ペンギンさんは役立たず です♪  ~ 観月荘奇譚 ~

キムラ

第1話 観月荘奇譚

Chapter1




 見晴らしの良い崖の上にある古びた旅館「観月荘」。

その屋上のフェンスに身を預け、

夕日を見ながらため息をつく。私、渡会 奏、22歳(♀)。


父が亡くなり半年、私の生活は予想外の進路変更を余儀なくされた。


 大学の卒業も控え春からは就職という時期に、父が倒れたと知らせがあり、あっけないほどにすぐ、そのまま帰らぬ人となった。

すでに母を亡くし、頼れるような親族もなく、この年で喪主を務める葬式に戸惑うことばかりだったが、父と絶縁状態だった母方の祖父が見かねていろいろ助けてくれたのは有難かった。


が、久しぶりに会った孫の私に、御柱の家に入れとしつこいのには閉口した。


 祖父である「御柱 泰造」は、一人娘の母響子が父に奪われるような形で結婚後、母が失踪してしまい、以降父とは絶縁状態で、私もそれほど顔を見せた記憶もない。

 母の実家の御柱の家はいかにも古めかしい田舎の名家で、自分もいまさら頼るような歳でもなし、丁重にお断りするのに苦労した。


そして問題はこの実家でもある「観月荘」だった。


 民宿に毛が生えた程度の、というかまあちょっと大きい民宿という感じの自宅兼宿泊施設。そうはいっても客室数は20部屋を超え、それなりに趣もある外観の建物だ。

 観光地でもある国定公園の小さな岬にあり、既得権益で住居兼にしているものの、売却や新築できる物件でもない。数年前にリフォームした借入れも残っており、損得でいえば相続放棄して放り投げたい父の遺産だ。


「そうはいってもな」


 そう、私は特に夢があり就職を選んだわけでもなかった。

消極的に父と顔を合わせることが嫌だったという理由も、今はない。


 だから内定していた企業にお断りをして、この春から実家観月荘のオーナーになったのだ。

幸い、フロントから板場までこなしてくれる神無さんと、仲居頭のパート田村さんはそのまま残ってくれており、オーナーである私はちょっとしたお手伝いや掃除くらいしか仕事はない。


 そろそろ日も沈み、瞬きだした星を見上げて独り言ちていると、

ふと、背後から人の気配がした。


 振り向かずともこの時間この場所で声をかけてくるのは彼しかいない。

「オーナー!」




「オーナーはやめてくれ。神無さん」

すらっとした細身の彼は、今日も律義に濃紺のスーツ姿に蝶ネクタイをしている。そして今は厨房にいたのかその上にエプロンをつけたままだ。小柄ではあるが美形ではあるのでかっこいいとも言えなくもない。


「じゃあ、僕も神無さんじゃなく昔みたいに凍夜でいいです」

 彼はまだ父が健在な頃から、バイトで入りもう10数年そのまま働いてくれている人だ。いつのまにか観月荘の料理も手伝うようになり、父が亡くなってからは立派に板さんを務めてくれている。Googroマップの最新レビューで、料理人だった父の頃よりも食事が良くなったとコメントされていたのは内緒だ。


 先ほど、かっこいい、とも言えなくもと濁さざるをえなかったのは、スタイルもよいのだが身長は160cmほどで威圧感はなく、実年齢でいえば30も越えているはずなのだけど、なぜかどちらかというとショタ枠。正直年齢不詳というか不思議な人なのだ。



「無理だな。いつまでも子供じゃないし、彼氏でもないのにこの歳で名前呼びも変だろ」

そういわれて彼は寂しそうにふざける。


「あんなに小さかったお嬢がご立派に・・・(涙)」

どう見ても10代後半くらいにしか見えない。へたをすれば前半とも言い張れる見た目でこのセリフは似合わないこと甚だしい。


「ほんと変わんないな、凍夜…」


 幼いころとおなじようにからかわれているようで苦笑しかなかった。



 神無 凍夜。彼がこの観月荘にきたのはいつだったろうか?


 父はほわほわした彼にいろいろ仕事を教えることが楽しかったようで結構まめに世話をしていたことを覚えている。とうぜん私も一緒に居る時間も多く、幼いころは兄のように慕っていたのだ。なぜか凍夜といると不思議なことも多かった。


 しかしなんだかんだと父と距離ができると共に、自然と彼とも距離ができ、


 気がつけば身長も彼を越してしまった。いまにしてみれば兄ではなくちょっと生意気な弟みたいな感覚である。

繰り返すが、どう考えても彼の年齢は30代前半のはずで、なぜ、このような状況になっているのか本当に謎である。



「ありゃ⁉」

 そんな会話をしながら

ポケットを探る私はライターが無いことに気づく。


無意識に煙草をくわえていたが肝心なものを忘れていたらしい。


 凍夜が呼びに来たということはもう食事の時間なのだろうと思うが、このご時世にもかかわらずの愛煙家をやっている私的には禁煙の館内に戻る前にやることがある。


「ライター持っとらん?」


 彼は今から食事なのにという思いをわかりやすく顔に出し、被りを振りため息を一つ。いかにも自分は喫煙家ではないと言いたげなしぐさにムカつく。役に立たない機関車だ。



「手品みたいにパチンとやるだけで火も付かんかね~」

ライターをとりに戻れば煙を吸う機会を1回失う。軽いイラつきに指を鳴らすしぐさで、ふざけた私は、



かすかな違和感を覚えた。


 ぼぼぼぼぼっと、


唐突についた、何もない指先に灯る小さな炎をみながら、

どうしたらよいかわからず凍りついた。


「……」


「あ~ありましたね。火。」



 呑気にそんなことを言う凍夜に文句を言おうとした私の口から

まだ火のついていないタバコは落ちていった。




 そしてその炎の件は、

食事中特に話題にものぼることなくスルーされた。


 いやスルーというか、食事中に試そうとしたら普通に凍夜に窘められたのだ。

まあ部屋の中で火を使うのはダメではあるのだけど、なにか解せない。


論点はそこ?



 賄いの夕食が終わり食後の一服をもとめた屋上では、火がつけとイメージするだけでなんとも容易に炎はでてきた。


まぼろしでもないようで、煙草にも着火できて一息つく。

「本当の炎だな」


 煙草の銘柄はいちおうは気を使ってロータールのメンソールだ。いろいろ選択肢もあったが電子タバコはなんとなく性に合わなかった。


 べつに声は出さずとも灯れ、と念じれば指先に灯る炎。

消えろと思えば消えるし、大きく開いた掌の先、5本の指に、と願えばそのように灯りとなかなかに器用なこともできた。


「なんなんだ、これ…」



なんとなく幼かったころの不思議な出来事が頭をよぎる。


 あれはいつだったか。

お祭りでもらったヘリウムガスの風船。うっかり手を緩めたすきに飛んで行ってしまったとき、


「戻れって思えばいいんですよ。お嬢」


 今にも泣きそうになっていた私にたしかに凍夜はそう言った。

うろ覚えな微かな記憶。


 まだ幼かった私は飛んでしまった風船に叫んでいた。

「戻って~~~! 風船さん戻って!!」


 凍夜のひとことに私は素直にそう願った。




すると、そう。


 空高く小さく映っていた風船は何かに押し戻されるようにふらふらと、しだいにはっきり見えるようになる。そして目の前まで降りてきた風船のひもを凍夜の手が掴んだ。


「わ~い!」


 そのときはまあ風船が戻ってうれしいで終わってしまったが、あとからあれは何だったんだろうと思いだす幼い記憶。


「魔法みたいだな」

 幼いころには不思議な事とかおかしなことはもっとあった気がするが、学校でみんなに話をしても生温く笑われるだけだった。どれだけ願っても同じことはできなかったし、気のせいと言われてしまえば気のせいだったと思うくらいの出来事だった。観月荘を離れ大学に行ってからはそんなことは思い出すこともなかったのだ。


「しかしこれは」消えることもなく指先で燃える炎をみながらつぶやいてはみる。

 私ももういい歳なのだ。さすがに子供のように騒ぐことはしない。



 そう、私もいい歳なんだけどね。


しょうがないよね。



「ファイアボール!」とやったら手のひらから火の玉が飛んでいったりしちゃったらさ。

そりゃテンションも上がりますわ。



 その日。その後の時間。


平日で宿泊者もいない観月荘の屋上は、いつもよりもちょっと賑やかだったらしい。

 次の日に私が寝不足になる程度には。







 そしてその後、

あらたな力に興味津々な私は、暇があればなにができるのかいろいろ試してみたりした。


炎を操れるようになったあの日から、1週間ほど経っている。


結果、わかったことが二つあった。


 ひとつは、この力は観月荘にいるとき限定らしいということ。

出先の無人駅でこっそりタバコに火をつけようとポーズをとり、パチンと指を鳴らして何も出ないままそのポーズでいた私は、見た人がいればかなり間抜けな姿だったと思う。


 もうひとつは、この力で出来ることできないことがある、ということ。

ファンタジー小説によくあるような何でもできる便利な魔法、ではない。


「観月荘の掃除に使えるようなお掃除魔法、クリーンとかそんな魔法が使えりゃよかったのに」


 いまのところ火を出したり、風を動かしたりはできるけど、物質を創造したり消したりといったことは成功していない。

もう少し実用性というか、役に立つ力が欲しかったな、という思いしかない。

一通り試して、ファンタジー世界ならいざ知らず現実世界で役に立つものではないとわかってからは熱も冷めた。


 いやさ、実際現代日本でなにができるの?


