『歌会VOL.1劇場版』

コンビニでチケットを二枚購入。

誰と行くかって?

ひとりで二度観るんじゃよ。ケケケ。


2022年、『中島みゆき ライブ・ヒストリー2』を観て、わたしはひどく後悔した。

新曲? 新曲なのか? こんな曲聞いたことない! パニクるわたしの心に彼女の歌声がびんびん響く。後でネット検索しても新曲はなくて、あれは幻だったのか? と、しばし呆然となる。記憶力も年々衰えるし、ポスターの写真を見ても、活字はぼやけるばかり。


そんなわけで、今年は抜かりなくチケットを二枚買った。もう後悔なんてしない。一度きりで満足したらそれでいいし、もう一度観たければもう一度行こうと思う。

アタシの未来は気まぐれさ~♪ さあママ~街を出ようよ超距離バスは今日も行く~♪


本日2024年12月27日、公開初日、わたしはひとり夕闇の映画館に行く。2022年はヤングマンがいたので劇場はわたしだけの貸し切りにはならなかったが、お互い「…こんな年末の夜にひとりで中島みゆきを観るなんて…粋だね! とっても趣味が合うね!」とわたしが思ったことは確かだが、彼とはまったく話さず顔も合わさなかった。。コアなファンは群れない。孤独を怖れない。そういう美学がある。


1975年、ヤマハのポプコンで中島みゆきはデビューした。そのコンテストでは、今年亡くなった谷川俊太郎が審査員をしており、課題曲として「わたしが歌う理由(わけ)」という自分の詩を提出した。


私が歌うわけは

いっぴきの仔猫

ずぶぬれで死んでゆく

いっぴきの仔猫


私が歌うわけは

いっぽんのけやき

根をたたれ枯れてゆく

いっぽんのけやき


私が歌うわけは

ひとりの子ども

目をみはり立ちすくむ

ひとりの子ども


私が歌うわけは

ひとりのおとこ

目をそむけうずくまる

ひとりのおとこ


私が歌うわけは

一滴の涙

くやしさといらだちの

一滴の涙


谷川俊太郎を敬愛していた中島みゆき(そもそも卒論のテーマが谷川俊太郎だった)は「詩を読んだ一瞬、歌手としてデビューするのはやめようと思った」が、当時ヤマハの社長・川上源一が「ぜひうちに来てほしい。うちにいらっしゃい」と熱いラブコールがあり、無事デビューすることになった。


中島は幼少のころ父を亡くしている。敬愛していた父に川上が似ていたのだろうか。レコードでもCDでもDVDでも、クレジットの最後に「DAD 川上源一」と記されているのはいまでも変わらない。たとえ社長が亡くなっていても、エンドロールは変わらないのだ。


大学時代から、中島は「コンテストの女王」「コンテストの嵐」で有名だった。教育実習で自分の母校に戻り、音楽室でギターを弾いたとき、学生たちが「先生、なんか弾いてよ~」と囃し立て、中島はギターで弾き語った。学生たちはし…ん、と静まり返ったという(このエピソードはいつ聞いても想い出しても素晴らしくて清々する。あのクソガキどもを黙らせるなんて!)。


中島には弟がいて、その弟に何不自由なく食べさせて医大に通わせ、亡き父の代わりに姉として完璧に尽くし、弟は立派な医者になった。父と同じ職業だった。遺産で支払える可能性は低く、中島は弟のために稼ぎに稼いだ。


さて、公開初日のソワレに行ったが、意外や意外、観客は30人くらいいただろうか。わたしは電動車椅子ユーザーなので、バリアフリー席(最前席)に固定されている。バリアフリーはたいてい被りつきの席だ。この劇場はスクリーンが大きいので、首が痛くなりそうだ。

映画館に行くと、必ず「客席ガチャ」がある。わたしが席に着くとすかさず若い男女カポーがすぐ後ろの席に座り、嫌な予感がした。次に若い男性がひとりで来て、わたしのすぐ隣に座った。ホワイ? わたしの隣の席に座る男なぜホワイわたしの隣の席に座るの? なぜそうなる? 他に座席はたくさんあるのに。

上映中、さっそく後ろのカポーがスナックをポリポリし始めた。神経質なわたしはちょっとムカついたが我慢した。隣の席の男は貧乏ゆすりの両腕バージョンだった。えっ? アル中で手が震えているのではないと思う。チック症の一種だろうか、両手でハイハットを打っているような感じである(映画に集中したくても、隣なので必ず視界の隅に映るのが気になる)。本人も集中できないんじゃないかと心配になった。

わたしは隣の席の男にはムカつかず、むしろひじょうに興味深いと感じた。視界に入ってもわたしは微笑ましく感じた。曲のリズムにはどうだろう、全然合ってないじゃん! わたしはなぜか喜んだ。それでもひじょうに興味深かった。彼の両手は突然止まり、スマホで電話をかける仕草をしている(スマホ画面は光って見えた)。へー、そうやれば両手が落ち着くんだ、へー。きちんと対処法があるんだー。ますます興味深い。これでわたしの隣の席に座った理由もわかったような気がする。彼は他の観客の迷惑にならないよう端っこに座ったのだ。でもそれがわたしの隣の席なの?(しつこい)

後ろカポー席はイラつくことばっかだった。

バカ男「そろそろ帰る?」

女「…」無言で拒否したようだ。バカ男はこれ以上言えない。

そうだ、女やれやれ! もっとやれ!

バカ男は曲名のキャプションが出るとすぐスマホで検索してるようだった。オー、マイ・ゴッドネス! 検索してる余裕があったら、せめて曲を聞きやがれ!

