エクストラ 美玖の追憶(6)<本編第4幕>

――ススッス、スススッスッ、スススッポッ――


 学校のお昼休みにメッセージアプリで連絡を取りあうことは日常になっていたの。


――シュポッ――


 ヨシ君に隠れてやっていることを、ハル君は理解してくれた。通話を求めてくることもなく、メッセージの折りかえしを催促もしないでいてくれたの。おかげでヨシ君には気付かれることもなかったんだ。


――ススッススッポッ――


 そして美玖もヨシ君もハル君も中学三年生の最終学期を迎えて、進学予定の高校入試に専念する時期になっていた。元いた私立は高校までの一貫校だから、ハル君に受験勉強は必要でなかったはずだった。けれど佐賀美のおじさまの方針変更で、別の私立高校を受験するという話だった。


 おかげでハル君とはお互いの得意科目を頼りあって、解らないところを相談する機会が増えていた。今日交わしたお話も、数学の図形問題の解法のことで――ヨシ君に後で教えてあげたい気持ちもあったけれど。


――シュポンッ――


 そろそろ休み時間も終わりだからと切りあげのあいさつをしたら、かわいいスタンプが返ってきた。こういうところがハル君の良いところだなって思ったの。ヨシ君なら……と考えだしたことを取りやめたんだ。


   ◇◆◇


『美玖、助かったよ』


 ヨシ君のお部屋で数学を教えていた。図形問題が苦手なヨシ君が、三平方の定理を理解したと言ってくれてうれしくなったよ。ちょうど復習にもなって美玖にもよいことだったし、ヨシ君をお世話できた貴重な時間でもあったんだ。


 明日の模試は大丈夫だね?――それでも確認のためと言葉をかけたよね。けれどヨシ君は返事をくれなかったどころか、ニマニマとした表情をし始めていたよ。ちょっと前にあった喜びの気持ちを塗りかえるように、違和感が広がっていく感触も覚えていたの。


『よし、息抜きにシよう』


 まっ、待って――気持ちの切りかえが追いつかなくて、時間が欲しいと訴えたよ。でも願いは届かなくて、机から立ちあがったヨシ君に手をとられ、ベッドへと導かれたんだ。


 お風呂が――せめて身支度をくらいと理由をつけて、訴えの声をもう一度かけようとした。けれど取りあってもらえず――


『大丈夫。美玖をよく感じとれるから』


 美玖より頭半分大きくなったヨシ君が、首すじに鼻先を押しあててきた。それでおもいっきり肺に吸いこんだよね。


『イイにおいがする。落ちつくよ』


 もうっ――愛おしさが急速に込みあげて、許しの声を上げてしまった。こうなってしまったら美玖も抑えられないから、ヨシ君の首に腕を回して身を任せたの。すぐに悦楽の中へ沈んでいったよ。そして違和感は覆い隠されてしまったんだ。


 ただ美玖の片すみには――これで、いいのかしら?――せせら笑うカゲがちらついたんだ。


   ◇◆◇


 受験先の高校へとヨシ君と急いだよね。入試の朝なのにヨシ君が寝坊したから。初めて訪れる地区だからバスで向かう予定にしてたのだけど、ぎりぎりに最寄りのバス停に到着なっちゃったよね。美玖の手をにぎるヨシ君の手のひらは焦りで湿っていたよ。


 あっ――道行く先に学校らしいシルエットが見えたから声が出た。ヨシ君も気づいたらしく早足になったから、ついていくのが大変だったのよ。


 校門の前まで来たけれど受験生らしい生徒も、入試を運営しているような大人たちも見えなかった。校門の表札には目指す公立校と違う名前がほり込まれていたから、ついヨシ君と顔を見あわせてしまったね。そして周りを見まわしても学校のようなシルエットの建物は見あたらなかった。


『どこだあ~?』


 ヨシ君も不安そうに見まわしていた。美玖も不安だったから、受験票の裏面にあった案内図を確認しようと思ったんだ。けれど――目の前の学校の方から声がかかったよね。


『もしかして中学生かい?』

『あっ、はい!……この辺りに公立高校があるて聞いて来たんですけど』


 声に驚いてヨシ君の返事は大きくなっていたね。初対面でもあまり物怖じしないヨシ君でさえ、緊張のあまり後に続いた言葉が低い声だったよ。でも仕方ないかなとも思ったんだ――突然現れた男子が色男過ぎたから。女友達たちも一緒なら、黄色い声で騒がしくなったはずだから。