観月荘でしか使えない炎芸とか風を使った人形繰りとか宴会芸?

ちょっとTVのバラエティに出たとしてもいかさま扱いされる未来しか見えないよね。


 まあ面白いから練習するのはいいけどね。





*****




その頃。



 奏たちの観月荘がある美湾温泉の駅から、電車で30分ほどの磯海市では。

数日後にひかえた旅行の準備に悩む少女がいた。


「うう~ん。とにかく行けばなんとかなるのかなぁ???」

 彼女の手元にあるのは一通の手紙。


その内容をあえて評するとすれば稚拙としか言えない不適切な言葉が並んでいる。


 曰く、

とりあえず来ればなんとかする。

笑っていれば何とかなる。

 あ。念のため偽名を使っておくからね。


 彼女は今まで信頼してきたその手紙の差出人が、

急にポンコツというか心配になるような内容の文を送ってきたのに困惑していた。


 正直、指示を受けた文面だけでは何ともならないだろうと思う。

あまりにも大雑把であり、説明も何もない。


「けど、奏さんには会わなければいけない気がするのよね…」


 手紙にあった宿泊を指定された旅館は、

隣町ともいえる海辺の観光地にあるらしい。携帯の検索でみたそのHPには彼女の【良く知る名前】と同姓同名の名前があったのだ。


 そして。

なれない電車のダイヤの確認に旅行鞄の買い物に。


 彼女にとっての生れてはじめての旅は。


あまりにもあいまいな、黒幕の指示で始まったのであった・・・



Chapter2




「ふぃ~」


 普段のローテーションで外回りの掃除をし、箒の柄に体重を預けての休憩中。

せっかくの野外ということでしっかり煙草は吸っている。


ぱたぱたとの足音とともに凍夜からの声がかかる。

「奏さん!」


 さぼっているように見られたのかとあせったがどうやら、昨夜話していたお客さんが来ただけらしい。

結局お互いの呼び方は昔からの名前呼びに戻った。正直いまさらオーナーとかお嬢とか呼ばれたくないというのが本音だ。


 今日宿泊予定の客は一人旅で平日に2日ほど連泊ということで特にまわるところもない田舎の観光地的にはちょっと珍しいパターンのお客さんだ。


 さすがに凍夜ひとりにすべてを任せてオーナーである私は何もしない、というのもなんなので、最近フロントの受付は私が行うことになっている。

 予約票は確認したがネット予約ではなく凍夜が電話をとって処理したようで記入フォームのところどころ未記入な状態になっていた。

 まあ「アレルギーはありますか?」の記入がなくとも来てから聞きゃイイネというのが本音だけど、いまどきは先に了承なくなにかあると何かとうるさい世の中なのである。


 いちおうは受付でいろいろお尋ねしなくてはならないだろう。



 家業であり旅館裏の目立たない離れに住んでいた私は、幼いころからお手伝いもしており、社会人としては若輩ではあるが、ある程度の対応はそつなくできる。


の、ではあるのだが。


 そんなあたしの平常心はいとも簡単にへし折れた。

「ちょっと!おい!ちょっと!凍夜!!」


 受付を済まし施設や客室の案内も終わらせた私は、

凍夜をつかまえて声をあげる。


「奏さん!大きな声を出すとみっともないですよ。

お客さまにも聞こえちゃいます」

 何事もないようにそう返す凍夜の顔にうっすら笑みがあるのを見逃す私ではない。ぜったいこいつ確信犯だ。


「大丈夫なのか⁉あの子泊めちゃって!!」


 先ほどご案内した今日のお客さん、

記名の苗字は「桜」さんと言う和を感じる名前なのだが、その容貌と言えば金髪に灰色の瞳。ひかえめな唇はローズピンクに彩られ、どう見ても西洋人。なのはまあいいのだが、問題は未成年、というか中学生ほどにしか見えなかった。

実際記帳してもらった年齢欄も15歳となっている。

 そんな歳の女の子が一人旅で2日間こんななにもないところに宿泊する、崖上にある観月荘のロケーションも相まって悪い予感しかしない。


 が。しかし


凍夜の応えはその斜め上の内容だった。


「来春中学を卒業予定で働ける場所を探してるらしいですね。

人手不足のここにはもって来いというか、ちょうど良かったですね~」


「お…。おま…!!」


 思ってもいない話をいきなり突き付けられ私は絶句する。なんだその嬉しそうな顔は⁉


どうやら予約時にいろいろお話していたようだ。


「そんな話なら予約の時断ってくれればいいだろう!」

「違いますよ~」


 そしてやたらかわいい笑顔で答える凍夜。こいつのこういうときの違います、ほどあてにならない違いますはない。


「さっき来館されたときに気になっていろいろ聞いたんです。でも、この時間から帰れ、って言ってもちょっとかわいそうですもんね~」


 なんとなく正論を連ねても結果が動かない気しかしないのだが、一応は反論する。


「でももったいないだろう!うちはべつに求人なんか出してないわけだし!!

今帰ってもらえば宿泊費も要らない。お互いに無駄な時間使わなくてもいいだろう!」



 そんな私の言葉に溜息をわかりやすく吐き出して彼は、

もはや笑顔なのか怖い顔なのかわからない迫力で畳みかけてくる。


「最近、忙しいんですよね。朝から漁港と市場と回って仕入に仕込み。

チェックアウトが終われば奏さんの賄いに午後にもなればチェックインの対応も。

もう少しお客様が少なかった時は忙しいって言っても週中はお休みも多かったですし、

修一オーナーの時は賄とか食べさせてもらう側で考えなくてもよかったですし」


そして止めとばかりに満面の笑顔をつくって迫ってくる彼に逆らう言葉はすでにない。

奏さんのHPはもうゼロです。


「いまどき、こんな田舎で働いてくれる人、貴重ですし、お互いのマッチングの時間をこの宿に泊まるって形で頂けるんならありがたいばかりですよね。心配しなくても奏さんがタバコくさいから働けません、とお断りされる可能性もあるんですからね!

まじめに考えてあげてくださいね。」




 なにか納得いかない感はあるのだが、


外堀を埋められている中で断ることもできず、その彼女の「面接」は始まった。

なんといっても、面接は面接で採用しなければ良いだけの話なのだから。


「ふ~ん。普通に日本人なんだねぇ」と、

 初手から相手の容姿をディスるような、普通の企業であれば人権問題になりそうな発言を繰りかえしてみる。そう、彼女の容姿は日本人離れというか、あきらかに欧米の白人系なのだ。今回は圧迫面接じゃないけど、できればスムーズにご辞退いただきたいということで若干強めの対応を心掛けている。


 観月荘で女将としてという話もあったのだが、私が和服を着てご挨拶するとどうみてもそのすじの姉御みたいにしか見えないので遠慮したくらいで、自分の見かけが優しくはないことは自覚している。このくらい圧をかければ小娘なんぞ折れてくれるのではないかという計算だ。


 だが、


「はい!母は間違いなく日本人です。育ちもずっとこちらで育ちました!」

衒いなく元気に答えてくれる彼女の経歴は中学在学中ということでなにもない。


 居住地に同じ県内の養護施設とかいてあることが、この歳での就職ということに繋がるのかもしれないが、さすがにそれは尋ねることも難しかった。


 聞くことといえば、手元の履歴書には「桜 ももこ」といういかにも偽名っぽい名前が書いてあるが、

これは突っこんでいいのだろうか…


「このお名前、ご苗字はお母さまのってことでいいのかな?」


 ふわっふわの金髪のなかで曇りのない笑顔が答える。


「いえ、ここで働いてみたらと勧めていただいた方が名前はこう書いておけば絶対採用してもらえるから書いておきなさいって!」


 だれだ⁉うちはさくらさんもももこさんも求めてないぞ!!


