光と影(四)
オルオーレンがレスターと共に過ごすようになってから、二週間が経った。
「本当に一人で大丈夫かい?」
「はい! 頑張ってみます」
レスターはリュックサックを担ぎ、はつらつとした声を上げた。相変わらず痩せてはいるが、顔には血色が戻っている。
レスターはこの二週間で得た野草の知識を元に、採集した野草を商店や薬屋に売って日銭を稼ぐつもりらしい。現実的に考えれば、それだけで食べていくのは難しいだろう。しかしそこから野草の採集依頼やなにか別の仕事に繋がるかもしれないと、レスターは前向きに声を弾ませた。
どうやら由緒正しい魔法使いの家系で育ったレスターにとって、スリという犯罪行為は苦痛以外の何物でもなかったらしい。実入りが悪いとしても真っ当な方法で収入を得られることにホッとしているようだった。
「それに、オル先生もご自分のお仕事があるじゃないですか。俺、応援してます」
「そうだね……ありがとう」
「いえ、お礼を言うのは俺の方です! 本当にありがとうございました。先生からもらった図鑑、大切にします」
いつの間にかオルオーレンのことを先生と呼ぶようになった少年は深々と赤毛の頭を下げ、気丈にも笑って見せた。右手にはオルオーレンが買い与えた携帯用の植物図鑑を大事そうに抱えている。
レスターは一度だけ、オルオーレンの旅についていきたいと申し出たことがあった。決して軽はずみな希望ではなく、覚悟を持っての発言だとオルオーレンは理解していたが、それでも断った。レスターはそれっきり、ついていきたいとは言わなかった。
見送りに来た王都の門で、憲兵の目など気にも留めずに目一杯手を振るレスターに、オルオーレンは一度だけ手を振り返した。少しでも早くこの国が変わり、彼が安心して勉学に励むことができる時代になることを祈って。
――確かにオルオーレンはこの国が変わることを願った。しかしそれが意外なほど早く、しかも期待とは違う形で叶うことになろうとは、この時は夢にも思っていなかった。
◇◇◇
オルオーレンが王都を離れて数ヶ月、カサンブール王国内を回りきった秋の頃。
そろそろこの国を離れようと考えていたオルオーレンの唯一の気掛かりは、やはりレスターのことだった。
この国はそれほど広くない。今滞在している農村が王都に近いこともあり、乗合馬車なら丸一日あれば王都に着けるだろう。
(でもなぁ……)
もしレスターが上手くやっている様子が見られれば、気持ちよく出国できるだろう。しかしその確率が低いことを理解した上で彼と別れ、王都を発ったのだ。
もう一度行って、どうしようというのだろう。
そんな風に悩みながら、オルオーレンが食堂を兼ねた酒場で朝食を摂っていた時だった。突然店に駆け込んできた男が大声を上げた。
「大変だ! 王都で反王政派がクーデターを起こしたらしい!」
酒場の客や店主たちが一斉にざわついた。皆、不安そうに眉を寄せている。
「クーデターって六十年前にもあったじゃない。あんなふうになるの?」
「今回も憲兵の中にいた反王政派が蜂起したらしい。あの王様がすんなり降参するはずもねぇ、憲兵同士でやり合ってるって話だ。王都がいちばんひでぇらしいが、どうやら他の大きい街でも混乱が起きてるらしい」
「うちの村にも逃げてくる人がいるんじゃない?」
「一般市民が逃げてくるだけならいいけどよ……この村まで戦場にならねえよな?」
集まった村人たちは口々に不安や懸念を述べる。そこに静かに立ち上がったオルオーレンが近づいた。
「失礼。今、王都はどうなっていますか?」
「ああ、王都はどこもかしこも大混乱で、特に旧市街は戦場になってるって話だ」
「あと、付かぬ事をお聞きしますが、反王政派は花か何かをシンボルにしていますか?」
「シンボル……? そんなものはないと思うが……」
「そうですか。ありがとうございます」
顎に手を当てて神妙に思案するオルオーレンの顔を、恰幅の良い女性が心配そうに覗きこんだ。
「旅人さん、もしかして王都に行くつもりだったのかい? やめときなよ、六十年前のクーデターでも王都で死者が出たって聞いたよ。国中どこも混乱してるだろうから、さっさと出国したほうがいいかもしれないよ」
「そうですね……ご忠告ありがとうございます。ところでこの村、馬って売ってます?」
「う、馬……? ああ、馬で国の外まで行くつもりかい?」
「いえ、王都まで」
ポカンと口を開ける村人たちをよそに、オルオーレンは茶色いコートを颯爽と羽織った。目深に被った中折れ帽から覗く若草色の瞳に、普段の柔和な眼差しはなかった。
◇◇◇
オルオーレンが王都にたどり着いた頃には、既に日が傾き始めていた。王都を囲む城壁の門には街から脱出しようとする市民が殺到し、大混乱となっていた。
オルオーレンは馬を乗り捨てると器用に城壁を登り、王都を見下ろした。そしてコートの袖で鼻と口を覆う。
方々から上がる煙と火の粉、風に乗って届く焦げた匂い。喧騒の中に悲鳴が混じり、魔法の気配もある。
(……嫌いな匂いだ)
それでも新市街はまだましなほうなのだろう。略奪行為は見られるものの、武器を振り回す憲兵の姿は見られない。立ち昇る煙のほとんどは新市街と旧市街を隔てる壁の向こうだ。壁に開いた門からは、旧市街から逃げ出した人たちが一目散に駆けていく。門がボトルネックとなっているようだ。
門の上に掲げられていた
オルオーレンは城壁の上に立ったまま、背の低い赤毛の頭を探した。彼は新市街への抜け道を知っている。この混乱に早く気づいていれば、すでに新市街へ逃げ延びているはずだ。――ただし、それは今も健在であればという前提の話だ。
行ってどうする?
朝、村の酒場で自らに問うた言葉を、もう一人の自分が耳元で囁く。
(なにやってるんだろうな、僕は)
どうしてほんの僅かな時間を共に過ごしただけの少年に、こうも執着するのだろう。
宿屋に飾られていた、
――俺はリリウムの花、好きです。
――花には何の罪もないじゃないですか。
レスターのあの言葉を聞いた時、黒い髪の兄にも聞かせてやりたくなった。教えたくなったのだ。きみの故郷にはそんなことを言う少年がいたよ、と。きっと口の悪い兄のことだから、「そんなの当然だ」と一蹴してしまうだろうけれど。
そうだ――実際その通りなのだ。花に罪はない。兄はそれを解っているから、身勝手な理由でひとつの花を駆逐した人間を嫌っている。
解っていないのは、誰?
(ああ――救われたのは、僕のほうか)
鼻で笑って自嘲してから、オルオーレンは城壁から飛び降りた。普通の人間だったら無傷では済まない高さを、茶色いコートをはためかせて軽々と着地する。そして赤毛の少年が暮らす家へ、脇目も振らずに駆け出した。
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