蛾王

秋一番

第1話 逃亡

「ソ、ソノ、マユヲ……ワタ、セ!」


 一方は走りながら、一方は2枚の羽根を羽ばたかせながらこちらに追ってくる、ハエ型のエイリアン。


「渡すもんか、渡すもんか……!」


 俺は敵の追ってくる背後に目もくれず、全速力で前へと走る。

対異星人防衛機構 Alien Containment Division。その本部だったこの場所も、ハエ型のエイリアンによって壊滅させられてしまった。

 俺はただ1人、この大きな繭を抱えて、命からがら逃げのびている……


「ふぅ……ふぅ……ちょっと、休憩……」


 長い廊下を走り抜け、しばらく使われていなかった倉庫に身を隠す。

 倉庫は軍事用の様々な荷物でいっぱい。中には使えそうなものも眠ってある。


「しめた。こんなところに弾薬が眠っていたとは」


 倉庫の段ボールをこじ開け、カラになった拳銃に弾を詰め込む。小さなポケットにも数発の弾を入れておこう。


「モス、聞こえてるか? 大丈夫だ、俺が守ってやるからな」


 相変わらず繭に動きはない。

 初めてモスと出会ったのは大学に入って数週間経ったころ。休日昼過ぎに起きた俺の目の前に、モスは突然現れた。




「……は?何これ? こんなのあったっけ?」


 目の前にいたのは、子犬かと思うほどの大きさをフワフワの……何かだった。ベッドから起き上がりゆっくり近づくと、どうやらその物体はもぞもぞと動いている。


「猫か何かでも迷い込んだか?」


 恐る恐る指でつつくと、その物体はにょろりと形を変えた。


「ああ、おはよう母上。今日もいい天気だね……ん?」


 その時喋ったのは俺ではない。この奇妙なモフモフした物体だ。


「ああそうだ、オレは今日から地球に来たんだっけか。あれ?じゃあ今オレの身体をつついたのは?」


 ぬるっと顔をこちらに向けると、芋虫のような長い形状をしているのがわかる。わかるのだが、その間僕は口をあんぐりと開けてみていることしかできなかった。


「ああーそうか。オレは昨日の夜この家に入り込んで…」

「ちょちょちょなんだよこいつ!なんで喋ってるんだ⁉ていうか誰だよお前⁉」

「おっ、落ち着け落ち着け!オレは敵じゃない!敵じゃないからその殺虫スプレーをこっちに向けるのはやめろ!」


 悶絶するようにウネウネ動き回る毛虫のような物体。俺は左手に持ったゴキブリ駆除用のスプレーをゆっくりと降ろした。


「よーしそれでいい。とにかくここは、理性的に話し合おう」

「お、お前はなんだ?誰かから送られてきた機械か何かか?」

「いやちがう。オレはなんというか…この星で言う蛾だ」

「よし、駆除しよう」

「あーちょっと待て!痛い痛い!それ結構痛い!」




 突然ACD本部の襲撃を受け、繭の中で眠っていたモスは一度、爆発の衝撃で吹き飛ばされてしまった。それ以降、呼吸をするように動いていた繭もピタリと動かなくなってしまった。


「殺虫剤って、虫にとっては痛いやつだったんだな。なんか出会い頭に申し訳ないことしたと思うよ」


 反応を見せない繭に向かって笑いかける。きっとモスはまだ生きていて、この話を聞いてくれているはずだ。


「ミツ、ケタ。コノ、ヘヤ…ダ!」


 ハエというのはにおいに敏感らしい。音もたてず身を隠していたはずだが、すぐに見破られてしまったようだ。


「まったく…お前らのせいで恐ろしい世の中になったもんだよ」




「えっ、地球にいる昆虫ってみんなもともとエイリアンなの⁉」

「そう、遠い昔に俺たちの祖先が、住みやすい環境を探してたくさんの星に種を送ったんだ。その中でも特に著しい適応を見せた星の一つがこの地球だ」


 かつてモスはテーブルの上で腕を組みながら、そう説明してくれた。


「しかし…何のためにお前らが今さら地球へ?」

「俺たちはみな1つの星でその王を目指す。そういう生き物なんだ。そして今、この地球が満を持してしてその舞台になっている」

「つまり…モスもこの星の王を目指して?」

「まあ、そういうことだ。じゃあこれからはレイ、お前が俺のことを守ってくれ」

「は? いやだよ。なんで俺がお前の事守らないと」

「はあ……これだから低能な人類は」


モスは見下したような顔を俺に向けてくる。


「見てわからない?オレこんなかわいらしい毛虫の姿だよ?自分の身も守れない甘ちゃんなのに何ができるんだよ」

「お前それ自分で言ってて恥ずかしくないか?」

「きっとオレたち以外にもたくさんのエイリアンがこの星に来ている。オレたちはそいつらを蹴散らし、この星の王となるんだ!」


 モスはそう言って、胸(のような場所)をドンと叩いていた。




「王に、王になるんじゃなかったのかよ……!」


 もし繭の中でもうすでにモスが死んでしまっているとしたら?

 俺が命を懸けて持ち出した繭が、もう動かないものだったら?


「だとしたら、俺は何のためにここまで……」


 こぼれ落ちそうな涙をぬぐい、じりじりと扉の方に近づく。


「いや、必ず生きてる。そうだよな、モス」

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