第1話:呪われた誕生

 彼が名を馳せるまで残り350年。

 そのゴブリンは憎悪の中この世界に生まれ落ちた。もっとも母体から祝福されてこの世に生まれ落ちるゴブリンなどこの世には存在しないのだが、衛生管理の概念など微塵もない暗い世界の底で彼を生み落とした母体は視線だけで生物を殺せるんじゃないかと言わんばかりの強い強い憎悪を込めながら、己の腹に繋がる臍の緒の先を睨みつける。


「……しんで……しんで……シネ」


 呪詛に値するのではと感じられる重い言葉を吐き捨てながら、彼以外の子供に乳を吸われる母体。抵抗したくても両腕を何処かの冒険者が落としたのだろう鎖でグルグル巻きにされている母体に何かが出来る訳もなく、虚しく金属音だけが響き渡りその音が漸く彼の意識を現実へと引き戻すのだった。






(──え?なにこれ?地獄?)


 ゲームの中それもエロゲーの中でしか見たことのない光景にドン引きしつつも周りを見れば、恐らく俺の父親……どれが父親?みんな同じ顔で分かんないけど見るからにまぁ、ゴブリンって感じの連中が何を楽しいのかギャッ!ギャッ!という汚い声と共に下卑た嗤いを浮かべ兄弟達に集られている母を見ているのが分かって気分が悪くなる。


(しかも俺までゴブリンかよ……なんなんだ?悪夢なら覚めてくれ)


 自然と切れた母との繋がりは兎も角、視線を下に向ければ分かるこの緑の身体と手足は何処からどう見ても周りの連中と同じで吐き気に襲われるが生まれたばかりで何も腹に入っていない為にただただ、えずくだけで何も口からは出てこないのは少しだけ有り難かった。


「ノメ」


(え?)


 ゲシっと背中を蹴られたかと思うと生まれたばかりの軽い身体は簡単に転がって、兄弟達が取り敢えず満足して離れた母体のすぐ近くまで来てしまった。

 振り返れば俺は当然のことだが他の個体よりも大きく、右目に走る傷が特徴的なゴブリン──ゲーム知識で言うなら恐らくホブゴブリン──が俺を蹴り飛ばした様だ。

 

「ノメ ソレガ シゴト」


(なんで言葉が……いや、分からない方が不思議か同種なんだから)


 そうだとしても言語理解までが早すぎる気がするが……って今はそんな事を考えている場合じゃないか。

 逃げるのは当然無理。今の俺は生まれたてで普通のゴブリン以下のサイズだし、何より明らかに手入れをされていないとはいえ武器を持ってる連中に素手で勝てるとは思えない。


(つまり大人しく従うしかないか)


 自分でもなんでこんなに落ち着いているのかは分からないが、一先ずホブゴブリンに従うと決め母の身体を攀じ登る。当然、凄まじい目で睨みつけられるが俺が生きる為だと割り切り目を逸らしながら乳を吸う。


 ムカつくほどに美味かった。






 すぐに思い出せる記憶は学校が終わって制服を着たまま、普段使っているベッドへとダイブした記憶だ。真夏のクソ暑い時期だったのもあるが、水泳の授業を選択していた俺はめっちゃはしゃいで泳ぎまくったせいか普通に歩くのもフラフラになるほど疲れ切っていて、スマホでダラダラと動画を見るのすら限界ギリギリの行動だった。


「あー……疲れたぁ……今日はなんのアニメを見ようか……」


 最近、マイブームの異世界転生系アニメをボケーっと見ながら疲れから眠気が襲ってきて……そうだ妙な音が頭の中に響いてきたんだ。なんか軽くて角張ったものが跳ねる様なそんな音が。


──カランッ!──


(そして気がついたらゴブリンの姿になっていたと。意味がわかんねぇ……)


 こういうのって神様がいる真っ白空間で話をしたりもしも現実ならトラック運転手が廃業するんじゃないかってぐらい突然やってくるトラックに轢かれてとかそういうお約束を経てのものじゃないのか?

