正体不明からの求愛

腰ヘコ、或いは乳首おんせん卵

第一話 上京してきました!

「お、お待たせしました! こちら生ビールとお通しでごぜぃます!」


 緊張で震える手で恐る恐るお客さんの前にビールと枝豆を置き、がちがちに固まった表情筋に鞭打って笑顔を作る。


「し、失礼します!」


 目の前の男性が不思議そうな表情をしていたけど気にしない。

 ……気にしない。

 ……いや、でもちょっと気になる。


 振り返ってさっきのお客さんの方を見る。

 そのお客さんはビールの泡が消えていくのなんて気にせず、こっちを見ていた。

 え、私なんかしちゃったかな……。


「いーじゃん、上出来だよミヅキ!」


 見守っていてくれていたヒナ先輩に抱き着かれてもみくちゃにされる。

 なんとなくながらに頑張ってセットした髪の毛もお構いなしで撫でまわされた。


「ちょ、ヒナ先輩や、やめてくださいよー」

「えー、やめなーい。だってこんなに可愛い後輩が出来たのに可愛がらないのもったいないじゃーん」

「えふっへ……かわいいだなんてそんな、もーやめてくださいよー」

「……お客さんの前でその笑い方はやめた方が良いかもね」

「え? 何でですか?」


 私たちの話声以外あまり聞こえない店内に独特なベルの音が鳴り響く。


「あ、ほら。呼び出しだよ。いってきなー」

「あ、はい! 行ってきます!」


 月曜日の居酒屋は閑散としていた。

そのおかげでバイトを始めたばかりの私でも丁寧に仕事をすることが出来たと思う。



×    ×    ×    ×



「ミヅキー! ちょっと来てー!」

「はーい! 今行きます!」


 席の片付けもそこそこにヒナ先輩に呼ばれてレジに向かう。


「覚えることいっぱいで大変かもしれないけど、一応レジのやり方教えておくね」

「あ、はい、わかりました!」


 従業員番号を登録して、でんぴょうをもらって、ソレヲスキャンシテ……。


 わかんなかった。

 でも、まぁ、メモは取ったから大丈夫だとは思う。きっと。たぶん。


 しばらくメモに向き合っていると頭の上から男の人の声がした。


「あの、お会計お願いしてもいいですか?」

「え、あ、はーい! 少々お待ちくださいね」


 何からするんだっけ。

 えーっと、これをこうして、これがこうだから――。

 え、何このエラー。知らないんだけど。


 あたふたしている間も機械は元気にエラー音を鳴らし続けるし。

キャンセルボタンを押しても『操作手順が違います』の一点張りで機械が言うことを聞いてくれない。


やっべ……どうしよ。


「すいません、少々お待ちいただいてよろしいですか?」


 冷汗だらだらの引き攣り笑顔で男の人に謝ってから、ヒナ先輩を呼びに行く。


「かくかくしかじかで……」

「おけ、任せて」


 ヒナ先輩が何とかしてくれた。

 隣でヒナ先輩がレジを操作してる間の沈黙が気まずい。

 ヒナ先輩の『ミヅキはかわいいかミスってもニコニコしてれば許してくれるって』の言葉を思い出して、待ってるお客さんに対して引き攣り笑顔を披露しておく。


 不意に待っているお客さんが右手を差し出してきた。

 

 ん? 何の手? あ、そうか!

 いやー、いいお客さんだな。


 自信満々にそれでいて全力で感謝の気持ちを込めて、目の前にいた男の人の手を握りしめた。


「え、あの……」

「ちょ、ちょっとミヅキ何してんの」


 お客さんのガチ困惑フェイスを見て、こっちまで困惑してしまう。


「えっと……あの……」


 お客さんの視線を追って自分の手元からヒナ先輩の手元へ。

 そこには所在無げにひらひら踊るレシート。

 答えは簡単、お客さんはレシートを受け取ろうとしていた。でしたー。


 握っていた手をすぐさま自分のひざ元へ。自信満々だった顔を真っ赤に染めて勢いよく頭を下げる。


「す、すいませんでしたー! めっちゃ間違えました! ごめんなさい!」

「い、いえ……全然大丈夫です」

「うちのスタッフが失礼しました。こちらレシートのお返しでございます」

「いえ、全然。ありがとうございます」


 下げた頭の上で繰り広げられるお客さんとヒナ先輩の会話を聞きながら、頭の中でひたすらに猛省する。


「ありがとうございましたー」


 退店のベルとヒナ先輩の声に反応して私もお客さんに挨拶を送る。


「あ、ありがとうございましたー!」


 恥ずかしさで頭を上げられないままでいると、隣から声を押し殺したように喉を鳴らす音が聞こえる。

 不思議に思って顔を上げると同時にヒナ先輩が噴き出して、店内に響き渡るよな大声で笑い始める。


「ちょ、そんな笑うことじゃないじゃないですか!」

「いや、だって……あっはっははは……ちょっとマジで……ンフ、おなか痛い……」


 それかしばらくの間は顔を見られるだけで笑われる生活が続きましたとさ。


×    ×    ×    ×


「ただいまー」


 バイトには慣れてきたが、ただいまを言っても静寂しか返ってこない寂しさにはなかなか慣れない。

 駅近のワンルーム。月の賃料を六万以下に抑えようと思ったらオートロックのついている物件には住めなかった。

 

 オートロック付きの物件にすればよかったなぁ……。


 心の中でそう呟きながら脱いだ服を洗濯機の中に放り込んでいく。

 寂しさはあっても半裸で家の中を歩き回っても何も言われないのは一人暮らしの良いところだと思った。

 畳みもせずにベッドの上に放置した部屋着をもって浴室に向かっていく。


 ――カタンッ。


 郵便受けに何かが投函された音がした。


 いつもなら無視して後回しにするのに。

 こんな夜中になんだろう。

 今回はなぜかどうしても気になってしまう。


 胸部をあらわにしたパンツ一枚のみの格好で投函された封筒を確認する。


 『ミヅキ様へ』とのみ書かれた茶封筒。


 中を検めると丁寧な文字で一文のみ書かれていた。

 『あなたのことは私がお守りいたします。』

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