第20話 時間菌
「信じるのかよ、博士?」
「ミクロコスモスという言葉がある」
博士は言った。
「要するに宇宙の星の数よりも地球の菌の数のほうが圧倒的に多いのだよ。それは星の約1億倍だ。つまりそれだけの天文学的な進化の可能性があるということに他ならない」
「四次元に干渉する菌がいてもおかしくないってことか」
まだ納得していない俺にさらに驚くべきことをソルティライトは告げる。
「時間菌とは地球でいえば塩雪に該当する」
「なに?」
塩雪が菌だって?
「時間菌の状態は大きく二種類に分けられる。
「そんな馬鹿な」
「この時間菌は雌雄同体。性別がたびたび入れ替わる。空腹時はメスの過去菌となり時間を食し、満腹時はオスの未来菌となって時間を吐き出す」
それではまるでブラックホールとホワイトホールではないか。
「未来の地球で物質が腐食したのは過去菌に時間を食べられたため」
たしかに塩雪に触れたものはものすごい勢いで錆びていた。
言うなれば、時を食べる菌だ。そのせいで地球の科学は遅れを取ったのだ。
「ソルト人が時間菌を地球に持ち込んだってのかよ」
地球外生命体が未知の菌やウイルスを持ち込まないほうが不自然である。
ソルト人は桜痘が弱点であるように、地球人は過去菌に苦しめられている。
「ソルト人によって塩は神聖なものとして研究が禁止されているのはそのため」
「ソルト人の信仰するソルト教の教義によるものっていうのも嘘かよ」
「それはソルト政府によるあとづけ」
嘘ばっかじゃねえか、宇宙人。
「でもよ、にわかには信じがてえな。あの雪が塩じゃねえなんて」
「見分け方は簡単。時間菌は顕微鏡で拡大すると時計のような形をしている」
雪を拡大すると結晶になっているみたいな話である。
そこで俺は前提を押さえ直す。
「ソルト人が時間菌を持ち込まなければタイムマシンも生まれなかったってのか?」
「それは鶏が先か、卵が先かの話」
「どういう意味だ?」
「ソルト調査隊によって地球の永久凍土の中から時間菌が検出されている。それはソルト人が飛来する以前のもの」
「なんだって?」
「つまり地球温暖化によって永久凍土が溶ければ、いずれは時間菌が放出されていた」
未来では信じられないが、2000年代初頭は温暖化だもんな。
ふとサメタマを見やればソルティライトの腕の中で鼻提灯を膨らませて眠っていた。
先ほどから妙に静かだと思っていたが……。宇宙ペットも寝るんだな。
「ちなみにソルト人が地球に飛来する際にも未来菌を利用した。塩漬け睡眠(ソルトスリープ)と未来菌を掛け合わせることにより、ソルト人と母船を経年劣化から保護して星間航行を実現するに至った」
不老不死も夢じゃないってことか。
ソルティライトは倒置法で続ける。
「そして42万バクテリワットが必要。2024年から70年後に飛ぶためには」
「バクテリワット?」
「菌を糧に生み出されるエネルギーの単位かね」
その博士の予想はどうやら当たっていたようでソルティライトは頷く。
「イエス。タイムマシンを動かすには過去菌と未来菌の両方が必要。ふたつの菌の対消滅によってエネルギーを出力するため。しかし、不時着時に時間菌は大半が死滅した」
「じゃあどうすんだ?」
「菌を繁殖させるしかない。新たに」
「どうやって繁殖させるんだ?」
当然の疑問を浮かべる俺にソルティライトは伽藍堂の瞳を向ける。
「時間菌は過去菌の際に増殖する。そして過去菌のエサに必要なのは時間――人間の」
「なんだって……」
「人間とは時間の塊。つまり多数の人間が絶命すると時間菌が大量増殖する。対象の人間はカメシマ2000を中心に半径500キロメートル圏内」
「ちょっと待て! なんで人間だけなんだよ?」
「それは不明。開発者でもなければ」
水を向けられた博士。
「いくつか仮説は考えられるがあくまで仮説だ。今は言うべきではないだろうね」
そう博士はお茶を濁した。ソルティライトは説明を続ける。
「人間が落命する際に溢れる時間がある。理屈は解明されていない。でもそれは確実に存在する。ソルト人の間では『寿命のあまり』と呼ばれている」
「寿命のあまり……?」
「イエス。時間菌は大災害がおこったときに顕著に活性化する。だからそれまで待つ」
「具体的にはどれくらい寿命のあまりは必要なんだ?」
「チキュウ人で換算すれば約1万人」
「ふざけんじゃねえ」
タイムマシン一台が70年後にタイムトラベルするためには1万人の死者がいるだって?
