ソロダンジョン Q.どうして正体を隠すんですか? A.いいえ隠してません、気付いてもらえないだけです。
ハマ
第1話
目の前の豚の化け物、オークの首を切り裂いて命を刈り取る。
仲間が殺されたオークは頭に血が昇り、怒りに身を任せて襲いかかって来る。
巨体から繰り出される攻撃は、一撃で人をトマトのように潰せるほど強力だが、大振りな振り下ろしを避けるのは簡単だ。
サイドステップでやり過ごすと、一瞬動きの止まったオークに接近して、その首を掻き切る。
「二匹目」
残り四匹のオークを狩る為、地を這うように姿勢を低くする。
怒り狂った残りのオークは一斉に迫って来るが、その動きは決して速いとは言えず、そして技術も無かった。
そのオークの間を一陣の風が通り過ぎる。
するとオークの動きは止まり、首に薄らと赤い線が走り次々と首が落ちて行った。
「今日はこれで終わりかな」
手に持った鉈を振り、付いていた血を落とす。
オークの死体を収納袋に入れると、帰り支度を始める。帰り支度といっても鉈を拭いて腰に下げ、アイテム袋を持つだけなので直ぐに済む。
オークを狩った帰りに薬草を幾つか採取して、20階層にあるポータルへと向かう。
ポータルは幾何学模様が描かれた部屋の中にあり、部屋の中央には魔法陣が描かれている。
その魔法陣の中央に立つと魔力を流してポータルを起動する。白く発光して一際眩しくなると、そこには誰も立っていなかった。
☆
「本日の買取金額は33800円になります。この札を外の窓口にお渡し下さい」
「はい、ありがとうございました」
感情を見せず平坦な声でギルドの受付に挨拶をする。
「ただいま」
誰もいない家に帰り着くと居間の電気をつける。冷蔵庫からあらかじめ作っておいた夕食を取り出すと、コンビニで買った惣菜と合わせてレンジで温める。
ご飯を準備しておかずを並べると、1人で夕食を摂る。
テレビを点けてチャンネルを変えていくが、時間帯が20時という事もありバラエティーやクイズ番組がほとんどで、興味あるものが無くテレビを消した。
夕飯を終えるとシャワー浴びて歯を磨く。
就寝の準備が終わったのは22時を回った頃だ。
健全な高校生としては寝るには少し早い時間帯で、天音も眠くはなかった。だから眠くなるまで学校の復習でもしようと、教科書を開き目を通していく。
眠気が訪れたのは日付が変わる時間帯で、部屋の電気を消してベッドに入った。
「おやすみなさい」
ベッドの横に飾ってある家族写真に1日の終わりを告げると、この家でひとり眠りについた。
朝起きて軽い筋トレと30分程のランニングをして終わりのストレッチをする。シャワーで汗を流して朝食を摂るのが朝のルーティンとなっていた。
8時前になると家を出て学校に向かう、通学は最寄りの駅まで自転車で移動して三駅離れた学校近くの駅で降りる。
天音福斗は一人暮らしやダンジョン潜っている事を除けば、どこにでもいる高校生だ。
学校で勉強をして、数少ない友人と話をして時間を潰す。
話の内容はもっぱらアニメの話が多いが、残念ながら天音はそのアニメを見ていないので、相槌を打つだけで他3人の話を聞いている状態となっていた。
学校が終わると、学生服から持って来ている私服に着替え、電車でダンジョンのある駅まで移動する。
学校の荷物は駅のロッカーに預けて、歩いてダンジョンに向かう。
ダンジョンのある場所はフェンスで囲われ、中に入るには門で許可証を見せるか、入門証の申請をしなくてはならない。
入門証の申請だけならば直ぐに申請は通るが、入門証だけではダンジョンに潜れないようになっている。
ダンジョンを本格的に潜るには、探索者としての資格が必要になるのだ。
許可証はダンジョンを潜る探索者に渡される物であり、持っているのは、探索者試験に合格した者だけである。
ただ許可証を持たない者でも、ダンジョンを体験する方法はある。
それは、許可証を持った者を引率者として、10階層までの探索を行うというものだ。
また、プロ資格を持った探索者が引率するならば、引率者の責任で更に下の階層を探索する事が許されている。
10階層までは比較的無害なモンスターが多く、モンスターから人を襲うことはまず無い。その事から探索者許可証を持った者がいれば、ダンジョンに遊びに来る事も可能だ。
ダンジョン内は年中同じ気候なので、夏場は避暑地として使う人がいる程に人気だったりする。
