第二章:新居生活初日

13話 元上司がプチ不幸してる中、トッシュは優雅な無職生活を始める

 転居した翌朝の8時。

 トイレ前で一悶着あったせいで寝不足なトッシュとシルは、思いっきり熟睡中だ。


 大の字になって両手足を伸ばすトッシュの左脇でシルがちっちゃく丸まっている。

 少女特有の体温がトッシュの体を温めていた。


 窓から差しこむ温かな日差しに包まれて、ふたりは気持ちよく夢の中。


 その頃、トッシュの元上司日人は満員電車に乗っていた。

 日人はギルドマスターの息子だが、女を連れ込みたいという下心からアパートを借りて一人暮らしをしているから電車通勤だ。

 なお、彼の借りている部屋には、女性はおろか、友人すら訪れたことはない。

 彼は性格が悪いから、会社内の立場や親の後ろ盾がなければ、誰も相手をしてくれないのだ。

 そのことに本人は気づいていない。女は恥ずかしがって俺に声をかけられないんだろう、くらいに思っている。


 日人は窮屈な電車内で体を細めて、縦一文字になっていた。

 隣に乗っている人の鞄が脇腹に突き刺さり、ゴリゴリと抉る。


 その頃、洋館ではシルが寝返りをうち、ちっちゃな手を伸ばして、トッシュの頬をぷにっと押す。


 大した痛みではなかったが、それが気付けになって、トッシュは目を覚ました。


「あー。朝か。8時30分……。無職になったと同時に起床が2時間も遅くなったぞ……」


 トッシュは寝起きで頭がぼーっとしているから、ロリエルフのちっちゃな手を握ってふにふにして遊ぶ。


 その頃、満員電車が揺れ、吊革に掴まっていた男の肘が、日人の頬を打った。ゴリッと鳴るくらいけっこう強めな衝撃だった。


「ッ……!」


 日人は文句を言おうと、肘の主を見るが、そこに居たのは身長180cmはありそうな金髪の男で、眉毛はそり落としているし、鼻や耳に滅茶苦茶デカいピアス。


 日人はさっと視線を逸らした。

 彼が威張り散らかせる相手は、ギルド内の立場が弱い者だけだ。


 その頃、トッシュは隣で眠っているシルを起こそうと、体を揺すってみた。


「朝だぞ。起きろ」


 しかし、無反応。


「起きないと、くすぐり地獄の刑だぞ」


 トッシュはシルの腋をくすぐってみた。

 しかしシルはまるまっていた体をさらにぎゅっと小さくし、防御姿勢を取る。


「食べ物がないから、どっか、行くぞ。起きろ。あまり遅いと、モーニング的なサービスが終わっちゃう」


 トッシュはエルフ特有の長い耳に息を吹きかけてみた。


「うーん。にゅふふ……」


 シルは寝言を漏らすだけで、起きる気配はない。


「はあ……」


 トッシュは溜め息を漏らした。


 その頃、満員電車の苦しさに辟易としていた日人は「はあ……」と盛大に溜め息を漏らした。


 すると、ちょうど息が吐きかかる位置に居た女性が首を半分だけ回し、日人を睨む。


 日人は視線を逸らして、素知らぬふりをした。


 女性は「最悪っ……」と、超小声でこぼすと、身を小さくして人混みを縫って日人から離れていく。

 代わりに、背が小さく汗まみれの太った男が日人の前に着て密着してくる。納豆のような臭いを漂わすテカった額がネトオッと日人の胸元に密着する。


 一方、トッシュは台所で顔を洗って、戻ってくると、まだ寝ているシルを見下ろした。


「はあ……。窓を開けまーす」


 トッシュはシ宣言どおりに窓をあげた。ついでに、上げておいたステータスを戻しておいた。内側からガラスをぶち破って外に出る必要性がゼロではない以上、ステータスはデフォルト値にしておきたい。


「くちゅんっ。寒い……」


「ほらー。起きろよー。朝ご飯、食べに行くぞ」


「はーい。おはよう。トッシュ」


「おはよう。シル。台所で水が出るから、顔を洗ってきな。……って背が低いから届かないか。一緒に行くよ」


「うん」


 ふたりは、ナーロッパ人特有の距離感と価値観から来る緩さがあるから、出会って二日目で、もう実の兄妹みたいなノリだ。

 ふたりが特別なのではなく、これがナーロッパ人だ。


 家族に一つの家がある現代日本人の感覚からすると想像しづらいが、家が高価で希少な世界では血のつながらない者が同居することは普通にありえた。同じ建物に住んでいる者が『家族』なのだ。


