記憶と呼ばれた何でも屋

四葉ちゃば

File0.君が立つべき舞台の開演を。

死屍累々の頂点にある人身御供ひとみごくうは、黒っぽかった。


いつからか永劫に姿を隠した太陽の下に色を乗せた漆黒は、星明りに目立たされてその姿を隠すことは出来ず、海の香りを戦火が運ぶ毎にその克己心こっきしんが嘲笑われる。

それと同時に、傷に塗れたしじまの体は再び藻掻もがいた。


数多の戦死者を出し、街を破壊し、ひいては文明さえも危機に追い込まれた、人と魔族との瘋癲ふうてんの戦いの一場面である。


後に空望くうぼう戦争と呼ばれたが、その記録は未来の誰も知る術が無かった。


〜*


「……っ!」


 ベットから上半身を起こす。


額にはべっとりと汗をかいていて、体温も寝る前より遥かに上がっていた。何回目だろう、この夢を見てしまうのは。


「はあ……。」


普段ならこのまま無理に寝てしまうが、今日は少し、レイ・ホープを……僕を、ここ十六年を、色んなことを考えたくなった。


 傷だらけの体を起こしてベットの近くに置かれている椅子に座り、傍に掛けられた学校鞄の中から、ぼろぼろの教科書を手に取る。


 目の前のカーテンを開けてみたが、月光や星の光が差し込むことはなく、部屋は見栄えのしない暗闇に包まれたままだった。現在時刻は、午前2時30分。

 ここに、あの夢と同じ施設は一個も存在していない。



空望くうぼう戦争にて齎された屈辱を晴らす時こそ、我々の黎明期である。”

