次と来週

「ふふ、その顔は広瀬くん、わかったんだね」


 チュロスを魔法の杖のように振りながら杜さんが言ってきた。


「……」


 相変わらず目ざといじゃないか。

 内心の動揺を隠しながらも、ぼくは紅茶を飲んでなんでもないかのように言った。


「うん、そうだね。話を戻すけど、そのあやちゃん先生は確か今日からの勤務なんだよね?」


「うん。臨時のね」


「それで今は校内マニュアルを読むのに忙しいんだよね?」


「うん。たくさんあるね」


「それじゃあ、今日配ったアンケートはとしたらどうかな?」


 はて、と見られる。


「狙って?」


「いや、そこまで意図があるわけじゃないけどさ。物理的に集められなかったとしたらどうだろう。それも明日回収するのも難しいくらいに」


 そう言ってぼくは杜さんを見た。

 杜さんは無言でチュロスを食べている。


「……」


 どうやら先を促しているようだ。

 そしてあの目は「御託ごたくはいいから要点を言え」の目だ。


 そんな目で見られても困るので、ぼくはちょっとだけヒントをあげる。


「あー、その先生がアンケートを集めたとしてどこに置くんだろう? ひとクラス分」


「どこにってそれは自分の机。前の日本史の若林先生の……あ」


 言っていて気付いたのか杜さんの表情が明らかに変わった。


 無論、それをぼくは見逃さない。

 そう。今現在その先生が使っている机はなんだ。


 机の上には未だ私物が残っている話だし、読むのに忙しいマニュアルもどっさりある。そして、ひとクラス分のアンケートを回収するとなればそれなりにかさ張るし場所も取る。おそらくは杜さんが行き着いた結論は、ぼくが辿り着いたものと同じもの。


「え、それじゃあアンケートをもらわなかった理由って……」


 杜さんが言う。




?」




 ぼくは頷いた。


 そう。机は前任の若林先生のものを引き継いだ。

 そして机には未だ私物が残っている。それも、どうでもいいお菓子のおまけではなく子どもの写真や絵が。となれば下手に触るわけにもいかないだろう。


 そして若林先生が私物を回収しに来るのは会議が開かれる金曜日。だからそれまでは机も片付かないし、アンケートも回収できない。


 それに昨日の今日で入った臨時職員。そんな人に許されているのか自体知らないけど、学内で集めた情報を持ち出して失くしても面倒だろう。


「じゃあ、あやちゃん先生は知ってて……いや、でも待って広瀬くん」


 杜さんが思い出したかのように言う。


「この紙には『この用紙は次の授業開始時に集めます』って書いてるよ。初めから回収が月曜って知っていたら、わざわざ『次の授業』なんて書かないで素直に『月曜日』って書く。なんでこんなこと……」


「えっと、それは……ほら。プロフィール欄のここに書いてあるね」


 ぼくはプロフィール欄のある一ヶ所を指さした。


「『大学時代の四年間は週一で社会科の塾講師をしていました』って。だから先生にとっての『次』は『来週』だったんだよ」


 ぼくは言った。


 四年間勤めた週一の塾講師。その経験から自然と『来週』を『次』と記したんだろう。次の授業が明日とも知らずに……。


「……」


 今、二十二歳なら大学を卒業したのは今年。

 臨時とはいえ初の教員職。さては浮足立っていたのかな……? だとしたなら少し可愛い気もする。


 ぼくの解答に杜さんは「やっぱりかわいい」とだけ呟いてチュロスを口に運んだ。


 もちろん、その言葉はぼくに対してでないことはわかる。




 だけど……今のぼくには一つだけわからないことがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る