもんを一本くれればいいよ」


 俺は一瞬驚いて、そして渋々内ポケットのタバコを出した。婆さんは二本抜き取った。


「おい」

「まあまあ、これからいいこと教えてやるんだから、けちけちしなさんな」

「いいこと?」


 俺は馬鹿々々しくなって椅子に座って横を向いた。


「あんた、一人だね」

「……俺しかいねえって言ったの婆のほうだろうが」

「そうじゃないよ、独り身だろってことさ」

「悪かったな」


 世界中が浮かれるクリスマスイブにこの時間まで残業していれば、それくらいの予想は誰にでもつくだろう。


「悪かねえさ、一人でいようが大勢さんで集まって過ごそうが、そんなのは自分の自由さね」

「じゃ、なんなんだよ」

「会いたいお人がおるだろうて」


 俺は自分用のタバコを抜き取る手が止まる。目線を動かせば俺から獲ったタバコを器用にくるくる回す占い師の皺だらけの指が見えた。


「こういう日は殊更恋しさが募るもんだ。でもあんた、あえて考えないようにしてるだろ」

「……会えないんだから、仕方ないだろ」

「だから、左って言ったのさ」

「……え?」

「そこの角、左だよ」


 婆さんの指が大通りの十字路を指す。俺の帰宅路は直進だ。だがそこを左へ行けと言う。


「それって……」

「左だよ。間違っても右に行くんじゃないよ」

「左に行ったら、会えるのか……?」

「左に行くんだよ」


 俺の質問には一切答えず、ただ左へ行け、とだけ繰り返す。一瞬最大値まで吹き上がった期待がしゅんと小さくなった。


「あほくさ、俺は帰る」

「左だよ」

「まだ言うんかよ、てか俺の会いたい人は……」

「左だよ、分かったね」


 同じことを何度も繰り返すだけだった。そして満足気に笑うと、ごそごそと机の下をまさぐってほとんどオイルの入っていない百円ライターで煙草に火をつけようとした。

 俺は自分のZIPPOを婆の占い机の上に放り投げる。


「やるよ」

「おお、こりゃこりゃ。若いのにしては親切な男だ」

「じゃあな」


 そして立ち上がり、予定通り家に帰るために歩き出したのだった。


◇◆◇


 占い師が言っていた十字路に差し掛かる。信号待ちをしながら左を横目で見た。

 すると遠くに何かが光っているような気がした。


(なんだ、あれ……)


 普段は横道を見ることなく真っすぐ歩く道だから、左折した先に何があるか、など知る由もない。じっと光る何かを見つめているうちに信号が青になった。


 だが気づけば俺の足は左へ向かって進んでいた。


◇◆◇


 左右は小さな商店らしい建物が細々と並んでいる。大通りの喧騒とは別世界のように人影がない。

 やっぱり引き返そう、そう思ったときだった。


「あっくーん!」


 俺は心臓が止まるかと思った。驚きで体が動かない。逃げることも振り向くことも。完全フリーズ状態になった俺のところにかたかたと靴音を鳴らしながら走ってくる影があった。


「やっと来たぁ、もう、待たせすぎ!」

「……美波」

「ん?」


 目の前にいるのは、確かに美波だった。

 一年前、俺の腕から飛び出してバイクに轢かれた、恋人の美波だった。

 柔らかそうな白い肌、長くウェーブのかかった髪、小さいことが不満だと漏らしていた唇、俺より頭一つ分小さい体。


「あっくん、どうしたの、大丈夫?」


 心配そうにのぞき込む美波を俺はただまじまじと見つめることしか出来なかった。

 轢かれて血だらけになった美波を抱きかかえながら救急車を呼んだのも、助からなかったと直接医者に言われたのも、美波の両親に罵倒されながら葬式に参列した記憶も全部全部鮮明に残っている。

 

 その美波が、目の前で笑っている。


「どうしたの? せっかくのクリスマスなのに」


 そうだ。あの時もイブのデートで待ち合わせた。だが些細なことで言い争いになって、何でもいいから機嫌を直してほしいと思って抱きしめた。だが美波はそれを振り払って突然走り出し、横から来たバイクに吹っ飛ばされた。

 一体何を理由にケンカになったのか覚えていない。それくらい些細なことだった。だから美波を喪って後悔するとき、あの時強引に抱き寄せた自分の行動ばかり責めた。そのせいで恋愛など二度とする気になれなかった。


「あっくん?」

「本当に……美波、なのか」

「え?! なに、どうしたの、あっくん。たった半日で私の顔忘れちゃった?」


 吹き出してコロコロ笑う声が心地よい。呆然とする俺の手を美波が引っ張る。


「ね、あっちに教会があるのみつけちゃった。ちょっと入ってみない?」

「教会?」


 手を引かれるまま歩き続けると、確かに小さくて古びた教会あった。今日はクリスマスだ。本来ならどこよりも賑やかであるはずのキリスト教の施設が、捨て置かれたように静まり返っていた。


