会見

 二〇二一年 七月十六日 正午

 ホテル久喜TOKYO イベントホール——


「本日は、雲島開発事業の計画発表会にお越しいただき、誠にありがとうございます」

 

 スタッフによる進行のリハーサルと、発表内容の確認。スクリーンに映し出される雲島の観光PR映像など、十三時から始まる会見に向けての準備作業が着々と進む。

 

神野じんの会長」

 

 正和は声のした方へと振り返った。

 

「おお、きみか。本日はよろしく頼むよ」

 

 笑顔で手を取り、大きく縦に振る。そうして束の間の世間話を終えると、顔も名前も覚える必要のない人間が山ほどいるこの会場を正和は見渡した。

 

「神野会長」

 

 またか、と。正和はうんざりしそうになった表情を一秒で笑顔に戻す。声の方を振り返ると、今度は知った顔だった。

 

「青池か」

「ご無沙汰しております。開発計画、滞りなく進められているようで安堵しております」

 

 色々噂もあったもので、と青池は牽制する。

 

「愚息の力があまり及ばなくてな。まあ、ようやっとだ」

 

 すると青池は辺りを見渡し、正和の耳元に口を寄せた。

 

「ところで。例の不老不死の彼、会場には呼んでいるんですか? どこからか聞きつけた者がいるようで、記者の質問項目に追加されたようですよ」

 

 有益な情報だろう、と言わんばかりの青池に、正和は満面の笑みを見せた。

 

「心配はない。おい、剛士つよし!」

 

 会場に通った正和の声はすぐに剛士に届く。

 

「はい会長」

「除菌シートを」

 

 剛士が手渡したシートで手を拭きながら、正和の脳裏には一人の男の顔が浮かんでいた。



(……清八。長い付き合いだったが、お前とももうお別れだな)



「神野会長。そろそろ始まりますので舞台袖にお越しください」

 

 担当者に呼ばれ、席を立つ。いつもなら上がらない重い腰が、今日は難なく上がった。

 

「会見の原稿は机の上にございます」

 

 正和は頷き、服装のチェックをしてもらう。司会者の声が、スピーカーを通して聞こえてきた。

 

「本日は雲島開発事業の計画発表会にお越しいただき、誠にありがとうございます。早速ですが、本日登壇して頂く方のご紹介です。国土交通省、青池事務次官。雲島代表、神野剛士様。そして代表のお父様で会長をされております、神野正和様」

 

 司会の紹介に合わせて一歩ずつ、ライトで照らされた舞台に足を踏み入れる。

 

「なんだ、想像していたより記者の数が少ないな」

 

 正和の言葉で、少しの笑いが会場を彩る。そんな冗談が言えるほど、正和の気持ちは軽やかだった。

 

「ではまず、国土交通省の青池事務次官より今回の開発計画の概要をご説明いただきます」

「はい。今回の開発計画は今から二年後、二〇二三年の完成を目指しております。雲島に着目したのは、豊かな自然と温泉の源泉があること、それから珍しいガラス……か……」

 

 急な沈黙。正和が青池の方に顔を向けると、手元を見ながら静止している。

 

「どうかしましたか、青池事務次官」

「い、いえ。ゆ、豊かな自然と、それから珍しいガラス加工、技術が」

 

 青池は辿々しい口調で説明をしながら、剛士と正和に目配せをしていた。

 

(……青池のやつ、一体何をやっている)

 

 どう見ても挙動がおかしい。まだ開始から間もないのに、ハンカチで汗を拭うのは照らされたライトの熱のせいではない。

 

「ありがとうございます。では次に、神野代表。今回の開発における、雲島のアピールポイントをお願いします」

「………………」

「えーっと。あの、代表?」

 

 青池に続いて、剛士までもが下を向いて口を開かない。正和は慌ててマイクを取った。

 

「まったく、若い者はこういう場には慣れていなくて困りますな。私からお答えしましょう」

「そうですか。では今回、雲島を観光開発の場所に選んだ理由はなんですか」

 

 正和は質問に答えようと、手元の紙を一枚めくった。


 


【奥様はお元気ですか?】

 



 頭を殴られたと錯覚するほど、紙に書かれた文字がぐにゃりと歪む。

 カメラのシャッター音が二、三回虚しく空間を切った。辺りを見渡しても、間抜けな顔がこちらを見つめるばかりだ。


(誰だ)


「会長。雲島を観光地開発する目的を、お聞かせ願えますか?」


(誰だ)


「それは白群にある秘密を明るみに出さない為ですか?」


「誰だ!!」


 突然の叫び声と共に立ち上がった正和と、その正和が指を差して睨みつけている男性に、会場の全ての視線が集中する。

 

「お前、何者だ」

「私の顔を忘れおったか。お互い歳を取ったな、正和。お前には今日この日をもって、全ての罪を認めてもらう」

 

 男性は立ち上がり、乱暴に眼鏡を外した。


 記者たちの視線が、正和から男性に移る。先程とは比べ物にならない数のシャッター音が、これから起こることへの興味で会場を焚き付けていた。

 

「お前……清八、か」

「清八だと?!」 

 

 剛士が驚いて声を上げる。

 

「そんなはずはない! 清八は、そこに!」

 

 剛士の視線の先の舞台袖には、薄暗い中こちらを見ている男が居た。

 男は視線に応えるように袖から姿を表す。


 浴衣を腰に巻き黒のタンクトップ、色眼鏡をかけ、モジャモジャ頭の変わった出立ちであることが、さらに会場を騒つかせた。

 