 汚れた教科書の最初のページは、その一文から始まっていた。


原因も、過程も、記録も、何もかもが曖昧なのにも関わらず、人間が敗北した事実だけは何故か皆知っている埋め込まれているずっと昔の戦い。

何度この文章を目にしたことか。



 無意識の内に、教科書はある魔法を説明するページで止まっていた。


「……魔法は、我々が魂を持つ時に神から与えられる賜物である……。」


はず。


生まれた時に神から授かる魔法は、人生の最初で最高の祝福だ。


でも僕は


だけど、決して能力だけに責任を押し付けてはいけない。

 父は昔から剣術や格闘術を教えてくれたし、母からは勉強を習ったし。

二人の常套句は、『台無しになんかならない。』なのだから、きっといつかは救われる。


 破けた教科書に書かれた中傷も、継ぎ接ぎだらけの制服も、僕がもっと努力すれば解消される筈なんだ。

努力が能力を越えるその日まで、ちゃんと鍛錬を積めば良い。


 ……ふと、窓硝子越しに自分の顔が見えた。

包帯と傷だらけの醜い顔に浮かぶ緑色の双眸の縁は、赤いインクを吸ったダリアの様に中途半端な色を持っている。

緑色の髪は、昔はもっと発色が良かった筈だ。

「何で、こんな……。」

 暗い鏡の中で、垢抜けしない奴の口角が上がって、枯れた笑い声が響いた。

 それは紛れも無く、僕の声だった。



 大きな釘を打ち付けるような激しい頭痛に、思わず目を覚ます。


「あっ……!」


物心が付いた時には既に持っていた、決まって不愉快な違和と共に訪れる偏頭痛。今日は何だか、いつもよりも酷い。

どんな薬も治療も効かなかった正体不明の頭痛に頭を抱えていると、ノックも無しに扉が開かれた。


「レイ?」


 そこに立っていたのは、母さんだった。


「母さん……。」

「もしかして、また頭が痛いの?」


今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら、母さんは徐々に僕へと近付いてくる。


「今日は課外授業だって、言ってたわよね。……もし頭が痛いなら、休んだら?無理に動いたら酷くなるだけよ。」


ここで休むなんて言ったら、母さんを更に心配させてしまう。

しかし、そんな思いを無下に頭痛はどんどんと激しくなり、遂に脂汗まで出始めた。

……

……

「ううん、大丈夫。」

〜*


「本日の課外授業は実践的な訓練を行うことが目的だ。四人一組の班を作り、君達が日頃の授業で身に付けた術で魔物を__」


 魔物、魔族、色々な言い方はあるが、兎にも角にも敵であることは間違いない。

所謂魔界に住む彼等は、時折こちらに来ては人間を襲う。


「結界はまだ治らないんですか?」

「無論直したいが、我々の力では限度があるんだ。何せ随分と昔の物で、魔力も相当強い。特別な能力者でも現れない限り、少しの修繕を続けていくしかないだろう。」

「それなら、神様が直してくれれば良いのに……。」


 戦争の影響で人間界ここと魔界を分断する巨大な結界が作られたが、老朽化の影響で効果が弱くなっているらしい。


「まあ、今日の授業は魔物討伐だ。__君に出来るかは知らないが。」


 先生の目線が僕に移った。

朝一番に始まった頭痛は未だ治らず、何度も僕の頭を打ち付けてくる。

__ああ、今日も一日が始まってしまった。


 昨日、一昨年、数ヶ月前、数年前、或いは生まれた十六年前。

気が付いた時には始まっていた、僕以外のえこひいき。

抵抗する気は無い。むしろ感謝するべきなのだ。こんなに弱く哀れであえかな存在に関心の一つを持ってくれることに。


何も思われないより、ずっと良い。

ずっと良い。


 そんな僕とは違い周囲の様子に怒りを露わにしてくれたのは、数少ない三人の友人達だった。


「気にするな、レイ。今笑っている奴は、どうせ後から痛い目に遭う。」


いつも皆を引っ張ってくれるカイト・ザァリナプ


「相変わらず、最低ね。」


穏やかで優しいエミリー・アディピスト


「先生も虐めに加担するとか馬鹿みたい。」


明るく意思が強いミスティア・サーヴァント


 気が付けば一日のほとんどを共に過ごすようになっていた親友達。こんな能力の僕を差別も非難もせず、それどころか励ましてくれて、庇ってくれた。


一人の人間として、ちゃんと見てくれた。


彼等にとって僕は知り合いの一人に過ぎないのだろうが、僕にとっては掛け替えのない恩人なのだ。


「……ありがとう、みんな。」


だから彼等の為に、更に努力しなければならない。


〜*


「え……?」


 僕は今、何をしているんだっけ。

みんなと一緒に課外授業を行うことになって、森に入って、それで……?


うつ伏せになった状態で霧だらけの視界に映るのは、赤い液体で汚されていく草と、木々達の根。


……うつ伏せ?なんで?


体が痛い。先程の頭痛なんか忘れてしまった。

生暖かい液体が地面に広がっているいるのにも関わらず、腹が凄く冷える。


「もう直ぐ死ぬか?」


 髪が引っ張られて、友と眼があった。衰えた聴覚に、今まで聞いたこともない友の低い声が耳に届く。

__ああそうだ、思い出した。


「放置しておけば、いつか。」


頭が解放されて、勢いよく地面にぶつかる。


 タレク先生、イグニ先生、ムーリア先生、ルドー先生、イアナ先生、プマント先生の五人が引率する、森での野外授業。目的は魔物を討伐すること。

 僕たちは中々見つけられなくて、でもそんな時に、大きな銀の狼を見つけた。


 あんな魔法は使えないから、双剣を引き抜いて健闘しようとした。


「なら、放置でいいんじゃないの?」


しようとして、一足先に人狼と戦っていた友に腕を引っ張られ、無理矢理彼の前に立たされた。そうしたら、魔物が僕に向かって、大きく鋭い爪を振り下ろして、


「そうね。」


 それで、僕は切られたんだった。


「み、みん……な……?」

「貴方との下らない仲間ごっこはもうお終いなの。」


 瞳の光が見えない。

 精巧に造られた人形の硝子玉みたいな目だ。


「なん……で……?」


 つい数時間前まで、彼等は僕を庇っていてくれた筈。

何故こんなことに?