『ああ――の公立なら、あの交差点を曲がった先さ』

『……あの先も? でも、この学校の敷地なんじゃ?』


 親切にも校門から現れた男子は、目的地への道を教えてくれた。けれど道をたどった先に別の校舎があるようには見えなかった。だから迷子を面白がられているのかもと、ヨシ君よりも警戒感が高まったの。


『大丈夫さ。この私立校の建物が大きくてね、隠れてるのさ』

『ははぁ、スゴイですね』


 けれど何でもないような態度を崩さずに、少し年上そうな男子は真相を教えてくれた。理解できているのかいないのか、ヨシ君はぼんやりした受け答えをしていた。けれど公立校を下に見ているように感じて、美玖は態度を柔らかくすることさえできなかったんだ。


 教えてくださってありがとうございます――不信感を抱きながらも、形式的にお礼を述べたの。忘れていたヨシ君も急いで頭を下げていたね。


『あっ、ありがとうございます。僕は佐久間です』


 須賀谷といいます。あなたは?――美玖よりも礼儀にうるさいヨシ君が名乗ったので美玖も後に続いたんだ。そして相手に尋ねかえしたよ。でも――


『ああ、私立高ここでこの春三年になる羽田野さ。大した人物ものじゃないから忘れてもらってもOKオーケーだよ』

『はあ、そうですか』


 美玖の半歩前に立つヨシ君を見ているようでいて、美玖を絡めとろうという眼の光に悪寒が走ったんだ。慌ててヨシ君の陰に隠れたよ。


 羽田野さん、ありがとうございました。では急ぎますので――だから早口な言葉になってしまった。すぐにでもこの場を離れたくてね。だから言葉が終わるころには、道を歩きはじめたんだ。


『おっと、すみません。急ぎますんで、失礼します。美玖! 置いてくなよー!』


 そんな美玖の内心を知ってから知らずか、ヨシ君は警戒のない声であいさつしてから追いかけてきた。美玖の名前は出さないで欲しかったと思ったよ。


『……楽しみが増えた』


 でもヨシ君の声が大きいものだから、羽田野さんのつぶやきはよく拾えなかったんだ。


   ◇◆◇


『やったな、美玖!』


 うん、おめでとう――喜びがあり余って抱きついてきたヨシ君の頭をなでた。甘えてくるヨシ君が愛おしかったよ。


『美玖のおかげだ』


 ヨシ君ががんばったからだよ――ヨシ君からお礼を言われて照れてしまったの。できれば、もっともっとギュッとして欲しいなと思ったんだ。ヨシ君のにおいを感じとりたかったから。


――チリチリチリリン! チリチリチリリン! チリチリチリリン!


 浸る想いを割くように美玖の携帯からメッセージの着信音がした。ヨシ君がそっと離れたから携帯を憎悪してしまったよ。


『たぶん教室のグループだろ? 見てみろよ』


 ヨシ君に促されてしまったから、携帯を取りだしてメッセージアプリを確認した。到着していたのは六件ほどで――けれど、一件はハル君からだったんだ。とにかく報告を入れないといけないと思って、グループへと美玖たちが合格したことを打ちこんだんだ。


 すぐに祝福のメッセージが届いて、そこからはお互いを祝福するやり取りになったの。そしてやり取りの中に混ぜるようにして、ハル君からのメッセージをそっと読んだんだ。


 そこにはハル君も合格したことが書かれていた。ただ受験先が――お隣の私立校で驚いてしまったんだ。だから私立校の方へ、つい振りむいてしまったのよ。


『ん? 美玖、どうかしたか?』


 あ、うんん。連絡ないは合格できたかなって思ってね――とっさに誤魔化してしまったんだ。それで心の中でゴメンと謝ったよ。でもヨシ君はすぐに興味を失くしたみたいで、もう先のことを考えていたよね。


