優等生がアダルトグッズを買いに来た

4kaえんぴつ

第1話

 アダルトビデオが敷き詰められている。


 平台には新作のパッケージ。置かれたタブレットには嬌声を上げる女優のサンプル映像が映し出されており、他にも、男女を問わず幅広い層に向けたアダルトグッズがあちこちの棚に猥雑に詰め込まれていた。雑多な古本コーナーとは棚と暖簾で隔絶されたそこは、全体的に薄暗くアングラ的な雰囲気を醸し出しながらも色調は濃い桃色に染まって、いやらしく毒々しい。


 都内近郊、日当たりの悪い路地裏に居を構えるその店の名は『サガラ書店』。


 ジャンルを問わず適当に買い集めた中古本を置く古本コーナーが店の八割、棚と暖簾で阻まれたアダルトコーナーが残りの二割。昼から夕方にかけては大型商業施設からの遊び帰りの学生が古本を立ち読みして帰り、夜には大人な客層がひっそりと暖簾を捲る。


 時刻は二十一時。学生の夏休みも終わりを迎え、秋が顔を覗かせるこの季節。


 やや肌寒さを覚える初秋の夜を切り裂いて渡り歩いてきた恰幅の良い男性が、暖簾を越え、幾つかの男性用アダルトグッズを見繕って抱えてレジを訪れた。


 レジカウンターの内外は一枚の不透明パネルで遮られており、店員が客の顔を視認できない作りになっている。防犯の観点からは好ましくないが、性的な商品を購入するときに顔を見られたいと思う者もそう多くはないだろうから、仕方がない。


 そんな不透明パネルの向こう側に居るのは、エプロン姿の若い少女の店員だった。


 恐らく常連の多くが、彼女をアルバイトの大学生か何かだと思っていることだろう。初見の客は少々面食らうかもしれない。だが、実際のところはもう少しだけ若い。猥雑とした店内に似合わない未成熟な少女は、ここから数駅ほど離れた高校に通う二年生の現役高校生であった。


 名前を水城みずき綾。やや癖のあるロングボブを無造作に伸ばした中背細身の体躯をしている。


 細身とはいっても華奢ではなく、不要な脂肪を徹底的に削ぎ落とした筋肉質な身体だ。冷たく見えるような無表情がデフォルトなせいで不愛想な印象を持たれやすいが、喜怒哀楽の表現は人並みにはある。幾つか言葉を交わせば『ちょっと印象と違った』とよく言われるものだ。


 そんな綾がどうしてこの店で店員をしているかと尋ねられれば、答えは単純。


 この店が実父の経営する古本屋だからである。つまり、家業の手伝いだ。


「お会計六点で五千二百円です。袋は二種類ございますが、どうされますか?」


 商品のバーコードを読み取り終えた綾がレジ台に貼り付けられたサンプルを示すと、客は無言で黒い袋の方を指す。


 サガラ書店の夜の客は声を掛けられることを嫌う。故に、接客におけるコミュニケーションも必要最小限だ。綾は相槌すら打たずに速やかに黒い袋に商品を詰め込み、袋の持ち手をピンと立たせ、『お待たせしました』の一言もなくそれを客に差し出した。


 「ん」とだけ言って袋を受け取った男性は速やかに暖簾を出ていこうとして、ふと足を止める。不透明のパネルの下からその足の動きを追っていた綾は眉を上げ、組んでいた腕を解く。間もなくレジに顔を寄せた男性客が囁くように言う。


「あの」

「どうされました?」

「あそこ」


 客が声を潜めるから綾も声を潜めて応じると、彼はアダルトコーナーの角の方を指して言う。


「若い女の子がずっとうろうろしてるんだけど、あれだとちょっと買い物しづらいよ」

「あー……」


 綾は指の延長線上を辿って商品棚に見切れたスカートを視認する。


 十数分前に入ってきた客だ。どうやらまだ何も買わず、しかし出て行きもせずアダルトグッズを品定めしているらしい。


 流石に必要最小限の接客とはいえ蔑ろにする訳にもいかず、綾は言葉を選ぶ。


 大前提、未成年でないのであれば客を選ぶ気はない。無論、極度に不潔であったり騒がしかったりといった例外は除くものの、性別で客を選びはしないし、女性用のアダルトグッズも豊富に取り揃えている以上は猶更だ。


