第4話 時鯨
いくつものライトが俺にスポットされる。
まぶしくてまともに目が開けられない。
「シロヤギ郵便局員、オサカベヤモリ。おまえは完全に包囲されている!」
そんな声が拡声器から大音量で鳴り響く。
目が慣れた頃、光学迷彩が解けて姿を現わした、5台の黒いバイク。
そして残りの一台はバイクではない。その黒い機体はホバリングしながら校舎の貯水タンクに着地した。
それは大型の黒いタコだった。
いやこの場合、タコ凧と言ったほうがいいのかもしれない。黒ダコのクチバシの部分は竈のような構造になっており黒炭が燃焼している。丸い胴体がバルーンのように暖気を溜めて浮遊していた。黒い煙が漏斗から墨のように吐かれている。
8本足のうちの一本に足をかけてとある人物が降りてくる。
だが、そいつは人間ではなかった。
櫛のような2本の触覚が前頭部から生えている。さらに真っ黒な複眼であり、その背中には垂れ下がった翅を有している。目玉模様と鱗粉付き。全身を和毛に包まれたその姿はまるで二足歩行する蛾のようだ。クチバシのようにとんがったマスクで口元を覆っていた。いわゆるカラスマスクだ。作業着のような裾の締まったボンタンズボンを着用している。
「ソルト人がなんで東京の市街地に……」
ソルト人もカラーバリエーションは豊富で地球人のように
俺もほとんど見たことはないがあれを見間違えるはずもない。
ともあれ、なぜ俺はソルト人の連中に包囲されているんだ?
するとその黒いソルト人は日本語で名乗る。
「本官はクロックパトロールである」
「クロック……パトロール?」
「イエスだ。時の平和を守る特殊部隊である。ソルト政府と日本警察庁合同のな」
クロックパトロール、略してクロパトは続けざまに衝撃の発言をする。
「そして貴兄の兄、刑部レオパはクロックパトロール第一班班長だったのである」
「なんだと?」
俺は爬虫類のように目を丸めた。
兄貴がクロパトだって?
そんなの初耳だ。
しかし当然、警視総監であるオヤジは知ってたのだろう。
なんだよ。
俺だけのけ者にしやがって……ムカつくぜ、心底な。
「で、そんなクロパト野郎が俺に何の用だよ?」
「ふん、知れたこと」
クロパトは懐からとある紙を広げる。俺は唾を飲む。それは逮捕状だった。
「オサカベヤモリ、おまえを警視総監と刑部レオパ警部、およびシロヤギ郵便局員殺害容疑で逮捕する」
「は?」
俺は頭が真っ白になる。
「俺がそんなことやるわけねえだろうが! 証拠は!」
「ならば貴兄が持っているそのダブルガンとスーツは何かね?」
「これは……目の前でレオパが突然消えて……」
言ってる途中で自分が怪しすぎることに気づいて尻すぼみになってしまう。
それを見て取ったクロパトは最後通牒を言い渡す。
「
「一役人が死刑って……そんなんありか」
「時の流れに仇なすものを排除するのが我々の務めである。犯罪者が抵抗する場合、実力行使に出るのも厭わない所存」
クロパトたちは今度はダブルガンを取り出して一斉に構えた。
計、6つの銃口の照準は俺に向けられている。
「カブから離れて、手を挙げろ」
クロパトが警告して近寄ってくる。俺はホールドアップして郵政カブから引き離されてしまう。
そのままじりじりと後退した。
そしてついには屋上の縁に安全靴のかかとが触れる。この屋上に柵はない。俺の足が止まりクロパトたちも同時に止まる。
緊張感で胸が張り裂けそうだ。
「そこまでだ。その場に伏せろ」
クロパトは警告した。
しかし俺は階下を目だけで一瞥したあと皮肉まじりに答える。
「あばよ」
次の瞬間、俺はそのまま屋上から後ろ向きに飛び降りた。
背中からの空気抵抗を感じる余裕もなく俺は相棒を呼ぶ。
「来い! カブ!」
俺の声紋に反応して屋上に取り残された郵政カブのエンジンが唸りを上げる。
郵政カブは走り出すと後追いするように屋上から飛び立った。校舎の壁面を落下走行しながら俺の横にぴったりと張り付く。俺は愛機のハンドルを取ってから身を翻してシートに跨がる。
