末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました
水十草
プロローグ
深い森の奥。
重なり合う葉の隙間から日の光が差し込み、ぼんやりと丸く地面を照らしている。
柔らかな苔で覆われたその中央に、クレア・エドワーズは立っていた。
穏やかな風が彼女の頬をくすぐり、赤みがかったブラウンの髪をふわりとなびかせる。
クレアはゆっくりと息を吸い、そのバラ色の唇をわずかに開いた。
「ラララ~」
心安らぐ美しい歌声は、小鳥たちをも魅了するようだ。紺碧の海や黄金色の花、夕暮れの空を思わせる彩り鮮やかな小鳥たちが、続々とクレアの元に集まり、彼女の肩や腕、足下にとまって一緒に歌い始める。
「皆も来てくれたのね」
クレアは微笑み、さらに大きく口を開く。小鳥たちとの合唱がそよ風に乗り、森全体を包み込む頃には、引っ込み思案の彼女も自由に心を解放していた。
いつしか足取りも軽くなり、華麗なステップで舞いながら歌っていると、三兄のセシル・エドワーズが感嘆の声をあげた。
「あぁ、クレア! 今日も素晴らしい歌声だね」
すぐ後ろには長兄のアイザックと二兄のブレットもいて、クレアは真っ赤になってその場に立ちすくむ。
「嫌ですわ、お兄様方。いつからご覧になっていたんですの?」
「ついさっきだよ。そんなに上手に踊れるんだから、次のパーティーでは俺のパートナーになって欲しいな」
アイザックがにっこり笑い、クレアは照れてしまって目をそらす。
「これは、だって、ダンスというほどではありませんもの」
「それにしても、すごい小鳥の数だね。クレアの歌声には、小鳥たちを惹きつける特別な何かがあるのかな? 一度調べてみないといけないね」
ブレットは腕を組んで考え込むが、眉間に皺を寄せたその表情すらも、素晴らしく優雅で整っている。
どうして、こんなにも違うのだろう?
クレアは三人の兄達を前にすると、いつも同じことを思う。極上のバランスを形成する、繊細な眉と長い睫毛で縁取られた瞳、高い鼻梁と麗しい唇……。三つ子で皆同じ顔だから、思わずひれ伏すほどの気品にも三倍の力強さがある。
残念ながらクレアは、兄達の三分の一の華やかさも持ち合わせていない。それは決して彼女の謙遜ではなく、誰もがこの兄妹を前にして感じる事実だった。兄達の輝くプラチナブロンドに比べれば、彼女の赤茶けた髪はとても貧相に見えてしまう。
「あの、こんなところまで、何かご用ですか?」
兄達へのコンプレックスを隠し、クレアが質問を投げかけると、真っ先にセシルが言った。
「ボクと結婚して欲しいんだ!」
唐突な求婚にクレアはビックリして声も出ず、ただ瞬きを繰り返すばかり。そんな彼女を見て、ブレットがセシルを押しのけた。
「おい、セシル。何を抜け駆けしている。クレアを一番幸せにできるのは、この僕だ。オークレントが美しく豊かなのは、全て僕のおかげなんだからな」
ブレットが胸を張るのは、彼が実質侯爵領オークレントの行政を担っているからだった。セシルもそれがわかっているので、言い争いになると大抵黙り込むのだが、なぜか今日は食ってかかる。
「領地の豊かさっていうのは、何も経済的なことだけじゃないよ。文化だって大事でしょ? その点ボクの音楽は、オークレントの魅力を高める一因になってると思うけど?」
抗弁するだけあって、セシルは数々の国家的行事や式典で、その音楽的才能を遺憾なく発揮してきた。その業績を称えられ、国王から勲章をもらったこともあるくらいだ。しかしブレットは「音楽は腹の足しにはならん」と切り捨てる。
「それにお前の馬鹿高いヴァイオリンの費用を、誰が捻出してやったと思っている」
「あのヴァイオリンは、それだけの価値がある品だよ」
「ヴァイオリンは、ヴァイオリンだ。違いなんて微々たるものだろう」
ブレットの言葉を聞き、セシルはこれ見よがしにため息をついた。両手のひらを上に向けて、やれやれという風に首を左右に振る。
「感受性の低さっていうのは、本当に度しがたいね。あの音の素晴らしさがわからないなんて」
「なんだと!」
セシルとブレットが取っ組み合いのケンカになりかけたところで、アイザックが割って入った。
「ふたりとも落ち着け。クレアが怯えているだろう」
アイザックの優しい声に、クレアは安堵する。