しかし、自称ももこちゃんは良い子だった…




 夕食後の面接と称した時間が終わり、

ももこ(自称)ちゃんには部屋に戻ってもらった。


片付けがてらまだ厨房にいた凍夜をつかまえて愚痴る。

「良い子なんだよ~ ももこちゃん!!」


 聞けばお母さんと死に別れた後は養護施設でお世話になっているとのことだけど、そもそも戸籍が無かったので施設のほうで戸籍をつくってもらった、とか、

 もう聞くも涙なエピソードばかりで…そんな彼女に匿名で差し入れていろいろ支援してくれる人を「足長おじさん」と呼び慕っているらしい。いや、普通に考えてなんか怪しいよそれ。

 今回観月荘に来たのも足長おじさんが、中卒で働くなら住み込みで働ける旅館の仲居さんとかお勧め、とか言いくるめていろいろ諭した結果らしい。


実に怪しい。結論ありきで動いてる臭いがするけど、ただ、それをしてもももこちゃん(偽名)は良い子だ。なんか話してるだけでほんわかするというか。


経緯はともあれ、働いてもらうのはいいかも、と思っちゃうくらいには。


「絶対になにか知ってるんだろう?」


わかりやすいくらいに目がおよぐ凍夜。


「まあ、いい。まだ時間がある話だし、そもそも彼女よりも怪しいやつが目の前にいるわけだしな」




 働いてもらう、もらわないの結論はとにかく、とりあえず、

彼女がここにいる時間楽しんで帰ってもらおう。

 興信所とかそういった難しいことはわからないけど、目の前の情報を持っていそうなやつを問い詰めるのも、いろいろ調べるのも彼女が帰ってからでも遅くはない。



 彼女のここまでの人生を聞いて同情してしまったというのはある。


そして、そんな時間にも恨みつらみではなく感謝できるいい子なのだ。ももこ(仮名)ちゃんは。彼女の今の時間を徒労感と絶望で彩るよりも、ここが楽しかったと覚えていてほしい。

 私は素直にそう思った。


 私も母がいない環境だが、父は可愛がってくれたし、あの子よりは幸せな環境だったはずだ。

けど結局私は父さんとは話もできない関係になり、今はただ、父が居なくなりで少しは違う見方ができるようになっただけだ。

それに比べればあの子には、そもそも反抗する相手もいないのだ。



 そうはいっても、


 雇用主として彼女の人生を背負えるかとか考えると、安易に採用にはできない現実がある。

なんといっても私はまだ、観月荘の経営状態もろくに把握できていない状態なのだから。

 でも、ここにいる時間。

せめて明日一日は目いっぱい楽しんで帰ってもらいたい。


その時、私はただそう考えていた。



 そう、


私たち二人が揃うことで、動き出す「なにか」、があるとは夢にも思わなかったのだ。







 二人が出会った同時刻。


遠いとおい海の上ではひそかな異変が、起きようとしていた。


 月明かりが照らす水面は穏やかで、ここが湾内ではなく公海の真ん中だとは信じられないほどだ。

海中の生き物も寝ている時間なのか生きているものはなにも居ないのではないか、と勘違いしてしまう。


 そんな静かなしずかな夜に

ぽつり、っと空間に穴のようなものが開く。


地図で言えば太平洋上の公海の何処か。針の先ほどのそれに気がつく者はいないだろう。


【ミつけた…ゾ】


そう。それこそそこから感じられる「なにかの思念」に気がつくことができる者でもなければ。


 やがて針先ほどの空間のほころびは5cnほどの裂目へと成長し、そこから黒いなにか液体のようなものがぽとりと垂れる。なにかドロリとした油のようにも見えるそれはしかし裂目のすぐ下の海に吸い込まれるように消え、水面には油膜なども出来はしない。

 その液体の量は徐々に増え裂け目から何かが海に注ぎ込まれ続けていた。


それは気づく者もいないまま半日ほども続いたのだろうか。


 やがて最後の一滴がぶるりと滴ると、空間の隙間のようなものはゆっくりと小さくなりやがて消えていった。


海に沈んだなにかと、


消えた裂目と。


 そして海原は朝日を迎え、そこにはなにかがあったという痕跡はなにも見あたらない。



 ただ穏やかな空と水面があるだけの景色だった。




Chapter3




「正直あの年頃のこがなにを楽しいと思うのかよくわからんな」


 そう。ももこ(仮名)ちゃんに楽しんでもらおうと思ったのは良いのだが。


だけど、ここはまごうことなきど田舎で、明光風靡な景色はあれどショッピングモールもおしゃれなカフェもなにもない。

 ふりかえり、自分がこのところ楽しいと思いやっていたことといえばあの力。魔法を使って遊んでいたくらいなのだ。


 発動条件はこの観月荘の敷地周辺100m程までと検証できたのだが、誰でもできるということもなく、いまのところ私だけが使える力だ。

 いつものようにぱちんと鳴らした指先からタバコの火をつけて独り言ちる。


「まあ、これもできると楽しいし、手品としたらそれなりに受けはするんだけどな」




「ええ~⁉すごい!!!」

 案の定、私の炎芸はももこちゃんにウケた。というかこの子素直過ぎへん?


出来ればもう少し暗闇になる時間のほうが映えるのだが、まあそれはいいだろう。


 最近覚えた風を使った人形の空中浮遊などもまじえ一通りみせた私は言ってみる。


「さあ、レッツトライだ!」

「え?」


 まあ戸惑うのはわかる。けど、せっかく発動条件の一つ、当館敷地内にいるのだから試さないということもないだろうし、なんなら成功した時にうれしいような演出の一つもしてみようではないか。


「ももこちゃんはここに来てから何か感じないかな。たとえばモヤッとしたなにか、そう、妙に濃い空気の塊が見えちゃったりとかさ」


「え??」


「息を吸うようにそれが体に取り込まれる感覚というか、なんかお腹のあたりでぐるぐるいつもと違う違和感あったりしないかな??」


「え…っと。なんとなく?あるのかな??」


「おお~!!」


 正直この程度の反応でもいままで得られたことが無かった私のテンションは一気に上がる。


 というか上がりすぎたかもしれない。


 10分後。炎を灯せたら使うはずだったクラッカーやらくす玉はむなしくも放置されたまま、ちょっと重い空気の中で私とももこちゃん(仮名)は顔を見合わせていた。


 ごめん。


飛ばしすぎたかもしれんな。

楽しくなかったよね。たぶん。


 手品の練習のふりをして、手旗信号に合わせて炎を出しましょうとか、

折り紙の千羽鶴1000羽乱舞させたりとかはいきなり難易度高すぎたかもと、ちょっと反省する私…


 もちろん彼女が炎だの風だのを操れることはなかった。


「なんか面白かったです♪」




「こ、ここの旅館ってさ!」

なんとなく重苦しくなった空気を払うべく話題を変える私。

これでも空気は読めるほうなのだ。


「釣りとかできたりするんだけど、ももこちゃんって釣りはしたことあったりするかな?」





 波打ち際であおられたボートが揺れる。


「きゃぁ!」


 慣れない彼女は小さく悲鳴を上げた。

釣りをしたことがないというももこちゃんを誘い、観月荘の下の桟橋から釣竿をのせて漕ぎ出した海の上だ。


 放置していた船外機が動かずにオールで漕ぎ出す羽目になったのはご愛敬。

 だが、ポイントは目の前なので問題もない。


オイルが滲んでる船外機を海水に漬かないように引き上げて、今度までに修理頼まなければと心の中にもメモもする。



「わぁ!すごい!!」

邪気ない笑顔がまぶしすぎる。


「ねえ、そういえばさ。ももこちゃんて偽名なんだよね、なんか呼びにくいし、本当の名前って教えてもらえないのかな?」


「え?」

きょとんっと、ほんとうになにを言ってるのという感じで彼女は答える。


「佳菜ですよ~」


「え?」


ボートを漕ぎながら、思わず秘密じゃないんかい~っと叫びそうになる私。

そして


「本名は御柱 佳菜です。なんで足長さん、桜 ももこ、なんて書けって言ったんでしょう?佳菜なんてよくある名前ですよね」


ももこ、改め佳菜ちゃんの言葉に固まる私。




「楽しい~♪これって食べれるんですか??」

「ああ。あとで凍夜に唐揚げにしてもらおう。大きいのは刺身だな」


 たしかに、もし予約リストに「御柱」なんて名前があれば私はそれだけで構えてしまっていただろう。

母の実家である「御柱」の姓はそうそうある名前ではない。もしかしたら、受け入れを拒否したかもしれないし、ある意味偽名は正解だったろう。もし本名で受け付けていたら、佳菜ちゃんとこうしてお話しできる雰囲気になれたかはあやしいところだ。