天音は許可証を取り出して警備員に見せると、横の通用門が開かれて敷地内に入る。
幾つかある建築物の中でも、一際大きな建物に向かう。
『探索者ギルド』
そう表示されている建物に入ると、正面の受付には行かずに奥にあるロッカールームに移動する。そこで探索用の装備に着替えると、改めて受付に行きこれから探索すると告げる。
「今回の探索は何階層の予定でしょうか?」
「今日は30階層を回りたいと思います」
「34階層でワイバーンの目撃情報が出ていますのでご注意下さい。近々討伐チームを向かわせますので、討伐完了までは行かない事をお勧めします」
「大丈夫です。いつも通り2、3時間しか潜りませんから34階層までは行けないですよ」
「ふふ、そうですね。では天音君、気を付けて行ってらっしゃい」
「はい」
☆
「本日の買取金額は16200円になります。この札を外の窓口にお渡し下さい」
「はい、ありがとうございます」
今回の収入は昨日の半分以下だ。
昨日より深い階層を探索したにもかかわらずである。
だがそれにも理由がある。
20階層に出るのはオークやワイルドボアなどの食用として活用出来るモンスターが多いのに対して、30階層はガーゴイルやリトルゴーレムなどの石類しか取れない、需要の低いモンスターが多いからだ。
稼ぐだけなら20階層の方が効率は良いが、ギルドは一箇所での長期間の探索を禁止しており、同種の物資を持って来た場合には安値で買い叩かれてしまう。
ギルドも物資が多様に集まりやすいように、調整しているのだ。
だから天音は一日毎に潜る階層を変えていた。
「だからさ、今度の休み皆んなで一緒に行かない?」
「でも危なくないの?」
「大丈夫だって、うちの兄ちゃんプロだし引率にも慣れてるって言ってたよ」
「ほら!こう言ってるんだし真希も行こうよ!」
「ん〜」
「心配ないよ。何かあれば、俺が守るから」
次の日、学校で男女4人が今度の休みの計画を立てていた。
彼らはこのクラスでカースト上位の4人で、クラスメイトの何人かは彼らの話に耳を傾けている。
天音には関係ないので聞き流していると、同じように聞いていた友人が反応した。
「イタイイタイ、何が俺が守る〜だ。真顔で言っちゃって恥ずかしくないのか」
「それ面と向かって言ってきなよ。きっと殴り飛ばされるよ」
「嫌だよ、磯部ってプロの探索者になるって体鍛えてるんでしょ?俺みたいなヒョロヒョロが殴られたら死んじゃうって」
「ヒョロヒョロって何だ?沢山の脂肪で覆われた体がヒョロヒョロって言うのか?」
「心はスマートなんだよ。何だよ天音、文句あんのか?」
「いや、ぷっちょは相変わらず面白いなって思って」
「おう、妬みと面白さは俺に任せろ!人の嫌な所をすぐに笑いに変えてやるぜ!」
「それは唯の嫌な奴だよ」
ぷっちょと渾名で呼ばれる友人は、100キロを超える体重の持ち主で、特撮系ヒーローをこよなく愛する人物である。そして人の欠点を見抜くのが得意で、裏で馬鹿にする嫌な奴でもある。
「あっ榊原さんだ」
「本当だ。わざわざ何しに来たんだろう?」
榊原さんは隣のクラスの女子で、同学年で一二を争う美少女と言われている。
既に何人もの男子から告白を受けているそうだが、全て断っており、中には学年一のイケメンも含まれているらしい。
噂では歳上の彼氏がいるそうで、同級生の男子は眼中にないそうだ。
ただし、これは噂で、友人曰くフラれたイケメンが腹いせに流しているらしい。
ただ、それを言い出したら何が本当か分からないので、噂話を気にするのを止めた。
そんな榊原さんは、休みの予定を立てている4人の元に向かって行く。
「ねえ、明日ダンジョンに行くって本当?」
「えっ?う、うん行くけど。レナちゃんどうしたの?」
「…私も一緒に行って良い?」
榊原さんの言葉に教室が騒然となる。
「一緒に行きたいの?」
「興味ある」
クラスの女子の問いに榊原さんは頷くと、一言そう返した。
突然の榊原さんの乱入に女子は困惑していたが、男子2人は嬉しいのか顔から笑みが溢れている。
それを見たぷっちょが歯軋りをしているが、それは相手しなくていいだろう。
それから榊原さんを含んだ5人は話を進めていき、今度の休みにダンジョンに行くことが決まったようだ。
今日は金曜日。明日、明後日と休みが続き絶好の探索日和である。
普段、学校のある天音は、自分の探索階層の更新を週末にするようにしていた。