長兄ということもあるかもしれないが、アイザックは高潔で良識があり、兄妹の誰より成熟した人格を備えていた。日々乗馬や狩猟に精を出しているからか、三つ子でありながら群を抜く体格で、ブレットもセシルも兄の言うことだけは素直に聞くのだ。
「申し訳ありません、アイザック兄様」
お互いをにらみつつも同時に謝ったことで、アイザックはふたりの肩に手を回す。
「お前達がケンカしても仕方ないだろう? 選ぶのはクレアなんだから」
てっきりアイザックは、セシルやブレットの戯れを注意してくれると思っていたの
に、まるで求婚自体は問題ないかのような口ぶりだ。
「え、あの?」
「クレア、俺もふたりと気持ちは同じだ。お前を妻として迎えたいと思ってる」
アイザックの落ち着いた声音で言われると、とても冗談とは思えなかった。その直向きな瞳と桃色に染まった頬も、彼の言葉に真実味を添えていた。
「私たちは、兄妹ではありませんか……」
ようやっとそれだけ言うと、アイザックは溢れんばかりの笑みを浮かべる。
「本当の兄妹ではなかったんだよ。俺は神に感謝している。この世で誰より愛する人を、生涯の伴侶にできるんだから」
「待って下さい、それは聞き捨てなりませんね。まだアイザック兄様が選ばれたわけではないでしょう?」
「そうだよ。どさくさに紛れて、決定事項みたいに言わないでくれる?」
ブレットとセシルから物言いがつき、アイザックはハハハと明るく笑った。
「これはスマン、気をつけるよ。クレアと結婚できると思うと、今朝から舞い上がってしまっていてね」
父親のゲイリーが、朝早くから息子達を招集したのは知っている。だからクレアはひとり森にやってきたのだ。話し合いの内容はなんだったのだろう、本当の兄妹ではないとはどういう意味なのか、疑問が次々と浮かび、彼女の胸は不安で締め付けられるのだった。
*
屋敷に戻ったクレアは、すぐにゲイリーの居室に向かった。ノックもせずに扉を開け、挨拶もそこそに問い詰める。
「お父様、これは一体どういうことですの?」
「あれらはもうお前に求婚したのかい? 全く気が早いことだ」
楽しそうに笑うゲイリーを見て、クレアはますます困惑する。
「お父様はお兄様方が私に求婚することを、ご存知だったのですか?」
「あぁ。三人にはこれまで再三結婚相手を決めるよう話していたのだが、皆難色を示していてね。あまりに結婚を渋るので、理由を聞いたら皆クレアを愛しているからだと言うじゃないか」
クレアはゲイリーの言葉に、ボンと顔を上気させる。妹として大事にされているという実感はあったものの、兄達に女性として愛されているとは想像もしていなかったのだ。
「それで、お父様はなんと?」
「だったら、クレアを妻にしなさいと言ったよ」
「なっ!」
ゲイリーはクレアに近づき、優しく肩に手を置いた。
「勘違いしない欲しいんだが、お前のことは実の娘のように思っている。この話だって墓まで持って行くつもりだったんだが、息子達の真摯な思いを聞いたら、とても黙ってはいられなくてね」
「では私は本当に」
情緒がおかしくなりそうだった。父や兄の愛を疑うわけではなくても、自身のアイデンティティーが崩壊するようで、その場に立っているのもやっとだ。
「傷つけてすまない」
ゲイリーが真っ青になったクレアを、その両腕で強く抱きしめた。温かい胸の中に包まれても、冷や水を浴びたような身体はまだガタガタと震えている。
「でもお前が悲しむ必要は、何もないんだよ。お前は愛されて生まれてきたのだし、私も亡くなった妻のディアナも、三人の息子達だってお前を愛しているのだからね」
「お父様……」
まだ気持ちの整理はつかないものの、クレアはゲイリーの身体をギュッと抱き返した。
どんな衝撃的な事実が発覚しても、これまで受けてきた愛は決して色褪せるものではない。何度もそう自分に言い聞かせながら。
「それで、私の」
クレアが言いかけて口ごもったので、ゲイリーは思いやりを込めて尋ねた。
「なんだい、クレア」
「……いえ、なんでもありません」
実の両親が誰なのか、つい喉まで出かかっていた質問を、クレアは飲み込んだ。聞いてしまえばゲイリーの娘ではいられなくなるような気がして怖かったからだ。
ともかくもう少し、時間が欲しかった。今は心を落ち着かせたい。そんなクレアにとって、兄達の求婚は現実感がなく、何もかも悪い夢なのではと思えるのだった。
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