しかし、地面がすぐそこまで迫っていた。
「間に合えええええ!」
地上に激突するスレスレで機体を立て直して滑空する。花壇の花が散り、グラウンドの砂埃が舞った。
ひとまずの危機は脱したが本番はこれからだ。
当然クロパトの連中が追跡を開始する。
空中で容赦なくダブルガンをぶっ放しており、俺は車体を右に左に傾けてかわす。レールガンの直撃したビルはドロドロと溶けてしまっていた。
「畜生!」
すると、内ポケットからとある一通の封筒が顔をのぞかせてはためいていた。
それはアオイヤー・D・マスクからの手紙だった。
「この手紙を届けようとしたばかりに……」
そこで俺が何とはなしに手紙を郵政カブの計器類にかざした――まさにそのとき、カブがピコンと手紙に反応した。
そしてなんと自動ナビゲーションを始めたではないか。
ヘルメットのシールドに経路が表示される。
「どういうことだ……?」
俺は不審に思った。
しかしこうなれば乗りかかった船だ。今は時の流れに身を任せるしかない。
俺はハンドルを切って高度を一気に下げた。ナビに従って虹ノ松原に突入する。クロマツの防風林を滑空した。クロマツをかわして針の穴を通すように縦横無尽に走り抜ける。
「こんなの郵便屋からしたら朝飯前だぜ」
小回りの利くハンドリングの郵政カブにもってこいだ。
黒ダコが上空から目を光らせている。残りの5台のクロパトバイクが俺の背後に迫った。さすがのドライビングテクニックだ。俺は追いつかれないようにアクセルをぶん回した。
「ただいまの空中道路区域では速度超過です。あと3秒以上続けると罰金が発生します」
「うるせえ!」
俺は郵政カブの安全装置を切ってから虹ノ松原を抜けると、街の高層ビル群が見えてきた。高層ビルの間を駆け抜けてドッグファイトの開幕だ。映画のホログラム看板の中をくぐり抜ける。ホログラムのなかでは赤いバイクのリアランプが流線型を描いている。赤いバイクがハンドルを直角に切ってドリフト気味に停車した。
「『シン・AKIRA5』か。まだ観れてねえや」
そんなことを思いながら気を引き締める。
ホログラム看板を抜けたところに突如、歯医者の看板が出現した。
こっちは本物だ。
ホログラムに重なっており完全に死角だった。
「あぶねっ!」
俺は危機一髪、横ロールするかたちで看板の下をくぐりかわした。
振り返るとクロパトバイクの一台が看板に直撃していた。
歯医者の看板に描かれた口内にすっぽりと貫通して虫歯菌となった。
「ざまあみやがれってんだ!」
俺がいい気になったのも束の間、郵政カブのエンジンから異音がする。タイヤから白い雲が剥がれ落ちていく。だんだんと高度が低くなった。
「なんだよこれ? どうしたってんだよ!」
「周辺の磁場が不安定です。緊急着陸してください」
カブは無機質にそんな注文をつけてきやがった。
俺はしぶしぶ応じるしかない。道路に着陸するとナビに従う。吊り橋に差しかかったところでオンボロの傘を差した老婆とすれ違った。
すれ違いざまに老婆はすこし笑っている気がした。
カーチェイスに夢中で気づかなかったが、このナビが示している目的地はとあるいわくつきの場所だった。
それは2024年の太平洋大震災によって崩落したはずの――レインボーブリッジである。
しかし今さら後戻りはできない。
背後にはクロパトがぴったりとついている。
さらにカブはなぜか飛ぶことができない。
そしてこのレインボーブリッジの200メートル先は途中で崩落している。その先の東京湾には塩の詰まった巨大な砂時計、通称塩時計がそびえている。一定時間ごとに上下が逆さまに入れ替わり、中身の塩を外へ噴き出していた。
俺はカブのブレーキをかけてドリフト気味に停車する。
振り返ると4台のクロパトバイクと一台の黒ダコが車幅いっぱいに広がっていた。郵政カブを取り囲むような陣形を取る。
「そこまでのようだな」
クロパトの誰かが言った。
