第8話【魔術師アルベルト】

 あるコミュニティがある。以前は小さくて、なんの関心もなかったが、今は違う。巨大に膨れ上がった。あの天陽は私がすっかり貰ってしまおう。男は口の歪みを抑えきれなかった。

 国からの一斉監査が入れば天陽の罪は芋づる式に公になるだろう。つまり一網打尽。だが、その前に、天陽が根絶やしにされたことになれば、それで良いのだ。

 王宮に対抗する権力を手に入れるには。反社会的コミュニティであることが優良条件。しかし私は王宮が抱える魔術学校で卒業し、名が世に出てしまっている。表沙汰になってはならない。と、〝魔術師アルベルト〟は慎重に策を弄する。

 裏から非政府組織をコントロールする術が求められる。

 個人の力には限界があった。それは鬼との戦闘で痛いほど思い知らされた。彼の〝闘争技術と力の結晶体〟であるような〝個〟であるフェルグスですら、王には犬畜生のように従順だ。

 アルベルトは自分の策に誤りはないことを直感していた。フェルグスを超える戦闘力を持ったとしても、王の首は揺らがない。そう考えた。かといって、自分が〝鬼〟になりたいとは微塵も思わない。

 天揚の結末は、ボスであるテオロの死亡。そして、違法に仕入れた大量の爆薬が運悪く着火。ガサ入れに入った騎士達も、その爆風により、運悪く死亡。それが良い。

 しかし実際のところ、肝となる人間とネットワークは残っていて、それを自分が動かせる地位に密かに立つこと。これが、アルベルトの描く天揚掌握の絵図だった。

 アルベルトは、ルヴェンとグラハムによる王の御前試合を相棒のミンと共に視察しに来ていた。その時、アルベルトは既に、ルヴェンが天要のボスであることを知っていた。

 彼はその御前試合で、ルヴェンとグラハムが、魔術も使うことに驚きもした。しかし、本当に知りたかった事はそれではなかった。

 アルベルトはルヴェンが死ぬかどうかを確認するために、闘技場に訪れていたのだった。

 しかし予想とは裏腹に、ルヴェンは釈放された。

 これは、まったくの想定外の事態で、故にアルベルトは〝迅速な処置〟をする必要があったのだ。

「ミンの奴は上手くやっただろうか」

 アルベルトはそう独り言を口にする。

 そして、「そろそろ俺の仕事だ」と言って、モーゼアロンを右手に持ち、山場にある廃屋の屋上から、天陽の事務所を見下ろした。

 彼は、片ひざを付き、左目を瞑った。

 詠唱を開始する。

〝観せよ、観せよ。我が両の眼に、しかと見せよ。この世界の色、形、姿、そしてその本質を〟

 モーゼアロンを、ライフルのように持って、さながらスコープを覗いているような彼の右眼は、元の茶色から、徐々に黄色おうしょくに近づいていく。

 その黄色が、外気から目を守る涙の輝きで金色に見えた頃、アルベルトの見る景色は、天陽の事務所の地下。つまり、ルヴェンとヘーゲルが結託し、闘っている姿を、ありありと映しこんだ。つまり、遠視かつ、透視の魔術である。

 アルベルトは、火炎を起こしたり、ものを爆発させたり、潰したり、老化させたりする破壊系の術式よりも、こういった、情報的な術式を得意とする魔術師である。

 大剣を振るうのはヘーゲル。この男のはアルベルトのよく知るところである。直接の雇い主は、テオロということになっているが、それはあくまで書類上で、実際に案を出したのはアルベルトだった。しかし天陽本来のボスであるルヴェンを護衛しているヘーゲルを見て、アルベルトは舌打ちをした。

「魔術師を裏切るとは……怖くないのか剣闘士!」

 アルベルトはほんの一回も、天陽の構成員の前に、顔を晒さなかった。それほど徹底して己の存在と天陽を紐づける情報を隠した。

 しかし天陽のならずものたちは、なんらかの力を感じ取っていたはずである。

 何者かは分らない。分からずとも、兎に角強力で、恐ろしいもの。ボスさらに上の階層に君臨するナニカ。

 そのパワーバランスをアルベルトは心得ていた。それだけに、天陽のコントロールは、彼の読み通り、いや、読み以上に上手く運んでいた。

 アルベルトが望んでいたのは〝姿のない管理者〟だった。

 アルベルトは、鬼との決闘をその圧倒的な権力に依って強いた、傲慢な王が憎くて憎くてしょうがなかった。そして、父親ヨハンと、重ねるように自分を見下ろし、観察するあの態度が、エリートのアルベルトには許せなかった。地位と言うものにだけ縋った生き様も、人を験すような声も、心の底から嫌悪していた。

 アルベルトは透視を続ける。

 ルヴェンは傷を負いながらも次々と兵をなぎ倒す。ヘーゲルが、剛腕により長ものを振り回し、また兵をなぎ倒している。

 けれど、アルベルトが本当に見たいのは、そこではなかった。

 アルベルトが透視したかったものは、天陽事務所の、最深部に置いておいた、魔術書である。

 魔術書は様々な力を持つ。それは、読んだ人間が使えるようになる技巧に留まらない。

 魔術書は、魔術によってしか書くことができず、故に、膨大な魔力がそこには蓄積されている。それこそ爆弾のように。

 アルベルトが、天陽の事務所に潜めた魔術書は、彼がまだ学士だった頃に使用した中でも、とりわけ上位のものであった。これを発火させる。

 モーゼアロンと、彼の魔術があれば、どんな距離からでもそれが可能である。――アルベルトが事前に詠唱さえ済ませておけば。

 横に添えてある爆薬は、爆発が魔術によるものと推測されないためのダミーである。

 彼は、右眼で、魔術書を透視する。この魔術書を爆破すれば、並大抵の爆弾など比較にならない破壊力を持つ。

 魔術書の紛失。これは歴史ある魔術の一部衰退を意味する。しかしアルベルトにとって、そのようなことはどうでもよい。

 アルベルトは、詠唱する。

〝魔術書よ。到るべきか、到らざるべきか、既に到ったもににより、知ることに至れ〟

 魔術書が、ごう、と鳴った。

 それは宙に浮き、ばらばらとページが捲られながら、赤く煮えたぎったように熱くなる。回転しているそれらが、巨大な火の玉となり、一瞬で光となった。

 ――アルベルトはその瞬間、遠視と透視の術式を解いた。

 そうしなければ、遠視に依って鋭敏になった右眼が光りに焼き切られるからである。

 ドォン! と言う巨大な炸裂音が聞こえてくる頃には、アルベルトは、モーゼアロンを片手に、階段を降りていた。

 事務所に居た三下ども、ガサ入れに来た国の犬ども、そして、そこに巻き込まれたルヴェン。間違いなく全滅であろう。

 ――もはや誰も生き残ってはいまい。各地に散らばっている天陽の兵隊は俺が貰い受ける。

 そこで、アルベルトは、ふぅと溜息をついた。

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