第3話 アオイヤー・D・マスク

 それから俺は仕分け室に向かう。

 担当の赤い集配リアボックスに郵便物が住所別に分けられている。

 民間の小さな郵便局なので書状区分機などはなく仕分けも手作業だ。


「今日も塩が多そうっさねー」


 最近入ったばかりの新米、F美ちゃんがぼやく。

 今やアルファベットが入ってる名前も珍しくはない。

 彼女はポニーテールを俺に向けた。


「ヤモリ先輩、そもそもなんで塩が降るんさー?」

「さあな。ただ塩が降り出したのは宇宙人……ソルト人が来てかららしいけどな」

「それって、いつっさ?」

「たしか2074年だから、今から20年前だな」


 突如としてソルト人の乗った三隻の宇宙船は地球の太平洋、大西洋、インド洋に着水した。そして世界的な津波を引き起こした。世界の主要都市は大打撃を受け、さらに塩雪によってあらゆるものが塩害に晒される。

 これを大塩害と呼ぶ。

 食物は枯れ果て凶作となり多くの電子機器は錆びた。


「遺伝子改良して塩に耐性のある食物を開発してビニールハウス栽培に切り替えざるをえなかったしな。海水を真水に濾過できなかったら人類もやばかっただろう」

「そうっさね。今残ってる金属類は特殊な加工が施されてるから寿命が長いんでしたっけ?」

「ああ、黒錆加工のことか。東京タワーも昔は黒くなかったらしいしな」

「東京タワーが真っ赤でスカイツリーが青かったんですっさ?」

「どこまで本当か知らねえけどな」


 ソルト人によって過去のアーカイブへのアクセスは制限されている。

 今では東京タワーが錆びて、スカイツリーにいたってはポッキリ折れてしまっていた。

 2094年、地球人とソルト人の関係性は冷え切っていた。大塩害により重要データは次々に破損して、紙媒体が残ってなければ悲惨なことになっていただろう。

 20年前、ソルト人は地球に突如として不時着した。その後、早々にお台場を占拠した。そこはソルト区と呼ばれた。ソルト区はまるで白い蜂の巣のようだ。ハニカム構造が連結して東京湾を浸食していた。

 宇宙船は今でも東京湾のどこかに沈んで眠っているとか。


「ソルト人を核兵器でドッカーンすれば良かったさー」

「当時のアメリカはマジでそうしようとしたけどな。しかも日本のお台場に向けて」

「マジっさ?」

「日本のお台場にソルト人が漂着してたからな。アメリカの言い分では宇宙人に国際法は通用しないって理屈らしい。そして日本に対して歴史上3発目の核を落とそうとした」

「どうなったんさ?」

「……つーかF美ちゃん、ちゃんと歴史の授業受けてたか?」

「だいたい寝てたっさ」

「はあ。そりゃこんな奴しかシロヤギ郵便局には来ねえか」

「その言葉そっくりそのままお返ししまっさ!」


 腹立つ後輩だが何も言い返せないぜ。

 ともあれ、俺は続ける。


「日本に着岸したソルト人に向けて核爆弾を落とすためにアメリカから戦闘機が飛び立った。だが、太平洋に差しかかったあたりですぐに墜落した」

「なぜっさ?」

「塩雪に触れたからだ。機体はたちまち錆びて太平洋に墜落した」


 立て続けに腐食、錆化により近代兵器は朽ちていった。

 人類は抵抗力を奪われた。

 今ではアメリカ大統領もソルト政府の傀儡だ。


「錆化のせいで飛行機は飛ばせなくなったしな。塩雲に突っ込んだら一発でアウトだ。空は完全に封鎖されたってわけだ」

「今じゃ海を渡るには船しかないっすもんね」

「ああ。19世紀に逆戻りってわけだ」


 ライト兄弟はどんな気持ちなのだろうか。

 しかし、ソルト人が直接的に人類にアクションをかけてくることは少ない。ミステリアスで謎も多い。ソルト区はブラックボックスであり地球人はアクセスもできないスタンドアローンである。


「でもソルトスノーはなんでそんなにはやく腐食させることができるんだろうな?」

「あたしがそんなこと知ってたらノーベル賞ものっさ」

「それに塩なんか降らせてどうするつもりなんだか」

「さあー? 人間に塩をまぶして喰っちまおうって魂胆じゃないっさか?」

「それSNS上のしょうもない都市伝説だろ?」


 俺は嘆息混じりに自分の担当地区の仕分け確認作業に戻る。

 港3710号と記された赤い集配リアボックスだ。

 するとそのボックスから飛び出していたとある一通の封筒に目が留まった。

 抜き取ると、赤い封蝋の押された横開きの手紙封筒だった。

 これまた古風である。紙質も年季が入っており茶褐色だった。

 ひっくり返してみる。すると見たことのない切手が貼られていた。制帽を被った紅白のパンダのデザイン。2024と印字されている。


「2024円切手?」


 切手にしては割高だ。それに今どき切手なんて珍しい。今は何でもホログラムコードだ。

 しかもこの切手は日本では見たことがない。

 もしや中国あたりの偽造切手なのか?