 ただ、そこまで考えてあからさまな偽名で予約を勧めた彼はなにを考えているのだろうか。


 そもそも佳菜ちゃんの素性はなんなんだろうか。


 そんな上の空の私をよそにサビキ仕掛けにアジは入れ食いしている。

すぐに持ってきたバケツはいっぱいになる。


「そろそろ戻ろう。食べられないものを釣るのはだめだから」


 よほど楽しかったのか残念そうな顔をする佳菜ちゃんだけど、


「はい!」っと無駄にわがままを言わず言葉を飲み込むのは癖なのだろう。


 私は。

もう少しわがままを言うこの子の顔をみたいなと思いながら無意識に煙草をくわえる。



「きゃああ!」


 ボン!っとそんな音と、唐突に上がる火の手と煙。船外機から滲んでいたのはオイルではなく燃料だったのだろう。


「ごめん!佳菜ちゃん!」


悲鳴がする方を向いたその時私が見たものは…


「いやあああ~!!」目を瞑りさけぶ佳菜ちゃんから飛んでくる大量の水だった。




Side 佳菜



 冒険というにはちんまりだけど

初めての小舟と釣りはわたしには立派な冒険だ。


船べりでぼんやりしている目の前のひとの面立ちをみる。


 自分とは似ても似つかない鋭い目つきに日本人形のようなさらさらロングの黒髪が映える。

 黙っていればちょっときつめの美人さんなのだけど、時折みせてくれるおちゃめな行動のほうが素の奏さんなんじゃないかなと、感じる。


 最初はちょっと怖かったけれど、慣れてしまえば素敵なお姉さんだなと思える魅力的な人だ。

今日はいろいろかまってくれてずっと一緒に居てくれているがお仕事とか大丈夫なのだろうか。


 わたしがここに来た目的は奏さんに会うためだ。


 たぶん、わたしのお母さんのこともよく知っている「足長おじさん」

なんの意味もなくこの旅館にくることを進めたんじゃないことはなんとなくわかる。


 そしてお母さんが残してくれたメモにあった私のお姉さんの名前と同じ名前のひと。

こんなの期待するな、といっても無理よね。




「そろそろ戻ろう。食べられないものを釣るのはだめだから」


 そんな声をかけられて、残念な気持ちになったのは、釣れ続けてる魚に未練があったわけじゃなく、どちらかといえば奏さんともっとここに居たかったからかもしれない。


 でも楽しい時間はどこかで次に進んでいく。


 ほんとうに。

高校に行くんじゃなくここで働かせてもらえたらいいのに。


 そんなことをぼうっと考えていたその時に。


 奏さんがつけたタバコの火がエンジンから漏れていたガソリンに飛んでしまったのか、


 ただその時は急に軽いボンと爆発するような音がしたと同時に奏さんの長い髪が炎に包まれて…思わずわたしは叫んでいた。


「きゃああ!」




 なんとかしなきゃ!


なんとかできないの、と


 そう思ったときに水、みずっと思うわたしに反応したかのように、なにかが私の手のひらに集まるのを感じ、そして、


「ごめん!佳菜ちゃん!!」


 なぜか謝る奏さんに向けてわたしの手から大量の水が飛んでいったのだ……






 佳菜ちゃんの手から何かが噴出したようにみえた。


叩きつけられる水流に咥えていたタバコの火も消え吹き飛ばされて、いきおいで私も船べりから落ちそうになる。

「佳菜ちゃん!!いいから、もう消えたから、大したことないし!」


 そのとおりでタンクに燃え移る前に大量の水に散らされた炎は消失して、これ以上水をまかれたらボートが水没する勢いだ。


 っていうか、この水は…?


なんとか落ち着いた佳菜ちゃんと無事桟橋に戻る。


「ね、もう一度できるかな」


「え?」


「水よ、出ろ!って心の中で思うだけでいいと思うんだ。たぶん」


「え?」「え??」




 そして、


桟橋の上で盛大に水柱を上げる佳菜ちゃん。


「えええ~~??」


噴きあがった水は当然のように重力に負けて。


私たち二人はびしょ濡れで階段を上がり、観月荘に戻るはめになりました。

とさ。





Chapter4






「ちくしょう!!」


 母が居なくなってから父が荒れていたと聞いたのは私が大きくなってからだ。なんとなくそんな父の姿も憶えている。


 当時の父は強くないお酒をのんで、

場所がら崖から飛び降りるんじゃないかと心配したと、父の友人でもある田村さんにあとから聞いて教えてもらった。


 私は、母は病気で死んだとしか教えてもらえなかった。まだ幼稚園に通う私を傷つけないようにという判断だと思う。けど、ありがちな話で大学に入る前に自分で自分の戸籍を確認した際にそのことを知ってしまった。

 もっと早く多感な時期に知ったなら、荒れたのかもしれない。


 まあご多分に漏れず母に失望し、父に怒りも覚えたし、実際大学時代に父と距離をとり、どこか違うところを探すように就職活動したのもそのことが関係ないとは言わない。


私にとっての母はそういう人だ。



 でも父が残した写真の母はまだ小さな私を抱いて優しそうに笑ってる人だった。





Side 佳菜



「ごめんね佳菜」


 わたしが覚えているお母さんは、そんな言葉を発していたと思う。


 小学生に上がる前の話だし、かすかな記憶だけど、優しい人だったと思う。お母さんがあっけなく事故で亡くなってしまったとき、身寄りもないわたしは養護施設に入ることになった。その時、わたしには戸籍が無かったそうで、施設の人がいろいろ申請してくれたことを後から教えてもらって知った。


 名前や生年月日、会ったことのないお姉ちゃんの話などを残してくれたのはお母さんだ。そんなこともなんとなくわかる歳まで教えてもらえなかったけれど。何も知らなかったわたしがそれでも前を向いて来れたのは、いつもわたしが欲しいと思ったタイミングで魔法のように助けてくれた贈り物のおかげかもしれない。


「誰か」が見ていてくれる。気にしていてくれる。そんなことだけでも幸せだった。


 小公女なんて知らなかったけど、施設のみんなが「足長おじさん」みたいだね、と教えてくれた。中学生になって自分の苗字がかなり少ないものだと知り、もしかしたら「家」を見つけられるのかもと思ったりしたけど、母が帰らなかった家に今さらわたしがいる場所もないだろうと思っていた。そんなときに「足長おじさん」から初めて提案のような手紙が来たのだ。


 内容は、高校に行かずに働いてみないか、というものだった。しかも具体的に県内の観光旅館で仲居さんとして、と。支度金という感じでいくらかのお金と連絡先も同封されていた。


 ネットで調べてそこの代表者の名前を見たときに、わたしはとりあえず行ってみようと決心したのだ。






 そして彼女、御柱 佳菜ちゃんは帰って行った。

彼女の希望であった観月荘への就職の返事はとりあえず待っていてもらっている。


 そう。私の母の旧姓である「御柱」はそうそうある苗字ではない。

なぜか、母の実家の苗字を名乗り、なぜか、私と同じように魔法を使える佳菜ちゃん。


 ここに来た経緯から何から「誰か」の明確な意思をひしひし感じる。

でもそれを問い詰めるのは今ではない、と思う。


 わざわざ自分を窮地に追い込む負け戦を、しなくてもいい時期に始めるのは頭が良い行いとは思わない。

まあ対価としての爽快感でもあれば喧嘩を売るのもやぶさかではないんだけど、相手が凍夜なら別の話だ。

いや、可愛いとか好きとか関係なくね。

 普通に観月荘の生命線を握っているのは彼なのに、準備不足の戦いを挑むのはあまりにも無謀だと思う。やるならば徹底的に地固めして一撃で倒せる準備をしてからだ。


 もしそれができない場合は気がつかない顔をし続ければいいだけだし。

だから今は、何事もなかったように佳菜ちゃんのことも進めたい。



そんな私の思惑を知ってか知らずか、普段通りの脳天気な調子で彼が言う。


「わぁ〜。良かった奏ちゃんが決心してくれて!」


「まあ人手不足は確かだし田村さんももういい年だしな」


 そう。先日の顔合わせ面接的なイベントのあと返事は保留していが、佳菜ちゃんには観月荘で働いてもらうことに決めたのだ。

 正直、面接後のいろいろの後であれば私の気持ちとしては即答でもよかったのだが、施設との調整やら下調べや準備に時間がかかった。


「もちろん、高校には行ってもらう。うちでなら働きながらでも通ってもらうのは問題ないしな」


 いくらなんでも最終学歴中卒は頂けない。

時期的にすべりこみで地元の海月高校の受験にも間に合う。インターンシップの形をとりで今彼女が行っている中学も卒業まではここから通う段取りだ。意外と親身だった施設のひとが心配していたが、彼女の強い希望と私のPRもありでそういった形に落ち着いた。