現在の自己探索階層は56階である。
この1ヶ月、テスト勉強やギルド側からの依頼に時間を取られて進めていなかった。それをやっと進める事が出来る。
天音のテンションは若干上がっていた。
物資は予め準備している。
武器の手入れも完璧だ。
装備を装着して、前に垂らしている前髪をオールバックにしてワックスで固める。
戦闘中に髪が鬱陶しくなることがあるので、いっそ坊主にしたいが、師匠にそれは駄目だと禁止されている。
「本日は何階層に向かわれますか?」
「50階層に行きます。日曜までは戻らないつもりです」
「分かりました。では天音君、気を付けて行ってらっしゃい。無理はしないようにね」
「はい」
受付のお姉さんに見送られて探索に向かう。
さあ、探索階層の自己更新を目指して頑張ろう!
作戦はもちろん、命だいじにだ!
☆
「今回の買取金額は6,723,100円になります。こちらの札を外の窓口にお渡し下さい」
「……はい」
今回の収入はかなりの金額となったが、残念ながら赤字だ。
今は日曜日の早朝。
本当なら昼か夕方に帰って来る予定だったが、物資が残り少なくなり早めに引き返した。
なぜ赤字な上に早めに引き返したのかというと、一言で言うなら運が悪かった。
順調に55階層まで到着した事で、気を抜いたのも悪かった。
仮眠を取ろうと岩場に腰を下ろすとモンスターの強襲にあい、それを避けたまでは良かったが、着地した場所にトラップがあり、そのトラップがモンスターハウスに飛ばす物だったのだ。
転送された場所で大量のモンスターに囲まれて、休む間も無く戦い続けた。
55階層のモンスターを無傷で倒せるはずもなく、回復薬を大量に使った。手持ちの武器を無茶な使い方をして、壊した物も多い。モンスターを麻痺させるアイテムも全て使い果たした。
今回の探索で使った物を買い揃えようとすると、一千万円以上は必要になる。
赤字も赤字、大赤字だ。
お金なんて命あっての物種で、道具を使った事に後悔はないが、それでも今回は疲れた。
「また明日からお金貯めないとな」
受付のお姉さんの前で溜息を吐くと、お姉さんが話しかけて来た。因みにこの受付のお姉さんは、いつも手続きをしてくれるお姉さんとは違う人だ。
「ねえねえ天音君、お金が必要ならプロになるべきだよ。今ならなんと、この書類にサインするだけでプロになれちゃいます!はい、どうぞ」
「…いえ、前も言いましたけど、まだ高校生なんでプロにはなれませんよ」
「あっそうだった!天音君、毎日ダンジョン潜ってるから忘れてたよ」
テヘッと舌を出してコツンと自分の頭を叩くこのお姉さんは、自分の年齢と相談するべきかもしれない。
探索者はある程度の実績を残すと、ギルドからプロ制度の説明を受ける事になる。
プロになるとギルドから様々な特典を受ける事が出来、買取価格も割り増しとなる。その代わり、ギルドからの依頼を受ける必要があり、内容によっては拘束期間が長期に亘(わた)ることもあるので、学生である天音はプロになる訳にはいかないのだ。
それはギルド側も承知しているので、今回のように勘違いされない限りは勧誘されることはない。
その代わり、1日で完了する依頼をこなしてくれと、頼まれることもある。
トボトボと重い体を引きずってロッカーに行き、帰り支度を済ませると荷物を持って家路に就(つ)く。
帰りのギルドは何かと騒がしかったが、土日は大体こんなものなので気にせずに通り過ぎる。
いつもより一般人が多い気はしたが、そんな日もあるだろうと思い直してギルドをあとにした。
「茂木君たち今日は来てないね?」
次の日、学校に登校すると、友人の1人が特定のクラスメイトが来ていないことに気がついた。
学校に来ていないのは、先日の休みにダンジョンに行く計画を立てていた4人だ。
もしかしたら、数日かけて潜る予定だったのかもしれない。
「榊原さんも来てないみたいだな」
同行したはずの榊原さんも来ていないのなら、間違いないだろう。
別に、数日かけてダンジョンの探索をする事は珍しくない。寧ろ天音のように日帰りで戻って来る方が珍しく、ましてや少なからず成果を出しているのは割と凄い事だったりする。
「きっとエロいことしてるんだぜ。く〜羨ましいなー!」
「やめなよ、聞かれたらまずいって」
ぷっちょのゲスな想像を一応止める。
でも、それ以上注意することはなかった。
