第35話 カメシマ3000
俺はふと気になったことを口にする。
「たしかこの手紙の宛先の住所はこの十六夜学校になっていたはずだが……」
そして俺は屋上で兄のレオパと最後に会い、ダブルガンを受け取ったんだ。
「うむ。住所に関していえば、未来の僕がここを根城にしていたからだろう」
「そういうことかよ」
「だからヘタに手紙を書き換えると未来が変わってしまうことに留意せねばならん」
まるで自作自演のシナリオを書いてるみたいな気分だぜ。
無性にムカつくので俺は死海手紙の封蝋を解こうとする。
今この死海手紙の所有者は俺だ。
「手紙の中身は別に見ていいんだろ?」
「きみはシュレディンガーの猫になりたいのかね?」
「?」
「手紙の中身を観測するまでは無限の可能性を秘めているが、中身をのぞいてしまうと深淵にこちら側ものぞかれてしまうということだ」
「
チッ、今回だけは博士の忠告に従ってやめとくか。
断じてビビったわけではない。
博士はこれからの作戦の概要を確認する。
「きみはシロヤギ郵便局に死海手紙を届けたあと、過去へ戻ってレインボーブリッジでヒバカリを救う。その結果、ソルティライトを救う。わかったね?」
「簡単に言うな。でもどうやってばっちゃんを救う?」
「2024年には未完成だったが、この時代では人工心臓を開発済みだ。しかもAEDのようにオートメーションで緊急移植できる」
そう言って博士は理科準備室から四角い重厚な金属箱を膝の上に載せて持ってきた。
当時、青い獅子舞が持っていたものと同じだ。
博士がおもむろに真ん中の赤いスイッチを押すと金属箱があばらのように開く。その一本一本のあばらの先には電気メス、鑷子、メッツェン、電動ノコギリ、開胸器、全型輸血パック、カメラ、呼吸器マスクが生えている。中心には鋼鉄の心臓が鎮座していた。
これが人工心臓移植装置。
まるで独立した生き物のようだ。
博士が別のボタンを押すと金切り音を響かせて金属の箱に戻った。
こんな便利な道具を見せられてなんだが、俺は訊かずにはいられない。
「そもそも論、ヒバカリの死を防ぐのは無理なのか?」
「やってみたければやってもいいが、ヒバカリの死はおそらく避けられない。深淵にのぞかれてしまっている」
博士は悄然とした。
それから切り替えるように言う。
「さて、まずはヤモリ、きみの左腕を治す」
博士は患者服をはだけさせると俺の左腕を露出させた。ソケット部位を確認する。
どうやら義手をはめるようだ。
先ほど人工移植装置と一緒に取ってきたのだろう義手を準備する。
「にしても、なんだこの色は?」
その義手は水色ベースにオレンジの斑点模様をしていた。
正直、気色悪い。
「
「かっちょよくねえ。まるでチョコミントじゃねえか」
「美味しそうじゃないかね?」
「冗談だろ? 歯磨き粉みたいでまじーよ、あれ」
まあ博士のおかげで俺は一命を取り留めたのだから、感謝こそすれ責めるのは筋違いだろう。
博士は義手を俺の左腕のソケットに合わせる。
「では嵌めるぞ」
「せめてやさしくしてくれよ」
「心得た。ではいくぞ。3・141592――」
「なぜに円周率……?」
普通、カウントダウンとかだろ。
俺が疑問に思った――その次の瞬間、ガチャコンと博士は義手を嵌めた。
神経を接続しているためか激痛が走った。
「ッタァー……!」
ソケットに不気味な柄の義手がはめ込まれた。
自分の腕じゃないみたいだ。
「65358979――」
「円周率はもういいってんだよ!」
おそらく博士なりの痛みを紛らわせる方法なのかもしれなかった。
でも、その甲斐あって俺に新しい腕が生えた。指の動きも普通の手となんら遜色ない。左手の動作確認をする。
住んでいるときは気づかなかったが便利な時代だぜ。
「これも渡しておこう」
それは郵便局の制服だった。俺は袖を通す。といっても左腕の生地はスパッと千切れてしまっているわけだが。
やっぱこれだぜ。しっくりくる。
「ヤモリ、さっそくで悪いが仕事の時間だ」
というわけで、俺たちは理科室をあとにした。
今にも崩れそうな階段を空飛ぶ車椅子で駆け降りる。
俺は車椅子の後ろに立ち乗りした。
「しっかり掴まりたまえ!」
本来ふたり乗りは危険行為だが、この学校に校則があったのは今や昔の話だ。
まさかじっちゃんの母校の校舎を空飛ぶ車椅子で二ケツする日が来ようとはな。
博士は車椅子のレバーを操作して見事な空中ドリフトを披露した。
俺は振り落とされないように遠心力と逆方向に体重をかけながら愚痴る。
「タイムマシンがあるのに、なんでこういつも時間がねえんだよ!」
「きみが1週間も眠りこけていたからだろう?」
何も言えねえ。
「つまりタイムマシンも万能ではないということだ。不用意にタイムマシンを使えば時間軸がもつれて収拾がつかなくなるからね」
俺たちは下駄箱の並ぶ玄関から万年雪のグラウンドに出る。屋外トイレの横に体育倉庫があった。その前で車椅子は着陸する。プロペラのタイヤが水平から直立に戻った。
錆びたシャッターを開けるとホコリの積もった備品の数々。
とぐろを巻いた綱、大きなマット、玉入れのカゴ、サッカーボール、三角コーン、脚立。
ホコリまみれの備品にまぎれて真新しいブルーシートがかけてあった。特徴的なシルエットが浮かび上がっている。
「ヤモリ、そっちのブルーシートの端を持ちたまえ」
俺は言われたとおりにする。
博士は反対の端を持つ。
博士と呼吸を合わせてブルーシートを同時にめくった。
案の定、中に隠してあったカメシマが顔を出す。左側のヒレは修理されているものの、しかし俺の知っているカメシマではなかった。
亀頭にはサイドミラーの触覚。甲羅の部分には蝶のような翅が生えていた。
「なんかトンデモ進化してないか?」
「うむ。これは改良型タイムマシン――カメシマ3000だ」
そうだ。
博士はちょっと目を離すとすぐに改造してしまう改造癖の持ち主だった。
「光学迷彩までは修理できなかったがね」
「それはいいけどよ、過去に戻って未来に帰るための燃料は大丈夫だろうな?」
「これは四次元エンジンを地球限定解除した新モデルの十次キューブを積んでいるのだ」
つまり、どういうことだってばよ?
