新しい星座
@kibun3
第1話 島のプラネタリウム
太陽が傾くと僕は今日の収穫のマンゴスチンとパッションフルーツをバックパックにそっと詰め込んで、水耕栽培ドームを出た。そして、マンタの群れが海流に乗って泳ぐ上をウィンドサーフィンで横切り、島の東側の砂浜に戻った。潮風を頬に感じながら、僕は島で一つだけの小さなショッピングモールに続く椰子の木の小道を歩いた。
僕たちの住むクレモナ島は、北回帰線のやや南の海底に数百本のワイヤーロープで係留されているだけの浮島だ。直径二キロの円盤状の人工地盤を海底に繋ぎ止めるロープを実際に見たことは無いけれど、子供の頃、星の輝く夜に波打ち際にカヌーを漕ぎ出すと、青く光る魚の大群が砂浜の下に入り込んでは消えたり、再び現れたりするのを見たことがある。それは、島の真下の海底で産卵している深海魚の群れだと後で知った。
夏の太陽がゆっくりと水平線に落ちようとしている。オレンジ色に染まった西の空の下に、ショッピングモールの二階建ての建物が見えてきた。エントランスをくぐると、中は週末の買い物客や食事をする人々でだんだん混雑しはじめていた。1845にアリーナの前で妹と待ち合わせの予定なのだが……今日はちょっと遅れている。
僕に双子の妹ミオが居ることを知らされたのは、多少の分別が付いた十五歳の時。僕とミオ、そして自身の細胞から僕たちをクローン生成した母は別々に強制隔離されて暮らしている。それは、母が倫理を逸脱したために島の共同体から科されたペナルティに他ならない。僕は正直、ペナルティが解かれてミオに会える日が来るとは思っていなかった。僕たちが会うことを許されたのは、島のAIオルタナから幾つかの心理テストを受けてOKとなった十七歳の時だった。たぶん、性的衝動を抑制できるかのテストだったのだろう。写真も何も見せて貰ってないので、僕はミオがどんな子だろうと想像を膨らまし、その日が来るのをわくわくしながら待っていた。
そしてその日、アリーナの前で僕は自分そっくりの女の子を間近に見て興奮し、一目で好きになった。偶然、僕と同じユニセックスのボディースーツを着ていて、髪の毛が少し長いところと胸が少し膨らんでいるところを除けば、鏡に映したように殆ど同じ姿だった。話をすると、考えていることも似通っていた。すぐにお互いの体の隅々を見て触って確かめ合い、とても気に入った。そして、僕は島の理不尽なルールを心底疎ましく思った。でも、クローンの妹を好きになることはルール違反じゃないだろう?
ショッピングモールの二階の突き当たりにアリーナがある。小さいながらもライブやコンサートを楽しめる。予約が取れれば有名なテーマパークのアトラクションやプラネタリウムにもなる。母はいつもプラネタリウムを予約し、先に待っている。今日も四十五分の貸し切りだ。僕とミオと母は月一回だけ会うことを許されている。
僕がアリーナの前で待っていると、「カイ」と、後ろから呼ぶ声がした。白いショートパンツにカメレオン繊維のTシャツを着たミオが駆け寄って来て僕に飛びついてキスをした。僕はバックパックを背中から下ろすと、中を開いて今日の戦利品をミオに見せた。
「うわー、すごいー。カイ、こんなの作ってるの?」と、ミオが果実を手に取り喜んだ。
「うん。持って帰って食べてごらん」僕は果実をネットに入れるとミオの肩に掛けた。
「ありがとう」ミオがTシャツを虹色に変化させて笑顔を見せた。
僕は、はしゃぐミオの手を引いて、アリーナの分厚いドアをくぐった。薄暗い中に座席が並んでいる。プラネタリウムは既に起動している。暗さに目が慣れてくると、座席の一つから空色のドレスを着た母が立ち上がり、「今日はどの星座にする?」と、僕たちにリクエストを聞いた。今日は、母がナビゲーター役となり、好きな星座を案内するのだ。ミオはオリオン座と答えた。僕は蠍座だ。