何故なら皆んな同じことを想像していたからだ。
思春期の男子は大体そんなもんだ。
「まあ、ダンジョンの探索って何日も潜るらしいから大丈夫なんじゃない」
「それって探索者の場合だろ?うちの高校って、確か探索してお金稼ぐの禁止されてなかったっけ?」
「基本禁止。でも家庭の事情で学校に届けを出したら稼げるらしいよ」
「バイトみたいな感覚だね。あれ?でも茂木君の家って結構裕福だって言ってなかった?お兄さんがプロの探索者でお小遣い貰ってるって言ってたような…」
「うーん、分からん。そのうち学校来るでしょ」
他人の家の事情など知るわけもなく、この話はこれで終わった。
結局、件の人達は学校に来ることはなかった。
そして、いつも通り学校が終わりギルドに到着すると、平日にもかかわらずギルド内が騒がしくなっていた。
「早く救助隊を出して下さい!あの子に何かあったらどうするんですか!?」
「金なら出すと言っているだろう!人がいない?ここに沢山いるじゃないか!」
騒がしいのはギルド全体ではなく一部だけで、中年の男女数人が受付のおじさんに食って掛かっていた。
「ですから、今、ギルド側が早急に依頼を出せるプロの探索者は、全員出払っておりまして、早くても明日の午前中まで待ってもらわねばなりません。何より引率者からの救助要請が出ていませんので、こちらとしても動きようがないのです」
受付のおじさんは淡々とその対応をしている。
それを聞いた中年のおじさんおばさんは、歯軋りをせんばかりの悔しそうな表情を浮かべていた。
「責任はどうなる。子供たちをダンジョンに入る許可を出したのはギルドだぞ」
それでもと食らいつくように言葉を絞り出すが、受付のおじさんは表情を変えずに対応する。
「それこそ私どもに責任はございません。ダンジョン内での出来事は自己責任、それは老若男女関係なく平等です。ギルド側はあくまでも探索する対象の基準を設けているだけで、強制するものではありません。そして、ダンジョン内に入場する前に我々は一筆頂いております。ダンジョンで発生したトラブルはギルドに非は無いと、あなた方のお子様はしっかりとサインなさっています」
お分かりですかと書類を手に持ち、中年の男女に渡して行く。
その書類を受け取ると、何人かが膝から崩れ落ちる。
そして、今度はお互いに言い合いを始めたところで、天音はロッカールームに向かった。
「大変だな」
誰がとは言わない、ただ大変なことになっているなと思っただけだ。
いつも通りの探索者スタイルに着替えると、受付に向かう。さっきまでいた中年の人達の姿は消えており、受付のカウンターはいつもの雰囲気に戻っていた。
今日はいつも担当してくれる受付のお姉さんがおり、その人の前に並ぶ。
「いらっしゃい天音君、今日は何階層を探索します?」
「今回は20階層を探索します」
「承りました。あっ天音君、今日も探索終わったらポータルで戻って来ます?」
「そのつもりですけど、何かありました?」
「実は、ダンジョン内で行方不明になっている子たちがいて、一昨日から戻って来てないのよ。引率者も付いてるはずなんだけど、救助要請も出てないから助けにも行けなくて困っているのよ。天音君も少し気にかけておいて」
「依頼ですか?」
「お願いよ」
「分かりました。因みにその人達は何階層を探索する予定だったんですか?」
「10階層を探索予定になってるわね」
「それだと難しそうですね」
「無理しない範囲で良いから、下の階を見てくれるだけでいいの。お願い出来ない?」
「…少し見るだけでいいなら」
「ありがとう!よろしくね!それと行方不明になっている子達なんだけど…」
受付のお姉さんからお願いされて、渋々引き受ける。
日頃からお世話になっているお姉さんの頼みは、余程のことではない限り断れない。
それに少し見ればそれで終わりだろう、そう思っていた。
「なんで20階層にいるんだ」
行方不明のクラスメイトが多くのモンスターに襲われていた。
何度目かの戦闘を終えて、薬草の採取でもしようと移動していると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。
どこのバカがダンジョンで悲鳴を上げているんだと気になって悲鳴が聞こえた方へ移動すると、そこには見知った顔が揃っていたのだ。
10階層にいるんじゃないのか?