『合格したし、すぐにでもアルバイトできるな』


 三月三十一日までは中学生だって、担任先生も言っていたよ?――ヨシ君をなだめようと、学校で聞かされた話を伝えたよ。それで一度は言葉に詰まったのだけど、ヨシ君はどこまでも前向きだったね。


『あーそれは……それでも面接はできるんじゃないか』


 そもそもアルバイトを許してくれる条――少しでも頭を冷やしてもらおうと言葉を続けたけれど、それさえも遮られてしまったんだ。


『すぐに聞きに行こう!』


 ヨシ君に手を引かれて、合格者たちが群がる入学手続きの書類配布ブースへと走ることになってしまったね。そんな中で美玖の心は疑念が占拠していたの。ハル君がお隣の私立高を受験した理由は何だったのか……佐賀美のおじさまはハル君の希望を聞くような人だったのか、と。


   ◇◆◇


『いやー、助かってるよ』

『いえいえ、じゃんじゃんお仕事ください。その代わり――』

『分かっているよ。色は付けようじゃないか』


 進学した高校にほどよく近いファミレスでアルバイトを始めたよね。まだ二日目なのに店長とヨシ君が、いかにもな会話をして盛り上がっていたりね。クククって笑い方は、ホールスタッフの女性陣からジト目で見られていたよ。美玖もかばってあげられない気持ちだったの……ごめんね。


『おしっ、イッチョ上がり! 須賀谷くん、客席へ頼むよ』


 はい、店長――見てないふりでキッチンへと料理を受けとりに行ったよ。他に居たキッチン班の人たちは、美玖を見て苦笑していたんだ。少しはずかしい雰囲気が、速足で客席へと向かわせたの。


『おバカたちは、ほっとこう』


 すれ違いざまに声をかけてくれた副店長の女性には、会釈を返したよ。


 お待たせしました――目的のテーブルの前で一礼して、料理をテーブルに置いた。

 ごゆっくりお過ごしください――再度一礼してテーブルを離れ、ホールスタッフ待機ゾーンへそそくさと戻ったんだ。


『でも本当に助かってるわ』


 戻るなり副店長からもお礼を言われてしまったの。ヨシ君が店長に悪乗りしたせいだから、後で覚えておいてねと思ったよ。


『想定外の欠員が出ちゃったからね』


 欠員の話はアルバイト面接のときに詳しく聞いていた。まとめてしまえば、こんな話だった。


 アルバイトの同僚たちには電車で数駅先にある大学の学生さんたちも居た。その学生さんの中にカップルが一組いて、美玖とヨシ君のようにここで一緒に働いていたそうで。

 ところが年明けくらいから仲が悪くなりだして、先月の中旬に入ったころに、職場で大ゲンカになったようで。それから数日間、彼氏の方が体調不良を理由にお仕事を休んだのだけど、終いには駅で電車に飛びこんだんだってね。

 彼女の方は大ゲンカの翌日こそ休みを取ったものの、働きには来ていたらしくて。けれど彼氏が死亡した翌日には、喪に服すとの連絡があって休んだそうで。お店は忙しいけれどショックだろうからと休みを容認したみたい。けれど彼氏の葬儀が済んだ翌日に連絡を入れたら、電話もメッセージもつながらなくなっていたんだって。

 困ったお店側は住まいやら大学やらに使いを出したけれど、本人は見つからず終いだったらしく。果ては実家へも使いを出そうかというとき、本人から辞表が郵送されてきたんだって。せめて事情くらいは聞きたいと書面にあった連絡先へ電話を入れたら、そこは弁護士事務所で直接接触したくないから代理を任されたとの返答だったらしいんだよ。

 必要あれば金銭補償をと持ちかけられたところで、キナ臭い話だと思った店長がフタ閉じの精神で追及を中止したという。


 どこかの漫画の話かななんて、ヨシ君は聞いた感想を言っていたね。美玖も現実感はあまりしなかったけれど、イヤな予感だけはうっすらとしたんだ。


――ピオンンピオンンン。


『お、私立校の生徒会長様じゃん』


 来店の電子音に真っ先に反応した先輩女子がうれし気に言葉をこぼしたの。他の先輩方も振りむいたから、美玖もつられて振りむいたんだ。そこには数人グループの高校生らしい人たちがいて、ものすごく目立つ男子がいたんだよ。