 みんな大好き中世ヨーロッパがそうだったしね。

 現代日本でもプロレスラーや落語家の弟子が師匠と同居して身の回りの世話をするが、昔は、そういうのがもっとあちこちで当たり前のようにあったのだ。


 だから、トッシュは居候させてやっているんだから働けとは言わないし、シルは居候していて肩身が狭いなんて思わない。

 ボロアパートを出た時から新しい家で『一緒に暮らす仲のいい家族になろう』という共通認識があるのだ。


 ふたりは準備をして、それから、朝食を求めて家を出た。


 トッシュはいつもの、ポケットだらけの服。

 たくさんのデッカいポケットに物をつめこんでいるので、相変わらずシルエットはデコボコになる。


 シルは徒歩での移動を考慮してクマクマスーツだ。


 新居は比較的、日本とファンタジーエリアの境界に近いとはいえ、周辺はファンタジーの荒野なので飲食店はない。


 ふたりは周辺の散策も兼ねて散歩しながら、30分かけて日本エリアへと向かった。


 日人はコンビニで『店内調理おにぎり』を買って、食べながらギルドに向かっていた。女子高生くらいの若いアルバイトがお店にいたので「あの子が握ってくれたに違いないぐふふ。合法的にJKの手料理を食べれて最高だぜ」とご機嫌だ。

 しかし、それは、外国人アルバイトのおじさんがトイレに行って手を洗わずに握ったおにぎりだった。


 さて、トッシュは日本エリアに入って早速いい感じの喫茶店を発見したので入り、コーヒーとサンドイッチのモーニングセットを頼んだ。シルはバナナジュースとホットサンドを頼んだ。

 ナーロッパ人的に、おしゃれなカフェより個人経営の喫茶店の方が落ち着ける。


 出されたものは、どれも美味しかった。


「あたりの店だな」


「うん」


「真っ直ぐ来ても徒歩20分かな。今後のために、車か自転車でも買うかあ……」


「車?」


「来る時も見たでしょ。窓の外、ほら、あれ」


「シル、あれ、嫌い。トッシュの家に行くとき、いっぱい襲われた……」


「あー……。交通ルールを教えていかないとなあ。俺も最初はあれにいっぱい襲われたよ。まずは本屋で漫画や図鑑を買って、いろいろ勉強するかー。あー。でも本を運ぶなら先に車? でもシルが自由に出掛けられるようにするなら自転車が先か? どうしよう」


「分かんない……」


「まあ、時間いっぱいあるし、ゆっくり考えるかー。とりあえず甘い物でも食べよう。なんか、パフェが気になる。シルもデザート要る?」


「いい」


 シルはニコッと笑うが、どことなく陰がある。


「んー。もしかして美味しいからめちゃくちゃ高いと思って遠慮してる? さっきシルが食べたパンと、ナーロッパのパン、お値段一緒くらいだからね?」


「……え?」


「10倍くらいするとか思ってるでしょ?」


「うん」


「お値段一緒は言い過ぎだけど、倍はいってない。あ、いや、倍くらいするかもしれないけど、3倍は絶対にない。それくらい、日本エリアは何もかもが安くて美味しい。貴族が食べている高級料理より美味しいものが、そこらへんで普通に売ってる」


「……シルが何も知らないから、からかってるの?」


「いや、マジだから。昨日のパスタも美味しかったでしょ?」


「……うん」


「地球世界の中でも、特にこの日本エリアはおかしいんだよ。俺たちの世界の美食家を名乗る貴族が、日本の平凡な牛丼屋で飯を食べて、美味しさのあまり泣き崩れたからな」


「そ、そういうことなら、食べてあげてもいいかも」


 ということで、トッシュはバナナパフェを、シルはいちごパフェを食べた。

 交換してみたがどっちも美味しい。


「あー。世間の皆様が必死に働いているときに食べるパフェ、めちゃくちゃ美味い……。無職って、最高では」


「それは違うと思う……」


 シルは意外としっかりしてた。

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