引率者と思われる男性は、全身傷だらけで満身創痍だが、必死に剣を振り回してモンスターを近づけまいとしている。
その引率者の後ろでは、女子を挟んで両側を男子の磯部と茂木が固めていた。
男子2人も必死に抵抗するが、一撃もモンスターに当たってはおらず、体力を消耗するばかりであった。
このままじゃ死ぬな。
あと数分もしないうちに全滅する。
このまま見捨ててしまえば、その結末は確定しただろう。
だが、見つけてしまったら助けなければならない。受付のお姉さんからお願いされたのだ。
天音は鉈を手に飛び出し、近くにいるモンスターを切り捨てる。
突然の乱入者にクラスメイトとモンスターの注意が天音に向き、動きを止めた。
「加勢は必要か?」
天音の問いかけは、探索者間でトラブルにならない為のものである。明らかにピンチだが、危機を脱した後に難癖を付けて来る輩がいるため、加勢する場合は問いかけが必要となっている。
「頼む、助けてくれ」
「分かった」
既に瀕死の状態となっている引率者は、声を振り絞るように答えた。
そして、承諾を受けてからの天音の動きは早かった。
囲んでいたモンスターを次々と斬り捨て、空を飛ぶモンスターを風の魔法で撃ち落とし、モンスターの攻撃にカウンターを合わせて命を刈り取って行く。
その動きは常人であるクラスメイトの目で追うことは出来ず、経験のある引率者でも正確に把握することが出来なかった。
5分もしない内に全てのモンスターを片付けた天音は、回復薬を取り出すと、負傷している引率者に手渡す。
他に怪我を負った者がいないか見渡すと、女子は疲労こそあるが怪我は無く、男子は女子を守るために奮闘しており、所々傷を負っていた。
「ヒール」
手をかざして全員に回復魔法をかける。
引率者は怪我の度合いが酷く、魔法だけで治すのは難しくなっている。それは引率者も分かっており、渡された回復薬を一気に飲み干した。
「すまない、助かった。この礼は戻ったら必ず」
「いえ、お世話になってる人から頼まれただけなので、お気になさらず。ただ、いま狩ったモンスターは全部いただきますね」
「ああ、この期に及んで権利を主張するつもりは無い」
そうですかと頷いて、収納袋に狩ったモンスターを入れて行く。どんなに入れても変化の無い収納袋を見て、驚いた顔をしていた。
「待って!」
全てを回収して、それじゃと立ち去ろうとすると呼び止められた。
なんだ、モンスターはもう譲らんぞ。
「お願いです!レナちゃんを助けて下さい!!」
そう言って頭を下げているのは、クラスメイトの女子のひとりだ。
「レナちゃん?」
聞きなれない名前に首を傾げる。
そんな子いたかな?
