PとUSA(高卒ニートの奮闘記)
とんかつ
第1話 私の夢
小学校の卒業アルバム
将来の夢「警察官」
小学生の頃、私は警察官になりたかった。
きっかけは、校外学習で訪れた警察署で見た白黒のツートンに輝くパトカーや、威風堂々としたフォルムの白バイ。
整然とした警察施設の空気に、親切で親近感がありながらも堂々と頼り甲斐を感じる警察官の姿。
どれもが新鮮でかっこよかった。
警察官は「かっこいい」。
私にとってそれは単純で、でも確かな憧れだった。
時は平成。
私の地元は、県下有数の文教学区で、教育熱心な家庭が多く、実際に同級生たちは幼い頃から多くの習い事や塾に通っている子が多く、優秀な子が多かった。
その中でも私は成績は良好、勉強も得意で、運動神経もいい。
目立ちたがり屋だったため、友達も多く、私は「なんでもできる子」だった。
毎日がとても充実していた。
これだけ充実した毎日を送っていると「俺はなんでもできるすごい奴だ!」と思い込んでいた。
しかし、そんな順風満帆な日々に大きな出来事が訪れる。
中学受験の失敗。
私の「なんでもできる」という自信は、突然くじかれた。
私の父は、勉強に対してとても厳しかった。
小さい頃から、兄弟たちは皆、勉強をさせられており、末っ子だった私は、兄弟と比べれば自由に育てられたが、世間的にみれば十分すぎるほどのスパルタだったと思う。
家庭内の教育方針は平成では無く、まさに「昭和!」
父はことあるごとにこう言っていた。
「将来、勉強して快適な環境で仕事するのと、勉強しないで過酷な環境で働くのと、どっちがいいんだ?」
「将来のために今、努力しろ。いい大学に行け」
「公務員になれ」
それが父の口癖で、幼い頃から耳にタコができるぐらいに何度も同じようなことを言われ、自然と将来のことを明確に考えるようになった。
1つは、憧れの「警察官」。
2つ目は、国立大学の農学部に行って農作物の研究をすること。ある年の学習発表会で食料自給率について研究・発表したことをきっかけに「食料自給率を上げることができれば、大きな人助けになる」と感じるようになり、この二つのどちらかを夢として頑張ろうと思っていた。
とりあえず父からは「良い大学に行け!」と再三言われていたので、「良い大学に進むために、まずは中高一貫校を受験をしてアドバンテージを得よう」そう思った私は受験を決意した。
当時の私は周りの友達が塾に通う中、「自分なら大丈夫」と過信して、ろくに対策をしなかった。
そして結果は、不合格。現実は甘くなかった。
不合格の通知を父に見せると、父は厳しく言い放った「当たり前だ!みんな努力してるのに、そんな怠けた姿勢で受かるわけがないだろうが!」
父の言葉が胸に刺さった。
それが正論だということは分かっていたが、「そもそも中学受験をしなくても中学校に進学できるのに、なんでこんなに叱られないといけないんだ」と怒りが込み上げてきた。
「なんなんだよ、もう勉強なんかやらねぇ」と心の中でつぶやいた。思えばこの時から反抗期が始まったのかもしれない。
卒業が近づく頃、クラスで卒業アルバムの制作が始まった。その中に「将来の夢」を書くページが設けられることが決まった。
ある日、クラスメートが順に「将来の夢」の原紙を回してきた。
クラスの友達が何を夢見ているのか、私はその紙に書かれた「夢」を興味津々で見ていた。
野球選手、サッカー選手、医者…さまざまな職業が並んでいた。
ふと考えた。「自分の夢は何だろうか?」
やはり私の心には警察官への憧れが強く残っていた。
小学校での校外学習で感じた警察官のかっこよさは、何も色あせていなかった。
私は迷うことなく記入欄に書き込んだ。
将来の夢「警察官」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます