【カクヨムコンテスト10短編】雪道の少年

おひとりキャラバン隊

雪道の少年

「ちっ……、とうとう本格的に降りだしやがったな」


 俺は舌打ちをしながら、フロントガラス越しに見える、どんよりと黒い雲から大粒の雪が降る景色を見ていた。


 俺は坂上さかがみ幸也ゆきや、今年で50歳になる、小さな物流会社の配達員だ。


 今日は2025年1月5日の日曜日。 街では、あちこちで「新春初売りバーゲン」なるものが行われており、俺が務める物流会社が契約してもらっているデパートもご多分に漏れず「新春初売りバーゲン」を大々的に行っていた。


 そこでは来客が沢山の買い物が出来る様、買った荷物を自宅まで配送するサービスがある。 そして、その荷物を実際に配達しているのが俺が務める物流会社という訳だ。


 社員は10名で、配達車両は8台。


 従業員は20代の若手が多い。元気はあるが仕事の熟練度はまだまだ足りず、今日の様な雪が降る道を走らせるのは心配だ。


 俺は社内のドライバーとしては2番目に年長で、この業界も長い。


 なので、道路が整った住宅地は若手のドライバーに任せて、俺は道が険しい郊外への配達を担う事にしたのだった。


 天気予報では午後から雪が降りだすと言っていた。


 朝から配達を始め、最短時間で荷物を配達できるルートを組み、順番に荷物を配達してゆく。

 午前の荷物は全て配達を完了し、昼過ぎに会社に戻って追加の荷物を積み込むまでは本当に順調だった。


 しかし、天気予報の通り、午後からは空がどんよりと曇りだし、小さな雪が舞う様になってきた。


 気温も氷点下に突入し、これから夜にかけて大雪になる見込みだという。


 俺は急いで午後のルートの配達をこなして順調に荷物を捌いていたが、15時を過ぎた頃、残り3か所分の荷物を積んだ状態で、この先で起きたらしい交通事故渋滞に巻き込まれてしまった。


 そうして30分程身動き出来ずにいるうちに、小粒だった雪も大粒になってゆき、とうとう本降りになってしまったのだ。


「ちっ……、とうとう本格的に降りだしやがったな」


 俺は舌打ちしながらそうボヤいたが、ボヤいたところで雪は止まないし渋滞も解消しない。


(残り3件のうち2件はこの近くだけど、最後の1件だけはちょっと離れた山間部の住所なんだよな……)


 特に最後の住所は時間が遅くなるのは良くない。


 ただでさえ暗くなるのが早い山間部なのに、雪が積もればさらに道は走りにくくなるだろう。


 俺の運転するワンボックス車は一応4WDだし、スタッドレスタイヤを履かせてはいるが、配達の後半になって荷台が軽くなると、後輪のグリップ力が不足してスリップしやすくなってしまう。


(仕方が無い、をやるか!)


 俺はじわじわと動く車列から少し脇に逸れて、斜め前にあったラーメン屋の駐車場へ車両を止めた。


 俺は時々このラーメン屋で食事をする事がある。


 気のいい店主がいる店だ。


 配達時に俺が着ている作業服の色が、薄い紫色という目立つ色なのもあって、店主が俺の顔を覚えてくれているのも知っていた。


 ラーメン屋はランチタイムとディナータイムの間の時間帯で、ちょうど休憩をしていた様だが、俺は「準備中」の札が掛かった扉を開けて、店のスタッフに声をかけた。


「スミマセン、大変申し訳ないんですが、ちょっと荷物の配達をする間、ここに車を止めさせてもらえませんかね」


 俺の声に、テレビを見ていた店主が振り返り、笑顔で立ち上がりながら、

「よう、この雪の中で大変だねぇ! 今日はもうすぐ店仕舞いしようと思ってたし、駐車場なら自由に使ってくれていいよ!」

 と言ってくれた。


「ありがとうございます! この先で事故があったみたいで、全然先に進めなくて困ってしまって…」


「いいよいいよ! 気にしないで行ってきな!」


「ほんとに、ありがとうございます!」

 俺は深々と頭を下げて、「また今度、必ず食べに来ますから!」

 と付け加えて店を出た。


 いつの間にか駐車場にはうっすらと雪が積もりだしている。


(ヤバイな。早くしないと、最後の配達が出来なくなりそうだ)