「あっ、レナちゃんっていうのは私の友達で、とっても美人で優しい子なんです!ってそうじゃなくて、逃げる途中でレナちゃんと逸れちゃったんです。お願いです助けて下さい!」
「やめろ!すまない、忘れてくれ。あの子はもう助からない」
「そんな!」
必死に助けを求める女子に引率者が冷たく言い放つ。
この引率者は負傷していたが、探索者としての能力は決して低くはない。
その探索者が助からないと言っているなら、その可能性は十分に高い。助かったら奇跡。余程の運に恵まれていなければ、助かることはないだろう。
そんな殺伐とした空気の中で、天音は別のことを考えていた。
コイツら僕に気付いてないね。
クラスメイトが天音に向ける視線が、知り合いや友人に向けるものではなく、尊敬や畏怖を含んだものだった。
まさかクラスメイトに気付かれてないことにショックを受けていた。もしかしたら、同じクラスの天音という存在を認識していないかもしれない。
ここで自己紹介を始めるのもおかしいので、このまま進めるしかない。むしろこのタイミングで気付かれたら気まず過ぎる。
とりあえずこちらも気付かないフリをして、話を進めることにした。
「えっと、どこら辺で逸れたか教えてくれたら探しに行きますよ?」
「本当ですか!?」
「待て、あの子を追っているモンスターはワイバーンだ。行けば君もやられてしまうぞ!」
「ワイバーン?この階層にはいないはずじゃ……」
そこで思い出した。
数日前に受付のお姉さんがワイバーンが出たと言っていたのを。ただ、その時はまだ深い階層だったので気にも留めていなかったが、ここまで上がって来たのなら脅威となる。
20階層にいる探索者の実力では、まずワイバーンに太刀打ち出来ない。
向かって行っても餌になるだけだ。
「今は救援を呼ぶのが先だ!こいつらも早く家に帰してやりたい」
引率者の判断は間違っていない。
直ぐにでも実行するべきだろう。
1人の為に多くの命を危険に晒すのは間違っている。
天音も同じ立場なら同様の判断をしただろう。
天音が引率者の意見に頷こうとした時、大型の爬虫類が出すような鳴き声が辺りを震わせる。
「近いな」
そう呟くと天音は鳴き声の方向に向かって歩き出す。
「おい!聞いてたのか、あの鳴き声はワイバーンのものだぞ!?」
引率者は必死になって天音を呼び止めるが、天音は振り返ってこう告げた。
「僕、今、金欠なんです」
それを最後に天音は、一陣の風となって駆け抜ける。
残された引率者とクラスメイトは、ぽかんとした顔で立ち尽くしていた。
ワイバーンとは空の支配者と呼ばれるほどの強力なモンスターだ。
飛空速度に加えて、その機動力もさることながら、強靭な鉤爪や牙は捕らえた獲物を離さず、己よりも大きな存在を持ち上げる力を持っていた。
そして何より厄介なのが、魔法を使えることだ。
全てのワイバーンは風の魔法が使え、大きな存在を持ち上げるのも、この風の魔法によるものだ。
更に個体によっては他の魔法を使って来ることもあり、その種類によっては討伐難易度が変動する。
そのワイバーンがオークの群れを襲い、貪り食っていた。
オークはワイバーンの威圧にやられて恐慌状態となり、バラバラに逃げ出している。
逃がすことが気に食わなかったのか、ワイバーンは口から火を吹いて、逃げ出したオークを次々と焼いて行く。
その様子を、天音は少し離れた所から観察していた。
程なくしてオークは全滅するだろう。
10体以上いるオークでも1体の強力な個体には敵わない、それどころか戦おうともしていない。
本能がそうさせるのか、一矢報いようとする個体は存在せず、ろくに抵抗もせずにその命を散らしていく。
他に脅威となるモンスターはいないか周囲を見回すと、オークが逃げ込もうとした森の木の麓に、見たことのある女子が転がっているのを発見した。
「…あれは榊原さんか?」
学校での有名人、学年一の美少女と呼ばれる女子が倒れている。微かに胸が上下しているので生きてはいるが、このままではワイバーンの放った火に巻かれて、死んでしまうだろう。
「レナちゃんって榊原さんのことか」
クラスメイトの女子が言っていた、逸れた友達が榊原の事だと思い至った。
