第18話:その名はジルニトラ

 この巨大な地下遺跡を彷徨いはじめてからかなりの時間が経過した。

 落ちてきた部屋から移動しているために空も見えず正確な時間はわからないが、少なくとも丸一日は経っていると思う。


 体の麻痺は完全に取れており、普通に動く分には支障はない。

 おかげで遺跡の中の探索は順調に進んでいるのだが、先に進んでも進んでもひたすら同じような巨大な部屋が広がっているだけだった。


 村のみんなのお陰で水の心配はいらないが、携帯食料が後三日分しかなく、変わらぬ景色にちょっと焦り始めていた。


 ゴゴゴゴゴゴッ……!


「さすがにちょっと心が折れそうだ……」


 巨大な扉が開いた先には、また同じような大きな部屋が広がっていた。


「オレ、このまま死ぬまで巨大な扉を開け続ける人生なのだろうか……」


 繰り返し受ける精神的なダメージに、オレはうな垂れながらも次のドアへと向かう。


 ゴゴゴゴゴゴッ……!


 定期的に魔力も補充しつつ次の扉へ。


「う……もう心が折れそうだ……」


 ゴゴゴゴゴゴッ……!


「……心が折れた……」


 ゴゴゴゴゴゴッ……!


「……もう折れる心もないよ……」


 ゴゴゴゴゴゴッ……!


「……」


 ゴゴゴゴゴゴッ……!

 ゴゴゴゴゴゴッ……!

 ゴゴゴゴゴゴッ……!


 いったいいくつの巨大な扉を開けただろうか。


「うわ!? まぶし……あぁぁぁ!?」


 そこには今までと違う光景が広がっていた。


「こ、これは……」


 その部屋は、光る魔石の光源がなくても眩いほどに明るかった。


 なぜなら見上げるとそこには天井がなく、青い空が広がっていたからだ。

 今までの部屋と違って空気が澄んでおり、思わず大きく息を吸い込む。


「すこし生き返った気分だ」


 大きな部屋の構造自体は他の部屋とあまり変わらないが、オレが落ちてきた部屋のように天井に亀裂が入っているのではなく、丸々天井がない。

 そのため、上から土砂などが流れ込んでおり、床は土に埋もれ、草木が生え、ところどころには巨大な岩や倒木が考え抜かれたオブジェのように配置されていた。


「……綺麗だな」


 雨でも降ったのだろうか。


 ところどころにある濡れた岩や草木が光を反射し、幻想的な景色をつくり出していた。

 永い年月をかけて自然にできあがった庭園のようだ。


「あれ? 扉が……」


 しばらくその眺めに心を奪われていたのだが、よく見ると奥の巨大な扉が開いたままになっていることに気付いた。天井同様に壊れているのだろうか。


 すこし呆けていたので気を引き締めなおし、開いたままになっている扉へと近づいていった。


「ん? これは……扉の前に何か、いる……?」


 わずかな気配を感じたオレは、山で狩りをする時のように自身の気配を絶つと、警戒を一段階引き上げて近づいていく。

 そして岩の影からそっと覗き見たそこには……まるで巫女装束のような衣装を身にまとった少女が正座をしていた。


 え? なんでこんなところに女の子が!?


 その容姿は、まだ一〇歳にも満たないように見える。

 少女というよりも幼女と言った方がいいほど幼く感じる見た目だ。


 明らかに普通ではない。


 こんな場所にいるのだ。

 ただの幼女とは思えない。


 しかし、しばらく様子を見てみるが、正座をしたまま全く動く気配がない。


 このまま待っていても埒が明かない。

 どのみち出口を探すためには、ここのまま隠れているわけにはいかないのだから。


 オレは覚悟を決めると、声を掛けようと立ち上がった。


 だが、その時だった。

 背後上空に尋常じゃない気配を感じ、オレは近くにあった大きな倒木の影へと慌てて身を潜めた。


 直後、凄まじい突風が吹き荒れ、続けざまに襲ってくる轟音と地響き。



 ドゴォォォン!!



 部屋を覆うような巨大な影がさす。


 な、なんだこれは……この桁外れの威圧と存在感はなんなんだ!?

 そして……この胸の高鳴りはいったい……。


 あまりの存在感にあてられ思考が定まらずにいると、とても場違いな、可愛らしくも凛々しい声が響きわたった。


「仇敵『ジルニトラ』よ! 待っておったぞ!!」


 その声につられて振り向くと、先ほど奥の部屋にいた巫女装束の少女が、黒い巨体に向かって叫んでいた。


 本能的に助けなければと動こうとしたのだが、少女の魔力が尋常じゃないほど高まっているのに気付いて動けなくなる。


「あの子は……エルフなのか?」


 先ほどは座っている後ろ姿しか見えなかったのでわからなかったが、その容姿からは前世の記憶にあるエルフの姿が想起された。


 しかし、オレがそんなことを考えている間にも事態は進む。

 動けずにいる間に少女が爆発的な魔力の高まりと共に朗々と詠唱を始めたのだ。


≪我、この身に流れるクロンヘイムの血の盟約により、その権利を行使する!≫

≪踏みしめるは風! 宿りしは空! 抱くは時の揺り籠!≫


 先ほど巨大な影が巻き起こした風を上回る風が吹き荒れ、渦巻き、一所ひとところに集まっていく。


 そして……最後の言葉が紡がれた!


