第1話 工業高校ラリー部入部
「よし、ブレーキ踏んで……そうそう、ハンドルこじるなよ。ここは砂利が深いから、アクセル抜いて車体を流す感じで……」
14歳の頃、まだ中学生の高槻亜実(たかつき あみ)は、叔父の指示に必死に従いながら、ダートコースを走っていた。周囲には溶けかかった雪と砂利が混ざり、掘れた轍(わだち)が続く。ただし公道ではなく専用コースのため、亜実は免許がなくても“運転”が許可されるのだ。
「わあ、難しい……でも楽しい!」
こうして亜実は、叔父と共にダートトライアルを練習している。中学生のころから「いつか車を操りたい」と思っていた彼女に、叔父はこう言ったのだ。「公道で違法走行なんて無駄で論外。安全なコースでやれ。ダートトライアルなら公道じゃないから年齢制限も緩い」——それが、彼女が本格的に“走る練習”を始めるきっかけとなった。
クルマは叔父が改造した古いFFコンパクトカー。少し車高を上げ、ラリー用のタイヤを履いただけの簡易マシンだが、亜実にとっては正真正銘の“レーシングカー”。座席に収まれば、胸の奥がドキドキして、視界が色鮮やかに見える気がする。
小石が弾け飛ぶ音、砂がボディを叩く感触を全身で感じながら、亜実はいつしか運転テクニックをめきめきと伸ばしていった。
それから時が経ち、亜実は地元の工業高校へ入学した。叔父からの影響で「車を作り、走らせる技術を学びたい」という明確な目的があったため、家庭科や普通科ではなく“自動車関連”コースのある工業高校を迷わず選んだのだ。
高校1年の頃は実習や一般教科に追われている中、部活を本格的に探しているタイミングで彼女が目を留めたのが、「ラリー部」という珍しい部活の存在だった。
廊下の掲示板に貼られたポスターには、「ラリーはドライバーとコ・ドライバーが協力し、未舗装や林道などを駆け抜けるモータースポーツです。新入部員募集中!」とある。血が騒ぐ。
ラリーができるという胸の高揚感を抱きながら、亜実はさっそく放課後にラリー部の部室へ足を運んだ。扉を開けると、工具やパーツが整然と並ぶスペースの奥に、顧問らしき教師がラリーカーのボンネットを覗いている。
「えっと、すみません。ここ、ラリー部ですよね……?」
彼女が声をかけると、教師が振り向いてにこりと微笑んだ。
「そうだよ。入部希望かな? 歓迎するよ。僕は佐伯(さえき)、顧問の元ラリードライバー。君は……ああ、新入生の高槻さんか」
どうやら、ラリー部はそれほど大きくない部活らしく、すぐに顔を覚えられそうだ。部室の片隅には、ロールケージの付いた小型車が一台あり、スポンサーロゴが控えめに貼ってある。「工業高校ラリー部」らしい独特の空気が漂っている。
「ええ、私は高槻亜実といいます。車を走らせるのが好きで……叔父にダートトライアルを教わってました。ラリーにも興味があって……」
と緊張気味に切り出すと、佐伯顧問は目を丸くする。「おお、ダートやってたんだ。珍しいね、女の子でそこまで走り込むなんて」
同時に周囲の部員も注目し、「本格的に練習してたってこと? すごい!」と興味津々。もう何人かの先輩が、「どんな車乗ってたの? FF? FR?」と立て続けに質問攻めしてくる。
(あ、何か楽しいかも……この雰囲気)
亜実は心の中で微笑む。入学以来、どこか周りと温度差を感じていたのは、“走る楽しさ”を共有できる場所がなかったからだ。ここには同じ匂いを感じる。
こうして、亜実はラリー部に正式に入部する。大歓迎ムードだ。「部員が増えてくれるのはありがたいし、何より経験者は貴重だ」と喜んでくれる。
両親にはまだ言っていない。どうせ「危険だからやめろ」と言われるだろう。でも、やっと自分がやりたいことに近づける部活を見つけたのだ。反対なんて気にせず、亜実は心弾ませる。
ある日の放課後、部室で顧問が作業用つなぎ姿の亜実を見て、「板についてるなあ」と感心する。亜実はさらりと「叔父に習ったので、わりと慣れてます」と答え、車の下にもぐり込み、オイル漏れがないかチェックしたりする。
女子がドロドロのオイルやグリースに触れるのを嫌がらず、むしろ楽しそうにしている姿は、同級生のメカニックをも驚かせており、「良いコが入った」と密かに喜んでいるらしい。
そして17歳になった春、いよいよ本格的にラリー参戦を視野に入れて動き始めるラリー部。小さなダートイベントやジムカーナで実績を積み、その先にある“本物のラリー競技”へ挑もうという計画が動き出す。
亜実にとって、これは待ち望んだ瞬間だった。「免許を取っていなくても、ラリーなら公道区間は条件付きでドライバー交替ができるし、海外の例では17歳でWRC参戦してたし……日本でも前例がないわけじゃない」と部内で話題になる。
顧問の佐伯が説明する。「昔、うちのOBにも17歳でラリーを走った選手がいるんだよ。公道区間は特別な同乗許可を得る方式や、他の免許持ちドライバーを交えて対応したケースもあったりしてね。そういう事例がある以上、君たちが本気なら不可能じゃない」
亜実は瞳を輝かせ、「だったら、私もすぐに……」と夢を語る。だが佐伯は「焦るなよ。ラリーは公道も走るから、ちゃんとルールを守らなきゃならない」と釘を刺し、部員全体で協力して動くのが大事だと強調する。
放課後の部室で車両整備を進める中、先輩たちが亜実に「そういえば、お前の両親はラリーに理解あるのか?」と問いかける。亜実は固まる。「えっと……まだ何も話してなくて……きっと反対されると思う。危険だからって」
先輩は苦笑い。「だよね。うちの親も最初は大反対だった。でも見ているうちに、意外と安全管理がしっかりしてると分かってくれたよ。まあ、無理に喧嘩するなよ」
亜実は胸が重くなる。かつてWRCジャパンを見に行ったときも、両親は「危ないから」と露骨に嫌な顔をした。今回もそれが強まるかもしれない……しかし、彼女は心に決めていた。「自分の夢を捨てたくない」と。
部の仲間や顧問は微笑ましく見守るが、彼女の両親がどう出るかは不安材料だ。さらに、ラリー競技には資金や車両手配、メカニックなどの大掛かりな準備も必要で、まだ越えるべき壁が山積み。
しかし亜実は諦めない。 ダートトライアルの叔父譲りの腕前と、溶接から整備まで自分でこなすメカ愛を武器に、夢への第一歩を踏み出したのだ。車好き女子高生の冒険が、いま始まろうとしている。
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