そういえばクラスメイトとダンジョンに行くって何か話してたな、とも思い出した。
天音は誰がダンジョンに行こうが気にしていなかったので、彼らの話をほとんど聞き流していた。
引率者は確か、ワイバーンに追われていると言っていた。
逃げる途中でオークの群れに遭遇して、ワイバーンの注意がオークに向いていなければ、命は無かっただろう。
「強運だな」
ただの学生がワイバーン相手に逃げ切れるはずはなく、今生きているのはよほど運が良い証拠だ。
しかし、それも長くは続かない。
放置すれば火に巻かれて死んでしまうからだ。
ワイバーンに気付かれないように気配を殺し、素早く移動して接近する。
榊原がまだ生きているのを確認すると、回復魔法をかけて、鉈に風の魔法を纏わせ襲って来る火炎を切り裂いた。
火炎が吐かれた先にいるのは、先程までオークを相手にしていたワイバーン。
まだ生きているオークがいるにもかかわらず、こちらを狙って来た。
狙った獲物は地の果てまで追って来る性質を持つワイバーンであるが、そのワイバーンがオークを無視して攻撃して来たのならば、ワイバーンの狙いは間違いなく榊原だろう。
そして、邪魔をする天音もその対象に入ったようだ。
片手で抱えている榊原を地面に下ろしてワイバーンと対峙した。
榊原から離れるため、ゆっくりとした動作で移動する。
ワイバーンは先程、火炎を防がれているからか警戒して様子を窺(うかが)っているようだ。
ある程度の距離を取ると天音は動きを止め、鉈を後ろ手に構えて魔力を込める。
それを脅威と感じたワイバーンは火炎を吐きながら上空に飛び上がるが、全てが既に遅かった。
ワイバーンは背中に違和感を感じた。
そして、そこに脅威がある事を悟り、死を覚悟した。
天音は一瞬でワイバーンの背に移動すると、鉈に風の刃を纏わせ、ワイバーンの首を刈り取った。
「風刃斬、なんてね」
技に名前は付けていないが、気持ちの良い一撃が決まった時は口から漏れ出てしまう。
天音はまだ16歳だから仕方ない。
絶命したワイバーンを収納袋に入れていく。
首と胴体が別れているが、状態は良く高値で売れそうだ。
天音はほくほく顔で満足した。
ワイバーンは強い、それは空での話だ。
地に降りても頑丈な肉体と魔法は脅威だが、肝心の機動力が死んでおり簡単に倒せてしまう。
何よりワイバーンは50階層で出るモンスターで、天音からしたら適正レベルのモンスターである。
もっと言えば、天音は1人で50階層を攻略した時にワイバーンの群れを討伐している。
今更、一体のワイバーンに後れを取ることはない。
ワイバーンという脅威が消え去り、残っていたオークも逃げ出したことで、この場は静寂に包まれていた。
あとは榊原を連れて戻れば終わりとなる。
榊原が倒れている所まで戻り、持ち上げようとして気付いた。
「……起きてるな」
そう言って顔を見下ろすが、榊原は動こうとしない。
勘で言っているわけではなく、眼球の動きや呼吸のリズムが変化したのを見てそう判断したのだ。それに僅かだが、体に力が入っている。
「起きないのならこの場に置いて行く。どうするかは、君が決めたらいい」
助けはしたが、天音は動ける人間を背負って行くほどお人好しではない。
「待って、起きます。起きるから待ってよ!」
去って行く天音を見て、榊原は焦ったように飛び起きる。
慌てて追いかけて来るのを横目で確認すると、進む速度を少しだけ緩めた。
「えっと、あの、ありがとうございます。助かりました」
「うん、君の友達も無事だから安心していいよ。それで、どうしてこの階層にいるんだ?聞いた話だと10階層までの探索だったはずだけど?」
「それは…」
榊原の話によると、予定通りに日帰りで10階層までの探索で引き返すつもりが、男子が11階層を見たいと言い出した事がトラブルの発端だった。
最初はただ覗くだけが、近くに宝箱があるのを発見してしまった。
明らかに罠。
引率者はそう忠告したが、引率者の弟である茂木が好奇心に負けて開けてしまったそうだ。
そこで発動したトラップが転送系の物で、皆んな揃って下の階層に飛ばされてしまった。
飛ばされたのは24階層。