 俺は急いで車の荷台の扉を開け、防水用にビニール袋で包んだ小包くらいの大きさの箱を二つ抱え、裏通りの方へと徒歩で配達に向かった。


 配達先までは、平時なら車で数分の場所だったが、徒歩で向かうと15分近くかかった。


 防寒着を着込んでいるとはいえ、頭や肩に雪が積もりだして、身体が冷えて来るのが分かる。


「ありがとうございました!」


 1件目の配達を終えて、次の配達先へと向かう。


 2件目の配達先は、ラーメン屋の駐車場とは逆方向に数分歩けば到着する筈だ。


 住宅が立ち並ぶその通りは、車通りもほとんどないせいで、数センチほど雪が積もっていた。


 小さな子供が玄関先で、母親と一緒に雪で遊んでいる姿も見える。


 俺はその親子の脇をすり抜け、数軒先の一戸建て住宅の前で、伝票の住所と建物の壁に貼られた住居表示を見比べて確認する。


 住所の間違いがない事を確認し、玄関の呼び鈴を鳴らすと、しばらくして老齢の婦人が、茶色いカーディガンを羽織って玄関先まで出てきてくれた。


「まぁまぁ、いつの間にか、こんなに雪が降ってたのねぇ」


「ええ、足を滑らせない様に気をつけて下さいね。こちらがお荷物です」


「あなたも大変ねぇ、頭に雪が積もってるわよ」


「ああ…、大丈夫ですよ。近くに車を停めてますから、戻れば車内は温かいですからね」


「じゃあ、はい、ここにハンコ押せばいいのね」


「はい、ありがとうございました!」


 俺は寒さで体が凍えそうなのを悟られない様に、ピョコンと元気にお辞儀をして、すぐにその場を去り、小走りでラーメン屋の駐車場の方へと向かった。


 雪はどんどん大降りになってきている。


 吐く息は白く、気温もずいぶんと下がっている様だ。


 あとは残り1件配達すればいい。


 他の配達員じゃあ雪が降る山道は危険だし、俺しかそこには配達に行けないだろう。


 なら、車が走れなくなる前に、配達を終わらせた方がいい。


 そう考えながら、手ぶらになって動きやすくなったせいか、俺は小走りを続けて10分程で駐車場に戻る事が出来た。


(車に雪が積もりだしてやがる)


 駐車場に着いた俺は、すぐに車に乗ってエンジンを掛けた。


ガラスに積もった雪をワイパーを動かして跳ねのけ、何度かアクセルを軽く吹かして、エンジンが温まっている事を確認する。


 ラーメン屋の店主に一声かけようかとも思ったが、店の電気が消えているのを見て、店の方に一礼だけして車を出発させる事にしたのだった。


 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


『今夜は山間部の道路が通行止めになる可能性もある為、山間部にお住まいの方は、生活用品や食材など、早目のお買い物をお勧めします』


 車でラジオニュースを聞きながら走っていた俺は、ニュースキャスターがそんな事を言っているのを聞きながら、小一時間経ってようやく渋滞を抜けた車を走らせていた。


 途中、事故の跡を通り過ぎたが、交差点での大型トラックと乗用車の事故だったらしく、乗用車の方は大破しており、乗っていた人が無事では済まなかったであろう事は簡単に見て取れた。


(まったく、こんな事故を起こすなんて……)


 次の信号を左折すると、山道に入って行く事になる。


 時刻は17時を回っていた。


 空は既に薄暗くなってきており、街灯が少ない山道は更に真っ暗だろう。


 俺は慎重に交差点を左折し、ゆるやかな坂道を登って行った。


 山道とはいえ、ずっと先まで進めば大きな国道に繋がる道という事もあって、車通りはそこそこある様だった。


 雪が積もった道路に、数分前に通った車が付けたであろうタイヤの跡が残っていた。


(これくらいなら大丈夫そうだな……)