それから黒ダコを真ん中に据えてホバリングする。左右のクロパトバイクたちが前輪を上げてウィリーすると黒ダコと合体した。そしてなんと一体の人型ロボットになってしまったではないか。バイクがそれぞれ四肢となり、黒ダコが胴体となっている。両腕のバイクは機銃にトランスフォームしていた。銃口が俺を捉えている。
「このクロパトギアの手からはなんぴとも逃れられん」
あの機銃に撃たれれば郵政カブなどひとひねりだろう。
ガシンガシンと鉄と鉄のこすれる足音が迫る。
俺は一瞬目を閉じてから、また開く。
その間に覚悟を決めた。
ハンドルをひねってレインボーブリッジのひび割れた道路を直進する。
「何をする気だ? 馬鹿なことはやめろ!」
クロパトギアが焦燥の声を漏らした。
しめしめとばかりに俺はアクセルを回して加速する。目の前には崩落したレインボーブリッジ。その先には海から生えた巨大な塩時計。
すると、あろうことかクロパトギアが機銃をぶっ放してきたではないか。20ミリの銃弾が俺のすぐ横をかすめる。
かまわず、俺は郵政カブの速度をどんどん加速させた。この短距離ならばクロパトギアでも追いつけまい。やがてレインボーブリッジの崩落した箇所に差しかかった。
しかし、なおも郵政カブは加速する。
「飛っべええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
慣性を働かせて巨大な塩時計に向かって突っ込んだ。
塩時計のくびれの上部のガラスを突き破った。パリーンと無数のガラスの破片が頬をかすめる。ガラスの破片の一枚一枚に俺と郵政カブがツーショットで映し出されていた。すべてがスローモーションに見える。振り返ると機銃の弾丸が俺の眼前に迫っていた。銃弾の施条痕と回転まではっきり視認できる。弾丸が俺の眉間に吸い込まれた。
俺は目を閉じる。
そのまま、ザスッと塩の砂の上にカブごと埋まった。しょっぱい塩を口いっぱいに頬張る。
「ぺっぺっ! 塩辛すぎんだろ!」
しかし、なんということだろう、俺は眉間を撃ち抜かれたのにもかかわらず意識があった。
眉間を触るが血は出ていない。
とそこで気づく。俺の手が透けていることに。
だが驚愕している暇もなく、今度は塩の地面が中心からすり鉢状に下に吸い込まれていく。まるで蟻地獄だ。俺は為す術なく、塩時計の流れ落ちる塩の粒子とともに落ちていく。
俺が藁にも縋る思いで掴んだのは一通の名もなき手紙だった。その次の瞬間、驚くべきことが起こった。目を開くとあたりから塩は一掃されている。クロパトもレインボーブリッジもない。代わりに無数の時計で溢れかえっていた。
あたり一面、時計の海。
目覚まし時計。掛け時計。鳩時計。振り子時計。腕時計。そこかしこでチクタク音や目覚ましが鳴っている。郵政ヘルメット内に反響して頭がおかしくなりそうになった。
とそこで、俺は頭から足の先まで時計の波に呑み込まれてしまった。
時計に肺を押し潰されてまともに息ができない。カナヅチの俺でなくともこの海では誰しも溺れるだろう。かろうじて俺は時計の海をかき分けると腰のベルトに手を伸ばす。生命維持ベルトのバックル型のスイッチを押した。これで全身に適切な酸素が送られ、かつ体温調節が行われる。
これでなんとか耐えてくれ。
そんな俺の願いも虚しく、無数の時計たちが独自に意志を持ち始めたように寄り集まった。時計は歯車のように組み合わさり、とある物を形作った。
それは巨大な鯨だった。
戦艦のような体躯の背から時計の潮を噴いている。
時計台のように巨大な眼球がギロリとこちらを睨んだ気がした。
「そんなんありか」
俺が呟いた次の瞬間、
するとそこで突如、目の前に機械仕掛けのウミガメが現れた。
そのウミガメに導かれるように郵政カブもろとも、俺は時鯨に呑み込まれてしまった。
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