2094YR タイムレターの家守
悪村押忍花
第一通 2094年からの手紙
第1話 ヤモリが死んだ日
底冷えのするアスファルトに干からびたヤモリが死んでいた。
眼窩が黒く落ちくぼんでいる。
俺は居心地の悪さを感じながら黒いネクタイを締め直した。
鳥居をくぐり、今にも崩れそうな神社の境内に入る。
この神社の名前はたしか飛鳥神社って言ったっけか。間違ってるかもしれん。
なにせ今の時代、神社なんて前時代の遺物だからだ。
近日この飛鳥神社も取り壊しが決定した。
取り壊しに反対していた最後のひとりが8月13日の昨夜、永い眠りについたからである。
俺は砂利道を進み、受付としての仕事を始めた。
喪服を着用した参列者たちは金太郎飴のように続々と俺に頭を下げる。
「ご愁傷様です」
俺は無言で会釈を返す。
弔問者は電子芳名帳にリングフォンをかざした。
リングフォンとは指輪のように指にはめて使用するデバイスのことである。
香典が電子マネーで振り込まれて氏名と住所が記録される。
この繰り返し。
祖母は元警察官で女性初の警視総監に登り詰めた。
定年まで勤め、警察官時代の二つ名は
一段落して、たまらず俺はぼやく。
「それにしても参列者が多いなぁ」
「お義母さん、顔が広かったものね」
母ちゃんは疲れたような表情で黒い着物の肩を落とした。
まとめ上げられた御髪がもの悲しげだった。
神の気配が感じられないオンボロ神社の本殿にはヒノキの棺が鎮座している。
無機質に笑う祖母の遺影。周囲は白い献花で飾られている。
その前には黒装束を着崩した神主。大麻を振りながら祝詞を上げる。サングラスをかけており、首元には数珠の代わりに金のネックレスをぶら下げている。神仏習合どころかラッパー化していた。祝詞がどことなくラップに聞こえてしまうのは気のせいだろうか。しかしもはや宗教自体が下火なので仕方ない。
つーかマリファナ臭え。
「てか、母ちゃん、公僕ふたりはどこだよ?」
「うーん、それがヤマカガシさんもレオパくんも昨日から連絡が取れなくて困ってるの」
「なに?」
ちなみに続柄で言えばヤマカガシは父、レオパは歳の離れた俺の兄に当たる。
祖母の薫陶を受けてふたりとも警察官になった。しかし俺は警察官にはならなかった。その甲斐あって
「これだからポリ公は……。ばっちゃんの葬式にも出られねえのかよ」
警察官になんかならなくて正解だったぜ。
「同僚の人に聞いてもわからないって。何かしらの事件に巻き込まれてないといいけど」
「まあ事件に首を突っ込むのが仕事だからな、警察官は」
母ちゃんの心配をよそに俺は気楽なもんだった。
それにしても父親はともかく、家族愛の強い兄までもが音信不通とはどういうことだ。
俺が推理を始めようとしたところで、神社の軒下に黒い影が見えた。それは猫だった。本物ではない。
今の時代、本物の猫なんて街中にいるわけがない。さらに珍しくもその猫はサングラスをかけているように目許が黒い。他にも耳、前足と胴体周り、後ろ足が黒く、それ以外は白毛だ。まるで動物園のパンダのようだ。寝転がるパンダ猫を撫でるとニャーと心地よく鳴いた。
すると突如、パンダ猫は目を細めてから起き上がる。のびをする間もなく軒下の奥へ逃げてしまった。
「よお、ヤモリじゃん。こんなとこでなに油売ってるんだよ?」
「あ?」
振り返ると喪服の二人組が立っていた。
見覚えのある顔。
こいつらは警察大学校時代の同級生だ。
ガタイがいい体つきの安倍。
真ん中分けのほうが
国家公務員総合職試験をパスした、いわゆるキャリアである。
「相変わらず、死んだトカゲみたいな目つきしてんな」
出会い頭にそんな失礼なことを言う安倍。
「で、今は郵便屋なんだって?」
「まあな」
「はあ……警察大学校までいってなんで郵便屋なんだよ。この裏切り者め」
「ほっとけや」