「誰もいないのか……」

「入ってみない?」

「え? それって不法侵入にならないか?」

「大丈夫だよ、ほらほら」


 またも美波が先に立って手を引く。こんなに好奇心旺盛な奴だったか? と微かな疑問を感じつつ、真っ暗な聖堂に入って行った。


「何もないな」

「でもほら、イエス様の像はあるよ」


 不敬にも美波が指さす先には、よく見る斜め上を見上げるイエス・キリストの像が立っていた。


「ここなら、出来るね」

「え?」

「私たちの結婚式」

「……けっこん、しき」

「言ったじゃない、あっくん、ずっと一緒にいてくれる、って」

「あ、ああ……」

「ずっと待ってたんだよ、私」


 南の口と声は笑っているのに、目は笑っていない。静かに透明な涙が流れ落ちる。それがいつしか真っ赤な血に変わった。

 

「言ったでしょ、待たせすぎ、って」

「み、なみ……」


 血の涙を流す美波の目が真っ黒な空洞になっていた。俺は恐怖で後辞さるが、後ろへ踏み出したはずの足が宙に浮いた。

 驚く間もなく、そのまま真下へ堕ちていった。


◇◆◇


『こちら現場です。都内の廃教会の中にはっこか、今日は二十四日か……)


 いつもと同じように起きて会社に行き、普段通りに仕事をこなした。いつも通り定時には終わらず、いつも通り残っている面々とダラダラと残業をして、いい加減腹が空いてきたな、と思ったので終わらせて会社を出た。


 そこで目に飛び込んできたのは、普段より多い人出と、店先に目につく赤と白の衣装を着た店員たちの姿だった。

 老若男女問わず、これだけ大勢の人が笑顔になる日というのは一年の内で早々無いのではないか。自分の目にはそういう人しか映らないだけかもしれないが。


 とはいえ今の俺にクリスマスは関係ない。これもまたいつものようにコンビニで夕飯になりそうなものと酒を買って帰るだけだ。


 ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで人混みをすり抜けていた時だった。


「左だよ」


 ふとしゃがれた声が耳に届いた。他人の会話が漏れ聞こえただけだろうと思ってそのまま立ち去ろうとしたが、もう一度繰り返された。


「左だよ」


 いい加減気になって辺りを見回す。するとオフィスビルの細いすき間の埋めるように、年老いた占い師がテーブルを出して座っていた。


「……俺?」

「あたしの前にはお前さんしかいないじゃないか」


 婆さんは呆れたように笑いながら、小さな手で俺を呼び寄せた。


「なんだよ、見料なんか払わねえぞ」

「けち臭い男だね。お前さんのポケットに入ってるもんを一本くれればいいよ」


 俺は一瞬驚いて、そして渋々内ポケットのタバコを出した。婆さんは二本抜き取った。


「おい」

「まあまあ、これからいいこと教えてやるんだから、けちけちしなさんな」

「いいこと?」


 俺は馬鹿々々しくなって椅子に座って横を向いた。


「あんた、一人だね」

「……俺しかいねえって言ったの婆のほうだろうが」

「そうじゃないよ、独り身だろってことさ」

「悪かったな」


 世界中が浮かれるクリスマスイブにこの時間まで残業していれば、それくらいの予想は誰にでもつくだろう。


「悪かねえさ、一人でいようが大勢さんで集まって過ごそうが、そんなのは自分の自由さね」

「じゃ、なんなんだよ」

「会いたいお人がおるだろうて」


 俺は自分用のタバコを抜き取る手が止まる。目線を動かせば俺から獲ったタバコを器用にくるくる回す占い師の皺だらけの指が見えた。


「こういう日は殊更恋しさが募るもんだ。でもあんた、あえて考えないようにしてるだろ」

「……会えないんだから、仕方ないだろ」

「だから、左って言ったのさ」

「……え?」

「そこの角、左だよ」


 婆さんの指が大通りの十字路を指す。俺の帰宅路は直進だ。だがそこを左へ行けと言う。


「それって……」

「左だよ。間違っても右に行くんじゃないよ」

「左に行ったら、会えるのか……?」

「左に行くんだよ」


 俺の質問には一切答えず、ただ左へ行け、とだけ繰り返す。一瞬最大値まで吹き上がった期待がしゅんと小さくなった。


「あほくさ、俺は帰る」

「左だよ」

「まだ言うんかよ、てか俺の会いたい人は……」

「左だよ、分かったね」


 同じことを何度も繰り返すだけだった。そして満足気に笑うと、ごそごそと机の下をまさぐってほとんどオイルの入っていない百円ライターで煙草に火をつけようとした。

 俺は自分のZIPPOを婆の占い机の上に放り投げる。


「やるよ」

「おお、こりゃこりゃ。若いのにしては親切な男だ」

「じゃあな」


 そして立ち上がり、予定通り家に帰るために歩き出したのだった。


◇◆◇


 占い師が言っていた十字路に差し掛かる。信号待ちをしながら左を横目で見た。

 すると遠くに何かが光っているような気がした。


(なんだ、あれ……)