 さらに雪が積もってしまうと走行は難しいが、これくらいなら何度も走った経験がある。


 配達先まではこの道を10分ほど走り、途中の脇道を右に曲がった先にあるので、何とか配達を終えて帰って来る事ができそうに思えた。


 俺はラジオを切り、タイヤが雪道をきちんとグリップしているかを音で確かめながら、ヘッドライトに照らされる雪道を慎重に運転していた。


 右側は崖が切り立っており、左側は谷になっている。


 ガードレールはあるが、路面の白線が雪に埋もれて見えなくなっているので、路肩に近寄る時には細心の注意が必要だった。


 カーブを曲がる度に「ギュギュギュッ」とスタッドレスタイヤが雪道をグリップする音が聞こえる。


 アクセルワークも慎重にしなければならない。荷台がほぼ空っぽで軽くなった車体は、アクセルを強く踏めば簡単にスリップしてしまうだろう。


 手に汗握る運転ではあるが、俺はこういう運転が嫌いではない。


 何故なら、配達疲れで重く感じる身体でも、意識が研ぎ澄まされるおかげで眠気も覚め、運転に集中できるからだ。


 そうして山道を10分程走ると、脇道と分岐する交差点が見えてきた。


 信号機がある訳ではなく、県道から町道へと分岐しているだけの交差点だ。


 町道は道幅も細く、車通りもあまりない。


 ここからは更に慎重に運転しなくてはならない。


 俺は対向車がいない事を確認し、町道に入る為に、ゆっくりと右折した。


「うおっと!」

 俺は驚いて声を上げ、急ブレーキをかけた。


 右折した途端、ヘッドライトの先に子供の姿がある様に見えたからだ。


 しかし、よくよく見るとそれは、子供の姿に似せて作られた「子供飛び出し注意」の看板で、雪をかぶって崖にもたれ掛かる様に立っていただけだった。


「びっくりさせやがって……」


 俺は一度深呼吸をして、再びゆっくりと町道を走り始めた。


 細い町道ではあるが、所々に住宅が建っていて、突き当りまで行くと小学校と中学校がある。


 なのでこの辺りの道は子供が飛び出す危険も多く、こうした看板があちこちに建てられていた。


 目的の配達先まではあと1kmも無い筈だ。


 俺は慎重に運転をしながら、まばらに建つ、明かりが灯った家を通り過ぎながら走っていた。


 が、ふと俺は眉をひそめてヘッドライトに照らされたに視線を奪われた。


 そこには明らかに看板ではない、本物の子供の姿がある様に見えたからだ。


 黄色い帽子をかぶり、ジャンパーの様な上着は来ているが、半ズボンを履いていて、素足らしき2本の足がヘッドライトの光に照らされている。


「こんな真っ暗な道を、子供一人で歩いているのか?」


 俺はゆっくりと車を子供の方へと近づけると、子供はこちらを見る事も無く、俯きながら坂道を歩いて登っている様に見えた。


(この辺りの子供だろうか……)


 俺は子供を追い越した所で一旦車を停め、サイドブレーキをかけてエンジンをかけたまま車を降りた。


「おーい、坊や! こんなところで一人で歩いてると危ないぞ」


 俺は小学生くらいに見えるその少年の元に歩み寄りながら、そう声をかけた。


 少年は俺の声に顔を上げ、車のテールランプの明かりで少し赤っぽく照らされた目で俺を見返していた。


「雪が積もって大変だろう。おじさんが家まで送ってあげるから、車に乗りな」


 本当は、配達途中に他人を同乗させる事は会社で禁じられているのだが、子供が雪道で一人でいるのを見過ごすわけにもいかない。


 俺は少年の元に歩み寄り、リュックを背負って立ち止まったままの少年の剥き出しの太腿に触れた。


「ほら、こんなに冷たくなって! このままじゃ風邪ひいちゃうぞ。早く乗った乗った!」


 俺は何もしゃべらない少年の手を引いて、車の助手席の扉を開けると、


「よっこらせっと!」

 と声を上げて少年を持ち上げる様にして助手席に座らせた。

 少年の身体は思ったよりも軽く、難なく座らせる事が出来た事にホッとした。


 俺はそのまま運転席の方に回り込んで車に乗り込み、座席の後ろにある自分のカバンからタオルを取り出して、少年の頭や肩に積もった雪を払ってやった。


「ほら、これで少しはマシになったろう。坊や、家はどこなんだい?」


 俺がそう訊くと、少年はゆっくりとこちらを向いて、小さな声で

「……わかりません」

 と答えた。


(分からないってどういう事だ?)