 実際、観月荘の手伝いと言っても布団敷きとか配膳を手伝ってもらうのは夕方の時間がメインなので平日も問題ない。ましてや忙しい週末にフルに助けてもらえるのなら十分な戦力だ。


 先日オーナーとして初めて税理士さんに教えてもらいながら四苦八苦してまとめた観月荘の決算は芳しいものではないが、借金を返済しながらでももうひとりくらい雇えるだけの余裕はある。


「まあ凍夜ひとりに負担をかけ続けるのはなんだしな。なんなら賄いとかは仕込めば佳菜ちゃんに任せられるんじゃないか?」

「奏ちゃんはやる気なし、と」


「そこはわかってるだろうに。才能がないもんはしょうがないだろう。」

 別に開き直るわけじゃないが。


板前でもあった父が、わたしが中学生くらいの時、いろいろ教えようとしてくれてはいたのだ。ただ、家庭科の実習でもていよく試食係に納まっていた、私が受け止められなかったというだけで。

 いや、なんなら担当して調理するのも吝かではないのだけど、食べてくれる人が少ないというだけで。


「僕は好きだけどな。奏ちゃんの料理」

なんでお前のバカ舌に私もつきあわなければいかんのか。

「作るだけなら作ってもいいけど、私の分は凍夜が作ってくれ」


わかりやすく顔を顰めた凍夜が肩を竦めてどこかで聞いたようなセリフをいう。

「諦めたらそこで試合終了だよ」


 違う、そうじゃない!と思いながらまあいつものように観月荘の時間は過ぎていった。




 そしてその日、


 ちょっと大きめの鞄ひとつの彼女は観月荘に居た。

そう多くはないという残りの私物は後から便で来るようだ。

「よろしくお願いします!」


 素直さを絵にしたらこうなるだろうという感じで佳菜ちゃんが頭を下げる。

ぺこり、っと音がしそうなかわいらしい仕草だ。


田村さんも凍夜も、こころなし頬が緩んでいるようだ。


 ふわふわの金髪に灰色の瞳、どこか西洋人形を思わせる儚い容姿は、それだけで見る人を和ませる。

欧州の女性はローティーンの線の細さをあっという間に脱ぎ捨てて逞しく育つことが多いので、佳菜ちゃんも将来はどこぞのガチムチ空賊頭のようになるのかもしれない。

 そんなことをぼんやり考えていたら、佳菜ちゃんと目が合った。



「よろしくお願いしますね、オーナー」

「ああ。慣れない環境だろうし、ほどほどに頑張ってくれればいい。それと私のことは奏と呼んでくれ」


「はい!」佳菜ちゃんの笑顔を見ると、なんだか色々無くしてしまった自分が恥ずかしくなる。

 どこに落としてきたんだろうなと考えても、まあ中学生くらいには今のような性格をしていたしなと。人間、自分に無いものは無性に眩しかったり羨ましかったりするものだ。べつに綺麗なものを汚したいとかおかしな性癖はないので、素直にこの笑顔を守ってあげたいと思える。


「奏…お姉さんと呼んでもいいですか?」


 あざとさを感じない上目遣いは反則だ。「あ、ああ」


 きっと今の私は、No1キャバ嬢が隣に来たときのおじさんと同じくらい挙動不審だったのではないだろうか。とりあえずそんなおじさんと同じくらい目尻が下がっていたに違いない。隣では吹き出しそうになるのを堪えている凍夜がいる。


 まあ。


そんなこんなで佳菜ちゃんは観月荘のメンバーに加わったのだ。






 佳菜ちゃんが働きだして少し落ちついた頃のこと、

まかない付き住み込みの彼女は、私と一緒に離れである住居スペースに住むことになった。

今日は仕事も終わりで二人リビングで寛いでいる。


「魔法、ですか??」

「ああ。まあ便宜的にそう呼んでいるだけなんだけどさ。ちなみに」


 今では慣れたもので軽く指を弾いて灯した炎でタバコに火をつける。

「この炎には種も仕掛けもない」


「わぁ!」


 もちろん指を弾く必要なんかない。単になんとなくカッコよく点けたいだけなのだ。

最近はもう特に隠さず知人にも見せていたりする。どうせ観月荘限定の力だし、こんなん現代日本で宴会芸以外何に使えというのだ。

 いや、宴会芸なんてもの自体もう需要もないだろう。実際に観月荘にもあるいかにも昭和な大宴会室はほとんど使われることもない。


 ただ、

これまで検証する中で観月荘限定とは言え私以外ではこの力を使うことができた人はいなかったのだ。

 訪ねてきた知人や田村さんたちだけなのでサンプル数的には少ないが、この力を使えるのは私だけ…

だったのだ。

でも先日の小火騒ぎの時に佳菜ちゃんはたしかに魔法を使えた。


「佳菜ちゃんもできるみたいだから、いろいろ試してみようじゃないか」


 そう。いつぞやのボートのとき見たあれは間違いなく私と同じ力だ。



「でもわたし、施設に戻ってからいろいろやっても、何もできなかったんですよ!」

 なぜ、私と佳菜ちゃんだけなのか、というあたりにも、いろいろ検証し思うところがある。以前考えていたような「観月荘」がキーワードになる力ではないことももうわかっている。少なくとも私が魔法を使えるのは観月荘がキーではない。

 ただ、今この場所であれば力が使えることももうわかっていることなのだ。


 今日やっているようななにができるかの検証とか、パワーアップの取組みとか、

正直ひとりでやっていてもいろいろ恥ずかしいし、なんなら、二人ならば倍増しで恥ずかしい気もする。


が、

 住込みで働くことになった佳菜ちゃんなので私と同じ離れに住んでおり、仕事が終わったこの時間は誰に憚ることもないというのは幸いだ。

 正直いろいろ試す際にべつに呪文めいたものは必要ない。実際に私が炎を出すときにもとくに声は出さなくてもやれるのだから、お試しのときもイメージさえしっかりあればいけそうな気もする。


 しかし、「ファイアボール!!」だの「テレポート!!」だの叫んでしまうのはアニメやマンガで育った世代の私たち的には仕方がないところなのだ。


なんとなくイメージもしやすいしね。


 ちなみに。


叫んだ結果が出たときはまあ良いのだが、叫んだだけで何も起こらないときは恥ずかしいことこのうえない。「テレポート」などは何回叫んでみても1㎜もできたことはないのであった。



 しかし「なにか」起きたときも怖いので練習するのは広い場所がいい。

私たちは上着を羽織り外に出た。

幸いというか岬の一軒家的なここは人目につかないような場所ならいくらでもあるのだ。




「…ウォーターボール…?」


 どうせ誰もいないのだから遠慮する必要もないのだが、それでも佳菜ちゃんの声は遠慮がちだ。そんな戸惑いながらの佳菜の言葉だが、滞ることもなくそれは現象となった。

 私の炎と風とおなじように佳菜ちゃんと水は相性がいいのかもしれない。

 ばしゅん!っと


風をきる音をさせながらドッチボールの球ほどの水の塊が勢いよく飛んでいく。


「えっ!?」


思った以上の現象に戸惑い声を上がる佳菜ちゃん。


「ってぇえ!? え〜〜〜っ!!?」


 なんというか、さくっと佳菜ちゃんの手のひらから飛びだした水球は崖上の敷地を飛び出して月闇の海上にみえる岬のほうまで飛んでいく。


 波音に消えているが、もしかしたら岬の岩場まで届いているのかもしれない。

人に当たったら死ぬんじゃないか?これ??