僕が座席に座ると、「オリオン座のベテルギウスって赤い星だったの知ってた?」と、ミオが得意そうに訊いた。
「へー」僕は知らないふりをした。
「ベテルギウスは六百年前、超新星爆発を起こす前は赤色超巨星だったのです」と、オルタナの声が補足した。オルタナは何でも知っている。
「では、没入モードに切り替えます」オルタナが言った。床がさっと消えた。空いている座席も壁も入り口も消えて、僕たちは星空の空間に浮いていた。頭の上にも足の下にも果てしない星空が続いている。平衡感覚を失い、ちょっと目眩がする。
「二人のリクエストの前に、琴座のベガと鷲座のアルタイルのエピソードからね」と、母が切り出した。僕たちは宇宙を漂い、琴座と鷲座の間に浮かんでいた。
「ベガは機織りをする女性の星、アルタイルは牛を飼う男性の星で二人は結婚しましたが、仲が良すぎて仕事をしなくなり、天の神様の怒りに触れて天の川の両岸に引き離され、年に一度しか会えなくなりました。古代中国の伝説です」と、母が語った。仲が良すぎて仕事をしないって、どういうことだろう?
「会えるのが一年に一度なんて、寂しいね」と、ミオが言った。
「あなたたちは、もうすぐ二人で一緒に暮らせるようになるから、心配しないで」と、母がなだめた。十八歳の誕生日に僕とミオは同じ部屋で暮らすことが出来るとオルタナに知らされたのは、半年前だった。
次に僕たちは宇宙を浮遊して、オリオン座と蠍座の間に移動した。
「腕力自慢で奢り高ぶっていた勇者オリオンを懲らしめるために、女神ヘラによって蠍が放たれ、蠍の一刺しでオリオンは殺されました。蠍座が東の空から昇ってくるとオリオン座は逃げるように西の地平線に沈みます。蠍はオリオンに恐れられているのです。これがギリシャ神話のオリオンと蠍の話ね」母は含みを持たせる話しぶりだった。
「蠍には別の話があります」と、母に言われて僕とミオは顔を見合わせた。
「蠍はその毒針で多くの生き物の命を奪ってきました。あるとき、蠍はイタチに見つかり食べられそうになりました。必死にイタチから逃げた蠍は井戸に落ちてしまいます。溺れて死ぬ間際に『どうして自分の体をイタチに食べさせなかったのだろう。そうすればイタチも生き延びられたのに』と後悔をして赤い星アンタレスになりました」と、語った母は僕たちの反応をじっと見ていた。毒針を持つ蠍がそんなにナイーブだったなんて、僕にはちょっと悲しすぎる話だった。
「最後は双子座よ」母が笑顔で続けた。僕たちは、また宇宙を浮遊して双子座の前に移動した。
「神ゼウスがスパルタ王妃レダに恋をして生まれたのが、双子の兄弟、カストルとポルックスです。二人は卵から生まれたのよ」母がにっこり笑って僕たちの反応を見た。
「何で卵なの?」ミオが訊いた。
「神ゼウスは浮気がバレないように、白鳥に姿を変えてレダに会っていたからよ」と、母は楽しそうに笑顔を見せた。
「へー」僕は神様が浮気するという発想に驚いた。
「兄弟は成長すると戦士となって戦いました。兄のカストルは敵の矢に当たり戦死しましたが、弟のポルックスは兄の死を悲しんでもゼウスの血を引いている不死身の体なので死ねませんでした。ゼウスは弟ポルックスの兄を慕う気持ちを汲んで、二人を天に昇らせ双子座として仲良く永遠に輝く星にしました」
僕たちは母の声を聞きながら、いつしか座席で眠りこけていた。
目覚めると、いつも通り母は居なくなっている。
「さあ、お別れの時間です」と、オルタナが告げた。アリーナを出ると、僕とミオは別れのハグをして各々の居住棟に帰って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます