第3話 聖女は京都からやってきた。
王子が素面の癖に管を巻いている間に、聖女ハルが戻ってきていた。
およそ怒りのためか、彼女の故郷の言葉が口をついて出ている。
「へ?」
ジェイドは立ってテーブルに手を付いた姿勢のまま、呆然とハルを眺めている。
店の入り口から奥までつかつかとやってきたドレス姿の聖女は、彼を冷たい目で見降ろした後。
「あぁでも、お立ちにならはったんなら、もうええいうことですか。せんせ」
「……ええ。今日はあなたが主役よ」
「おおきに」
「ぐあっ!?」
固まっている王子を遠慮なく突き倒し、椅子に優雅に腰かけた。
ハルは青紫の扇を広げ、僅かに仰ぐように口元を隠す。
「せんせのおかげでいろいろ恵まれて。人様のお役にも立てました。
「な、な!? ハル、どうして君がこんな! やはりツイーディア、貴様が!」
「せんせに何の関係があるんです? ご存知ないようですからお伝えしておきますが。
私は最初からこうです、ジェイドはん」
「は、や!? そんな、はずは。最初の君は、おとなしく、て。こいつとは、違って!」
ツイーディアは、ハルが扇の内側で盛大にため息を吐くのを聞き流し、遠めから見ている給仕に手を少し振った。
気の利いた給仕は、少しの人払いに向かってくれたようだ。
扇の閉まるパチンっ、という音が響き、冷え冷えとした聖女の声がまた流れる。
「私もあの頃は右も左もよぉわからん小娘で。
故郷から突然呼び出して、自分の代わりに戦えと仰る気ぃのちごた方に怯えとっただけですわぁ。
せんせが心砕いてくださらなかったら、今頃どうなっていたことやら」
「ぇ、そん、な。君は、俺に、惚れて……」
完全にやり込めにかかっているハルに怯え、ジェイドは意味の分からないことを口走り始めていた。
ツイーディアからは扇の向こうのハルが淑女ならざる笑みを浮かべているのが見えたが、今日は見ぬふりをした。
「はぁ、えろう惚れっぽい女だと思われてたんですなぁ。
毎度毎度、手土産も持たず突然訪れて、何をするかと思えばせんせの悪口ぃを言うばかり。
私に気ぃの利いた言葉をかけるでもなく、不躾に肩を抱いたり頭を撫でたり……ぉぉ。思い出すと怖気が走りますわぁ。
それでも女が誉めそやしてくれると、そう思てはるとは。なるほど王子はんはほんまにえらいお方なんですなぁ?
せんせという婚約者がいてはるのに、いやはや。堂々とすごいことをしはります。
ああでもこれ、私が悪いんですなぁ。勘違いさせてごめんあそばせ?王子殿下」
「や、だが、俺は君がここで生きられるように、いろいろと!」
もはや回答にもなっていないことを呻くジェイド。
近くにある椅子に掴まってなんとか立とうとするものの、腰が抜けているのか足を何度も滑らせている。
「遊び回ってたの間違いでしょう? 私は王城を追い出されたせんせと一緒に王都の公爵邸住まいですし。
せんせはともかく、王家の方には取り計らいいただいておりません。
そもそも気ぃ遣わはるのなら王子はん、私ではなくてせんせ、あなたの婚約者にでしょう?
女は殿方のそぉいう筋ぃとおさんところ、よぉ見てるんですわぁ」
「はっ、ならば!」
何を思ったかジェイド王子は立ち上がり、背筋を伸ばし、真っ直ぐにツイーディアを指さした。
「グラジオ公爵令嬢ツイーディア・ブルースター! 今この場で! お前との婚約は破棄する!!」
「ぷっ」
ツイーディアが応えずにいると、ハルが風音に隠れるように笑いを吹き出していた。
もちろん聞かなかったフリをし、ツイーディアは肩が震えている淑女の代わりに答えを用意する。
「謹んでお受けいたします、ジェイド様」
「はぁ!? 婚約破棄だぞ! 俺がお前を捨てるって言ってるんだぞ? なぜそんなに落ち着いている!」
ジェイドの言動は、完全に支離滅裂であった。
聖女ハルの豹変ぶりは、かなり効いているらしい。
「破談のお話は、もう当公爵家と陛下、王妃様の間で十分進んでいるからです。
私から解消となると世間の風当たりも強いですが――――あなたから言い出してくれて、助かりました。
「き、きさまぁ!! 貴様が全部、ぜんうべおぼおおおお!?」
テーブルを回ってツイーディアに詰め寄ろうとしたジェイドは、ハルに足を引っかけられて盛大に近くのテーブルに突っ込んだ。
元々腰が抜けていたので、ひどい有様になりながら転がり回っている。
無様な王子を下に眺めるハルの黒い瞳が、すいっと細まる。
「私を勝手に呪い祓いに連れ出してぇ、あまつさえ魔物の大群の中に置き去りにしたときは、もっとしゃっきりなさってたのに。
ずいぶん足腰がお弱りになられましたね、ジェイドはん。ああ、逃げ足はお得意とかそういうことですかぁ。
確かにいつもいつも、せんせにやり込められては華麗に退散してはりました」
「あれは、ちが!?」
王子が言い訳をしにかかり……ツイーディアは、ハルの横顔が笑みを刻んだのを見た。
ツイーディアは、少しの悪寒が背筋を駆け抜けるのを感じた。
そして悟った。
これまでのハルは、言ってしまえばただの様子見。
彼女は今はっきりと、ジェイドに対して――――怒ったのだ。
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