「俺が、不老不死の清八だ」

 

 予定外の事態に、スマートフォンを手に会場を後にする記者がぱらぱら出始めた。

 

「……とかいって、なんちゃって。不老不死? そんなもんある訳ねえよ」

 

 男はずんずん舞台の真ん中まで進み、青池の前に設置されたマイクを掴み取った。

 

「この観光開発計画は、ここにいる青池事務次官、神野正和の罪の隠蔽のために企てられたもんだ。不老不死を打ち出して目玉にする計画はパーだな。残念なこった」

「罪とはなんのことだ」

「二十八年前。お前が原因の火事で人が死んだだろう」

 

 正和は寄せられた眉毛の緊張を解き、緩んだ口角をゆっくり上げた。

 

「あの火事の火をつけたのは私ではない」

「火をつけた? あの火事は事故のはずだろう」

 

 男の追求に、正和はわざとらしく大きなため息をつくと落ち着いた様子で続ける。

 

「そうか。事故だったな。昔の話すぎて記憶も曖昧なんだ」

「真実を言え!」

「真実とはなんだ」

「火をつけたのはお前の息子だろ!」

「息子? そんな証拠はない。大体お前、清八でも不老不死でもないと言ったな。今までずっと我々を騙していたんじゃないか。それは罪ではないのか? 誰なんだお前は」

 

 正和は男を威圧する。


 今日、何度目の沈黙だろうか。


 不老不死の清八。そう名乗り続けた男は、壇上の上から本物の清八を見つめながら口を開いた。

 

「俺は博史ひろし。背中に痣を持って生まれた呪いの子だよ」

「なっ! ばかな! 博史はとっくに死んだはず……何がどうなっている」

 

 この会場に居る当事者で唯一なにも知らない剛士は、ただただ狼狽うろたえる。正和は清八と博史を交互に見ながら、そうか、と口を開いた。

 

「なるほどな。お前たち、博史の死を偽装するために不老不死の伝説などと嘘の話をでっち上げたな」

「守るためだ!」

 

 舞台の上へあがろうとする清八を、警備の人間が抑える。

 

「こんな日によくも水を差してくれたな。なんだって構わない、そんな昔の話」

 

 剛士は記者に向かって声を張った。

 

「諸君! 今の戯言は事実無根! このことを記事にしたら訴訟問題になりますぞ。今見聞きしたことは、この開発計画に反対の少数派による悪あがきだ! すぐに退室させる。おい!」

 

 剛士の声に反応した警備が、清八と壇上の博史を連れて入り口へと押しやっていく。

 

「会長、大丈夫なんですか?」

 

 不安になった青池は正和に囁いた。返事はない。青池がふと正和の手元を見ると腕が震えていた。親指の爪が人差し指の腹に食い込み、血が滲んでいる。青池は正和の顔を見ることができなかった。

 

 清八と博史が騒ぎ立てる声が、だんだんと遠く小さくなっていく。すると、一人の女性記者が手を挙げて訊いた。

 

「話を元に戻してもよろしいですか?」

 

 剛士は作った笑顔で応える。

 

「ああ、頼むよ」

 

「神野正和さんは、人を殺したことがあるんですよね」

「おい、君。だからさっきの話は事実無根で」

田中晶子たなかあきこ

「……は?」

「正和さんが殺害したのは、田中晶子という女性。それも昔の話で今更だと、そうおっしゃいますか」

 

 晶子の名前に覚えがない剛士は間抜けな顔で正和を見るが、視線は合わない。そのうちざわざわと、視線が剛士の後ろに向いているのに気がつく。

 

「父さん! これ……!」

 

 剛士にそう言われても、正和は振り返らなかった。


 スクリーンには、とある高級クラブの一席が映る。

 膝に近いアングルの奥には、だらしなく足を放って座る正和と、ホステスに挟まれ陽気に笑う青池が映っていた。

 

「なんだこれは! 今すぐ止めろ!」

 

 青池がプロジェクターに向かって手を振れば、滑稽な影が左右に揺れる。

 

「これはフェイク動画だ! 我々はハメられている! その女記者を今すぐに摘み出せ!」

 

 正和に質問をした女性に警備が向かう。そうして肩に手をかけようとした、その時。隣の男が思い切り腕を捻り上げ、制圧した。

 

「だめっす」

 

 軽い声色とは裏腹に、翔太は警備員を睨みつける。

 

「あなた、どちらの警備会社?」

 

 その艶のある声に、記者の一人が『あ……』と声を上げた。

 

「あれ、松永涼子じゃないか」

 

 松永エステートの御令嬢だ、とざわつく会場に、ノリノリで手を振る涼子。それを遥が肘で小突く。


「松永エステートはこの開発計画のスポンサーだったはず」

 

 焦って狼狽える青池を、正和は鬱陶しそうに見る。そんな正和の顔色を伺いながら、剛士は慌てて声を上げた。

 

「なんなんだ君たちは! いい加減にしてくれないか!」


 会場の雰囲気に、清八と博史を連れ出そうとした警備員の動きも止まる。

 

「明らかにしなくていいこともある。でも、今回ばかりはそうはいきませんね」

 

 誰だ、と聞かれた女性記者は、一瞬小さく息を吐いた後、諦めたようにこう言った。


「私は、探偵です」

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