I’m home.(三)

 数日後、僕は身支度を整え、城のエントランスに立っていた。忘れ物がないか念入りに確認する。

 オリハルコンのナイフは研ぎ直したし、ほぼ使い切っていた毒草の抽出液も補充した。先生お手製のブラックホールのような巾着袋も中身を整理してある。


「おっと、肝心なものを忘れていた」


 エントランスの螺旋階段を、今度は下へ下へと降りていく。目が回りそうだ。

 ようやく辿り着いた最下層で、アーチ状にくり抜かれた入口をくぐった。


 そこには、筒状の広大な空間が広がっていた。正円形の床は小さな家なら一軒はすっぽり入りそうなほど広い。遥か彼方の天井から差す光は、底に届く頃には随分弱くなっている。


 そしてカーブした壁は、床から天井まで一面、棚になっている。

 棚の中身が書物だったら、まさに図書館――あるいは魔法使いの膨大な蔵書を収めた書架、といった景観だろう。

 しかし棚に飾られているのはすべて、ガラスドームに収められた花たちだ。


 ここは植物庫――先生のコレクションを収めた部屋だ。

 先生はとある目的で世界中の植物を集めている。僕はそのお手伝いをしているというわけだ。



 床の中心部に石でできた台座が設置されており、そこでマリーが作業をしていた。


「ああ、もうつのですね。ちょっと待ってください、もうすぐ終わりますから」


 台座の中心に置かれているのは、僕が背中に担いでいた巨大なハードカバーの本。その中身は植物標本だ。

 ぱらり、とゆっくりページがめくられると、ページの間に挟まれていたぺちゃんこの植物がヒラヒラと宙に浮かんだ。

 すると押し花状態だった植物が音もなく膨らみ、元の生きていた状態へと戻っていく。

 さらに台座の右上の紋様からガラスドームとその土台が、左上の紋様からは植物の名が印字されたラベルが、淡い光と共に出現した。


「いつ見ても綺麗だね」


 僕が採集してきた花たちが空中でガラスドームに収められていく。魔法が発する光と天窓から差し込む柔い日差しで幻想的に輝くさまに、僕はうっとりしてしまう。

 そしてガラスドームと土台がピタリと重なりラベルが貼られると、ふよふよと宙を漂い、然るべき棚へと収納されていった。


『復元』『ラベリング』『保管』のすべてが、先生の魔法で自動的に行われる。膨大な数の植物を復元可能な状態で標本にするこの本にも、先生の魔法が仕込まれている。

 相変わらずとてつもない魔法技術だと思うけれど、先生に言わせれば大したことないらしい。



「はい、お待たせしました」


 十分ほどして、マリーが大きな本を僕に手渡した。


「すべて取り出しておきましたからね。五年分は余裕で収まると思いますよ」


 おさない少女が放つ笑顔の圧が凄い。五年は帰ってくるなということか。僕は本を背中に担ぎながら、曖昧に笑って返事の代わりにした。





 僕らが螺旋階段を昇りエントランスに出ると、先生が待っていた。


「もう行くんだね」

「はい、もう随分と暖かくなりましたから」


 先生は「そうだね」と言ってエントランスの外に目を遣った。この城を包む霧も日差しを乱反射させ、眩しいほどに白い。


「まったく、リリウムも少しはオルオーレンを見習って欲しいものです」


 マリーが呆れ顔で肩をすくめる。あの冬が嫌いな男は全裸でどれだけ眠るのだろう。太陽の光も青空の色も、もうすっかり春だというのに。

 そう、春――芽吹の季節だ。地方によっては、春は別れと出逢いの季節らしい。


「オル、いってらっしゃい。気をつけて」


 僕は茶色い中折れ帽を被ると、手を振る先生とマリーにできうる限りの笑顔を向け、歩き出す。まだ先生のコレクションにない花を、たくさん持ち帰ると心に誓って。


「――いってきます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る