 消印もない。差出人に差し戻すか。

 俺は差出人の氏名を確認する。そこにはこう書かれていた。


『Aoiyear.D.Mask』


「アオイヤー・ディー・マスク……?」


 青い時代の仮面?

 ひょっとして外国人なのか?

 しかも困ったことにその差出人の住所は書かれていなかった。

 しかし宛名はある。

 麗筆ではないが親しみのある字で『月光時幸村』と書かれていた。


「なんて読むんだ?」


 戦国武将みたいな名前だが……まあ郵便局で一定期間保管するしかないか。

 俺が考えあぐねているとF美ちゃんがため息を吐く。


「はあ、どうして郵便配達なんてしないといけないんさ?」

「おまえが郵便局員だからだろ?」

「なりたくてなったわけじゃないさー」

「仕事なんてそんなもんだ」


 この後輩は何を言ってるんだ?


「F美ちゃんも今日から独り立ちだろ。がんばれよ」

「怖いっさ」

「誰だって最初はそうだろ」

「はあ、どこにでも瞬間移動できるドアがあれば配達なんてしなくていいっさ」

「俺たちの仕事もなくなるけどな」


 物が氾濫する世界で配送業界はこれからどうなっていくのだろうか。

 そんなことに思いを馳せながら俺たちは仕分け室をあとにした。赤いリアボックスは自動で持ち主のあとを追走してくる。

 黒革のショルダーバッグを引っさげて駐車場に向かった。赤いボックスは自発的に郵政カブの荷台に飛び乗り固定される。


「また愛車が錆びてるぜ」


 郵政カブのサドルに積もった塩雪を払いながら俺は愚痴る。

 そして制帽の上からさらにつば付きの白いヘルメットを被る。郵政カブに跨がりグリップを握ると、生体認証によってエンジンが始動する。ブロロRRRとヤモリ専用カブはうなった。


「F美ちゃんも事故らないように気を付けろよ」

「その前にシロヤギ郵便局に帰ってこれるかどうかっさ」

「たしかに。F美ちゃんの方向音痴っぷりは折り紙付きだからな」


 研修中に2人で回ったときによくはぐれて迷子になっていた。

 高性能ナビがあるのに、だ。


「ヤモリ先輩のマップ把握能力がすごすぎるんさ。嫌がらせのごとく狭い裏路地通りやがって」

「根に持ってんじゃねえよ……まあ、何かあったら連絡しろ」

「いえっさー」


 F美ちゃんは口をとがらせながらも敬礼した。

 それからF美ちゃんは郵政カブの右ハンドルのアクセルをひねると車体は発進した。左手で配達しやすいように郵政カブは右ハンドルにアクセル、ブレーキ、ウィンカー操作などが集中している構造なのだ。それから右ハンドルの翼マークの飛行ボタンを押すとタイヤが白い雲に覆われる。車体は徐々に浮き上がり滑空した。


「あわわわっさー!」


 郵便局の壁面を走行する。

 屋上の室外機をかすめながら危なっかしく空に飛び立っていった。


「……だいじょうぶかよ」


 俺は白い息を吐いた。

 しかし俺もこうしちゃいられない。右手の人差し指にはめたリングフォンで時刻を確認したのち発進した。加速後、飛行ボタンを押すとすぐに車体が浮き上がった。

 寒空へテイクオフ。マフラーから排出された超分子ナノドローンの雲がタイヤを包み込む。気流を生み出し飛行する。たとえるなら渡り鳥の群れに乗って移動するようなものである。

 俺は大気中の塩分で目がやられないようにヘルメットのシールドを降ろした。グリップヒーターをつけるとハンドルがじんわりと温かくなる。

 郵政カブのホログラム計器類を立ち上げる。シオ・東京港区のマップが三次元で映し出された。それはまるで空の道路だ。地上にも交通ルールがあるように空にもあるのだ。

 さらに郵政カブを第10世代移動通信システムに繋ぐ。いわゆる10Gだ。そうすることによって自動的にバイクのバッテリーは充電される。


「えーっと、佐藤サルバドールはこっち。田中デジャヴはあっちと」


 俺は住宅街の玄関ポストにポスッポスッとカラフルな封筒を投函していく。

 郵政カブから降りなくてすむので楽ちんだ。

 俺は完全栄養食バー(チョコレート味)を囓ってから、パウチタイプの栄養ドリンクゼリーを吸って胃に流し込む。これなら運転しながら昼食休憩ができるって寸法だ。

 ドリンクゼリーを咥えながら俺は上空で音声確認する。


「カブ、残りの配達物は?」

「残り一通です」


 荷台の集配ボックスの上部の隙間からチンッとトーストのように一通の封筒が突き出された。


「あーこれか」


 俺は見たことのない切手の貼ってある奇妙な封筒を抜き取る。

 間違って持ってきてしまったようだ。


「まあこうなったらついでだ。届けてやるか」


 俺は封筒を制服の内ポケットにしまってから指定の住所に郵政カブを飛ばした。


「宛先の住所はここら辺のはずだが……」


 あたりはすっかり暗くなっていた。ヘッドライトを頼りに俺はとある屋上に不時着した。

 ここは学校か?

