転生調理令嬢は諦めることを知らない

eggy

第1章 リュシドール子爵領

「キャッ!」


 廊下を歩く途中で、蹴躓けつまずいた。突然横から伸びてきた箒の柄のようなものが、左臑ひだりすねに当たって。

 もとより、右脚が不自由な身だ。見事に身体の重心を失い、鉢を抱えていた両手で転倒を庇うのが遅れ。オリアーヌは額をまともに板床に打ちつけていた。

 ゴツリ。

 不可解なほどに鈍く重い音が、頭に響き渡った。


「あら失礼、ごめんなさいねえ、お嬢様」

「お嬢様がよく前を見ていないのが、いけないんですよお」


 二人。侍女の長いスカート。すぐ傍に寄ってきた、ようだ。

 頭を持ち上げられず、顔を確かめられない。

 いずれにしても、いつも周囲にいる数名のうち、だと思う。


「あらあら、いつまでもその格好、淑女としてみっともないですよ」

「せめて、頭を持ち上げ――え――え?」

「動かな――え、嘘?」

「知らない、あたし知らないよ」

「あたしのせいじゃないよ――」


 いきなりばたばたと、二つの足音が、遠ざかっていく。

 それに構う余裕もなく、オリアーヌの頭は混乱に包まれていた。

 床に打ちつけた痛みは、もちろんある。徐々に、徐々に、脳天から下向きに沈み広がってくるようだ。けれどそれでも、動けないほど障害を受けたようでもない。

 それより、困惑極まりないのは。痛みとともに何処からか、何か妙な記憶のようなものが頭に広がってきているのだ。

 それは明らかに、オリアーヌが生まれてからこれまで十年ほどのものではなく。


「私――」


 思わず、低い呟きが口に漏れた。


「前世が、あった?」


 そうとしか、納得しようのないものだった。

 正確、詳細には読みとれないが、およそ五十歳過ぎまで生きていた女性の生活の断片らしい。

 誰かと、お喋りをしたり。

 動く絵のようなものを観て、涙したり。

 小さな尾を振る動物を連れて、散歩したり。

 楽しげな音を聴きながら、編物をしたり。


「何、いったい――?」


 しかしその程度のぼんやりで、記憶の像ははっきりしないまま揺れ動くだけのようだ。

 混乱収まらないまま、ようやく身を起こすことに頭が向く。

 よろよろ上体を持ち上げ、何とか横壁に背を預けた。

 ふらり見回すと、手にしていた鉢がひっくり返って、入れていた莢入りの豆が床に散らばっている。拾わなければ、とぼんやり思う。

 新しい記憶は、まだぼんやり頭を漂っている。とは言え、そのままそれ以上明瞭になる気配もない。

 こうしていても、仕方ない。

 しばらく深呼吸していると、頭の痛みも少し和らいできた。

 ゆるゆると立ち上がり、鉢を拾い上げ、床の豆を集める。

 右膝が曲がりにくいため、いつも苦手としている作業姿勢だが、ここは他にどうしようもない。

 時間をかけて拾い集め終わり、オリアーヌはゆっくり歩き始めた。

 厨房で、豆の莢剥きをする予定なのだった。

 頭のぼんやりは変わらず、消えそうにも広がりそうにもなく、漂い続けていた。

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