 それは入試の日に美玖たちを助けてくれた、羽田野と名乗った男子だったの。羽田野さんの色男ぶりから、間違えてはいないと思ったよ。


 われ先にとエントランスへ行こうとした先輩方がにらみ合う中で、副店長が案内役として声かけしていた。美玖は羽田野さんだと気づいたから、目を反らそうとしたんだ。けれど逸らし切れなかったんだよ――羽田野さんが美玖へと視線を向けていたから。


 でもそれは、ほんの少しの時間だった。羽田野さんが顔を背けて、お仲間の人たちと談笑を始めたから。美玖はホッとした気持ちになってすぐに、微かな悪寒を背筋に覚えたんだ。


『今、二枚目の男の子がいたわよね。時どき友人を連れて来店してくれるのよね。ご実家がお金持ちらしいのか、多めにお金を使ってくれるから有難いわ』


 案内を終えた副店長が戻ってきていた。その目がコインのような形に変形して見えたよ。


『そういえば辞めちゃった、よく彼に話しかけられていたわね』


 副店長が懐かし気な目をした横で、ホールの先輩方は注文取りにだれが行くかで騒がしくなっていた。そんな彼女たちを横目に、美玖の心では不安だけが増しはじめていたんだ。


   ◇◆◇


『ようこそ、諸君!』


 入学式から十日ほど経った放課後の部室で、文芸部部長の田知花たちばな雪緒ゆきお先輩の号令で歓迎会がスタートしたね。数日前に雪緒先輩とばったり会って、ヨシ君と二人勧誘されたんだったけ。


 そもそも美玖とヨシ君は教室が違ってしまっていた。だから部活くらいは一緒にしようって決めて、偶然ではあったけど文芸部への入部をしたんだよね。


『では、今年の新入部員が豊作だったことを記念して、カンパーイ!!』

『『『かんば~~~い!』』』


 雪緒先輩の音頭に言葉を重ねてコップを掲げたよね。あの時飲んだサイダーはとっても美味しかったよ。


『ぷはーーーっ、うまい!』

『そうでしょ、そうでしょ? 少年よ、文芸部へ入って良かったでしょ?』

『いや、部長。幽霊でもいいから入って欲しいって泣きついたのは――』

『だまらっしゃい!』


 ホスト役の雪緒先輩が新入部員の間を回りはじめたね。最初がヨシ君だったっけ。黒縁眼鏡に三つ編みで色白という文芸少女といったいで立ちの雪緒先輩だけど、振るまいに少年っぽいところが見受けられたね。そして雪緒先輩はヨシ君の隣だった美玖に視線を向けた。


『須賀谷くんは、どうかな?』


 ジュース美味しいですし、楽しんでますよ――歓迎会の感想を素直に答えたよ。

 それに、かけ持ちも許してもらって、雪緒先輩には感謝しています――アルバイトのことも相談していたから、感謝の気持ちを伝えたんだ。


『いいの、いいの。バイトOKオーケーの校則のくせに禁じてる運動部でもないしね。その代わり、部誌の原稿はきっちり上げてよね』


 ウィンクを残して、雪緒先輩はホストの務めで別の新入部員に移っていったよね。会話の相手がなくなったから、ヨシ君の様子を見たんだ。そしたら副部長の佐倉坂さくらざか先輩がヨシ君のところに来ていたの。それで一人ゆっくりしようと、会の様子を眺めていたんだ。


 文芸部は総勢四十余名。幽霊部員のせいで正確な数字はわからなかったらしいけれど、今日の歓迎会には二十二名の参加者がいたんだ。新入部員は美玖やヨシ君を入れて八人だったから、特別多いとは思わなかったな。


 それから二年の上級生から話しかけられて、雪緒先輩と佐倉坂先輩はつき合ってると教えてくれた。見ていてじれったかったらしく、当てられて同時期に他のカップルもできたと言っていたね。その教えてくれた上級生は、ヨシ君を見てどこか悔しそうにしていたよ。


 歓迎会ではコーラやサイダー、りんごやぶどう味のジュースが出ていて、ヨシ君は炭酸が苦手だとぶどうジュースを飲んでいたね。お菓子ではハードクッキーに一口サイズのチョコにせんべいが出ていたよ。ヨシ君はせんべいばかり食べるから口のまわりが油っぽくなってきて、ぬぐってあげようとしたら断られちゃった。自分でできるとヨシ君らしかったけれど、美玖は残念だったのよ?


