第一話 むねひろさん

 田村家はどこにでもいるような平凡な四人家族だった。父・克己、母・美沙子、姉・響、妹・菜々子。築30年の古びた一軒家に住み、近所付き合いも良好。けれど、この家には他人には決して話さない秘密があった。


 その秘密の名は「むねひろさん」。


 むねひろさんが何者なのか、田村家以外の誰も知らない。いや、田村家の誰一人として、その正体を明確に説明できるわけではなかった。ただ、彼らにとってむねひろさんは「家族」であり、その存在は日常の一部として当たり前だった。


「今日、むねひろさん何時だっけ?」

 朝食の席で、美沙子が何気なく尋ねる。

「たぶん八時くらいじゃない?」克己が答えると、響がパンをかじりながら口を挟んだ。

「昨日も遅かったよね。疲れてるんじゃないかな」

「そうだね。菜々子、お菓子作ったら?」

「うん!むねひろさん、甘いの好きだもんね!」


 会話は自然で、むねひろさんがこの場にいるかのようだった。しかし、ダイニングテーブルには四人分の席しかない。むねひろさんの姿はどこにも見えないのだ。


【隣人の怒り】


 そんなある晩、田村家に怒鳴り込んできた男がいた。隣に住む山本という中年男性だ。顔を赤くし、大声でまくし立てる。


「お前ら!夜中に奇声を上げるな!うるさくて眠れやしない!」


 克己と美沙子は平謝りするものの、山本は納得せず、「次は警察を呼ぶぞ!」と捨て台詞を残して帰っていった。その後、リビングで四人が集まり、小声で話し合う。


「むねひろさん、大丈夫かな……」

「山本さんを怒らせちゃったかもしれない」

「でも、むねひろさんがそんなことするわけ……」


 響と菜々子は不安げな表情を浮かべる。両親もどこか落ち着かない様子だった。


【夜中の音】


 その夜、響は布団の中で目を覚ました。静まり返った家の中で、「ギィ……」という玄関の戸が開く音がしたからだ。心臓が早鐘を打つ。誰かが出て行った?それとも入ってきた?響は布団を頭まで被り、そのまま眠れぬ夜を過ごした。


 翌朝、スマホでニュースを見た響は凍りついた。隣の山本一家全員が死亡していたという報道だった。その原因は不明。ただ、「異常な状況」とだけ伝えられていた。


【狂気と恐怖】


 その報道を見た田村一家は揃ってリビングに集まり、一斉に泣きながら謝罪を始めた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「むねひろさん、本当にごめんなさい……!」


 その声は次第に狂気じみたものになり、言葉にならない嗚咽へと変わっていく。そして――


「バンッ!」


 リビングの扉が勢いよく開いた。一瞬空気が凍りつく。その先には何も見えない。ただそこには確かに“何か”がいる気配だけがあった。


 田村一家は床に這いつくばりながら許しを乞う。「お願いです……許してください……!」と声を震わせる。しかし、その後彼らの姿を見る者はいなかった。


【呪われた家】


 数日後、田村家から異臭がすると通報があり警察が駆けつけた。しかし、中には誰もおらず、不気味な静寂だけが漂っていた。それ以来、その家は心霊スポットとして知られるようになる。


 訪れる者たちは皆口々に言う。「誰も怒らせてはいけない」「むねひろさんを受け入れなければならない」と。そして、一部生還者はこう語る。


「むねひろさんは幽霊じゃないんだ……」


 彼らの言葉は狂気じみており、それ以上詳しく聞き出すことはできなかった。ただ一つ言えること――その家には“何か”が確実に存在している。そして、それを理解できず踏み込んだ者には死という結末しか待っていない。

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