大きさも思ったより大きいしな。


「なんなんですか、これ~~~!???」


 まあしかし。大きいことは良いことだ。

現代社会の枠の中で生きていくにはどうせ使えない力だけどさ。ちょろちょろ出る水よりもドバドバ出たほうが使うぶんには融通が利くのは自明のことだろう。


なんといっても水道代が浮く。


 そして嫌がる佳菜ちゃんを巻き添えに、

二人が何をできるのかの試行錯誤の時間は過ぎていった。


結果私は私は変わらず炎と風が使えること、佳菜ちゃんは水と氷を出せる事がわかり、

私がちょっと落ち込んだのは内緒だ。


 いやだって、今どき竈とかあるわけじゃなし火と風なんて実生活ではなんにも使えないけど、水と氷はそれなりに使えるじゃん。

 クーラーも水道もなくても無人島で生きてけるよ。佳菜ちゃんは。


そして。


 その後人目のないときは観月荘の水遣りは佳菜ちゃんの仕事になりました。

ほんとうに水道代が少し浮きました。すごく有難いです。



Chapter5



「え。いいんですか、これ…」


 佳奈ちゃんが新品の自転車に目を見開き、恐るおそるというようにこちらを見上げる。


「気にしないでくれ。就職祝いだとでも思ってくれればいい」


 通っている中学が電車で25分ほどということもあり、ここへ来てしばらくは、観月荘の送迎車で駅まで行きそこから電車通学していたのだ。

 しかし遠慮というか送迎いただくのは申し訳ないという本人の希望があり、明日からは自分で自転車通学することになっていた。物置の片隅に置いてある私が通学に使っていた自転車を見つけ、それを使う気だったらしい。


 個人的にはまだ中学生の彼女にはもっと甘えてもらってもいいと思うのだが、彼女のかたくなな思いに善意の押し付けも拙いだろう。まあまだ来てもらって10日ほどであり、お互いに距離を測りかねるなかで苦渋の決断ではあった。


 いやだってさ、こんなにかわいい佳奈ちゃんが自転車で5km、最後は暗い森の中を一人で走るなんて危ないじゃん?危なくない??危ないっしょ⁉


 私が佳奈ちゃんが自転車で通うことになり焦り、

ひそかにアプローチの小道にはソーラーライトなどの設置を行ったことは内緒だ。



 佳奈ちゃんの自転車は、商店街の自転車屋さんの在庫でお勧めのままに買わされたアシスト付きのやつだ。学区外ということで指定自転車などもないようだし、ちゃんと漕がないと進まないやつだから、まあ問題はないだろう。


「ありがとうございます‼」

佳菜ちゃんは新品の自転車に戸惑いも見せたが、そこはそれで嬉しいようで笑顔で応える。


 横でその様子を見ていた仲居頭の田村さんが心配そうに声をかける。

彼女は観月荘の良心というか、地元とのパイプ役もしてくれている気遣いの人だ。

「そうはいってもね佳菜ちゃん、海風もあるここは雨も雪も今までいた街とは違うけんね」


 そう、ここ観月荘は小さな岬の上に建っており、海沿いを走る街道から森を抜けるように上がるアプローチの坂道がある。明日から自転車で駅まで通う佳奈ちゃんにとっての最後の関門ともなる上り坂なのだが、その坂を除いてしまえば駅までの道のりは意外と平坦だったりする。商店街もある美湾温泉駅も高台にあり、海岸沿いの県道は山際の少し高台を走る感じで通されているためだ。


 晴れてさえいたならば、風光明媚な景色も楽しめるということでロードバイクの観光客も多く、それなりに広くとられた歩道も自転車通行可となっていて安全、なのだが、

 海沿いの高台の道ということで海からの風を遮るものもなく、日本海側のこちらは冬は荒れることが普通であり自転車通学などできない日も多いのだ。


「もちろん、天気が悪い日は送っていくさ」


私も自分が中学生のとき、父に軽トラで送ってもらった日々を思い出す。いつしか意地を張りで多少の天気なら雨合羽を羽織りで通っていたことも。そして学校まで送るという父の手をはねのけて、自転車で飛びだす私を見送っていた父の寂しげな姿も。


 そんなことは起こらないと思いたいが、もし雨の日に駅まで送るという私の手を、佳菜ちゃんに跳ね除けられる日があれば私はかなり落ち込むのではないだろうか。


もちろん佳菜ちゃんがそこまで素を出してくれることは当面ないだろう。


「よけいな心配だな」


ふとつぶやいた私の言葉尻を捉えて田村さんが顔を顰めた。


「奏さん!」


「いや違うんだ」


「なにが違うんですか⁉」


そんな私たちのやり取りをきょとんとした顔で見つめる佳菜ちゃん。

「天気が悪いときはお願いしますね、奏お姉さん」

ほんといい笑顔だね。


私も田村さんも笑顔に巻かれて思わず微笑んでいた。




 そして。時節柄ちょうど冬場のこの地方では、やはり自転車では通えない日も続いたある日。


「とにかく、今日も車で送るからな。何かあったじゃすまない」

「奏お姉さん、…奏さんもお仕事あるんですから、大丈夫、です!」


早ない⁉この子、いま奏お姉ちゃん、じゃなく奏さんって…!!

いや、自分のことでなるべく負担を掛けたくないという気持ちなんだろうけど、

 お姉ちゃん、寂しいぞ。


「今日は雪じゃなく雨だから、大丈夫!」

どうしても送ると言い張る私を振りきるように佳菜ちゃんは自転車で出かけていった。


 まあね。このところほとんど毎日送迎になってたし、佳奈ちゃんなりに思うところもあるのだろう。けど、海風直風のこのあたりで冬場は海も荒れちゃうししょうがないじゃん?


 だがなんとも寂しい。

ふと、私に手を振り払われた父の顔を思い出す。

『他人』の佳菜ちゃんでさえこんな気持ちになるのだから、娘に振られた父の気持ちはさぞ荒れていたのかもしれない。


っかなんでもう親みたいな気持ちになってるんだ。私は。


 その日、無事に帰ってきた佳奈ちゃんが、

目を白黒させるほどのごちそう攻めになったのは私の気持ち的にしかたがないところだろう。



Chapter6



「今どきは結構お安いものなんだな」と、


今朝方届いた検査報告書をみながら独り言ちる。

 ここ数ヶ月、佳菜ちゃんも私も思うことがあったが、お互いに口に出さなかった。その結論がそこにあった。


 仏壇にあった母の写真を佳菜ちゃんが見つけたときや、ちょっとした時言い淀んだ瞬間、お互い気まずい時間が過ぎたりした。


 佳菜ちゃんはいい子だし検査がどういう結果でもいいと思ってはいたが、

まあ想像の通りの結果だった。


 そして、この状況を作ったであろう人物とも話をしなければならない。

 おおよその予想はでき、証拠も固まってきた。


 ただ、あまりにも不可解な彼の動機は質しておかねばならないだろう。


「待ってろよ。凍夜」




奏が対決の決意を固めていたその日の宵。




 観月荘の周りは穏やかな落日の時間も終わり、月の明かりに照らされていた。


 小さな岬の中程にあるここからは、先端まで行こうとしても道なき岩山を越えていくしかない。


 敷地の崖下は天然の岩壁がコの字に突き出すようになっており、岬でいえば先端に近い側の石壁は真上から見ればL字に内側に曲がりこんで、ちょうど専用の船着き場、小さな湾のようになっている。


 そんな岩壁の反対側にはちょっと拓けた磯場があるが、酔狂な釣り客が船で渡って居でもしなければ人目も人影もない場所だ。


そこに、


 べちゃり、と湿った音が聞こえるような感じで水面から生えた腕が岩を掴む。


もちろん波音がある中でそんな音は聞こえもしないのだが。


 コールタールのような黒色の肌を持つそれが岩を掴んで姿を現す。しばらく経つうちに数を増やしたそれは磯場の上に異形の軍団とも言えるものを作り出していた。





同じころ。




 ここ、観月荘の厨房では、慌ただしくバタバタと夕食の調理の時間が過ぎていた。

最後のご飯物まで段取りした凍夜は一息つく。

 さすがにスーツは脱いでいるがワイシャツの上にエプロンという出で立ちに、長めの髪が入らぬようにか申し訳程度にコック帽も被っている。


 ふと、何かを感じたのだろうか。視線を上げて顔を顰める。


 少し目を瞑り何かを探るような仕草のあと何事もなかったかのように冷蔵庫からデザートを出し準備を始める。が、ため息をつき言葉を漏らす。


「いやな感じ。…気をつけなきゃだな。

ここがもう少し内陸ならあいつの心配もないんだけどな...」






「凍夜、ちょっといいか?」


 平日にめずらしく宿泊客が多く、忙しげに働いていた凍夜。

私は板場の仕事も終え帰り支度の彼をつかまえる。


 これからの話は人目がある場所では進めにくい。

月明かりの崖の上、観月荘の敷地の隅の小さな東屋、私は彼をその場所まで連れ出した。

無駄に広い敷地に海を見下ろす高台とそこの波音で、多少の話声は紛れるだろう。



 近くの木陰には、佳菜ちゃんに待機をお願いしつきあってもらってる。

なんとなくこれからの話は彼女にも関係があることのような気がしたからだ。



「そろそろお前の正体を教えてもらいたい」

「また随分な言い方だね〜。正体って僕の何が知りたいのかな…?」


「全てだ」

そう。今日は中途半端なお話はしない。パズルのピースは出そろっている。


 あとは彼に話を聞くだけなのだ。


「うう~ん…奏さんにはなにも隠してないでしょ??