なれなれしく肩を組んできた安倍を俺は振り払う。そして言い返す。
「警察官僚になるよか、よっぽど人の役に立ってるぜ」
「郵便屋が?」
「郵便屋、バカにすんじゃねえよ。おまえんちに重要書類届けてやんねえぞ」
「ポストマンジョークきついぜ。重要書類こそ電子で受け取るほうがセキュリティー高えよ」
それは事実だった。というより常識。
配送はドローンでいいしな。
2094年現在、郵便屋は廃れていく職業なのかもしれない。
しかし。
それでも。
「待っている人がいるかぎり俺は届けるだけだ」
「お、おう」
俺の死んだトカゲの目に気圧される安倍。
その横で感心したように東は頷いた。
「郵便屋も立派な職業だと思うよ」
こいつには毒気を抜かれる。
俺は頭を掻きながら他の話題に水を向けた。
「つーかよ、ヤマカガシとレオパ兄……レオパは、いま何の事件追ってるんだ?」
「刑部警視総監と刑部警部か」
すこし考えるような仕草をしたあと安倍は答える。
「知らねえよ。つーか知ってたとしても守秘義務だし、郵便屋になんか教えねえよ」
「あーそうかよ。音信不通らしいから聞いただけだ。気にすんな」
とそこで、安倍と東はふたり同時にピピピッと連絡が入った。
自身の人差し指の指輪に焦点を合わせる。青白く光る指輪だ。これは万能デバイスのリングフォンである。登録したハンドジェスチャーによって対応した機能を起動する。指輪の縁をなぞると青いホログラムのマップが立ちあがった。どうやら急用が入った様子である。
安倍がホログラムをタップする。すぐさま上空待機していたパトカーが降りてきた。白黒の車体は丸みを帯びた流線型の外観をしている。車体のタイヤは白い雲に包まれていた。浮遊しているのは電子制御された超分子ナノドローンが上昇気流を生み出したからだ。上から下にハシゴのようなドアが開く。ガルウィングを上下逆さまにしたかたちだ。通称ヒレウィングである。
「まあ、いつでも警視庁に戻って来いよ。待ってるぜ」
そう捨て台詞を吐いて、そのパトカーの運転席に安倍が一足先に乗り込む。
「お父さんとお兄さんの件、何かわかったら連絡するよ」
「サンキュー、東」
飛び立つモノクロのパトカーを俺は見送った。
もしも俺が警察官僚になっていたら何か変わっていたのだろうか。
そんな思いを断ち切るように俺は霊柩車に向かう。黒い車体に絢爛豪華な黄金の宮型が構えている。祖母の棺桶は乗車済みだ。母親は助手席に座り、俺は後部座席に乗る。例によって宮型霊柩車は飛び立った。飛鳥神社が小さくなる。
すると、どこからともなく3つの頭のケルベロスショベルカーがキャタピラーを駆動しながら現場に到着した。次の瞬間、飛鳥神社を完膚無きまでに破壊した。
俺は霊柩車の窓から顔を上げた。突如、空から白い結晶がしんしんと降ってくる。しかし、これは雪ではない。塩だ。建ち並ぶ高層ビルに塩雪が降り積もり、白い巨塔を量産していた。広告だらけの街が白いモザイクによって覆い隠されている。昔の日本の8月は暑かったらしいが、今は年中が冬だ。昆虫は塩を吹いて、ほとんどが死滅した。花粉媒介者が減り、植物も激減した。当然、生態系の崩壊に伴って地上の動物は今や見かけない。
空には配送ドローンが列をなす。まるで黒い天の川だ。十字の機体の頂点にそれぞれ4つの黒いプロペラが回転している。他にも飛行船や空電車。藍紫色の空飛ぶ鳩バスが中央分離帯のない空路を走る。
漫然と眺めていると俺を乗せた霊柩車は山間の火葬場に無事着陸した。出棺する。焼却炉に送られた俺のばっちゃんは約1000度で燃やされた。昔ながらの火葬だ。
長い竹箸で祖母の骨を拾った。お骨上げは足の骨から拾うらしい。悶々とまだ熱気を感じる。するとピンクに色づいた遺骨に紛れて、金属の塊があった。ちょうど祖母の胸の辺りだ。
「お義母さん、人工心臓だったからね」
母親がそんなことを言った。