『副部長、あんな男勝りな人が好きで大変ですね?』

『ばっか、ギャップだよギャップ。それがウィットでいいんだよ。ま、おまえらと似たようなもんだろ』

『あーー、美玖を一緒にするの止めてもらえます?』

『なんだとぅ!』


 よっぽどヨシ君を気に入ったのか、佐倉坂先輩がヨシ君のところで長い話になっていた。その流れでおバカな会話が大声になっていたよ。美玖の名誉を守ってくれたのはうれしかったけれど、みんなに聞こえるほどの大声止めて欲しかったな。雪緒先輩がギロっと少しの間にらんでいて、怖い思いだったのだから。


 そして新入部員の最初の試練とか言って、一芸披露をさせられたね。ヨシ君が美玖とは一心同体みたいに言うから、二人でやらされたね。組体操っぽいことをしたけれど、美玖は結構はずかしかったんだ。


 そして一時間と少しの時間が過ぎて解散となって。上級生たちが主体であっという間に片づいたよね。一足先に別れのあいさつを残して、佐倉坂先輩と連れだって去っていく雪緒先輩は乙女の顔だったの。少しだけ……ほんの少しうらやましく感じたんだ。


『あー、面白かった。美玖はどうだった?』


 楽しかったよ――不満に思ったこともあったけれど、ヨシ君には微笑みながら答えたの。


『部長って、女子成分薄めだよな?』


 ヨシ君にはそう見えたの?――分かっていないヨシ君に、ジト目を作って質問で返したんだ。もう一度よく見てと、前を歩くカップルを指し示したんだよ。


『違うのか?』


 ずっとね――やっぱりハテナ顔のままのヨシ君に、あきれた感じの返事になってしまったんだ。肩のゴミを払った雪緒先輩と、その感謝を伝えた佐倉坂先輩の二人を見て、美玖の理想に近いカップルだなって思ってたんだけどね。


   ◇◆◇


 高校生活がはじまって三週間ほどが過ぎた。部活も始めたしアルバイトは既に始めていたしで、後は二年生からはじまる大学推薦候補教室へ入るために勉学をがんばろうってなっていたね。


 そんな時、美玖に余計なお仕事が回ってきたんだよね。拍手の中で担任先生が、逃げられないように断言したんだ。


『それじゃ、女子は須賀谷さんにお願いするわね』


 放課後手前の週一ロングホームルームで、六月に開かれる体育祭の準備委員会委員を選出する儀式が執り行われたの。LHRは全校で同じ時間に組まれていたから、ヨシ君の教室でも委員選出が行われたよね。後でヨシ君が委員になってないと知って恨めしかったな。


 初めに男子委員から選出を始めたのだけど、立候補者が他薦も含めて出なかったんだ。おかげで男子のことは後に回して、女子委員の選出になったの。


 立候補者は女子でもいなかったんだよ。それで他薦を募ったら、美玖の名前を挙れられてしまったんだ。推薦した女生徒へ視線をむけたら、こちらを拝んだポーズだったよ。美玖もだれかを推薦しようと思ったんだけれど、視線をむけただけで首をふられちゃったから、名前を挙げることもできなかったんだ。


 結局他には候補者が出なくて、担任が信任の挙手を募ったの。教室のほとんどが手を挙げていたんだよ。ただただ美玖は言葉が出なかったよ。


『さて、一度流した男子を決めるわよ』


 あらためて男子の候補者を募ったら自薦でいっぱいだった。担任もあきれながら、一人づつ信任の挙手を求めたんだけど……三人目の男子で女子のほとんどが手を挙げたんだ。女子委員が美玖に決まったことは、この男子の根回しだったんだと、この瞬間に気づいたんだ。