引率者だけならば問題なく戻れる階層だが、探索者でない一般人の護衛に加え、食料や装備も20階層の探索を意識した物でない事から危険な移動となった。
それでも、引率者はプロの探索者なので20階層クラスのモンスターに後れを取ることはなく、食料調達を目的とした戦闘以外は可能な限り回避して移動し、順調に21階層まで戻って来る事ができた。
だが21階層で、いるはずのない強力なモンスター、ワイバーンに出会い引率者が負傷した。
そこで救難信号用のアイテムを使い、近くにいる探索者に助けを求めたが、そのアイテムをワイバーンが攻撃して破壊してしまう。
だがアイテムを破壊するのにワイバーンは苦戦しており、こちらへの注意が外れ、そのうちに逃げる事ができた。
そして20階層に到着して、あと少しでポータルのある場所に辿り着くというところでワイバーンに追い付かれてしまう。
必死に逃げるが、空から追って来るモンスターから逃げ切れるはずもなく、直ぐに捕まるだろう。
だから榊原は決断した。
榊原はワイバーンに向かって石を投げて注意を引き、ひとり別方向に逃げ出した。
狙い通りにワイバーンの意識は榊原に向かい、後を追って来る。
逃げた先にオークの群れがいて挟み討ちになるが、ワイバーンの狙いがオークに移り襲い始めた。
ここで逃げれたら良かったが、ワイバーンの羽ばたきにより突風が生まれ、木に叩きつけられて気を失ってしまった。
「そこに僕が来たと」
「うん」
こうなった経緯を聞いていると、ポータルのある場所まで到着した。
「無事だったのか、良かった」
そこには引率者がおり、他の面々は先にポータルで帰されたのかいなくなっていた。
引率者は安堵して力が抜けたのか、その場に腰を落とした。
「君はワイバーンを倒したのか?」
「はい」
疲れた顔でこちらを見上げる引率者の男性は、見た目よりも小さく見えた。
「すごいな、俺なんてとても勝てる気がしなかったよ。たとえフル装備で挑んだとしてもね」
そう言って肩を落としている男。
そんな男にかける言葉もなかったので、
「この子、送って来ますね」
無視して話を進める事にした。
「あっすまない、俺も一緒に戻るよ」
ポータルの部屋に入り魔法陣の中央に2人が立つのを見送ると、魔法陣を起動させた。
「んっ!君は戻らないのか!?」
「まだ薬草採取の途中なんで、終わったら帰ります」
「名前!名前おしー」
最後に榊原が何かを言って消えていった。
「やっぱり気付いてなかったか、僕って存在を認識してすらなさそうだな」
学校での存在感の無さを改めて実感した出来事だった。
☆
「今回の買取金額は472,300円になります。こちらの札を外の窓口にお渡し下さい」
「はい、ありがとうございました」
「待ちなさい。それで、他に聞きたいことはないの?」
ワイバーン含めた今回の成果は上々だった。
吊り上がりそうになる口角を押さえて帰ろうとすると、受付のお姉さんから呼び止められた。
何のことだと頭を捻っていると、一つ思い当たるものがあった。
「お姉さんの歳はお幾つですか?」
「殺すわよ」
笑顔で返された言葉は、鋭いペンの先となって喉元に突き付けられた。
まったく無駄のない動きに、受付の練度の高さがうかがえる。
「ごめんなさい冗談です。
でも、本当に聞きたいことはないんですよ。最近、何かありましたか?」
「あのね〜、あったでしょ!今日!ダンジョンで!人助けしたでしょ!?」
「あれはあれで終わりじゃないんですか?もしかして何か文句言われました?」
「逆よ逆、直接会ってお礼したいって言われてるの。天音君は断りそうだから、本人に確認して後日返答しますって伝えてるけど、どうする?」
「パスで」
「…もう少し考えてもいいんじゃない。では、そのように伝えておきますね」
「よろしくです」
後のことはギルドに任せて、家路につく。
またコンビニで惣菜とお菓子を買い、誰もいない我が家にたどり着く。
晩御飯を済ませてお風呂に入りベッドに横になる。
「なんかいろいろあったな」
隣にある家族写真を見てそう呟くと、意識が遠のき深い眠りについた。
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