何者にもなれないね

@fukude

第1話 ヘブンドープ

 この小説を、今でも何者かになれると信じている、全ての私達へ。



 アスファルトのように敷かれた雲の道の上で、鉄棒に縛り付けられたあいつが甘えん坊の子供のように四肢をバタバタさせている。僕はその光景を最前列の特等席で眺めている。あいつの足元には薪があって、暴れる度にそれが少しずつずれていく。


 隣にいるあいはそれを見て、「処刑員をあまり困らせちゃだめだよな」と学校では僕に見せることのない、花束みたいな可憐な笑みを浮かべる。


 それに思わず見とれてしまった。慙愧していた人生の全ての中で、僕がずっと欲しかった笑顔。それが今隣にある。


 甲高い喚き声が聞こえた。縛られているあいつが発した声だ。顔には紙袋が掛けられており、その表情を伺うことはできない。だけど、きっと苦悶や恐怖にまみれているんだろう。人生に残機なんてあるわけないのだから、当然なのだけど。


「なぁ、知ってるか夢生むう?」


「ん、なに?」


「焼死というのは、最も苦しい死に方の一つなんだ」


「らしいね……」


「知ってたのか。まぁ、焼死の場合、火傷で死ぬよりも煙で窒息死する割合の方が多いがな。だけど、とにかくインパクトが強い。自殺でもそれが選ばれるのは、強いメッセージ性がある場合が多いそうだ。


 それに、死体も見苦しい。人体は水分がほとんどだからな、皮膚が炭化しても体内は燃えにくくて……。まぁ、その辺の詳細はいいか」


「……愛ってそういう知識、どこで身に着けるの?」


「本とかネットとか……。この知識は完全自殺マニュアルだな」


「……それ、僕も読んだことある」


 思わずそんな苦笑いが出た。僕は正直、あの本は嫌いだ。読んでる時、お前なんか自殺した方が幸せだと言われている気分になったから。


「あばれるな! このごくあくにんが!」


 小学生の低学年ぐらいの子が、そう叫ぶと小さい石をあいつに向けて思い切り投げる。その石が制服のお腹あたりにあたって、彼の声がぐぐもった。もしかしたら急所にあたったのかもしれない。


 だけど、前回は僕を含めて、皆で石を投げすぎた結果、火炙りにする前に死んでしまった。だから、やめるようにとスマホのSNSに書き込む。


 それ以降、石をあいつに投げるものは出てこなかった。


 そして、ついに処刑の準備が整ったらしい。処刑員が火のついた松明を手にして、まるで聖火リレーのように足元の薪に火を灯す。彼の身体にはガソリンが掛けられていたらしく、火はかなりのスピードであいつの身体全体を覆いつくす。ぎゃーとかうわぁーとか怪獣みたいな大絶叫が、広場に轟く。観客の歓声も、また同じく。


 僕は愛の手を握ったまま、彼女に尋ねる。


「次の処刑はいつだっけ」


「明後日だな。殺されるのは、きみのお父さん」


「そっか。なんだか感慨深いな」


 そう答えて、僕は火達磨になって未だ絶叫しているあいつをスマホで捉えて動画を撮った。加工をしてそれをSNSで投稿してやると、すごい勢いで拡散されていく。この調子なら過去最高の二億いいねを超えることだって夢じゃないだろう。


 その拡散ぶりに充実感を覚えながら、僕はこの世界に来て本当に良かったと心から思った。同じ学校に通っていた頃から好きだった彼女が、苦しんでいる僕をここに導いてくれた。前の世界じゃ決して味わえるわけのない充実に今、僕は胸を躍らせている。


「ねぇ、愛。僕の父親の処刑が終わったら、僕ら結婚しよう」


「こんな場所でプロポーズか? でもまぁ、いいよ」


 そう業火の熱気に少し汗をかきながら、僕らは婚約した。雰囲気で言ってしまったから、まだ薬指にあげる指輪も用意できてない。


 だけど、彼女は受け入れてくれた。燃やされていた薪が激しく爆ぜる。


 あいつの絶叫は、すでに止んでいた。

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