 今までどんな声も聞いてくれた三人が、初めて僕を無視し、踵を返して何処かに去ってしまう。


「待っ……て……。」


 身体を起こそうとするが、大きな損傷を負った体は鉛を背負って重くなり、心を貫通した希望は、抜いたら多量の放棄を溢してしまう気がした。


「……ああ……。」


『最悪な、生き様だ。』



「……い……おーい……大丈夫?」


 一体意識を失ってからどれ程の時間が流れたのだろうか。

優しそうな男性の声に目を覚ますと、再び木々が目に入る。


「……あ、起きた。」

 体は木に預けられていくらか楽になっており、感じていた腹の冷えも少し良くなっていた。

しかし鼻は鉄匂いに支配され、耳は聞こえ辛くなっている。


「おはよう少年。勝手に応急…を…もらった者なのだけど、君は…う以上に酷い…負っていてね。」


 これは死に際に見てる走馬灯か、それとも既に死んだ後だろうか。

それにしたって居心地は悪いし、こんな記憶は知らない。


「このままだと多ぶ….ん….とかで死ん..うと思うんだよ。医者じゃ….分から..けど。」


 未だ定まらない視線で声の方を見ると、齢二十程度に見える探偵服姿の男性が見えた。


「……ああ、そうなんですか……。」

「病院には….都合.…行けないし、こんな森奥に人..は来ないし……って、そんな話を…..みは死んでしまうね。」

「……別に、良いかな。」

“死んでしまう。”と言う言葉に、意図せず口から言葉が漏れ出る。

隣で声が聞こえた気がした。


「どうせ助かっても虐められるだけだし……母さんと父さんだって、白い目で見られるし……死んだ方が、みんなの為になる……。」


傷付いていない頬に、生暖かい液体が垂れる。


「だから、別に……。」

「なら死ぬ?」


 その物騒な言葉と同時に男性の手が伸びてきたかと思えば、首に尖った何かが当たった。

 それは、男性の爪。

到底人間の物とは思えない赤く鋭い爪が、徐々に皮膚に食い込み、内側に侵入しようとしてくる。


 僕は反射的に、男性の手を掴んだ。……掴んで、しまった。

死にたいと嘆いた馬鹿者が行った、数十年振りの、最期のだ。


「あれ、死にたいんじゃなかったの?」

「……いや……。」


今までにない強い力のお陰か、その手はピタリと止まってくれた。


「なら少年、私から提案がある。」


 極寒地に入って操作が効かなくなった手の力を緩めぬように気を付けながら、男性をぼやけた視界の先で見つめる。


「……にならない?」

「………ん………?」

「君の過……けど、このまま死んでも良いと思う….には、酷い扱いを受け….みたいだね。ならどうかな、ここら.…人生を変えてみるとか。それに、このま..死ん.…し。」


 ……人生を変える、か。


この陵辱されるだけの人生を変えたいと、一体何度思ったことだろう。


「ああ、はは……素晴らしい話、ですね……。」


 無意識に口から笑みが溢れて、力が弱まる。しかし、彼の手が動く気配は微塵も無い。


「おや……後戻りは出来ないけど。本当に良いの?」 

首が垂れ、下を向いた。


「分かった。君は“はい”と言ったからね。」


 その瞬間__皮膚を一気に突き抜けて、首の中に爪が入り込んできた!


「……がっ……!?」

 それと同時に、僕の口は手で塞がれてしまう。


「ちょっと痛いけど、我慢してね。」


 決して入ってはいけない物が、体の内側を掻き回す不快感。叫び声を上げたくなる激痛。

弱りきった体が、打ち上げられた魚の如く暴れ始める。

 それが数秒続いた後、首の中で妙に暖かい液体が広がった。同時に爪が首から引き抜かれ、口も自由になる。


「っ、は……はあ……。」


 暴れ回った果てに訪れたのは、疲弊を超えた脱力感。

何にも力が入らなくなった僕の体を、男性は軽々しく持ち上げる。


「おやすみ。」


 意識はそのまま、闇に落ちた。

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