【アップ】2024年12月15日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年12月15日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=sh1RT1zgTUI


【ブログ記事】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12879646374.html

こちらから聖書と讃美歌を閲覧できます。



前奏

招詞

ヨハネの手紙一4章9,10節

詩 編 歌118編5節

喜び歌う声天幕に満ちぬ

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

スコットランド教会新カテキズム

「全能とは」

こどもさんびか

まきびとひつじを[改72(3節)]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 95番

聖書

イザヤ書9章1~6節

ルカによる福音書1章67~80節

説教

「平和の君

~我らの歩みを導くまことの王」

宮武輝彦

祈祷

讃 美 歌 258番

みことばの交読文

詩編132章13~18節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 544番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


讃美歌95番(歌詞付)54年版「わが心は」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=EqgBlw6lWGc


わが心は

あまつ神を とうとみ、

わがたましい すくいぬしを

ほめまつりて よろこぶ。

数に足らぬ

はしためをも 見すてず、

よろず代(よ)まで さきわいつつ、

めぐみたもう うれしさ。

御名(みな)は清く

大御業(おおみわざ)は かしこし、

代々(よよ)にたえぬ みいつくしみ、

あおぐものぞ うくべき。

低きものを

高めたもう みめぐみ、

おごるものを とりひしぎて

散らしたもう みちから。

アブラハムの

すえをとわに かえりみ

イスラエルを 忘れまさで

救いたもう とうとさ。


【讃美歌258番】

https://m.youtube.com/watch?v=GhXTc39Th2I&pp=ygUP6K6D576O5q2MMjU455Wq

(ブログを見てくださると歌詞も閲覧できます)



2024年12月15日 礼拝説教 聖書箇所


ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。

イザヤ書9章5節


この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

ルカによる福音書1章78,79節

 

はじめに

諸々の歌に彩られる今日、わたしたちの心に「主」を迎え、真の賛美を献げたい。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」と、これから起こることが、すでに起こったことのように預言される。主の契約の民(イスラエル)が、二王国に分裂していた時代。アッシリアの大軍が、「(南)ユダにみなぎり、首に達し、溢れ、押し流す」(8章8節、以下同章)。この時、主なる神は、「その広げた翼は インマヌエルよ、あなたの国土を覆い尽くす」(9節)と、主の民を「インマヌエル(神我らと共にいます)」と呼ばれる。そして「戦略を練るがよい、だが、挫折する。決定するがよい、だが、実現することはない。神が我らと共におられる(インマヌエル)のだから」(10節)と伝える。「主は御手をもってわたしをとらえ、この民の行く道を行かないように戒めて言われた」こと、それは、「この民が同盟と呼ぶものを何一つ同盟と呼んではならない」「彼らが恐れるものを、恐れてはならない。その前におののいてはならない。万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。」(13節)「主こそ、あなたがたの恐れ。主こそ、あなたがたのおののき」(新改訳2017 13節)。著しい圧迫と不安の中、「主」が、人々の「つまずきの石」となった時、「この地で彼らは苦しみ、飢えてさまよう」。「顔を天に向けて王と神を呪う」。「地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放」(22節)。「今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない」(23節)時、外敵に征服された「異邦人のガリラヤ」と呼ばれる地にもたらされる、希望の預言が、公言される。実に、「インマヌエル」である「主」イエス御自身が、ガリラヤにおける、悔い改めと神の国の宣教において、確かに果たされる(マタイ4章13~17節)。

「あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり人々は御前に喜び祝った」と、さらに、希望の預言が続く。ここにある喜びは、「刈り入れの時を祝うように」「戦利品を分け合って楽しむように」「彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を」「あなたはミディアンの日のように」(士師7章:300人の精兵による135000人のミディアン軍への「主の勝利」)「折ってくださった」と言われるように、大きな収穫とあり得ない戦勝において形容される。

じつに「地を踏みならした兵士の靴」「血にまみれた軍服はことごとく」「火に投げ込まれ、焼き尽くされた」。「その日が来れば」(ミカ5章9節)、軍隊の装備は不要となる。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」との預言のとおり、主なる神は、「インマヌエル」の名を、御子の降誕において実現された。地上の戦勝、捕囚の地からの帰還にまさって、一人の「恵みの契約の仲保者」「大祭司」でいますお方が、ここに与えられる。

「ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者(弱き者をいたわる王(ミカ4章7節))、力ある神(雄々しく戦われる(詩編24編8節))、永遠の父(慈愛に満ちた贖い主(イザヤ63章16節))、平和の君(正義と公平と贖いのもたらす永遠の繁栄と祝福(イザヤ11章)』と唱えられる」。「ダビデの王座とその王国に権威は増し」(サムエル下7章)「平和は絶えることがない。王国は正義(裁き)と恵みの業(正義)によって今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」。「インマヌエル」の名は、主イエスをまことの預言者、王、大祭司として知る名。

おわりに

約束の地カナンに住むこと、神殿礼拝を特定とすることにまさって、「主キリストの民」とされ、霊と真理による礼拝(霊的従順における神賛美)こそ、霊的生活の本質。



(Mynote)


二〇二四年一二月一五日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「何故、私達の父である神様は、全能の方と呼ばれるのですか。」

「何故なら、お望みになる事は何でもお出来になり、石ころからでもアブラハムの子達を起こし、命の源として事を実行されるからです。」

洗礼者ヨハネが居た。ヨハネはヨルダン川で、洗礼を受けに来た人達にこう話した。「マムシの子達よ…」から始まるあの言葉である。我々人間(罪人)の唯一の救われる道は、信仰に依り、神様の御力、聖霊の働きに依ってでしか救われず、その生き方を求めねば成らないと。神様はイエス様を通し、ご自分が全能である事を改めて教え、全ての人はその事に依る信仰を保つ機会が与えられた。信仰とは、信じる事に尽す事。誰でも信仰に依り、救われる人生を歩む事が必要であり、神様は全ての人にその事を望んで居られる。

(公同礼拝)

『イザヤ書』(第九章一〜六節)

『ルカによる福音書』(第一章六七〜八〇節)

全ての人はやがて死ぬ。しかしそれはこの世の死を意味し、永遠の死を意味しない。イエス様の十字架に依る贖いに於いて、全ての人の罪は許される契機・土台を得た。詰り信仰に歩まされる上で、全ての人がその罪の内から解放され、神様の平安の内に救われる事が確約されたのである。即ち、所謂る人が地で思い悩む死を越えた命が信仰に依り神様から与えられ、その人生を信仰に全うせられた人は全て、神様の内の平安、天国に挙げられ救われる。この地上での死は死でなく、罪の内に死ぬ事が死であり、人が言う死とは罪そのものを指して居る。この事を踏まえねば成らない。

この両箇所では神様が常に全ての人をその信仰に於いて守り、悪への道・罪の道から救われる経過が記される。神様は全ての人の為にイエス様を人の間(地上)に遣わし、その罪から逃れられない全ての人の為に、罪から救われる信仰の生活を確約の形で示された。

今も戦争の時代と呼ばれ、この戦争はイエス様がお生まれになった時、その前後に於いても継続して居た。その戦争により人の生活は強制的に変えられ、持って居た物は奪われ、不要なものを強要され、人生が大きく狂わされる事は周知の通りに在る。この点を取っても人の人生とは曖昧で、どれだけ人のみの世界で救いを求めても頼り無く、確信したその救いさえ内容を変え、自分にとって刃(やいば)に成る事が常にある。これはノンクリスチャン・クリスチャン問わず同じに在り、人間(罪人)と言う一括りで断定出来る事に在ろうか。この点からも全ての人に、変わらぬ平安と救いを得る為に信仰が必要となる。

「備えあれば憂いなし」との言葉が人の間に在るが、全ての人にとって先ず備えねば成らないのが信仰であり、その信仰に依る生活である。

「暗闇の中に歩んで居た民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んで居た人々の上に光が照った。」(『イザヤ書』第九章二節)

聖書の時代でも今でも、人(罪人)の在り方は変わらない。そしてインマヌエル、常にイエス様と神様と共に居る事が全ての人にとっての救いになる…この事も変わらない。

「彼等は刈入れ時に喜ぶ様に、獲物を分かつ時に楽しむ様に、あなたの前に喜んだ。」(『イザヤ書』第九章三節)

「あなた」とは神様、イエス様の事であり、「刈入れ時」「獲物を分かつ時」とは信仰の実(み)が結ばれる時、全ての信仰者が救われる再臨の時と考えても良い。

人は都合好く御言葉を遣い聖書を読む事があり、又その事すら忘れる事もあり、他に神々を作り出し見て信じ信仰の真実から離れ、その状態で生きようと姿勢を保つ事もある。

自分が何処から来たか?生誕の時から細胞レベルで知る、唯一生ける誠の神様への姿勢がどう在るか、それに就いて信仰に依り考え、思い知る事が大事に在る。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw


「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=8aJx1wPNxxQ


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)



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