後宮画師はモフモフに愛される ~白い結婚で浮気された私は離縁を決意しました~

上下左右

プロローグ ~『白い結婚の疑い』~


「俺たちが白い結婚だと疑われているらしい」


 世間は心の通わない形式上の夫婦関係を『白い結婚』と呼び、どこか皮肉めいた軽蔑の目で見る。趙炎ちょうえん雪華せっかはその白い結婚だと疑われていた。


「事実ですから否定はできませんね」

「まぁ、そうなんだがな……」


 趙炎ちょうえんはまるで彫刻のように均整が取れた顔立ちをしている。鼻筋から口元に至るまで、どこか洗練された美しさを漂わせていた。


 ただ今の彼の印象は違う。少し困ったように頬を掻き、戸惑いが仕草に現れていた。


「言いたい人には言わせておきましょう」

雪華せっかは強いな……」

「陰口を気にすることこそ、相手の思う壺ですから」


 雪華せっかは悪評を気にも留めておらず、凛とした佇まいを崩さない。まっすぐな背筋に、長く艶やかな黒髪がさらりと背中まで流れている。


 薄い青の袍服ほうふくは上質な布地で仕立てられており、白磁のような滑らかな肌を際立たせていた。


「それに結婚したばかりなのも理由の一つでしょうね。時間が経てば、いずれはそういった声も収まるはずです」

「まぁ、そうなんだろうな……」


 一理あると納得するものの、趙炎ちょうえんの心は晴れない。眉が一瞬険しくなり、その感情を隠すように再び無意識に頬を掻いた。


「白い結婚だと疑われているのは俺が平民出身の婿養子なのも大きいと思うんだ」


 苛立ちと自嘲が混ざった言葉が虚しく響く。


 趙炎ちょうえんと違い、雪華せっか卿士けいしという領主の血筋であり、領地に住む多くの民を束ねる責任を持つ。


 その家系は、代々、皇帝から統治を任されるほどの権威を誇る。一方、それに対する趙炎ちょうえんはただの平民出だ。重くのしかかる劣等感が顔を曇らせたのだ。


 趙炎ちょうえんには身分もなければ財産も人脈もない。容姿は整っているものの、雪華せっかとの間に愛もない。


 何も持たない趙炎ちょうえんではあるが、そんな彼が雪華せっかとの結婚に至ったのには理由があった。


 雪華せっかの両親が流行り病で倒れ、次期領主となるはずだった弟も事故で行方不明となり、跡取りがいなくなったのだ。


 そこで白羽の矢を立てられたのが趙炎ちょうえんだった。衛士えいしとして雪華せっかの護衛を任されていた彼は、彼女と同世代の男たちの中では秀でた体躯の持ち主だった。


 一方、雪華せっかの家系は古くから名門として知られていたが、病弱な生まれが多く、現に両親も流行り病で倒れた。


 次の世代では克服するべく、年齢が同じで、健康で強靭な体を持つ趙炎ちょうえんが跡取りに選ばれたのだ。家の都合で結ばれた二人に愛はなく、白い結婚と揶揄されても仕方のない状況だった。


「でもな、それでも俺は雪華せっかと結婚できて嬉しいんだ。なにせ内心、憧れていたからな」


 衛士えいしとして働いていた頃は手の出せない高嶺の花だった。夢が現実になったと嬉しそうに微笑む。


「愛はこれから紡いでいけば良いのです。私もあなたも若輩者です。時間だけはたっぷりとありますから」

「時間か……俺が生きて帰れればな……」


 悲しげな顔で趙炎ちょうえんは俯く。卿士けいしは民を束ねる立場であり、非常時には指揮官として戦場に駆り出される。


 結婚してから数日で、その不運が趙炎ちょうえんに訪れてしまった。匈奴きょうどの侵攻が始まり、彼はその防衛に加わらなければならなくなったのだ。


 屈強な体躯を持ち、恐れ知らずの戦士であったが、心のどこかで雪華せっかを置いていく不安が渦巻いていた。


「手紙を書きますから」

「だが……」

「毎週、欠かさずに送ります。だから安心してください」


 雪華せっかは微笑み、彼がいない日々を支える覚悟を示す。そんな彼女に対し、趙炎ちょうえんは冗談めいた笑みを返す。


「他に魅力的な男が現れても、浮気はしないでくれよ」

「しませんよ。趙炎ちょうえん様こそ浮気したら許しませんから」

「俺は雪華せっか一筋だからな。天地天明に誓って、しないと言い切れる」

「本当ですか?」

「疑っているのか?」

趙炎ちょうえん様は女誑しだと有名でしたら」


 雪華せっかは少し茶目っ気を込めて笑いながら、昔の彼の評判を引き合いに出す。彼女の口元には笑みが浮かんでいるが、その言葉には少しだけ真剣な響きもあった。過去の彼の奔放さを知る者として油断できないという気持ちがどこかにあったのだ。


「それは独身時代の話だ。結婚したのだから、俺も大人しくなる」

「信じてますからね」

「絶対に裏切らないと約束する。それに任期はたったの一年だ。帰ってきたら、もう誰にも白い結婚だなんて言わせない。誰もが憧れる理想の夫婦になってやる」


 趙炎ちょうえんは力強くそう言い切ると、雪華せっかの手を軽く握る。そこには揺るぎない決意が込められていた。


「お体に気をつけてくださいね」


 心から無事を願い、彼の手を握り返す。


 その後、戦地に赴く趙炎ちょうえんの背中を見送った雪華せっかは、一年後の再会に希望を抱きながら日々を過ごすのだった。

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