 しかもある程度成長してから自我を取り戻すとかじゃなくて生まれた瞬間から自我あるし、母や父に愛の祝福をされるどころか憎悪と関心ゼロを向けられて挙句、人間ですらねぇ……泣いて良いか?いやもう洞窟の中、すっげぇ臭いが充満してて勝手に涙目ではあるんだけど。


(にしても、ほんとゴブリンって生命体は性欲に従って生きてんだな。生まれ落ちてから多分、三日くらい経ったがもう兄弟達は母体に対する情欲を起こしてやがる)


 まぁ、混ざりたくても弱いから全部のゴブリンが寝てる時か上機嫌な時しか『使えて』ないっぽいけど。多分三日ってのは狩りに出てる成体ゴブリン達が戻ってきた回数で把握してるだけだから正しいかは分からんが、この群れに保管されてる母体達は腹に赤ん坊を抱えていない限り、休み無しで犯されてるんだから死んだり精神的に壊れたりするのも出てくる……それを『使う』なんていう連中も居たな。


(人間らしい倫理観なんてこの地獄には何もない。ゴブリンの欲望と母体の憎悪と狂気が渦巻くだけ……本当になんで俺はこんな目に遭うんだ?)


「クエ」


(ん?)


 この群れのボス、ホブゴブリンは明確に他の個体より賢いみたいで生まれ落ちた俺らを真っ当に育てようとしているらしく食事を摂ろうとしない俺にもこうして仕留めてきた動物の生肉をくれる。

 こんな群れから離れた場所で膝抱えて座ってる奴なんか気にせずに放置してくれれば、楽に死ねるのにこの身体の本能なんだろうな。目の前にこうして置かれると食べてしまい餓死から遠のく。


(焼かれてないし血も滴ってるからクソ不味いんだけど、でも食わないという選択は取れないんだよな)


 そうそうゴブリンはやっぱり成長速度が速いみたいでな。もうすでに立派な歯が生えているからこうして肉を食っても何も問題がないんだよ。

 恐らくもう一週間もすれば俺も狩りに出されるぐらいには成長するんじゃないか?


「ギィっ!?」


「ギィィ!アアッア!!」


(あー……飯の奪い合いで負けたか兄弟。そいつは俺らの兄弟の中でも一番、身体がデカいし態度もデカいし喧嘩して勝てる相手じゃないわな)


 俺の兄弟は俺も含めて全部で六匹なんだが、やっぱり個性ってのがあって偉そうに他人の肉を食ってるのが一番デカい暴君みたいな奴で、足蹴にされてる奴は比較的ゴブリンの中じゃ大人しい個体で今も暴君から肉を取り返そうとしてはいるが、何処か諦めの表情を浮かべている。

 そしてそれ以外は何をしてるかと言うと、ゴブリンらしくゲラゲラ嗤ってる奴が二人、興味なさげに骨を弄ってるのが一人とそして隅っこでいつもしゃがんでる俺。

 これが今一番群れの中で若い兄弟達だ。まぁ、もうそろそろ新しい兄弟が生まれるだろうから俺らも末席とは言えなくなるだろうがな。


「いやぁぁぁぁ!!」


 甲高い悲鳴が聞こえたかと思うと、何かが潰れる音共に洞窟の奥から珍しくまともに服が残っている女性が走ってくる。

 拘束から抜け出したのか?凄い根性だな尊敬するよ。でも、その先にはアイツが居るんだ。


「……」


「ヒッ!!いやぁぁぁあ!!」


「トウボウ ハ コロス」


 ホブゴブリンの拳が女性を軽々と吹き飛ばしそして壁に激突すると動かなくなった……あ、誰かと思えば俺を産んだ母じゃないか。確かに凄い呪詛を放っていたもんな拘束から抜け出して逃走をするぐらいは出来そうだ。

 まともな理性が残ってさえいれば、ホブゴブリンが洞窟にいる時に逃走なんて選ばなかっただろうからそこだけが残念だよ母。


「オマエ ショブン シロ」


(げっ、よりにもよって俺かよ。従わずに痛い思いして死ぬのは嫌だからな)


 あと単純に死体が腐るのはただでさえ終わってる臭いが更に終わるし、虫も湧くから嫌だから大人しく従って適当なところに捨ててこよう。

 重たいが……まぁ、ズリズリと引き摺りながら運ぶか。


(はぁ……日本に帰りたい)

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