第2話

 知らぬ男の声にはっと我に返らされ、顔を上げると僕たちは衛兵のような様相の男らに囲まれていた。いつの間にこんなにと考える間もなく、僕は口からその謎の多い単語を漏らしていた。


「せい、じょ……?」


「失礼。私はこの国シオンの第一王子。この惨状についての説明をさせていただきたい」


 何が何だかわかっていない僕の様子を察してか、それとも形式としてか。いずれにしても第一王子を名乗ったその男は僕に対して1つ1つ、丁寧に説明を始めた。


「あれは世界の膿という」


「まさか、あれが――!?」


「流石に知っているか」


 僕は頷く。この国に生きるのであれば知らない者はいない。世界の膿の存在。その発生源。そしてその解消方法。しかしそれを直に目にしたという経験はなく、僕は驚きに包まれていた。そして。


「だがどうして」


 ルピシアの身にそれが襲ってきたのか。

 それもまた理解出来ずにいた。


 いや、そう言うのは適切ではないな。僕は彼に問いながらも答えを知っていた。世界の膿が襲いかかる存在もまた、この世界の誰もが知っているから。


 だが己の中でそれを認めたくはなくて。


「彼女は、聖女だ」


 否定したくて。


「聖女は、その身で闇を祓う義務があるんだ」


 逃げたくて。


 僕は彼に問うという形で現実から目を背けようとした。しかし現実は残酷なままだ。


「.....せい、じょ」


 僕は腕の中で静かに目を瞑るルピシアの身体を抱きしめた。だんだんと彼女の身体が冷たくなっているのを感じて、僕は顔を横に振った。違う。彼女は生きている。冷たくなんか、なっていない。抱きしめる力を強めても「苦しいよ」とか「珍しいね」とか笑ってくれる彼女はいない。


 これも全て、彼女が聖女という存在に選ばれてしまったからだ。


 春の訪れとはまるでかけ離れた冷たい風が僕らの頬をなぞった。彼女が育てた美しい花たちは見る影もないほどに黒ずんでいて、その花びらが僕の頭に落ちてくる。鴉の羽のような。秋の落ち葉のような。そんな何かが僕の肌に触れた瞬間に塵となる。その光景に、今までの日々が全て奪われてしまったことを感じずにはいられず、僕は唇を強く噛む。


「……ルピシアが聖女なんて、信じられない」


 そこまで聞いた上でなお、僕は信じられなかった。彼女は普通の人間だ。特出した能力があるわけでもない、そして出自に特別なものがあるわけでもない。僕と同じただの人間。だというのに、そんな彼女が聖女に選ばれるだなんて信じられない。


 認めたくなかった。


「それは……」


「殿下、そろそろ本題に――」


 護衛の者らしき人物が王子の動きを止めた。薄々感じてはいたが、彼らがわざわざこのような場所にまでやってきた理由は僕への状況説明とは別にあるらしい。正直、彼らに問いただしたいことは山ほどある。だが、そうも言っていられないほどこの時の僕は混乱していたし、叶うことならば今にも一人になりたいと考えていた。


「彼女の骸をこちらへよこしてくれないか」


「……なぜ」


「聖女は王家に伝わる正式な手順を持って祀らなければならないんだ」


 ルピシアの死を受け入れ切れていない僕にとっては、すぐに首を縦におろすことはできない提案だった。たとえそれが王家に背く行いであったとしても、愛する人を簡単に手放すことなんてできるはずがない。いいや、本当はそうじゃなかった。彼女のことを離したくなかったんだ。この手から離れた瞬間、彼女の死を自覚しなければならないような。そんな気がしていたから。


「……ルピ、シア」


 なあにって返事をしてくれよ。

 君の笑顔が見たいんだ。

 君の声が聞きたいんだ。


 本当は君が求婚に頷いてくれたら、キスをしようかなんて考えていたんだ。君は僕に「行動にしなくてもわかってる」と言ってくれたけど。だけど僕の愛はちゃんとあるんだよって君に伝えたかったんだ。


 それだけじゃない。愛してるも、もっと沢山言いたかった。あまり言い過ぎると言葉の重みがなくなってしまうと思ったから、これからの人生で少しずつ伝えていけたらって考えていたんだ。


 僕は君よりも長く生きる。

 そう決まっている。


 だからこそ君と過ごす時間を何よりも大事にしたいと。そう思っていたのに。


 ああ、後悔が溢れて止まらない。

 素直になれなかった時間を詰め込んで、君のことを抱きしめられたらいいのに。


 そんな叶うことのない願いを抱きながら、腕の中にいる彼女の頬に涙を落した。


「し、らん」


 ルピシアの潤みを失った唇が微かに動いた。


 今、なんて。


「ルピ、生きて……いるのか?」


 返事はない。しかし彼女の後ろにある僕が贈った花畑の小さな芽がそれを肯定してくれているように感じる。僕のはルピシアの花とは違い、安定した地に近いところまでしか芽が出ていなかった。それが幸いしてか、彼らは今だに姿を保ったまま、世界の膿の存在によって暗闇となった空から目を背けることなく、真っ直ぐと立っている。彼らはこんなにも汚くなってしまった空を、ずっと見上げていた。


『貴方なら素敵な花を咲かせられるわ』


 ルピシアがそう言ってくれたような気がして。僕が育てた芽に大切なことを教えられて。僕は顔を上げた。


「……ルピシアは渡せない」


「!?」


 彼女を優しく抱き上げた。


 少しでも彼女が生きている可能性があるのなら。ううん、それがなかったとしても。無駄なことでしかなかったとしても。僕は僕の為に、彼女を救いたい。


 彼女の姿を。

 彼女の声を。

 彼女の笑顔を。

 彼女の全てを。


「彼女は、僕が取り戻す」

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