「坊やは、この辺に住んでるんじゃないのか?」


「……たぶん、違います」


「たぶんって……、じゃあ、親戚の家がこの近くって事かい?」


「……多分、そうだと思います」


(なるほど、冬休みで親戚の家に来て、それで道に迷ったのかも知れないな)


「スマホか何か持ってないのかい? お父さんかお母さんに連絡をした方がいいんじゃないか?」


「……スマホ持ってません」


「そうか……、なら、とにかくその親戚の家まで送ろう。その親戚の家の名前は分かるかい?」


「……はい。タチカワっていう苗字です」


(タチカワ……、確か配達先の名前が『館川』って苗字だったな。もしかしてこれ、タチカワって読むのかも知れないな)


「よし、オジサンもその家に荷物の配達があるから、一緒に行こうな」


「……ありがとうございます」


 俺は少年にシートベルトを掛けてやり、車をゆっくりと発進させた。


 目的地まではほんの数分で到着した。


 俺はその家の前で車を停め、荷台から最後の荷物を取り出すと、少年を助手席から降ろして、一緒に玄関の方へと向かった。


 その家は農家らしく、庭にトラクターが1台置かれていたが、駐車場には車は無く、少年の両親はどこかに出かけている様だった。


(いや、もしかしたらこの子を探しているのかも知れないな)


 俺は玄関で呼び鈴を鳴らし、家の者が出て来るのを待った。


 しばらくすると玄関の鍵が開く音がして、


「はい、どなた?」

 と歳の頃60歳くらいの婦人が顔を見せた。


「あ、お荷物の配達なんですが」

 と言って手に持った荷物を見せると、婦人は玄関扉を開けて荷物を受け取った。


 俺のすぐ脇に少年が立ち、婦人の顔を見上げている。


「あの……」

 と俺は少年の背中を押す様にして声をかけようとしたが、婦人は俺の方をチラリと見ただけで、少年には見向きもせずに、

「何か?」

 と短く口にした。


(タチカワって、ここじゃなかったのか……)


「あの、この辺りでタチカワさんってお宅を探しているんですが、ご存じないでしょうか?」


 婦人はその名前に少し表情を曇らせ、


「ああ……、この坂をもう少し先に行けば立川さんの家だけど……、ちょっと今、大変な事になってて、今は留守だと思うけどね」


「大変な事って……?」


「昨日から娘夫婦が孫を連れて来てたみたいなんだけどね、今日の昼頃に街で事故に遭ったみたいで、ひどい大怪我をしたんだって」


「何とまぁ…、それは大変ですね」


「娘夫婦と孫が救急車で病院に運ばれたってんで、慌ててウチに『車を貸してくれ!』ってやってきてね、旦那の車を貸したんだけど、まだ戻ってきてないあたり、入院手続きとか、今色々大変な時なんじゃないかしら」


「そうですか…、困ったな」


「どうしてアンタが困るのよ」


「いや、この子がどうやら立川さんのお孫さんだと思うんですが、さっきそこの道で一人で歩いている所に出くわしましてね」


「この子って……どの子の事言ってるの?」

 と婦人は俺の周りをキョロキョロと見回している。


「いや、ほら、この子ですよ」

 と俺は、俺の足元で座り込んでいる少年に視線を向けてそう言ったが、婦人はまるで少年の事が見えていないかの様に首を傾げ、


「アナタ、何を言ってるの?」

 と眉をひそめてそう言った。


(まさか、この子の事が見えてない?)


 俺の目にははっきりと見えるその少年を見ながら、俺はその場でしゃがんで少年の顔を見た。


「坊や、この人が言ってる事、わかるか?」


 俺がそう訊くと、少年はコクリと頷いた。


「坊やのお父さんとお母さんは救急車で病院に運ばれたのかい?」


「……うん」


「じゃあ、坊やはどうやって病院からここまで来たんだい?」


「僕は病院にいけなくて……、事故があったところから、歩いてきました」


(どういう事だ?)


「ねえ、アナタ……」

 と婦人が目を見開いて俺を見ていた。「いったい、誰としゃべってるの?」


「は? 誰って、この子が事故現場から歩いて来たって、今言ってましたよね?」


 俺は訳が分からずにそう言って婦人を見返すと、婦人は震える両手を合わせて「ナマンダブナマンダブ……」と早口で念仏を唱えだした。


(待てよ?)


 今日の昼、街で起きた事故ってのは、おそらく俺が渋滞に巻き込まれた時に見た、あの事故の事だろう。


 あそこからここまで、軽く7km以上ある。


 この雪の中で、この少年は「歩いて来た」と言った。


 俺は事故渋滞で1時間以上あの辺りで留まっていたとはいえ、その後車でここまで来るのに15分以上かかったってのに、小学生の足で俺より早くここに辿り着くなんて事があるか?


 小学生が雪道を歩いて来たとしたら時速2km程度で歩くのが関の山だろう。

 だとしたら、ここまで4時間はかかる計算になる。


 だけど、あの事故からまだ4時間も経っていない。


 しかも、この婦人はこの子の事が、まるでかの様ではないか?