俺は竹箸で鈍く光る人工心臓をつつく。竹箸を置き、今度は人差し指でつついたのち、右手に祖母の心臓を握った。
まだ熱が残っている。
「ちょっとヤモリくん、やめなさい」
「別にいいだろ。ちょっとだけ」
俺はゴツゴツとした人工心臓をつぶさに観察した。
灰まみれで年季が入っている。
そうか。それで祖母は生前、鋼鉄の心臓などと呼ばれていたのか。
ちなみに祖母は結婚はしていなかった。
しかし、うちのバカオヤジは祖母の腹から生まれている。信じられないが四六時中、仏頂面のオヤジにも子供の頃があったのだ。
しかし結局、祖母は誰が祖父なのかついぞ口を割らなかった。墓場まで持っていった。
だから俺はじっちゃんに会ったことはない。
鋼の心臓は骨壺には入らなかったのでお持ち帰りとなった。
続けて母ちゃんから遺留品を受け取る。
「これ、お義母さんの形見よ」
それは懐中時計だった。
先ほどの鋼の心臓を持った感触は似ている。ひんやりした点を除けば。
竜頭をまき直しても動かない。祖母の亡くなった時間で止まっていた。まるで飼い主の帰りを待つ忠犬ハチ公のようだ。
「ばっちゃん、いつも後生大事そうに持っててさ、この懐中時計。俺がちょうだいっていくら言ってもくれなかったんだよな」
ふと思い出が蘇り俺は言葉を紡いでいた。
「これは借り物だからって。いつの日か返さなくちゃいけないって」
「なら、ヤモリくんが代わりに預かれば?」
「いいのか?」
「ええ。そのほうがお義母さんも喜ぶと思うわ」
本来なら実の息子であるオヤジに許可を取るのが筋だろうが、葬式に来ない奴が悪いのだ。
「そうだな。俺がばっちゃんの代わりに持ち主に届ける」
「で、お相手はどんな人だって?」
「さあ?」
「手がかりなし、ね」
肩を落とす母ちゃん。
これは俺の憶測だが、ばっちゃんが懐中時計を借りた人物というのは最愛の人だったのではないだろうか?
つまり俺のじっちゃんに当たる人物なのでは?
母親は俺と同じことを思ったのか呟く。
「おじいちゃんはどこの誰だったんだろうね」
母親の疑問に突如、俺の記憶の扉が開く。
「そういえば、ばっっちゃんがじっちゃんについて、ひとつだけ言ってたことがあったな」
「なんて言っていたの?」
「たしか、『うちに心ば取り戻させんさった人』――だってさ」
「たったそれだけ?」
「ばっちゃんは惚れっぽかったのかもな」
俺は火葬場から離れて外に出る。懐中時計を喪服の内ポケットにしまった。
ふと思い立ってリングフォンを起動する。祖母の写ったホログラム写真を見返した。
懐かしんでつい笑みがこぼれる。
とそこで、おかしな点に気づく。ホログラムを横にスライドして写真をめくる。
「どうなってんだ……?」
なんと家族写真から不自然に俺が消されているのだ。
加工ソフトによって家族写真から存在まで消されてしまったのか?
勘当されたからってそりゃないぜ。
いや、しかし消えているのは俺だけではない。オヤジも兄貴も綺麗さっぱり消えている。
まるで心霊写真だ。
新手のウイルスソフトか?
俺は頭をもたげながらズボンのポケットに手を突っ込み、空を見上げる。
火葬の煙とともに白い息が空に溶けていった。
「これも奴らの仕業なのかね」
新しく生まれ変わった白い東京の街並みを山間から見下ろす。
シオ・東京。
東京タワーは錆びて、スカイツリーはへし折れていた。
そしてそれはなにも東京だけではない。世界中どこも似たり寄ったりの塩漬け状態だった。
それもこれもあいつらがやってきてからだ。
お台場には巨大な白い蜂の巣のようなハニカム構造の建造物で溢れていた。
その中央にはピラミッドをひっくり返したような逆三角形の城が建立している。
2094年現在、地球は宇宙人に支配されていた。
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