観月荘勤務の何でも屋、宿泊客にもちょっと人気の凍夜さんってことじゃダメなのかな?」


「…そういうのはもう良いんだ。凍夜。そもそも誤魔化す気もないんだろう」


「え~??」



 …もしかしたら隠していたのだろうか…?


「まずどこに住んでいるんだお前?」

「え、え〜と…街?」


「さすがにここ1年近く一緒に働いているんだ。いろいろおかしいだろう。ここの軽トラや送迎のワンボックスに乗ってることはあるけど、そもそも自転車も車も持ってないだろう。お前」


「それは…

歩いてるからね」


「駅まででも5km以上はあるけどな。

それまで気がつかなかった私もまぬけだが、こないだ纏めた数字では決算書にお前の給料がなかったんだ。給料もなしで働くなんて大概お大臣なんだなお前。」



 あちゃ~っとでもいう感じに凍夜の表情が動く。

一瞬視線がさ迷い夜空でも見るような上えに傾くも、だからどうした、というていで諦め悪く私の目をみつめてくる。


「オーナーとしても観月荘をひとりで回してくれている凍夜を無くしたくはないし、

気安い友人としてのお前も無くしたくはない。だから今まで何も聞けなかった」


「…じゃあ、聞かなくても良いんじゃない?」

「どうしても聞きたくなったんだよ」

 この段におよび逃げをうつ凍夜だが、今日は決戦の日だ。逃がす気はない。


 パサリと音がしたかしないか。私は東屋のテーブルに佳菜ちゃんとのDNA検査の報告書を置く。

まあ薄明かりのこの場所でこんな物を取り出しても読めるわけないけどね。


「私と佳菜ちゃんは同じ母親から生まれたという結果が出た。

たぶん、佳菜ちゃんがいう足長おじさんってのは凍夜、お前だろう」


 視線をテーブルに

そして私に戻し、ふざけるのはやめたのかやや真面目な顔をする凍夜。


「そう…?かもね」


「そこで問題だ。どうやったら佳菜が母の子だと知ることができて、どうしてここに呼んだんだ。私が聞きたいのはそこだ」


「…」



 凍夜の雰囲気がかわる。

こころなしか夜半の風も先程までよりも冷たく感じる。ような気がする。


 だがまだだ、

まだ私は彼に尋ねなければならないことがある。




「私が魔法と呼んでいるこれ」

べつに威圧するわけではないけど凍夜の顔のまえでぼんっと火の玉をつくってやる。


「おまえが私たちに使わせているんじゃないか?

この力はお前がいるところでしか使えない。

だから、お前が帰った時間にも使えることはおかしいんだ。

お前は仕事が終わって帰るふりもするけど、基本この建家に棲んでいるんだろう。

そもそもお前が観月荘に来たのは母がいなくなってからだ。そのお前がなぜ佳菜ちゃんと母のことを知っているわけがあるんだ?」



 私に詰められるような形になりで凍夜は、

表情を消しちょっと視線をそらすようにしながら、



そしてなにか諦めたように語りだす。


チェックメイトだ。




「僕には、護るべきものがあるんだよ。それが僕の存在理由であり使命だ。」


彼はどこか遠い目をしながら。そして。

気持ち小さな声で続ける。


「そして守れなかったものも」




「佳菜ちゃんを呼び寄せたのは僕の都合だ」

「わからんな。わかるように言え」


「奏と佳菜ちゃんと同じ場所にいるほうが守りやすいと思ったんだよ」

 私はなにを相手にしているのだろうか。


 そして彼は「なにから」守りたいといっているのか?

世間の荒波とか悪い人とか、そんな世俗的なものからなのか?


凍夜からは威圧感とか敵意は感じない。けれど、


 いまや彼が人外の存在であることを明確に感じる。

人間の彼の姿が存在を薄くしているというか、なにか出てきそうな雰囲気だ。


 いや、薄々はわかっていてこの場を迎えたはずだ。ただ前提はあの凍夜が私にとって危害を加えてくるような存在ではない、という思い込みがあったわけだけど。


 今。


目に前にあるモノはそんな薄っぺらい思い込みはなにも役に立たないと教えてくれていた。


「僕は…本当の僕の姿は凍れる夜の王、そして…」そう語る彼と私の後ろ、

崖の上にべちゃり!となにかの音が聞こえたような気がした。


 突然の、

どしゃ、っという鈍い音。そして、

ひゅんっと、風を切る音がする。

 勢いよく凍夜と私の間に水流が奔る。


 そして水弾に貫かれるように飛ばされて崖下に落ちていくなにか。

いつの間にか現れたモノが私を襲おうとしていたようだ。


「お姉ちゃん!」


 隠れてみていた佳菜ちゃんが気づき魔法で攻撃したらしい。

なにが起こったのか?


 唐突な展開についていけない。

しかし、東屋の横の柵に手をかけるように現れた黒い影は、1人といえばいいのか1匹なのか。崖下から這い上がるそれ、は次々に飛びあがり姿を増やしていく。


 気がつけば私たちは囲まれるように襲われていた。暗がりの中に浮かぶ姿は人間のそれではない。ただ手足があり人型をしているだけで明らかな異形だ。


「ちっ! あいつ!!眷属をここまで!!」


 崖下に異形を蹴落としながら、凍夜が叫ぶ!

しかし彼にとってもこれは想定外の出来事のようで、


「逃げるんだ奏、佳菜ちゃん!今の君たちじゃ力が足りない!」


 自分だけがわかっていることを前提に私たちに指示を飛ばしてきた。




「は!? わけわかんないんだよ!」

 吹き出るアドレナリンについ荒くなる口調。そして…

凍夜は味方かもしれないが隠し事の多いやつは信用もできない。


そして私も魔法を使う。


 ぼひゅん!っと。


 私の掌から飛び出した炎の玉を受け、一瞬炎に照らされたそれは、エラ呼吸してそうな半魚人っぽいやつだ。炎弾を受けた異形は、勢いを止められず弾かれるようそのまま崖下に落ちていく。

この半年魔法の訓練はしていたのだ。

日常生活には役立たずでも環境破壊はできる程度に威力も上がっていたりする。



 そこからは佳菜ちゃんと私の無双モードだった。


わらわらと現れる輩を佳菜ちゃんの水球と私の火球ではたき落としていく。

やがて、


 崖から這い上がろうとしていたものも含めあらかた掃討が終わったと思えば

月明かりの沖合の海が持ち上がるように、巨大ななにかが現れそうになる。


「無理だ!!」


そう叫ぶ凍夜を尻目に佳菜ちゃんとアイコンタクト、

そして私は叫んだ。





「くらえぇ〜い!環境破壊アターック!!!」


 佳菜ちゃんの水と氷、私の炎と風をいい感じに混ぜ合わせると水蒸気爆発っぽいことを起こせることに気がついたのは1ヶ月前。

それを壁の中に閉じ込める形イメージして極限まで圧縮して一気に解き放つ。

風の壁で筒状の形状を作ったらその中だけで爆裂を閉じ込める感じなので周りへの影響も最小限だ。

 上手に逃がせば爆音も響かない。このひと月で私と佳菜の複合魔法ともいえるそれは、それこそ異形の親玉を吹き飛ばせるほどの威力に到達していた。


ぼごん!っともどごん!っともつかない鈍く大きな音と巨大な波しぶきが立ち上がる。


 岬の先にある美湾漁港の灯を映す仄暗い海面に現れていた巨大ななにか、は爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされる。その体であったものや、海水、爆風や爆音などとあわせ、筒状の丸い空間の中で巻きあがり、遥か上空まで吹き上がる。


