光と影(二)
スリの少年と別れた後、オルオーレンの宿屋探しは難航し、ようやくこぢんまりとした古宿を見つけた時にはすっかり日が暮れていた。
「いやあ、助かりました。なかなか宿屋が見つからなくて」
「今は休業してるところが多いからねぇ。旅行客なんてほとんど来ないもんだから」
茶色い中折れ帽を外して頭を下げたオルオーレンに、宿屋を切り盛りする老婆はからからと笑った。街中では明らかに周囲から避けられていたオルオーレンは、ここぞとばかりに老婆に訊ねた。
「なぜ旅行客が来ないのですか?」
「あら、あなた何にも知らずにこの国に来たの? 今の王様が王位に就いてからやりたい放題なのよ。先王が貴族たちの言いなりだった反動でしょうね、歯向かうものは片っ端から処刑。遂には苦言を呈した学者や魔法使いまで粛清してしまった」
「ああ、それで魔法使いを全然見かけないんですね」
「そうよ。今や貴族は皆、王に尻尾を振ってる奴らばかり。真っ当な人間は殺されるか、生き残った人はみんな国外に亡命しちゃったわ。当然、この国に留学していた魔法使いたちも自国に逃げ帰ったし、旅行客もほとんどが魔法使いだったからね。だから宿屋はどこも閑古鳥が鳴いてるというわけ」
「なるほど……」
そんな状況下で街中をうろついている旅人は、王都の民の目にはさぞ奇天烈に映ったことだろう。
人の良さそうな老婆は親切にも二階の宿泊部屋まで案内してくれるようだ。杖をついて歩く老婆の後に続くオルオーレンは、階段の踊り場に飾られた一枚の絵画に目を止めた。
「この絵は……」
「ああ、気になるの? この絵は六十年前に反王政派が主導したクーデターを描いたものなのよ。ほら、白い鎧の人がたくさん描かれているでしょう? 反乱分子を鎮圧した憲兵を讃えたものなのよ、表向きはね」
老婆は懐かしむように大きな油絵を見上げた。
絵画の大半を占めていたのは、白い甲冑を纏う憲兵たちが剣や槍を勇ましく掲げる姿だった。絵の上辺と左辺には、王家の象徴である純白のリリウム――
一方、絵の右下には、黒い甲冑を身に着けた兵士たちが敗走する様子が描かれていた。ひび割れた甲冑、流れる血、憲兵に恐れ慄く男の顔。それは紛れもなく、クーデターに失敗した反王政派の姿であった。
オルオーレンが注目したのは、絵画の右下の隅にひっそりと描かれた黒い花だった。品よくラッパ状に開いた花弁は六枚。漆黒の花弁の中央に真っ直ぐ走るオレンジ色のラインは、まるで闇を切り裂く浄火のよう。そして花の中心部は鮮やかな赤紫色。
「……この花は、
「おや、あなたこの花を知っているの? 嬉しいねぇ、この花を知っている人がまだいるなんて……」
老婆は目を丸くし、それから皺だらけの目尻を下げて、絵画に描かれた黒い花を見つめた。
「綺麗でしょう? この花はね、可哀想な花なのよ」
慈しむように目を潤ませ、しかし嬉しそうに話す老婆の昔話を、オルオーレンは黙って聞いていた。
「元々は山奥にひっそりと咲いていた稀少な花だったの。それが王都に持ち込まれてね、反王政派が目をつけたのよ。王家は昔から
そこで老婆は言葉を切って、肩をすくめた。
「王家に歯向かう者に対する見せしめだったんでしょうね。それ以来、この花を見た人はいない。絶滅してしまったんだろうって言われているわ」
「……まあ、そうでしょうね」
オルオーレンは絵の中の黒いリリウムを見つめながら、呟くように言葉を返した。
絶滅したのは間違いなかった。なぜなら、
彼は生きている。ただ、もう花の姿はしていない。
「本当に可哀想にねぇ。もしこの花が生き残っていたら、きっと人間のことを恨んでいるわ」
老婆の嘆きに、オルオーレンは何も答えなかった。
「さっき、この絵は表向きは王家の勝利を描いたものって言ったでしょう? 本当はね、
老婆は話したいことを話し切ったのか、ひとつ大きなため息をついた。そしてオルオーレンを見上げ、人差し指を口元に当てた。
「この話は内緒よ? 憲兵にバレたらあたしの首なんて簡単に飛んじゃうわ」
うふふ、と茶目っ気たっぷりに笑う老婆に、オルオーレンは思わず相好を崩して頷いた。
「もちろんです、誰にも言いませんよ。――誰にも」
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【おまけ】黒リリウムの(だいぶ拙い感じの)イメージイラスト(※近況ノート)
https://kakuyomu.jp/users/natsuume8/news/16818792439764660602
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