「人間だけでなく、ほかの生物の寿命のあまりも使用可能となっている。加えて対象距離は地球全域だ」
「マジかよ」
カメシマ2000では半径500キロメートル圏内の人間のみだったはずなのに。
「これらはソルト製のタイムマシンにはあえて組み込まなかった技術だ。タイムマシンの乱用を防ぐためにね」
「そっか。でもなんで時間菌はそんな離れた場所の時間を奪ってこられるんだ?」
「簡単に言えば量子もつれさ。時間菌は量子の性質も持ち合わせていたということだ」
正直、俺にはよくわからなかった。
「ひとまず、これで燃料の心配はいらねえってことなんだな」
「2024年は一兆匹の素数ゼミが生まれて死んでいく年だからね」
人間の時間に比べればセミの一生など一瞬だが、塵も積もれば時を飛べるというわけだ。
一寸の虫にも五分の魂とはよく言ったものだ。
セミにもっと優しくしようと俺は思った。
博士が六角形の一面を押すとカメシマの
「博士よ、だいたいなんでスイステ5なんだ?」
「スイステ5には本機一体型のディスクドライブが使われているからさ。ちなみに光学ドライブの規格はUltra-HD Blu-ray ディスクドライブ搭載でなければならん」
「ドライブが渋滞しててわけわかんねえよ」
「まあともかく、せっかくだしゲームごと残してるんだ。機内でプレイも可能だよ」
「脇見運転が多発しそうだな」
だからドライブが渋滞してんのか?
軽口を叩きながら、俺はカメシマ3000に乗り込む。
そしてふと疑問に思う。
「でもよく見つけたよな。スイステ5なんてこの時代にはほとんど手に入らないはずだぜ?」
「うむ。だから過去に購入したものを大事に保管してたんだ」
「ん?」
その言い回しが俺は気になった。
そしてすぐにピンとくる。
「あーえーっと……もしかして博士、まさかこのスイッチステーション5って……」
「うむ。きみが70年前にサメタマに買い与えた物だ」
「やっぱり、そういうことかよ」
あのときサメタマにねだられて俺は買うのを渋ったが、スイステ5を買わなかったらタイムマシンも開発されなかったかもしれないってことか。
「つーか、そのサメタマはどこに行った?」
「死亡したよ」
「…………」
あれから70年も経っているのだ。
俺はこんなことを訊いても仕方ないと自覚しつつ問う。
「死因は?」
「溺死だ」
「なに?」
博士は重々しく口を開く。
「サメタマは長い間、鬱病に苦しんでいてね。四六時中、自殺コマンドが出ると嘆いていた」
過去の時代の水が合わなかったのだろう。
「そしてとある朝、ソルティライトが溶けた水槽の中で発見した。僕が見つけたときには腹を上にして水面に浮いていた。すでに冷たくなっていたよ」
サメが溺れ死ぬとは笑い話にもならない。
サメタマはソルティライトが溶けて海水になっていくのを見ていられなかったのだろう。だからといってこの時代のソルティライトに逢うこともできない。その結果、最後の選択肢が主人と一緒になることだった。
「スイステ5はサメタマの形見だ。だから僕が譲り受けた」
博士はスイステ5の筐体を撫でた。
「ゲームをしているときだけは自殺コマンドが消えると言っていたよ」
「……そうか」
あいつ、大事にしてたんだな。
クソ。もっと神作ソフトを買ってやるべきだった。
博士はスイステ5の起動ボタンを押すとカメシマ3000のエンジンが始動する。計器類が一瞬だけピカッと光った。しかしすぐに落ち着き、必要な計器類のみが点灯する。
とそこで、メインモニターに卵の殻を被ったサメがデカデカと表示された。
「サメタマ、参上しゃめ!」
その奇天烈な生き物の映る画面を見たまま、俺はフリーズしてしまった。
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