第2話

「一ノ瀬、藍沢、両者位置につけ」


 いつの間にやら用意された監督教師の声に従って、所定の位置に移動する。


 一ノ瀬への黄色い歓声、野太い応援の中、私に向けた応援は聞こえない。


 一ノ瀬のほうを見やる。得物は持っていない。やはり、術のみで戦うのだろうか。


 次の瞬間、目を見開く。


「な……ッ」


 そんな声が各所から聞こえる。


 彼は、何もない空間から一振りの刀を取り出したのだ。しかも、術印も、唱術もなしで。


 やはり、彼はかの有名な一ノ瀬の術師、というわけだ。


 妖の王を倒し、人の時代を切り拓いた初代武王の側近、一ノ瀬明孝あきたか。彼が遺した空間術の術式は、後世に大きな影響を与えた。


 空間術は難しい。教師陣ですらできるか怪しいほどに。


「とんでもない相手に戦いを挑んでしまったようね」


「僕のほうこそね。君は、全く動揺していない」


 ふう、とため息をつき、短く唱術する。


「……解」


 私のもとにも同様、一振りの刀が現れる。残念ながら、唱術なしとはいかないが。


「今年の一年には空間術を使える奴が二人もいるのか……?!」


 さて、相手は正真正銘、五大名家がひとつ、一ノ瀬の術師らしい。一ノ瀬家は解術で有名だ。どんなに複雑な術式も、一ノ瀬明孝の前には意味をなさなかったと言う。一ノ瀬チアキが解術を用いるかは定かではないが、注意するに越したことはない。


「両者、構えッ」


 ちゃき、と構える。周囲も息を呑んだ。


「始めッ」


 先手必勝。霊力操作で身体強化をし、一気に距離を詰める。やや振り上げの胴切り。


 一ノ瀬はサッと避け、少し体勢を崩している私にすぐさま切りかかる。なんとかそれを刀で防いだ。


 こいつ……強い。


 武人として強い。それは想定外だった。


スイッ」


 ならば術と同時に。彼の背後に水を出現させる。彼が霊力感知で後ろに気を取られる間に、体勢を整えた。


ヒョウ


 パキ、と音を立てて水が氷の刃に変わった。彼が後ろを振り返る前に。


 背後から氷の刃が降りそそぎ、同時に正面から袈裟斬りをする。


 もらった。


 しかし、彼は表情ひとつ変えず、無唱術で背後に防御結界を展開した。そして、冷静に私の刀を受け止める。


 真っ赤な椿の結界を背負う彼は、ひどく恐ろしい表情をしていた。


 必死というわけでなく、余裕なわけでもなく、ただ冷徹な、武人をそこに見た。全身にブワッと鳥肌が立つ。


 これは、やばい。


 慌てて退く。


 氷の刃が砕けて地に落ち、パキ、パキと音を立てた。


 ああ。私は今、殺される、と思った。恐怖した。


 この男、一体……。


 しかし、実戦において、それを考える時間はない。


 一ノ瀬が左手の指を二本立てると、彼の背負った赤椿の結界がうねり、数十本もの刃に変わる。私の氷の刃の比ではない。


 それが、飛んでくる。


 私は一ノ瀬のようにすぐに結界を展開することはできない。あれを防ごうと思ったら、ある程度長い唱術が必要だ。


 足に霊力を集中させ、訓練場内を駆け抜ける。その間に唱術を進める。


 刃は物理法則に従わず曲がって飛んでくる。空間術、あるいは念動術……いやそれを考える余裕はない。


 刃に追いつかれるのと結界が展開されるのはほぼ同時だった。ほとんどの刃は防がれたが、漏れた一本が頬を掠める。結界もまた、パキ、とひび割れている。


アイ


 分が悪すぎる。微小な水滴を霧散させ、姿を隠した。霊力探知は得意だ。


 気配と霊力を探る。


 ……いない。一ノ瀬の霊力を感じない。あるのは、教師や学生の霊力だけ。まさか、隠密術……?!


 突如、一気に靄が晴れる。


 喉がヒュッと鳴った。


 喉元に刀が突きつけられている。


「……あっ、しょ、勝者、一ノ瀬チアキ!」


 監督教師でさえ、しばらく声が出なかった。観戦の学生も、喉が張り付いたようになっている。


 震える身体をなんとか動かし、数歩下がって形式通りに礼をした。膝が震えてしまって、その場に崩れ落ちそうだった。




「……あんた、一体何者?」


 更衣室の外で待っていた一ノ瀬にそう尋ねる。それには答えず、一ノ瀬はこちらに歩み寄ってくる。思わず身体を強張らせた。


「ごめんね。やりすぎた」


 彼は切れた私の頬に手をかざし、そう呟く。本当に申し訳なさそうだ。


「痒ッ」


 頬に触れると、さっきまで少し固まり始めた程度だった傷口がきれいに治っていた。


「あんた、治療霊術も使えるの?」


「本業はこっちだったからね……」


 分かりやすいほど凹んでいる。


「た、たい焼き」


「……たい焼き?」


「たい焼き、奢りなさい。学院の外の」


 なぜ私が気を遣わなくてはならないのか。


 しかし、今は、交流を断ちたいという想いより、この男への興味が勝つ。




「あっつッ」


「気をつけてね」


 出来立てのたい焼きは流石に熱い。いや、そうじゃなくて。


「ちょっと話くらいしましょうよ」


「まあ、そう、だね」


「なかなか凹んでるわね」


 手合わせとはいえ、勝負事だったのだからそこまで気にする必要はないと思うのだが。


「ま、負けた私が言うのも何だけど、相手が私じゃなかったら死んでたわね」


「……」


「それとも、思いの外私が強くて手加減できなかった?」


「まあ……実を言うとそうなんだけど」


「そうなんだ……」


 なんだろう。ちょっと腹が立つ。


「私はやる気になったわよ。目標ができた。あんたに勝つわ」


「僕に?」


「できないとでも言うの?」


「いや……でも、僕、相当強いと思うよ」


 それは今日の戦いで分かっていることだ。


「当分はあんたに本気を出させるところからね。個人戦術を本格的にやり始めたらもう追いつけないわ」


「え?」


「決めたわ。一年以内に追い越すから首を洗って待ってなさい」


 一ノ瀬はポカンとしている。常に余裕の彼の初めて見た表情だ。ちょっと可愛い。


「あと、はい。申請書」


「え?」


「二人一組のよ。貰ってきたわ。一ノ瀬がここに署名したら提出できる」


「藍沢さん、本当に僕でいいのかい?」


 求婚を承諾された男の反応みたいだな。


「一番近くで技術を盗み取ってやるわ」


 一ノ瀬チアキ。この男が何者なのか問い詰めてやろうかと思ったが、多分、今はまだそのときではない。誤魔化せないくらい関係性を詰めてから聞いてやろうと密かに目論むのであった。

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