 校舎は全体的に黒ずんで寂れている。壁掛け大時計の秒針も止まっていた。おそらく廃校だろう。屋上に安全柵はない。錆びた給水タンクと室外機があるだけだ。

 しょうがない。ナビを使うか。

 この俺にナビを使わせるとはたいしたもんだ。


「?」


 しかし、ナビに入力しても何も表示されない。

 何度やっても結果は同じだった。


「そもそも間違ってんじゃねえのか、この住所」


 〒2024‐0815東京都港区高輪3丁目4‐223


 よくよくみればこんな住所見たことねえ。

 わけのわからん切手といい届けさせるつもりねえのかよ。

 この差出人『Aoiyear.D.Mask』氏はよ。

 俺は人差し指のリングフォンを確認する。

 まばゆい表面テクスチャーに時刻が表示されている。


「こんな時間か。遅くなっちまったし帰るか」


 俺がそう思って郵政カブのアクセルをひねろうとした――まさにそのとき、屋上のドアがガチャリと開く。

 そこには見知った姿があった。


「レオパ……?」


 それはここ最近ずっと雲隠れを決め込んでいた兄だった。


「あんた、どこに隠れてたんだよ。ばっちゃんの葬式にも顔出さないでよ」

「それはすまなかった」

「それにバカオヤジの野郎も……」

「やはり父……警視総監もか」


 どこか意味深長にレオパは独りごちた。

 レオパのオールバックは乱れており、ダブルスーツはところどころ破れてボロボロだった。ネクタイを緩めてレオパは懐に手を忍ばせる。するとものものしい武器を取り出した。


 それは銃だ。

 正面から見ると銃身がWのように割れている。

 通称ダブルガン。レールガンとソルトガン、二つのモードが選べる優れものだ。

 ソルトガンは主に制圧用で塩の凝固弾を発射する。レールガンのほうはもっと強力で堅牢な金庫でも突き破る威力だ。さらにリロードの必要もない。

 そのダブルガンの銃口をレオパは俺に向けた。

 人差し指は引き金にかかっている。


「続柄的には僕の次はおまえの番だ、ヤモリ」

「……どういう意味だ?」


 俺が警戒しているとレオパは白い歯を見せて微笑む。

 そしてダブルガンを回転させる。グリップを俺に向けて差し出した。


「ダブルガンの生体認証は解除してある。おまえでも撃てるはずだ」

「撃つって……何を?」

「それはヤモリ、おまえが決めろ」

「レオパ……兄さん?」


 俺はいまいち兄の言っていることが呑み込めない。

 レオパは続けて言う。


「僕はおまえの兄だ」

「それがなんだよ。いまさら」

「そうだな」


 レオパははにかんだ。

 それから一転して真剣な表情に変わる。


「ヤモリ、あとは託した。おまえが家族を守れ」

「お、おい……!」

「すまない。もう時間だ」


 そう言い終わった――次の瞬間、レオパはパッと消えた。

 正確を期すならレオパの肉体だけが消えた。バサッと無機質な音を立て、まるでレオパが脱皮したようにダブルのスーツがその場に舞い落ちる。続けてダブルガンが校舎の屋上にカランカランと落ちた。


「なんだってんだ……?」


 俺はカブを降りて、レオパの抜け殻のスーツとダブルガンを拾い上げて検分する。

 ホログラムではなく実体があった。

 首をかしげているとビービーとリングフォンに通信が入る。

 F美ちゃんからだ。

 俺は指を二本立てて通話画面を立ち上げる。眼前に指輪からホログラムの映像が映し出される。映像は暗く乱れており何も見えない。


「F美ちゃん?」


 するとオート機能によってナイトモードに変わる。すこし画面が明るくなった。

 そこに映し出されたものを見て俺は驚愕する。


 そこにはなんと血だらけのF美ちゃんが映っていたのだ。

 時間が経っているのか血が黒く見えた。場所は郵便局と思われる。電気系統は非常用電源まで落ちており、アンドロイドのアンジューは首をもがれて機能停止していた。


「おい! F美ちゃん、どうした! 何があった?」


 F美ちゃんは郵便局の惨状をひととおり映した。

 他にも同僚がバイタルを撃ち抜かれて死んでいる。切手バッジに黒い血が付着していた。

 F美ちゃんはカメラを戻すと息も絶え絶えに言う。


「先輩、逃げて……っさ」


 それを最後に彼女の血まみれのポニーテールがピクリとも動かなくなってしまった。


「いったいどうなってんだよ……!」


 俺は郵政カブのシートを叩いた。

 しかし、かわいい後輩を見捨てるわけにはいかない。

 俺は郵便局に向かうため郵政カブに跨がろうとした――まさにそのとき、

 校舎の屋上がパッと明るく照らされた。

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