File2.霜どけ
強く押して引き剥がすと、クラノスさんは何とも無い様子でこちらに笑顔を見せた。
「……おっと、そんなに拒絶されるなんて悲しいな。私はただ証拠を出しただけなのに。」
「……あ、ああ……。」
力が抜けて、両手を支えにベットに座り込む。唯僕を一直線に見つめてくる四人を目の前に、体がわなわなと震え出した。
……震えたのは、この魔物達に殺されるかも知れないという不安ではない。
怖い。
部屋に充満した鉄臭さが。
理性を無くして暴れた自分自身が。
吸血鬼になった事実が。
「君も酷い事を。」
「そうでもしなきゃ、
今度はどんな言葉を言われてしまうのだろう。人を、誰かに傷を付けたなんて、普通に生きていても侮蔑される行為なのに。
「うあ、あ……ごめんなさいごめんなさい……。」
体に影が掛かり、身体を少しずつ石に変えていく。冷や汗が頬をゆっくりと歩いた。
そんな身体を呼び覚ましたのは、遅過ぎた危険信号。
「あ、ちょっと!」
あまりの恐怖心にベットから転がり落ち、衝撃で傷み始めた体を引っ張って扉の外へと駆け抜けた。
「平気じゃなかったわね。」
「クラノス、が主語じゃなかったの?」
〜*
医務室の扉を開けた先に広がっていた廊下に並ぶ数個の部屋を無視し、アンティーク調の家具が目立つ居間の様な空間に出て、僕はその部屋の奥に設置された扉を開けた。
不思議な事に、そこには上り階段があった。
人一人が通れる位の幅に作られた、焦茶色の上り階段。左右に広がる煉瓦の壁が、手を伸ばすだけで直ぐに届いた。
天井に設置されたランタンの橙色の淡い光が揺れ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
その儚い光景に一瞬だけ足が止まるが、電気が流れた脳の血液が全身に広まって、再び僕の体を動かす。
そんな階段の先には、喫茶店の様な空間が広がっていた。
「ここは……。」
ステンドグラス風の装飾がなされた窓から差し込む夕陽、そう高くない机と椅子。
カウンターの中から見える限りモダンな家具で統一された室内には、先程嗅いだコーヒー豆の香りが広がっている。
「ご覧の通り、ただの喫茶店。私がやってるんだよ、中々良いものでしょ?」
不意に、背後からクラノスさんの声が聞こえた。
「……えっ……!?」
「立ち話も何だし、あそこの席に座ってくれる?何大丈夫、君を殺そうなんて気はさらさら無い。」
指されたのは、三人程度座れる長椅子に挟まれた机だった。
……逃げられない。
促されたまま座ると、クラノスさんはテーブルを挟んで反対側に腰掛けた。
彼の隣にはフィーズさんとカリファさんが座り、僕の横にはカーミラさんが失礼しますと言いながら腰を下ろす。
ふとカウンターの方を見ると、様々な色の瓶や小さな本棚の隙間から、豆が入った瓶が丁寧に陳列されている棚が見えた。
そこに、先程上ってきた階段の痕跡は一つも無い。
「どこから説明すれば良いのやら。」
席に着くやいなや、クラノスさんが困った様子で机を指で叩き始める。
「まずね……ここは人間界じゃないんだよ。魔界って言ってね、色んな魔物が住んでる世界なの。」
魔界と言うには、この場所もこの魔物達もあまりに平生とし過ぎている。
「例えば角が生えたやつとか、体が真っ赤なやつとか、後は私達みたいに人間そっくりの魔物もいる。ちなみに私は吸血鬼。」
その通り、彼等は唯の人間にしか見えない。
異形の羽も角も無く、肌の色も普通。強いて言えば、口から覗かせる歯や時折目に入る爪が尖ってくるくらいだろうか。
「でも妙に敏感な人間もいるから、病院には連れて行けなくてね。街に出て一人にでも気付かれたら、私が死んでしまう。」
「……それで、あの時僕を助けて下さる為に吸血鬼にした、と。」
「そういうこと、同意の上だと思ってたしね。」
了承したつもりは無い。
……だけど、あの時聞き逃した僕にも責任がある。