≪顕現せよ! 風の大精霊『シグルステンペスト』!≫


 溢れ出した魔力光がほとばしり、渦巻く風は依代を得てその姿を現す。


 身の丈五メートルを超える純白の馬。


 ひづめたてがみに輝く白き風を纏い、その澄み渡ったあおい瞳には高い知性を感じさせた。


 母さんからその名は聞いたことがある。

 だが、話に聞くのと見るのとでは大違いだ。



 風の大精霊にして伝説の精霊獣『シグルステンペスト』。



「す、すごい……なんて綺麗な精霊獣なんだ……」


 その風の大精霊を一言で現すなら「綺麗」としか例えようがなかった。

 思わず目を奪われそうになる。だが、俺を忘れるなと今度は後ろの気配が膨れ上がった。


 対するは漆黒。


 白と黒が対峙する様は、神話を描いた絵画のようだ。

 身の丈一〇メートルに迫る巨体は全身を漆黒の鱗で覆われ、まるで闇そのもの。



 漆黒の巨竜。



 先ほどの少女の言葉が正しければ、その名は『ジルニトラ』。


 その名はオレも知っている。

 この世界の神話の時代から生きている古代竜エンシェントドラゴン


 この世界の全ての魔法の根源と言われている『始まりの魔法』を生み出した魔法神でもあり、神を殺した呪いで邪竜と化したと伝えられる最強にして最凶最悪のドラゴンだ。


 その最強最悪の口元がニヤリと笑ったように見えた。


 いや。それは確かに笑ったのだろう。


 その真紅に染まった眼は、ただ獰猛な獣のそれであり、その瞳は風の大精霊をも獲物と捉えているようだった。


「行け! 『シグルステンペスト』! 邪竜『ジルニトラ』を塵一つ残さず滅してみせよ!」


 再度響き渡る可愛らしくも凛々しい声を合図に、超常の戦いが始まった。



 風の大精霊『シグルステンペスト』の光り輝く白き風は、まるで意志を持っているかのように邪竜『ジルニトラ』に襲い掛かる。


 白き風がうなり、空間を切り裂き、地面を抉り、さらにはそのジルニトラの巨体をも絡めとろうと纏わりつく。

 風でありながら実体を持ち、その圧倒的な質量で『ジルニトラ』の自由を奪った……かに見えた。


 しかし……何も起こらなかった。

 そう……なにも、本当になにも起こらなかったのだ……。


 邪竜ジルニトラの瞳が輝いたと思った瞬間、すべての白き風は消滅していた。


 その後は……ただただ圧倒的・・・だった。


 戦いにならなかった。


 ジルニトラがその爪を軽く振るう。

 ただそれだけで大精霊を守るはずだった最上位の精霊結界が砕け散った。


 ジルニトラがその尾を軽く振るう。

 ただそれだけで、音速の動きは捉えられ、動きを封じられた。


 ジルニトラがその牙を突き立てる。

 ただそれだけで……風の大精霊にして伝説の精霊獣シグルステンペストは、光の粒子となって精霊界へと強制送還させられてしまった。



「そ、そんな……私が千年の時を費やしてようやく契約を交わした大精霊がなにもできずに……」



 巫女装束の少女は完全に心が折れた様子で、うな垂れると力が抜けたように膝をついた。


 儚い嘲笑を浮かべ、流すのは一筋の涙。

 あまりにも想像の埒外な出来事の連続に、オレは情けないことに身動き一つ取れずにいた。


 だけど、泣き崩れるその姿を見てようやく我に返ることができた。


 そしてオレは……その儚げな姿を見て綺麗だと思ってしまった。

 こんな状況で不謹慎なことは重々承知している。


 でも、あの可憐な少女を助けなければと、助けたいと思ってしまった。

 そう思った時にはもう体が勝手に動いていたのだ。


 無意識下で【月歩】を使って少女の前まで躍り出ると、驚きに目を見開く少女を抱きかかえた。


「逃げるぞ!」


 すぐさま【月歩】を連続発動。

 先のワイバーンから逃げる時は失敗したが、今度は奇跡的に成功する。


 その直後、すぐそばを巨大な影が通過していった。


 それがただの攻撃の余波であることに気づき戦慄する。

 それでも、なんとか邪竜の尾のひとふりを躱すことができた。


 だけど、こんな奇跡が続くわけがない。


 オレは岩陰に女の子をおろすと、今度は邪竜の足元に向けて【月歩】を連続使用する。

 ジルニトラにとってはオレなんて羽虫同然だろう。


 実際ジルニトラの攻撃がかすりでもすれば、いや、その攻撃の余波だけでもオレの身体は消し飛ぶ。


 だが、そのわずかな油断が、その圧倒的な力の差が、オレに一度限りのチャンスをくれた。



【ギフト:竜を従えし者】

 この者あらゆる竜を従える事が出来る。



「その説明、本物だろうな! 信じるぞ!」


 恐怖を紛らわすためか思わず軽口がこぼれた。

 こんな分の悪い賭けをするんだ。これぐらいは許されるだろ。


 祈るような気持ちでギフトを使用する。


 オレの体が薄っすらと光を発すると伸ばした左手へと収束。

 その光が邪竜『ジルニトラ』へと放たれ……漆黒の身体へと吸い込まれていった。



「………………」



 数秒だろうか。

 それとも数分だろうか。


 息を飲む。

 まるでオレの周りから空気が消え去ったかのような息苦しさだ。



 邪竜がオレを見つめていた。



 オレを見つめる恐ろしい赤い瞳。

 その少し上。邪竜の眉間には、先ほどまで無かったはずの紋章が浮かんでいた。


 そしてその紋章はオレの左手の甲にも……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る