異世界帰りJKは現代ダンジョンを最速で攻略する。

クサバノカゲ

【01】癒術士/森谷耕一

 森谷もりや 耕一こういちは、優しげな顔立ちに眼鏡がよく似合う読書好きの少年だ。


 高校からの帰り道、制服ブレザー姿で行きつけの本屋に向かう途中の交差点、彼は信号待ちをする見知った少女の後ろ姿を見つけた。足どりが、ふわり軽くなったその瞬間。


 見慣れた街並みにうっすら重なって、蜃気楼のように灰色の石壁が出現した。ドクンと足元が脈打ち、次の瞬間に壁はくっきり輪郭を伴って実体化する。


 街は、出口のない巨大迷宮ダンジョンに変貌していた。


 ──ダンジョン禍。


 そう呼ばれる一連の現象は、十年ほど前にイギリスの田舎町から始まったと、社会科の教科書にも載っている。それが今や世界中で連日確認され、発生頻度も日々高まっていた。


 いずれダンジョンに飲み込まれ世界は終わる。そんな噂話を、誰も否定できずにいた。


 ダンジョン内部は高層ビル並みの高さの壁に陽光を遮られ、真昼でも薄暗い。必然、夜には完全な闇と化す。あらゆる電子機器は誤動作で使い物にならず、外部との連絡手段は絶たれ、そしてダンジョンには付き物の、奴ら・・もいる。


 ……グギ……ゲゲッ……


 耕一の耳を、奇怪な声が逆撫さかなでた。


 ダンジョン発生からすでに一時間以上。彼が立っているのは、石壁に囲まれ長方形のフロアと化した交差点だった。真横の壁には、光の消えた信号機が半分埋没している。

 そして彼の背後には、合流した十人ほどの人々が身を寄せ合っていた。


 対する奴ら・・の数は五体。

 シルエットだけならひどく猫背で小柄な人間の子供にも見えるが、まとう衣服は腰のボロ布だけで、緑色の肌に体毛はなく、耳も口も鼻も異様に大きい。

 黄色く濁った目でこちらを睨みながら、じわじわ距離を詰めるそれぞれの手には、いびつな形状の短剣がぎらりと光る。


 ──ゴブリン。ファンタジー作品に慣れ親しんだ人間なら、すぐその名が浮かぶだろう。

 

 迷宮内には彼らゴブリンに代表される魔物モンスターが徘徊し、閉じ込められた人々を無差別に襲う。最初にダンジョン化した町の住人たちは、一時間後には全滅していたと伝わっている。


 ……ギッギギッ……!


 ゴブリンの一匹が、乗り捨てられた乗用車の屋根の上から、嘲笑にも聞こえる奇声とともに跳躍した。その手の歪な刃が狙うのは、身を寄せ合う人々のなかでも、幼い娘をかばうように抱く若い母親の無防備な背中。


 そして凶刃それは柔らかい肉を貫き、惨劇の幕が開く──ことは、しかし無かった。


 空中で見えない壁にぶつかったように、ゴブリンは体ごと後方へ弾き飛ばされる。その一瞬、耕一を中心に人々を包み込む薄緑の光の半球ドームが浮かんで見えた。


 ダンジョンに閉じ込められた人間の中から、特殊な能力スキルに覚醒する者が現れたのは、インドの農村部に出現した第三サードダンジョンが最初だ。

 そこで人類史上初のダンジョンボス討伐──すなわち「攻略クリア」が成される。これも、社会科の教科書に載っていること。

 

 ダンジョンに抗うため力を与えられたかのような彼らを、人は「探索者」と呼んだ。


 ──彼、森谷耕一は、ダンジョン発生直後に癒術士ヒーラー系探索者に覚醒したのだった。


 ゴブリンを弾き飛ばしたのは癒術ヒール能力スキル熾天結界セラフィールド】。よく見ると彼を中心に、地面に薄く光る魔法陣が描かれているのがわかる。


「……阿久津あくつさん……」


 ゴブリンたちの動きに注意を払いながら、耕一はゆっくりその場に屈んだ。

 彼の足元、魔法陣の中央には、彼と同じ高校の制服を着た少女が横たわっていた。

 華奢な彼女のシャツの胸元は鮮やかな紅色に染まっていて、かざした彼の手のひらは、能力スキル治癒ヒーリング】に伴って暖かみある薄緑色にぼんやりと発光する。


 ここに身を寄せ合う十人ほどの人々は、耕一によって傷を【治癒ヒーリング】され、【熾天結界セラフィールド】の庇護下にあった。

 覚醒した直後にも関わらず複数人の治癒をこなし、かつ一時間近く結界バリアを維持している彼は、国際基準に照らせばB級以上──おそらくA級癒術士ヒーラーに認定されるだろう。


 もしこのダンジョンから、生還できたなら。

 

「なあ、きみ……その子はもう無理だ……あきらめよう……」


 人々の中から、背広姿で白髪交じりの男性が、諭すように話しかける。


 彼女は耕一の目の前で、その胸をゴブリンの凶刃で貫かれた。それをきっかけに、耕一の能力ちからは覚醒した。


 だとしても、男性の言っていることは決して理不尽ではない。自分の力が無限でないことは、自分がいちばんわかっていた。


 ダンジョンに出口はない。外郭に入口ゲートは存在するが、一方通行だ。どこかに存在するボスを討伐することでのみ攻略クリアされ、壁も魔物もすべてが消滅する。

 いずれどこかの探索者が攻略クリアしてくれると信じて待つしかない。


 ゴブリンたちは遠巻きに結界を取り囲み、断続的に襲いかかっては弾き飛ばされるのを繰り返す。耕一の消耗を待っているのだろう。

 攻略クリア前に結界を維持できなくなったら、一斉に襲い掛かったゴブリンに蹂躙され、全滅するしかない。それなら、助かる見込みのない彼女の治癒をやめて、少しでも結界維持に余力を残すべきじゃないか。


 ──わかってる。わかってるけど、それでも。


「微かだけど、まだ息はあるんです……」


 端に血のついた彼女の唇に、触れそうなほど耳を近付けた、そのとき。


「……もう、大丈夫……」

「──!?」

 

 耳元で囁かれ、彼は跳ね上がるように上体を起こしていた。

 その目の前で彼女──阿久津あくつ 美黎みれいは、ゆっくり立ち上がる。肩上で切りそろえた黒髪が、はらりと揺れる。


「阿久津さん……? ほんとに、大丈夫なの?」

「うん。耕一くんが繋ぎ止めてくれたから、かえってこれたみたいです」

「そう、なんだ……」


 ぱっつんの前髪の下で、いつもは自信なさげに泳いでいる瞳が、今日はまっすぐ彼を見つめていたから、そこで言葉が詰まってしまった。

 そんな彼と、背後で身を寄せ合う人々に穏やかな視線を向けてから、彼女はぐるりと周囲を──遠巻きにこちらをうかがうゴブリンまで、見渡す。


「……まずこの状況を、なんとかしないとですね……」

「え……?」


 そして結界の外側、ゴブリンの待ち受ける方へ歩き出していた。


「だっダメだよ、またあいつらに……!」


 少年が背後から右腕を掴む。


「ううん、大丈夫です」


 その手を左手でゆっくり包みこむ。

 はじめてちゃんと触れた彼の手は小刻みに震えていて、指の力は驚くほど弱々しく、簡単に引き離すことができた。

 きっともう、限界が近いのだろう。


「見ていて、耕一くん」

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