「でさ……もう単刀直入に訊くけど、君はどうしたい?」
「……どうしたいって?」
「あっちに戻るか、ここに残るか。だってほら、吸血鬼であることに納得してみたいだし。別に条件付きなら帰せるよ?君の事。」
その言葉に口から心臓が出掛けたのは言うまでもない。
『裏切り者!』『関わらない方が……。』『あいつって、あの能力なんでしょ。』
『貴方との下らない仲間ごっこはもうお終いなの。』
……だが、あちらに戻った所で、この身には一体何があるだろう。
訳も解らず虐められ、友から裏切られ、生の崖から落ちかけた。
『学校に行きたくないなら無理に行かないで、勉強しなくたって死ぬ訳じゃない。』
『動きが良くなったな!これならすぐに俺を超えられるぞ!』
……家族がある。
虐め殺されなかった根源が、まだ残ってる。
だけど。
「ちなみに、その条件って……。」
「まず、完全に吸血鬼になる猶予期間があるから一ヶ月はここにいてもらうこと。そしてあっちに帰った後は……。」
クラノスさんが口籠った直後、フィーズさんが続ける。
「一日に一回は何かの血を摂取すること。別に人間の物じゃなくても構わない。」
「……っていう二つの条件。これだけ守ってくれたら大丈夫。君だって家に帰りたいでしょ?」
その質問に、僕は沈黙することしか出来なかった。
今まで生き長らえてこられた恩を又
「簡単な条件過ぎて信用出来ない?でも本当にこれくらいしか無いんだよ。ただ、帰った後の保証までは出来ない。さっきも言った通り、どれだけらしい体でも気付く人間はきっといる。」
最早目線を合わせることすらままならない。
その状態が数秒、数十秒、或いは、もっと続いた後で、その机に少しずつ乱雑な
「……レイ君?」
それに合わせて数秒静寂が続いた後に、クラノスさんがああと口を開く。
「そういえば君、死にたがりだったね。」
包帯が濡れて顔が冷たくなり、少しだけ体温が下がった。
「……あの時、もう死んでも良いやって、思ったんです。あのまま事切れられれば楽だと思って……。」
「だけど君は、生きることを選んだ訳だ。」
クラノスさんが一つ間を置いて、それに続けた。
「……ねえレイ君。何であの時、君は森奥で倒れていたのかな?しかも全身傷だらけ、今にも死にそうな状態で。」
続けられたのは、僕にとっても、誰かに最も訊きたい質問だった。
自分の命が風に吹かれる葉のように脆いものだと感じた、あの時のことだ。
……。
……………。
「……僕が無能だから、友達に見捨てられたんです。」
瞬く黙秘権を貫いた後、口は
「野外授業……だったんです。班活動だったので友達……と組んだんですけど、そこで魔物に出くわして。……そしたら何か、気が付いた時には地面に倒れてたんですよ。」
机上の斑点模様が、一言発する度に繋がっていく。
「……それで、みんな、僕を無視してどこかに行ってしまって。目が覚めたらクラノスさんが治療してくれてた……みたいな。」
何時しか両眼に掛かった
「そんなに嫌い……だったのかなって。そもそもこんな馬鹿げた能力の奴と付き合ってくれるだけで有難いんですけど、でも……。」
__ナイトメア
別名、裏切り。
対象を黒い霧で包み込み、その中で斬撃を攻撃を幾度も行う魔法。
だが魔族には効果が無く、周辺の人間に傷を与える。
持っているだけで評価は地底に落ち、虐げられる魔法。
それが僕の
そんな僕は__
「……ずっと、みんな優しかったんです。」
泣いていた。
こんな無様な姿を魔物に見られるなど、一瞬後には何が起こるか分かったもんじゃない。
しかし、防波堤を築くのは時間が掛かる。
「……能力で差別しないで、僕の事を一人の人間として見てくれた。……何かされたら、守ってくれて、優しい言葉を掛けてくれた。」
能力を批判する行為は、神を
しかし、根付いた信仰を凌駕する程にこの力は“何か”を持っている。
僕も、周りも、きっと誰も知らない理由を持って。
「……本当に、ずっとずっと……僕にとっては、何にも変えられない……親友、