 私がその筒状の形を解くと同時に海水が流れ込み、観月荘の前の海はしばらく台風の波に襲われたように荒れ、波しぶきが崖上まで上がった。

 そしてそれが落ち着いた頃、上空から霧雨のように先ほど吹き上がった海水が降りそそぐ。やがて霧雨もおさまり星空がのぞくころには、


 観月荘の崖から望む水面には、居たはずのなにかもなく、ただ静かな海が戻っていたのであった。




「おまえら姉妹はどこを目指してるんだ〜!」

 なんか呆れたような凍夜の声が聞こえたような気がしたけど気にしない。


 現れそうだった大物を無事倒した爆発はさすがに近郊を騒がせたけど、

後日まあ迷惑な花火だったということで話は終わった。




Chapter 7




「水蒸気爆発のイメージね…


またなにか新しい属性発現してるのかな~…

風を使って圧縮してなんてできるわけないじゃん…‥‥


キレイに吹っ飛んでたよね~……

ほんとうに奏と佳菜ちゃんの魔力量じゃ倒せるようなやつじゃなかったのに…」


 どこか遠い目をした凍夜がつぶやいている。


 吹き飛ばした大型が本体だったようで沸いていた異形の化け物はすべて消えたようだ。

それを確認して今は離れの居間に移動している。


 遠くの港や2階の客室に明かりがついて騒がしくもあるがまあ大丈夫だろう。





「僕は…異世界から来た。海神の巫女に使える守護獣なんだ」


 先程ほどではないが、普段とは違う俯き加減で凍夜が喋る。

あんな事の後ではこの信じがたい告白も、まあ素直に受け入れるしかないのだろう。



「海神の加護を得た一族の村が、滅んだときに最後の巫女が逃れ、たどり着いたこの世界で君たちの曾祖母に、になるのかな。とにかく彼女は御柱の家の者と結婚しこの世界で暮らすことになった。


村が滅んだのは巫女が宿す海神のかけらを欲した邪神に襲われたからだ。僕は里も巫女も守ることができなかった役立たずなんだよ」


「僕は海神に巫女を守るよう任じられた眷属で守護獣だけど、あくまで巫女の力を増幅する守護をもつだけで、戦う力はないんだ」


「なるほどね。私や佳菜はその守護を得て魔法が使えるってことだな」


「そうだよ。本来巫女が持つ力であればもっとこの世の理りに干渉もできるだろうが、今の奏と佳菜ちゃんであれば増幅した魔力を放出すること精一杯って感じになる」


「納得だ。いつか行った漁港で火がつけられたり、佳菜が海上で魔法を使えたりしたのは凍夜が傍にいたり、認識できる範囲だったからってことなんだな」




 答え合わせのような凍夜の独白は続く。


「そしてこの地で代を重ねた巫女の力が薄まるとともに僕も存在を維持できず見守るだけのモノになっていた。奏のお母さんが襲われたときは助ける力も無かった。」


 凍夜の話の中で、母は、暴漢に襲われて佳菜を身ごもり、そしてそれを誰にも言う事ができず、姿を消すことを選んだらしい。


「佳菜ちゃんが生まれたときはじめて、奏と二人あわせた力でなら守護獣である僕が顕現でき人型でのサポートもできるようになったんだ。そして僕は…」


「二人が成人し力を十全にするまで待つことにした」




 母が私やお父さんを捨てたのではない、そう聞こえたような気がして、私の中でなにかが溶けていくような気がした。


けど


 そこはそれで言わなくてはいけないこともある。




「待つってどういうことだ? 私の家はここだ。お前となんか行かないからな!」


凍夜が笑う。

「だよな。奏はそういうと思ったよ」


 そして今までの雰囲気を変えて、普段の彼の顔で言う。



「そう。僕の望みは元の世界で、邪神を名のる奴を倒して村を復興させることだ。


さっき襲ってきたのはその邪神が産んだ眷属で間違いない。この場所に巫女がいるとわかった以上、きっとまた狙われることもあるだろう」



なんだかとんでもないことを言いだす凍夜。だが、


「また佳菜と戦うさ」

 ここは引くところではないだろう。

私も佳菜も守るべきものを見つけたばかりなのだから。



 どうしても高くなる視線で見下ろすように凍夜を睨めつける私。

凍夜は心なしか顔をあげなにかを悟ったように目つきで。




「…でも今じゃなくていい。」


小さく息を入れて凍夜はつぶやく。

「奏と佳菜ちゃんを見守りながら、いつか一緒に行ってくれる奴が生まれるまで待つよ」






** Epilogue **





「お母さん…」


 後日、春先のうららかな良く晴れた日に。

 観月荘の住居の裏、人目につかない場所にひっそりとしたお墓がある。

父の名前しか入らないと思っていた墓石に新しく刻まれた母の名前。


 私と佳菜は花を手向ける。


「ずいぶん迷子になっちゃったね」



 無縁仏の扱いになっていた母だが佳菜が母の遺骨を持っていたのだ。



 いろいろ湧きあがる想いの中で、ただ佳菜と手をあわせて過ごす。



 こんな。


 こんな時間があっても。いいだろう。





 かすかな波音を聞きながらのそんな時間を過ごし、

私は求めるままに紙箱から一本の煙草を取りだした。


 いつか叱ってくれる人もできるのだろうか。


私は中毒者でもあるかのようニコチンを求める。


 先ほど線香に火をともしたマッチを一摺りした炎が煙草も灯す。


 なんとなく。


 お線香に魔法で火をつけることに躊躇いがあったのだ。


「佳奈。私はさ。


お母さんのこと覚えてないんだ。あ。ちょっとは笑ってたな。

怒ってたな。って覚えてる。

けど、お母さんが何を考えてた、どんな人だったか知らないんだ・・・


お父さんもさ、知らないうちにこんなお墓を自分で作ってた。

遺言でここに入れてくれってさ。初めて知ったんだよ。この場所。おかしいよな」


「お父さんにずっと育ててもらったのにお父さんのことも何も知らないんだ」


私は肺に入れるように煙草を吸い、空を見上げる。



「妹、っていまさら言われても、正直ピンとこない」


 私の突き放すような言葉に佳奈が震えた。

もちろんそんなつもりではない私は焦る。


 違うんだ。そんな顔をさせたいわけじゃなく、私はこういった言い方しかできないんだ。


だから私は精一杯の言葉を続ける。


「今から始めよう。佳奈。


ちょっととうが立った姉で申し訳ないが、姉妹ってやつを始めよう。

いまからの時間でお前のことが知りたいんだ」






びっくりしたような、何か気づいたようなそんな。


佳奈は微笑んで、


そしてちょっと涙ぐんで言う。




「とりあえずさ、禁煙してみたら?」




「わたしより先にぜったい死んじゃダメだからね!




…お姉ちゃん…」






** おまけ① **






「んで、なんなんだったん??


あの凍れる夜の王ってwww」




 今日は佳菜と二人で凍夜を拝み倒しなだめすかしてようやくうんと言わせた、


彼の本当の姿を見せてもらおうイベントだ。


 ここまで渋ってはいたが、


既にあらがう手段を持たない彼は諦めたように溜息をつく。


「後悔するなよ」


変身ヒーローのポーズみたいな両手を広げ天を拝みながら、


 なにがしらの気合を込めていた凍夜の姿は、




マンガのように音もなく。彼であった人型は溶けて、そして本当の姿が現れる。




 普段着ている青黒いスーツのままの艶々とした短い毛並み、


つぶらな瞳。腕というよりも水かきのようなそれ。


 なんというか、「凍れる夜の王」云々は、凍夜の自称というかまあ、


それくらいの「立ち位置だぞ」、という彼の自己主張のようなものだったらしい。


 結構な厨二病だとおもう。


実際は里を守るように言いつけた海神の眷属の一体に過ぎず、その正体といえば、




もう佳菜の目などはハートマークになっている。




彼は。




凍夜の本当の姿は、




 どこからどう見てもペンギンだった。


しかも丸っこい。




彼、海神の眷属という精霊の本体。


 見た目姿はペンギンの中でも愛らしいアデリーペンギンそのものだった。




「きゃ〜かわいい〜〜っ!!!」


「触るな、抱くな〜!!!」


「きゃ~~~っvv」




その後。


 凍夜、ことアデリーペンギンが人気のない夜中にはロビーにある水場でくつろいでいることも判明し、


そこは佳菜のお気に入りになりペンギンの餌付けポイントと化していったのは、




 宿泊されるお客さまには内緒の話だ。








End






** おまけ② **




「な~んで足長おじさんかな~よく知ってたよね。佳菜。


なんならもっと狙って紫のバラの人でもいいじゃんww」




「え。」




「知らん?まあ、さすがにいまどきは知らんか~ww」


「あ。いえ、知ってます、それ、でも…」








「それ、エタっちゃいそうじゃないですか??」




「‥…」




「…」




「」




「ま…」




「まあさ。いいんだけど、足長おじさんの正体が凍夜だったわけだろう。


佳菜的には憧れ、とかなにかあるのかな??」




「え?」




「いやほら紫のバラだったら主人公と恋仲にとか憧れとか、ま、そ~ゆ~、さ。」


「え。だって。」




さも意外そうな笑顔で応える佳菜。




「凍夜さんってペンギンですよね」




「……」




「…」




「」




「ペンギン。だな」






~ ペンギンさんは役立たず です ~




Fin

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