 普段は横道を見ることなく真っすぐ歩く道だから、左折した先に何があるか、など知る由もない。じっと光る何かを見つめているうちに信号が青になった。


 だが気づけば俺の足は左へ向かって進んでいた。


◇◆◇


 左右は小さな商店らし建物が細々と並んでいる。大通りの喧騒とは別世界の用に人影がない。

 やっぱり引き返そう、そう思ったときだった。


「あっくーん!」


 俺は心臓が止まるかと思った。驚きで体が動かない。逃げることも振り向くことも。完全フリーズ状態になった俺のところにかたかたと靴音を鳴らしながら走ってくる影があった。


「やっと来たぁ、もう、待たせすぎ!」

「……美波」

「ん?」


 目の前にいるのは、確かに美波だった。

 一年前、俺の腕から飛び出してバイクに轢かれた、恋人の美波だった。

 柔らかそうな白い肌、長くウェーブのかかった髪、小さいことが不満だと漏らしていた唇、俺より頭一つ分小さい体。


「あっくん、どうしたの、大丈夫?」


 心配そうにのぞき込む美波を俺はただまじまじと見つめることしか出来なかった。

 轢かれて血だらけになった美波を抱きかかえながら救急車を呼んだのも、助からなかったと直接医者い言われたのも、美波の両親に罵倒されながら葬式に参列した記憶も全部全部鮮明に残っている。

 

 その美波が、目の前で笑っている。


「どうしたの? せっかくのクリスマスなのに」


 そうだ。あの時もイブのデートで待ち合わせた。だが些細なことで言い争いになって、何でもいいから機嫌を直してほしいと思って抱きしめた。だが美波はそれを振り払って突然走り出し、横から来たバイクに吹っ飛ばされた。

 一体何を理由にケンカになったのか覚えていない。それくらい些細なことだった。だから美波を喪って後悔するとき、あの時強引に抱き寄せた自分の行動ばかり責めた。そのせいで恋愛など二度とする気になれなかった。


「あっくん?」

「本当に……美波、なのか」

「え?! なに、どうしたの、あっくん。たった半日で私の顔忘れちゃった?」


 吹き出してコロコロ笑う声が心地よい。呆然とする俺の手を美波が引っ張る。


「ね、あっちに教会があるのみつけちゃった。ちょっと入ってみない?」

「教会?」


 手を引かれるまま歩き続けると、確かに小さくて古びた教会あった。今日はクリスマスだ。本来ならどこよりも賑やかであるはずのキリスト教の施設が、捨て置かれたように静まり返っていた。


「誰もいないのか……」

「入ってみない?」

「え? それって不法侵入にならないか?」

「大丈夫だよ、ほらほら」


 またも美波が先に立って手を引く。こんなに好奇心旺盛な奴だったか? と微かな疑問を感じつつ、真っ暗な聖堂に入って行った。


「何もないな」

「でもほら、イエス様の像はあるよ」


 不敬にも美波が指さす先には、よく見る斜め上を見上げるイエス・キリストの像が立っていた。


「ここなら、出来るね」

「え?」

「私たちの結婚式」

「……けっこん、しき」

「言ったじゃない、あっくん、ずっと一緒にいてくれる、って」

「あ、ああ……」

「ずっと待ってたんだよ、私」


 南の口と声は笑っているのに、目は笑っていない。静かに透明な涙が流れ落ちる。それがいつしか真っ赤な血に変わった。

 

「言ったでしょ、待たせすぎ、って」

「み、なみ……」


 血の涙を流す美波の目が真っ黒な空洞になっていた。俺は恐怖で後辞さるが、後ろへ踏み出したはずの足が宙に浮いた。

 驚く間もなく、そのまま真下へ堕ちていった。


◇◆◇


『こちら現場です。都内の廃教会の中に白骨化した遺体が発見されました。所持品から被害者は沢村晃さん、三十二歳。しかし沢村さんは前日まで勤務先に出社していた記録があるため、遺体は別人のものの可能性も含めて警察が捜査を進めています』


 普段は誰も近寄らない小さな教会は警察と報道陣、やじ馬でクリスマス以上の人だかりが出来ていた。


 その前をあの占い師が通りかかった。


「良かった、無事会えたようだね」


 占い師は大きくて重いZIPPOを静かに教会の敷地へ投げ入れて、その場を立ち去った。

 

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