その合間に、胃液が沸々と泡を立てる音が聞こえた。
「でもきっと、それは僕が身勝手に考えていただけで、だからあんな羽目に……。」
それが脳内に絶縁体を形造り、体がぐんと重くなる。
友を否定してはいけないし、だけどあの行動が何故起こったのかは分からないし。
堂々巡りの思考が双眸を蚕食し、視界がぐるりと回る。
近くで声が聞こえた。
瞬きさえも待ってくれず、その声は一気に遠くなった。
「レイ君!?」
〜*
「ん……。」
柔らかい感触と共に、数時間前と同じ焦茶色が見えた。
どうにも身勝手な自分語りをしている内に、気絶してしまっていたらしい。
「あ、起きた?」
ベット横の椅子に足を組んで座るクラノスさんが、そんな僕の顔を見ながら話し掛けてきた。
「原因はストレスだろう、だって。……深掘りしてごめんね。」
髪にかかった髪を優しく退かしてくれながら、彼は申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「い、いえ……。僕が勝手に喋っただけなので。」
そこまで来て、ようやくこの部屋に二人きりだという事実に気が付いた。
「あの……他の皆さんは……?」
「フィーズとカリファは明日仕事だから帰ったよ。カーミラとアナはここにいるけど別の事してる。」
一瞬だけ扉の方を見て、彼はそう答えた。
「とりあえず、今日はゆっくり休みな。でも一つだけお願いがある。」
続けざまに人差し指を立て、口角を上げながら彼は告げる。
「ここに残るか、それとも人間界に戻るか、考えておいて。答えは一ヶ月後に訊くから。」
「……分かりました。」
横たわりながら頷くと、彼は何処か満足そうによしと言って椅子から立ち上がる。僕に手を振って扉へと向かって行くクラノスさんの背中を見つめていると、途端彼は立ち止まった。
「あ、そうだ。」
そして、隅の窓を指差しながら一言。
「そこの窓は開けないでね。」
時計針が期限の時間を刻む音が、頭の中に響き渡った。
〜*
結局眠りに付けなかった僕は、ベットの上で熟考と共に時を過ごしていた。
しかし、どれだけ考えても分からない。
友達に見捨てられ、吸血鬼になった。……話自体は一文で終わるが、全く理解が出来ないのだ。
『貴方との下らない仲間ごっこはもう終わりなの。』
僕との関係を下らないと思っていたならば、今まで擁護してくれていた理由が分からない。
仮にそれが彼等の演技で、裏では陰口を叩いていたとして、僕の耳に一度たりともその噂が届かなかったのは何故だろうか。
それに加え、後一ヶ月でここに残るか、あちらに戻るか決めなければならないと来た。
……何故こんなことになってしまったのだろう。
そんなことを考えていると、扉が小さく音を立てて開けられた。ゆっくりと戻る扉の隙間からは、くぐもった猫の鳴き声が聴こえる。
「……アナ、だっけ?」
そのままベットまで駆けてくると、僕の胸に飛びかかってくる。
両手でそれを受け止め、よくよくその姿を見てみると、アナの口には金の縁で囲まれた赤いハートのバッチが咥えられていた。
「……僕にプレゼント、ってこと?」
当の本人は取れと言わんばかりに顔を突き出してくるばかりで、僕の質問には答えてくれない。
手に取り近くで見てみると、一見新品同様のそれには幾つか傷が付いていた。汚れが目立たないからこそ、浅い傷がずっと目立っている。
「ありがとう、大切にするね。」
小さなプレゼントを懐に仕舞ってアナを撫でると、満足そうに笑って僕の手からするりと抜けた。
「にゃあ。」
そのまま枕の隣まで移動すると、アナは丸まって脱力する。僕も良い加減に寝ようと、それに釣られて毛布とマットの隙間に全身を挟んだ。
「……何で、こんなことに……。」
涙が垂れたのは、欠伸を行ったからでは無い。
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