 その男子は美玖を見て、髪をかき上げて笑顔を見せたんだけれど――背筋がゾワっと反応しちゃって、身の毛もよだつ思いだったよ。


   ◇◆◇


『須賀谷さん、一目見て君を気に入りました。僕の隣は須賀谷さんしかいない。ボクと付き合ってくれますね?』


 お付き合いしている人がいます。ごめんなさい――間髪も入れさせないでお断りしたんだよ。告白してきた男子は、体育祭準備委員会の男子委員になった彼だった。委員選出をした次の日、お昼休みに話したいことがあるからって、呼び出されたんだ。


『なっ! 入試順位一位、全国中学校大会にも陸上で出場――出身中学でも多数の女子に応援されたボクでは不足とでも言うんですか?』


 彼にとっては成功確実な告白が失敗して、大混乱したんだと思ったよ。だから美玖の手首をつかんで、校舎の壁際に押しとどめたんだ。そして空いてる手で美玖の肩をつかんで、より一層壁に押しつけてきたの。


 いわゆる壁ドン状態に美玖は囚われたんだよ。肺が押しつぶされた感じで、上手に言葉が出なかったの。そんな美玖に彼はもっと調子に乗ったのね。


『こうなったら仕方ないさ。拒んだ君が悪いんだ。だから力ずくで――』

『美玖は僕のだ。おまえのじゃない』


 物陰で成り行きを見守っていてくれたヨシ君が、止めに入ってくれて助かったよ。今にでも彼の顔が美玖の顔にくっつきそうだったから。できれば、つばが掛かる前に出てきてくれたら良かったかもね。


 彼の肩をつかんだ手に、ヨシ君は力を入れたよね。痛みで美玖から手を放したら、一気に彼を引きはがしてくれたね。そして怒りの顔を彼に見せてくれたから、美玖はうれしかったよ。


『何をする! 凡人の出る幕じゃない』

『聞こえてなかったか? 美玖の彼氏は僕だ』

『…………』


 実状を正しく理解しない彼が、美玖の前に入ったヨシ君を非難していたね。しかも興奮しすぎて、ヨシ君の言葉をちゃんと受けとめていなかった。ヨシ君も怒りをためていたから、声がとっても低くなっていたよ。だからヨシ君の言葉に、彼はおじ気づいてしまったよね。


 ヨシ君はさらに圧をかけようと、両のこぶしを鳴らしたんだ。そして右の手で彼の顔に触れようとしたよね。


『ヒッ――』


 彼は完全に気持ちが消沈してしまったようで。短い呼吸とも短い悲鳴ともとれる音だけ残して、急ぎ足で去っていったの。


『――はああぁ、緊張した。美玖は大丈夫か?』


 大丈夫だよ――心も体も脱力させたヨシ君に、感謝もこめて微笑んだよ。


『美玖のところの生徒から事前に話を聞けて、良かったよ』


 体育祭準備委員に美玖を推薦してきた彼女から、今回のことは聞きおよんでいた。それでヨシ君には見守っていてくれるように、あらかじめ頼んでおけた。最初からヨシ君が姿を見せていたら彼女が害を受けるかもと思って、いよいよとなったら出てきてくれるように段取りはしていたんだ。


――あら、あの少年は確保しておかなくて良かったの? 結構いい顔だったけど――


 タイプじゃ……美玖にはヨシ君がいるわ――時どき聞こえる耳障りな声がしたの。


――ふふふ、お気に入りは他にいるものね――


 ハル君は関係ない――いじわるな物言いについ反論してしまった。名指しもないのに名前を出して、墓穴を掘った気がした。


――そうかしら? 近くにいることになったと知ってから、会いたくなっているのじゃなくて?――


 そんなことない!――会いに行ったらヨシ君を裏切ったことになるように思えて、強く否定したんだ。


――そういうことにしてあげる、今はね。どうやらお招きされるようだから――


 そうか――言いわけができたことに気づかされたの。待ったをハル君にかけておいて、美玖から会いにいっては不公平なことと理解はしていた。だから、こんなこと考えないようにしていたんだ。でも第三の扉は魅力的にも思えたんだ。


 ヨシ君の後ろをついて校舎へ戻る間、美玖の口の端がつり上がっていたことに気づくことはなかった。

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