 男性の言わんとすることは分かるが、それはそれとしてそんな理由で注意はできまい。


「当店は女性向けの商品も取り揃えておりますので、様々なお客様に御愛顧いただければと存じております。恐れ入りますが、ご理解いただけますと幸いです」


 チェーン店の類であれば本社に苦情の一つでも入りそうな返答だ。


 だが、常連の男性客は渋々「ふぅん、そっか」と納得したように呟くと去って行く。


 その背を見送った綾は「またお越しくださいませ」と一か月ぶりに客への見送りの言葉を発した後、袖捲りしたブラウスから覗く手を腰に置いて、小さな溜息を吐く。


 そしてエプロンのポケットに手を入れ、右往左往する女性客の足下を視線で追う。


 排斥するつもりなど微塵も無いが、それはそれとして、十数分も一人でうろうろしているのは事実だ。幸い、今は他に客も居ない。防犯も兼ねて軽く声を掛けておくか、と、綾はポケットから手を引き抜き、スイングドアを膝で蹴って店内に出た。


 そして、ローター類の近辺でしゃがみ込んでパッケージを吟味している女性に背後から近付くと、寸前で躊躇いに足を止め、視線を泳がせる。もし仮に自分が客の立場だとして、一生懸命にグッズを選んでいるところに同性とはいえ店員から声を掛けられたら、最悪な気分だ。


 だが、家業とはいえ仕事だ。常連からああ言われたのなら、少しは動くとしようか。


「あの、お客様。何かお困りでしたらご相談に乗りますが――」


 綾が相手を刺激しないよう努めて穏やかかつ丁重に打診すると、ビクゥッ、と、まるで電流でも流されたように女性客は肩を震わせ、弾かれたように目を丸くして振り返る。


「あっ、いや、だ、大丈夫です! 自分で探せますので!」


 犯罪の香りはしない。どうやら杞憂だったようだ、と綾はひっそり胸を撫で下ろす。


「あ、そうでしたか。申し訳ございません――お悩みのご様子だったので」

「すっ、みません。ちょっと色々調べながらで、邪魔だったらごめんなさい」


 女性は視線を泳がせながらベラベラと弁明をする。


 こちらが気の毒になるくらい顔を耳まで真っ赤に染め上げていた。


 綾は会話の流れで数秒ほどその顔を眺め、それから思わずその女性――もとい、少女の顔を凝視し始めた。あんまりにも綺麗な宝石を目にしたような、無意識の観察だった。


 年齢は或いは綾と同じくらいではなかろうか。随分と綺麗な顔立ちをしていた。


 瞳は吸い込まれる夜のような色素を宿し、艶の消えない唇はとても柔らかそうだ。薄桃色の照明を艶のあるロングヘアが照り返している。背丈は平均程度、綾と殆ど変わらないだろう。これまた綾と同様に細身だが、こちらは少々華奢で繊細な印象を受けた。


 カーディガンから覗く手やスカートから伸びる脚は白い。インドア派だろうか。


 しばらく経って我に返り、しかし、ここまで美形な女性でもこういうグッズは購入するのだな、と、綾は思わず感心する。声は明瞭で会話は可能。顔立ちは端正。相手には事欠かないような気がするが、それでも自慰行為とは無縁で居られないのだろうか――と。


 ふと、綾は視界の情報と記憶がどこかで擦り合わさって口を噤む。


 猥雑な環境で客と顔を合わせる機会が滅多にない綾は、先ほどまで女性の顔を直視していなかった。しかし幾らか言葉を交わす過程で段々と、少しずつ全体像や細部を把握し始めた。少女も同様、ローターのパッケージを手にしたままこちらの顔をマジマジと見詰め始めた。


 そしてふと、彼女は何かを確かめるように目を見張る。


 そうして無言で顔を見詰め合うこと数秒後、不意に、お互いの双眸が微かに揺れた。


 まず、少女の表情が消え失せた。そして青褪め、真っ赤に染まる。再び青くなる。「へ?」と間抜けな疑問符が口から零れ落ち、ダラダラとその顔を冷や汗が伝い始めた。


 対して、綾は無表情で絶句していた。目の前の情報を脳が処理しきれずに思考停止する。


 取り入れた情報を一つずつ丁寧に噛み砕き――やがて、タイミングを揃えてこう言い合った。


「水城さん?」

「茅野?」


 十数分かけてローターを吟味していた女性客の正体は、綾と同じ高校に通う優等生、茅野有季ゆうきであった。無言の見詰め合いの中、サンプル映像の女優の嬌声が店内に響き続けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

優等生がアダルトグッズを買いに来た 4kaえんぴつ @touka_yoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