 って事はもしかして、この少年は……


「すみません、その立川さんが運ばれた病院って、どこの病院か分かりますか?」

 俺は立ち上がって婦人にそう訊くと、婦人は念仏を唱えるのをやめ、目を開いて、

「立川さんはK病院に行くって言ってたわよ」

 と教えてくれた。


「ありがとうございます」


 俺はそう言って少年の手を引き、車に戻って少年を助手席に座らせると、スマートフォンを取り出してK病院に電話をしてみる事にした。


 運転席で電話をかけながらさっきの婦人の方を見ると、また両手を合わせてこちらに向かって祈っている様に見える。


(もしかしたら……)


 俺は心のどこかで覚悟していた。


 電話の先で、

「はい、K病院です」

 という声が聞こえ、

「あの、今日K市の県道で交通事故があって、救急車で運ばれた立川さんというご夫婦がいると思うんですが、そちらが今どういう状況か教えて頂けませんでしょうか?」

 と訊いてみた。


「ご親族の方ですか?」


「いえ、お子さんをこちらで保護しておりまして、ご両親が病院に運ばれたと聞いたものですから」


「お子さんって……、こちらに運ばれたのはご夫婦と男の子の3名で、ご夫婦は重傷を負われて現在入院手続き中ですが、お子様は運び込まれた時には既に心肺停止の状態でして、先ほど死亡が確認されました。保護されているのは、男の子の御兄弟ですか?」


「ええと、ちょっと待って下さいね」


 俺はスマートフォンのマイク部分を手でふさぎ、

「坊や、お兄ちゃんか弟が救急車で運ばれたのかい?」

 と訊いてみた。


 少年は首を横に振り、肩を落としてうなだれると、

「……たぶん、それが僕なんだと思います」

 と答えた。


(……やっぱりそうだったのか)


 俺はポンと少年の肩をたたくと、スマートフォンを耳に当て、


「いえ、兄弟ではありません。ただの親戚ですよ」

 とだけ答え、「そちらも大変そうなので、こちらはこちらで何とかします。ありがとうございました」

 と言って電話を切った。


「坊や……」


 俺はどう声をかけたものかと声をつまらせた。


「僕……、やっぱり死んじゃったんですね」


 少年がぽつりとそう呟いた。


「……そうみたいだな。どうする? 病院に行って見るか?」


「……どうしていいのか、分かりません」


「そうか。じゃあ、とりあえず病院に行こう。で、お父さんとお母さんの無事を一緒に確認しような。それから……」

 俺は無垢な瞳で俺を見返す少年の顔を見て、目頭が熱くなるのを感じた。「それから……、ちゃんと成仏できる様に、頑張ろうな」


 涙が零れそうになるのを堪え、鼻水を大きくすすってから、俺は車を発進させた。


(こんな子供が命を落とさなければならないなんて……)


 交通事故なんていつ起きてもおかしくない。


 こんな雪の日は尚更なおさらだ。


 しかし、車が高性能化してハイテク化され、運転が簡単になるにつれて、ドライバーの意識の低下からか、こうした悪天候での事故が増えている。


 車は便利な乗り物にもなるが、恐ろしい凶器にもなる。


 こんな小さな子供があんな事故に巻き込まれたら、ひとたまりも無いだろう。


(俺の娘も、生きていれば二十歳くらいだった筈なんだよな……)


 俺は昔、嫁と娘を事故で失った。


 俺の自信過剰な運転が事故を起こす原因だった。


 相手側の過失が大きかった為に、第三者から見れば俺は被害者だったが、俺がちゃんと注意してれば回避できた事故だった。


 あの事故で俺は嫁と娘を失ったが、あの後、嫁にも娘にもこの少年の様に出会えるなんて事は無かった。


 俺自身の贖罪しょくざいになるかどうかは分からないが、この少年はきちんと両親の元まで送り届けよう。


 大人の不注意による、理不尽で残酷な突然の別れを、こんな小さな子供にさせちゃいけない。


「ほら、この山道を降りて、あの信号を越えたら病院まではすぐだからな」


 俺はそう言いながら助手席の方を見たが、もうそこに、少年の姿は無かった。


 助手席のガラスが白く曇っている。


 そこに、少年が指で書いたのだろう、「ありがとう」という文字だけが浮き上がって見えたのだった……

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