そのときわたしはハッとした。わたしはどうやって歌詞を覚えたんだろう。

あのとき、ハゲ散らかしたおじさんはまだ十代で髪がフサフサだった。レコードをステレオセットでかけ、ヘッドフォンを耳に当てながら、ジャケットのなかにある、中島みゆき手書きの歌詞カードを聞きながら読んでいた、いや歌っていた。中島みゆき全歌詞集もあったはずだ(昭和レトロど真んなかの感じである)。当時はスマホなんてなかったから考えようがなかった。スマホでも歌詞カードでも別にいいじゃんか。中島みゆきは普遍である、ユニヴァーサルである。

曲の後、中島がバンマスの小林健吾さんが亡くなったと話したら、

「ああ、あの小林健吾ねー」このギョーカイ知ったかぶり〇〇〇野郎が。超ムカつく。

女のリアクションは薄かった。バカ男は女に完全に惚れてるようだ。「ふふん、オレ中島みゆきのことならなんでも知ってるんだゼ?(わたしのなかの〇〇〇野郎イメージ昭和レトロ風)」アホ抜かせ。てめえが生まれる前からわたしは中島みゆきをすでに知っていたんだよ。マウント男だと知ってひじょうに腹が立った。わたしの脳内シアターでは「うるせえこの〇〇〇野郎! てめえの〇〇〇くわえて黙っとれ!」という品性下劣な言葉が飛び交っていた。わたしってこんなにお下品だったのね知らなかったわ。

女、いますぐフれ! 結婚してもいずれ別れるぞ! 結婚したらバカ男はマスト不倫しやがる! 今年のうちに別れろ! 今年のワカレ、今年のう・ち・に♪

わたしに余裕があったのは、もう一枚チケット(という名のお布施)を買ったからだ。なんていいチョイスだろう。


「この作品では終了後でも楽しめる映像があります。最後までぜひご覧ください」

と映画の冒頭にあったが、『ライブ・ヒストリー2』と同じパターンだったので、他の観客よりも早く会場を出た。これもいいチョイスだった。今日のわたしって、なんて素晴らしいんだろう。ルンルンを買っておうちに帰ろう(いまとなっては誰も知らんだろうが林真理子のベストセラーでわたしは未読)。とはいってもルンルンはすでにわたしのなかにいるから買わずに帰ろっと。

お布施の効果は想像以上だった。これでもしお布施がなかったら、いまごろ発狂して暴れ回り、全観客にご迷惑をかけていたのかもしれない。お布施よ今夜もありがとう。


中島みゆきはすっかりおばあちゃんになっていた(そりゃ70すぎたら誰だって完全におばあちゃんだわな。おじいちゃんもおばあちゃんに見えるかもしれん)。コンサートでは堂々と眼鏡かけてるし、手指はなんとなくリュウマチっぽく見えた。指の第一関節全部がちょっと曲がっていて、ああ、みゆきばーちゃんは子どものころからギターやってたからね、もう50年以上になるかな。指も曲がるだろうな。でも歌声は相変わらず声量がたっぷりあって逞しく聞こえた。まだまだ引退しないだろうな。淡谷のり子にも負けないぞ。来年も劇場で逢えるかなぁ。


最後に。アニメーション映画にはまったく興味はないが、テーマソングになった『心音』の歌詞を書く。


未来へ 未来へ 未来へ

君だけで行け


またしてもひとりである。わたしはみゆきばーちゃんに取り残される気がした。「君といつまでも一緒にいよう/いつまでも一緒だよ」という甘ったるい常套句はあくまで理想や夢であり、現実にはならないことを、わたしたちはすでに知っている。いま一緒にいる両親も友人も恋人も子どもたちもみゆきばーちゃんも、永遠に一緒にはいられないことを、わたしたちはすでに知っているのだ。

にもかかわらず、「いまはともにいることができるが、未来へは君だけが行く(わたしは死んでいるだろう)」と再確認をするなんて、みゆきばーちゃんはなんて意地悪なんだろう。でも確かにキュートなばーちゃんだ。わたしはみゆきばーちゃんを全肯定する。なんでも許しちゃう♪


でもわたしは、ちょっと寂しかった。生まれたときから中島みゆきは地上にいた。だが、これからはもういないかもしれない。中島みゆきのいない世界なんて、意味がない。それでもわたしは、彼女が遺したたくさんの言葉やメロディたちを、繰り返し聞いて繰り返し歌うしかない。

中島みゆきは虚像だった。初めから気づいていたのに、わたしには親しみやすく、わたしだけの友だち(ともに大吟醸を飲んでいる)、尊敬する恩師(とにかく大吟醸を飲み交わす)、縁側にいるおばあちゃん(今度は美味しい緑茶を啜っておりたまに大吟醸を飲む)だと思っていたのに、彼女は遠く、いまよりもはるか遠くに行ってしまうのだろうか。


もしかしたらこれは、彼女が亡くなる予行演習なのかもしれない。

泣かない練習かもしれない。

でもわたしは、たぶん、泣くと思う。

(死ぬのは実際、30年後かもしれない)


中島みゆきは不死なんかじゃない。いつか死ぬときがやってくる。

またわたしも不死なんかじゃない。40のとき脳梗塞で死にかけたが、生き返って本当によかった。彼女の姿を、彼女の活動の続きを目撃できたから。

わたしはそれだけで充分幸せだ。


かつて中島は某コンサートで“お土産言葉”を言った。

「同じ時代に、生まれてくれて、ありがとう」


今度は年明けのマチネに来よう。ひとりで独占できたらハッピーだ。映画じゃないからパンフレットもない。説明は不要である。


次回は『歌会VOL.1劇場版』マチネバージョンか『夜会 VOL.10 海嘯(かいしょう)』の予定(予定は未定)。

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