人間を送るためには人間の死という等価のマイナスの時間が必要だってのか?
「そんな人の不幸を黙って指を咥えたまま待てってのか?」
「イエス。しかし、それほど時間的猶予があるわけではない」
「ん? どういうことだ?」
俺は首をかしげる。
すると口を開いたのは博士だった。
「ふむ。要するに近々、大規模な災厄が起こるということかね?」
「…………」
「それは肯定と受け取ろう」
博士は丸眼鏡の奥から射貫くようにソルティライトをのぞく。
そして問うた。
「で、なにが起こるのかね?」
ソルティライトの複眼のドットのひとつひとつに博士の顔が映り込んだ。
一拍置いたのち、ソルティライトは抑揚のない声で言う。
「2024年8月31日23時58分9秒――太平洋大震災が起こる」
「太平洋……大震災」
さすがに聞いたことがある。
俺のいた時代から70年前にたしかそんな大地震があったんだった。
南海トラフと相模トラフが共振した結果、太平洋側に激震が走った。そのせいでレインボーブリッジが崩落した。未来で老婆が再建の呼びかけをしていたのはそのためだ。
ぜんぜん自分とは関係ない歴史上の出来事だと思っていたが……。
歴史は地続きだ。
タイムマシンが開発されると歴史上の出来事の当事者になる可能性が出てきちまうってわけか。
「なるほどだね」
博士はあくまで冷静だった。
逆にこの時代の生まれじゃない俺のほうが
「そんな大地震が起こるってわかってんならタイムマシンで戻って、その失われた命を救うべきなんじゃねえのか? たとえば人間行動学を利用して日本国民が日本海側に移動するように仕向けるとかよ」
「それは不可能」
ソルティライトは言い切った。
「なんでだよ?」
「タイムパラドックスが生じる。失われた
犠牲がなければ時間跳躍はできないってことか。
死にゆく時間のリサイクル。
タイムマシンを使うってのは他人の時間を奪うってことだ。
誰も彼もを救うことはできない。
「見殺しにするしかねえってことかよ」
「それに重大なバタフライエフェクトが起こる可能性が高い。いたずらに過去に干渉すれば」
「バタフライエフェクト?」
「蝶の羽ばたきが遠くの異国で竜巻になるというカオス理論だね」
博士は注釈を入れた。
「日本風にいえば、風が吹けば桶屋が儲かるというやつだ」
「はーん」
「タイムトラベルものでは欠かせない概念なのだがね」
「知らねえよ、そんなこと」
タイムトラベル用語ならソルト人の検閲によって真っ先に削除されてそうな項目だしな。
しかし俺はソルティライトの見解に納得のいかない点もある。
「だいたい過去の博士にタイムマシンを修理させている時点でバタフライエフェクトもクソもないと思うけどな」
「これは緊急事態」
「1万人が死ぬのは緊急事態じゃないってことか?」
「それは過去の出来事」
「いや、この時代にとっては未来の出来事だぜ」
「干渉するべきではない。いずれにせよ」
「今回ばかりは僕もソルティライトに賛成だね」
博士はソルティライトの肩を持った。
「ヤモリ、きみも馬鹿じゃない。本当はわかっているんだろう?」
博士は達観したような温かい目で俺を見つめた。
「……チッ。ああ、わかってる」
人間が時間を操るなんておこがましいってことくらい、な。
わかってる。
俺だって。
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